前回の質問のタイトル「一から六までの数字が出てきます」で取り上げた文章について、もう一度考えて見ました。
いい加減な私は判らなくても平気で素通りしてしまいますが、それではいけないと思い返しました。
そうしていただいた回答を通して辞書を引きながら、読んでみると・・・・・、
+++++
無量光寿
帰命無量光寿尊、即ち法身ビルシャナ佛。
無量光寿は三身一如なる如来の名を挙ぐ。ビルシャナは其の法体即ち如来の法身なり。
帰命は宗教的客体に対して崇敬すべき義。無量光寿尊は其の対象の本尊なり。其の本尊の法体即ち仏身はビルシャナにして、汎神的に観ずべき法界身の如来、即ち宇宙一大精神態を表号的に擬人的にビルシャナと名づく。また絶対無限の心光は法身に周徧して照らさざる処なく、永恒の生命として霊的活動せる法体なれば、無量光寿と名づく。
+++++
☆ ここでの私の受け止め方を簡単に云えば、宇宙の本体は精神なんだと云っていて、それは他の何かと比較して、と云うものではなく、だから絶対と云うべきもので、でもその本体を身体として見たとき、その身体にビルシャナと名づけた。
そしてその身体は遍く渡れる光、なので無量光寿尊とも云う・・・・・となって、さほど疑問に思う点はありませんでした。
《次の文に判らなことがあります》
+++++
密家には此の法身即ち宇宙全体を唯一の如来身として、金胎不二の大日如来として表号す。略して解説せば、金胎とは理知の義。宇宙全体に周徧せる五大即ち地水火風空と、識大の大元素は宇宙の現象なり。
万有の本体にして此の六大を離れて万物あることなし。六大の中地等の五大は物体にして之を理と云ひ、又胎蔵とす。識大は智にして即ち金剛界とす。宇宙全体は六大なれば、識大は宇宙精神、他の五大物体とは六大相渉入して無碍なり。六大を本体として四曼を相とす。
宇宙現象は其の相なり。万物は悉く大日の曼荼なり。例せば不動また観音と現はれたるは大曼荼。三摩耶曼は本誓とて、各々本づく天職を有して、文殊の智、普賢の行願の如く、之を表示して智剣を執り如意を持つが如く、法曼とは法は軌、生物解(←漢文です)とて、理を知ること。羯磨とは事業、各其の分を実行する事なり。
+++++
☆ まずは智と理の区別ですが、これは「智」は精神世界に用いて「理」は物質現象の世界に用いる、と受け止めてみましたが、問題なのは『六大を本体として四曼を相とす』なんです。これは宇宙の現象の相は四曼と云ってもいい、と云う事だと思うのですが、ここがよく解りません。
事典には大曼荼=諸尊の形象、とありますがここではそれを不動また観音と現はれたるは大曼荼、と云っています。
三摩耶曼は諸尊の持物や印契、とありますがここでは本誓とて、各々本づく天職を有して、文殊の智、普賢の行願の如く、之を表示して智剣を執り如意を持つが如く、と云っています。
また、法曼は諸尊の真言・種子、とありますがここでは、法は軌、生物解とて、理を知ること。と説明されていてこれも難しいです。
そして羯磨は諸尊の動作・威儀、とありますがここでは事業、各其の分を実行することなり。となっています。
これらについて思うところなど、分かりやすいご意見いただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。
A 回答 (6件)
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No.6
- 回答日時:
No.5です。
★★(趣旨説明欄) 宇宙の現象の相は四曼と云ってもいい
☆ この主題については やはりパス致します。
次のくだりについて 考えるところがありましたので つづります。
★(No.5お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~
注釈
三昧修行の入門時代に、いつも慈悲の聖容を見奉るべく全力を注いでも、明相を見る、妙音を聞き妙香を感ずる等は修行未熟のためである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ すなわち すでに結論から言って
○ 《明相を見る 妙音を聞き 妙香をかんずる等》は 修行未熟のゆえだ。
という見方は まづ合っていると思います。つまり 《明相や妙音や妙香など》は それら自体が 《慈悲の聖容》であるとは限らない。じっさいには イコールではない。
ただし ひるがえって 次のようなことも起こり得るのではないでしょうか。
つまり
○ 慈悲の聖容が これらの明相・妙音・妙香をとおして・それらの奥に背後に 見たてまつることが出来たと――あくまで主観においてですが その主観の内で――予感し得た。こういう感覚を ヒラメキのごとく 持ち得た。
といった事態です。けっして その主観は共同化され得ないのですが・つまり客観的な事実だとは認められ得ないのですが それでも あたかも経験世界を超えた場としては 起こり得る。かも知れません。
おそらく そうだとしたらそれが 《復活》につながるかも知れませんし 《不死の境地》にみちびかれることがあるかも知れません。
こういった観点は その《注釈者》には見当たらないように思うのですが そう判定をくだすには 判断材料が少なすぎるでしょうか。
たぶん、修行が進めば次の段階として、ブラジュロンヌさんの言うところのヒラメキに相当する世界、を実験(実体験)出来るのだろうと思います。
ただその境地が《復活》あるいは《不死の境地》と云うべきものなのかは、ブラジュロンヌさんがこうした表現にどんな意味を込めているのか、まだ理解不十分なので何とも言えません。
回答ありがとうございました。(2013/8/28 15:16)
No.5
- 回答日時:
こんにちは。
☆☆(趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~~~~~~
まずは智と理の区別ですが、これは「智」は精神世界に用いて「理」は物質現象の世界に用いる、と受け止めてみましたが、問題なのは『六大を本体として四曼を相とす』なんです。これは宇宙の現象の相は四曼と云ってもいい、と云う事だと思うのですが、ここがよく解りません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ ここなどを見ますと・つまり どうもこの個所の問い求めに集中しておられるようで そのご様子を見ますと どうも案外 わいわいえいとさんも 《理屈詰め》《理屈の積み重ね》がお好きなようです。
わたしは この点では パスします。――と前回申し上げたのですが その確認です。どうですか? つまり この《理智ないし 金剛・胎蔵》やあるいは《三摩耶曼などなど》のオシエについては とことんまで突き詰めて行かれるおつもりなのですか?
このお坊さんの「境地」は密教の説くところの“世界”に相当するので、自身の独自の言葉を密教と結び付けて説明しているのだと思います。
以前は密教に関心があり、その手の利益目的?の教団に一年通ったことがありましたが、このお坊さんの存在を知ってからは興味がなくなりました。
真言、を唱えても何の変化も感じられないし、曼荼羅を示されてもただ、神秘的だと思うばかりだったのです。
だから、ブラジュロンヌさんが四曼など、どうでもいいと云ってますが私もこのオシエをとことんまで突き詰める気はありません。
また、そんな事が出来る頭脳でもありません。ただなんとなくの表面的なレベルでも良いからこのお坊さんがなぜ「四曼を相とす」と云ったか“知って”見たいと思ったのです。
多少調べてみましたが、今も“四曼を相とす”が受け止めにくいですね。
私の表現“理屈詰め”は文面に拒否反応をしてしまう思いを言おうとしたので、適切ではなかったかもしれません。
その拒否反応してしまう文(注釈)の一例を挙げて見ようかと思います。
毎月送られてくる『小冊子』の巻頭にある弁栄上人の言葉とその注釈です。
弁栄聖者・・・開(感覚的啓示)
如来の実在を知見せらるる先駆として顕現するは感覚的啓示なりとす。感覚啓示とは三昧定中もしくは夢定中(むじょうちゅう)に或いは明相(みょうそう)現ずるあり、大きさ銭の如く透明極まりなく、或いは微妙(みみょう)なる花を見るあり、または仏の光明相好瑠璃宝地、または宮殿楼観等の荘厳或いは天楽(てんがく)の音を聴き、または妙香異馨(みょうこういこう)を感ずるあり、或いは甘露の妙味を感じ、或いは柔軟(にゅうなん)衣を以って身を覆わるる等の、すべて色声香味等の五妙感なるを悉く感覚的啓示とす。
注釈
三昧修行の入門時代に、いつも慈悲の聖容を見奉るべく全力を注いでも、明相を見る、妙音を聞き妙香を感ずる等は修行未熟のためである。しかし極楽の宮殿、宝池、宝樹等を見る等は信念不完全の証拠となる。法眼、初等の仏眼、悟の位の仏眼の初歩で、三尊を拝む、極楽の宮殿に在ますミオヤを見奉る等は信念不完全で、人格完成に全力を注いでおらない証拠である。
どうでしょうか。ブラジュロンヌさんはいかがですか。
でも、このお礼文を書くために『小冊子』を数冊取り出して巻頭の上人の文とその注釈を見ましたが、私の単なる食わず嫌いであったことが分かりました。
初頭にこうした文章に出くわしたので、それ以来の“食わず嫌い”だったのです。
回答ありがとうございました。(2013/8/28 10:40)
No.4
- 回答日時:
yy8yy8az様、こんばんは。
>「例えれば、全くスカイツリーのような文章ですもんね。」
「他者と較べるなかれ」とは、どういう智慧でしたか。
(「完全」「完璧」などというのは、ともかくとして)
私の質問に“他者と比較している”ような感じがあれば直したいと思います。
個人的には、そんな気持ちは持っていません。
ただただ、このお坊さんから学ぼうという思いだけです。
釈尊の言葉は過去と云う意味で遠すぎますし、その「解説書?」は理屈の積み重ねのようで“学”が身に付かない“頭脳”の私には理解が及びません。
このお坊さんの文章も難解ですが、釈尊の時代を思えばはるかに近く、今の我々の知識と言葉を以っての文章なので、疑問そのものも比較的はっきりと持てるのです。
また、このお坊さんの意志を継いで活動している教団の小冊子を、弁栄というお坊さんとの“縁”を切りたくないばかりに毎月取っていますが、そこの高僧?による解説・解釈はやはり理屈詰めの印象で“こころ”が感じられません。それに「他者と比較する」と云った感もあってそんなことに触れるのが嫌で、そこから学ぶ気持ちが起きないのです。
弁栄上人(冊子では弁栄聖者と云う表現が主流です)の教えは最高だ、という思いが漂っていてこれに不快感を持ってしまうのです。
ありがとうございました。(2013/08/21 09:40)
No.3
- 回答日時:
わいわいえいとさん こんにちは。
参考になれば。・・・
人びとは神をどう捉えたか
神は 霊として 人に宿り 両者は一体であると見た。
ただし 神も霊も 人に宿る霊も すべては 人間にとって分かるか分からないかが分からない場でありチカラである。
これを《法身》とも言うらしい。
▲ 宇宙一大精神態
☆ に当たると思われますが 一般に《精神》は 人間に属し 経験されうるものです。よって 出来れば現代では 避けたほうがよいと思います。ヘーゲルが 《世界精神》という言い方をしていますが やはり《霊――つまり 何が何だか分からないので そう呼ぶ――》が 一般的だと考えます。
○ 一般類型:神(非経験の場) ∽ 人 (非思考の庭)
_______________________
ブラフマニズム:梵我一如
梵天ブラフマン神 ∽ 霊我アートマン
ゴータマ:無無一如
無梵(ア‐ブラフマン) ∽ 無我(アン‐アートマン)
浄土系:仏仏一如
アミターバ・ブッダ ∽ ブッダター(仏性)
真言:仏仏一如
マハーワイロ―チャナ(大日如来) ∽ ブッダター(仏性)
古代ギリシャ:霊霊一如
プシュケー・トウー・コスムー ∽ ひとに宿る霊
(宇宙霊魂)
ラテン世界:霊霊一如
アニマ・ムンディ ∽ ひとに宿る霊
(世界霊魂)
クリスチアニズム:霊霊一如
神(プネウマなる聖霊) ∽ ひとに宿る霊
ユダヤイズム:霊霊一如
ヤハヱー(ルーアハなる霊) ∽ ひとに宿る霊
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《応身》というのは ただ単に《神の霊が ひとにやどる――したがって人は 神の霊を分有する――》というばあいとは違って そうではなく 神の霊がそのまま全体として人と成ることを言うのではないかと思われます。
だとすれば それは 《ことば(ロゴス=神の霊)が 肉(ひとの身と心との全体)と成った》というイエス(ひと)=キリスト(神)の場合を言うものと思います。
つまり ゴータマは 人間として生まれ 修行を経て〔仮りに通説に従うなら〕ブッダとなったというとき それが《法身仏が応身仏としてそっくりそのまま成った》ことだというのは 無理があると考えます。ゴータマ・ブッダは あくまで人間であって その存在として知恵の完成へ向けて励んだ。こう考えられます。
(イエスに場合には 無理がないかということではなく。つまり何故なら イエスはキリストであるという神と人との全体的な一体は あくまで物語として想定するものであるからです)。
つまり ゴータマ・ブッダは 神ではないと。《無い神》でもないと。
ただし 《無梵無我一如》をとなえて 無梵=《無い神》という名の神を立てた。
この《無い神》が マハーワイロ―チャナ(ビルシャナ)やアミターバなどのブッダと呼ばれる神と 類型として同じものです。
*
霊における《梵我一如――神と人との一体――》を想定するなら 《主体の〈識〉と 客体世界における〈五大〉と》を分けてもよいでしょうが その分けたあとに 両者が一体であると言うのは 順序がぎゃくであるように思います。
梵我一如は 一瞬にして得られるさとりです。
金剛界と胎蔵界とを それぞれ智と理として 分けてもよいのでしょうけれど そのあとやっと両者は一体であると言うのは どうかと思います。
《四曼》が一つひとつどうだこうだというのは ご自由にどうぞと言いたい気持ちです。知りたいとも思いません。クリスマスツリーの余計なカザリだと見ます。
いつも過激なぶらじゅろんぬでした。
イエスも“修行僧”だったんだと思います。
この文章を書き残したお坊さんは確か「イエスは菩薩である」と云っていました。
念仏(常に神を想う)していたと。
釈尊=神、と捉えるのではなく神の世界を実験(実体験)した人、と捉えて何の不都合もないと思います。
其の神の世界を人間として頭脳明晰であったので、衆生に“教え”を遺す事が出来たのではないでしょうか。
回答ありがとうございました。(2013/08/21 09:05)
No.2
- 回答日時:
> 六大を本体として四曼を相とす
いや?六大は天界の高次元から、天界内の外郭次元であ
る5・4・3次元の主・各・優位性の元素と、
それを始めから理解している高次元の意識体と、
外郭次元に放出されながら霊的・向上進化に拠り、理解
・確認の段階を達成した意識体の、その説明ではと思い
ます
ただし?四曼の認識には(そればかりとはいえないでし
ょうが?)、霊界の厄介な自由性(バリエーション)の
拡大が起こる事への理解が求められるかと
> 事典には大曼荼=諸尊の形象、とありますがここではそれを不動また観音と現はれたるは大曼荼、と云っています。
これは不十分な理解か、または限定的な言及かと思いま
す、、
というのは諸尊の形象には本質的な物・意識体と、、
自然霊・神?という存在に拠る放射に拠って発現されつ
つ、様々な修行者・信仰者達の想念エネルギーの集合体
に拠って与えられている性質があるようだ、という事な
どから、詳しい仕組みの確認と理解が必要だろうと
ただしこのような事は、宗教哲学?や思考で達成出来る
物とはいえないだろうとは思います
> 三摩耶曼は諸尊の持物や印契、とありますがここでは本誓とて、各々本づく天職を有して、文殊の智、普賢の行願の如く、之を表示して智剣を執り如意を持つが如く、と云っています。
ここにも前述が関わるかと
> また、法曼は諸尊の真言・種子、とありますがここでは、法は軌、生物解とて、理を知ること。と説明されていてこれも難しいです。
「法曼は諸尊の真言・種子」これは絶対・不動の物では
なく、バリエーションという可能性の理解の上で見るべ
きだろうと思いますが、バリエーションの1つとしての
、それは意味・印章・概念という大きさ・姿形のない物
として、そのバリエーションでは内包されている、とで
も理解すればいいかと、、ただし理解の仕方が1つしか
ないという事でもありません
> これらについて思うところなど、分かりやすいご意見いただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。
以前、何度となく伺った事などからも、時々思い出す事
なのですが?、それは「霊的真理・真実の理解は進んで
いる経緯なのだ」と、、つまり霊的先人が解き明かして
はいない真理・真実などが、未だ広大に広がり、逆に現
代の探求者達は、それを更に(理解と探求を)推し進め
るに、ある意味では恵まれているのだと
恵まれていると同時に、色々な意味で混乱も大きいよう
ですが
この回答への補足
mi4n4nさんが住んでいる(と思われる)“心霊世界”に疎いけど、いただいた回答にはなんとなく“感じ”だけは 得たと思っています。
この“感じ”は例によって、たとえ話で表すしか能がないのですが・・・・・
質問で取り上げた「文章」を和食に例えてみれば、私がこれを箸で食べようとするのを、mi4n4nさんはナイフとホークを使って食べやすくしてみた、と云った感じなのですが。
私が四種曼荼羅を理解できれば、いただいた回答にある指摘も納得できるのだろうと思います。
ありがとうございました。(2013/08/21 08:30)
頂いた回答から受ける印象は、スピリチュアル、霊的世界を思わせる、と言うものです。
質問も精神世界のことですが、なぜか違う世界を見せられているように思いました。
この違いを、どう表現表現したものかと困るのは私に知識が無いから。
時間のあるときに再考してみたいと思います。
取り敢えずのお礼です。
ありがとうございました。(2013/08/15)
No.1
- 回答日時:
>「《次の文に判らなことがあります》
+++++
密家には此の法身即ち宇宙全体を唯一の如来身として、金胎不二の大日如来として表号す。略して解説せば、金胎とは理知の義。宇宙全体に周徧せる五大即ち地水火風空と、識大の大元素は宇宙の現象なり。
万有の本体にして此の六大を離れて万物あることなし。六大の中地等の五大は物体にして之を理と云ひ、又胎蔵とす。識大は智にして即ち金剛界とす。宇宙全体は六大なれば、識大は宇宙精神、他の五大物体とは六大相渉入して無碍なり。六大を本体として四曼を相とす。
宇宙現象は其の相なり。万物は悉く大日の曼荼なり。例せば不動また観音と現はれたるは大曼荼。三摩耶曼は本誓とて、各々本づく天職を有して、文殊の智、普賢の行願の如く、之を表示して智剣を執り如意を持つが如く、法曼とは法は軌、生物解(←漢文です)とて、理を知ること。羯磨とは事業、各其の分を実行する事なり。」
「密家には・・・」
ほうほう
kurinalさんには感心、されてしまいましたね。
例えれば、全くスカイツリーのような文章ですもんね。
長いこと見あげていると“首”が痛くなります。
回答、いや感想ありがとうございました。(2013/8/14 19:40)
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