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私が言うのも難ですが、最近の20代は努力を知らない連中が多い。顔を見れば明らかに分かります。
もちろんきちんと勉強して大学を卒業し立派に仕事をしている人もいるでしょう。しかし遊んでいる連中の方が明らかに多いですね。恐らく就職難といっても会社側はそういった若者のどこを評価していいのか分からない。仕方の無い事ではありませんか?
かわいそうに仕事にもつけない。そうじゃなくて仕事につく資格すらない。そんな連中に会社の仕事を任せるわけに行かないでしょう。当然の話です。
質問の意味は何かといいますと、そんな状況に甘んじていて注意もしない大人はどうか?ということです。
また私たち30代の世代はもっと厳しかったと思います。今のようにパソコンや携帯などがなかったからかもしれません。見てみぬふり。これは社会問題ではないでしょうか?
大体、あんなのは相手にするほうが間違っている。その考え方がそもそも悲惨な状況を招いているのではないですか?相手にしなければ連中はどんどん付け上がるだけですよ。そこを何とかしてもらいたい。ご意見をお待ちしております。

A 回答 (16件中1~10件)

 一つ書き忘れていました、僕は現在50代半ば過ぎといったところの人間です。


それから次いでにも一つ
 >私が言うのも難ですが
これは>私が言うのも何ですが、の誤変換でしょう。20代をバカにする以前に自らの足下を見ることも大切です。
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 何か若くして老人の様な印象を受けました。

ご自身が30代であると仰るなら70年代の半ば少し以前に生まれたはずで、91年のバブル崩壊そして97年のアジア通貨危機および山一証券などの企業破綻による就職氷河期を経験されたことと存じます。
 でも少しだけ待って下さい!。その頃を境目として「勝ち組・負け組」などとの世にもイヤな言葉が大手を振って歩き始めたのではありませんか?
 そうした中で質問者以後の世代が「あなた方の世代をどうとらえているか」と少しばかり想像してみることも必要でしょう。
 僕は企業勤務と大学教育に携わる二足草鞋の者ですので、双方の環境で20代の方々と接する機会も少なくありません。僕からすれば息子や娘とかわりません。そして彼等は彼等なりに社会を見ると同時に社会と自身の距離にも目を向けています。そして何よりも彼等に魅力を感じるのは「何気ない気配り」や「さり気ないサポート」を自然にできることであり、彼等には「共に」との穏やかな目線も常に感じられます。それは何よりも「上の世代がやってきたこと」を間近にそして具に観察していたからできた術でもあると僕は理解もしています。
 そうした姿形を「努力を知らない連中」と一刀両断で即断するのは如何なものでしょう。恰も体育会系の根性論に似ている感じも否めません。
 そうした体育会系アタマがそれこそ根本的に誤っているのは「自身の受けてきた教育(実際には教育でも何でもないが)」のみを是として疑いもしない思考停止状態にあるともいえます。暴力を「愛のムチ」などという甘言で自己正当化するのは最も卑劣なやり方で、それは自身が指導者としての資質を欠いているとの証拠でもある。「説明できない」だから「先に手が出る」で教育や指導が務まるでしょうか。教育や指導ならば「別の方法があるかどうか」を探ってもおかしくはありません。それをしないならば怠慢ともいえます。
 こうした形と質問者様が個人的にいらつくのはほぼ同じと僕には見えます。自身が20代だった頃に、貴方の職場の先輩達は貴方にどの様に接していましたか?
 もし根性論だけを口にした人間だけに出会ってきたならば、今の貴方がいることも頷くことができます。逆に「失敗しても構わない。責任は俺たちかとるからやってみろ」と背中を押してくれた人はいませんでしたか?
 東南アジアでは未だに『おしん』の亡霊が人気を集めているようですが、あの番組が放映された当時、世間の老人達殊に経団連あたりのジジイ達は「あれを手本にせねばならない」と手放しで礼賛していました。それも「幼少期」の頃のみに限っての話です。一代記ですから、その後も当然続きました。戦前そして戦後を行商や小さな商売で逞しく生きてきた女性の姿に関しては、老人達は無視あるいは沈黙を守り通しもしました。
 「商業の世界で逞しく生きる一人の女性」などとは以ての外だったのでしょう。老人達の都合の良さには辟易もします。貴方もそうした一人かもしれませんね。
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肌感覚で、質問者様がこの状況の何が問題とお考えかが分かりません。

同世代でも問題無い人もいるでしょう。また、質問者様の世代自体が更に上からの世代のそういった攻撃対象にはならないのでしょうか。
彼らの事は彼らに任せて、質問者様はそういった世代を冷ややかに見つつもご自分は賢明に生きたらいいでしょう。
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30代が20代をさしたる根拠もないのに顔つきだけを根拠に批判してどうなる、と言いたいですね。

出来ればもっと具体的な論拠を示して議論して下さい。

年代論で言うなら今の若者は30代も20代もデフレ社会で育って夢が少なくて気の毒なんだと思います。正社員になれないし、給料は上がらないし。下に向かって厳しいだけの上司が多く人を育てることが出来ていないのではないかと心配です。半沢サンのTVドラマではありませんが上司の失敗は部下の責任みたいな上司では。

30代の方々は安倍サンの世直しに乗って日本を夢を見ることの出来る世の中に変えていける雰囲気を社内で作って下さい。その気概でもって後輩を背中で育てて下さい。
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  このような問題は、小泉政権が作ったのではないでしょうか!   改革の名のもとで、あらゆる法案を議会で通し、 郵政民営化を始めとするガラクタ法案の一つに、派遣法があります。

  この法律は、労働力の流動化によって、企業活動を活発化し、年功序列ではなく、成果を得た人は若年層でも高額報酬が得られるという一見おいしそうなものでした。  しかし、それは幻想であって、社会経験の無い若者が簡単に成果を上げられるわけはなく、企業側も適切な研修を怠り、年功序列を壊したため、3年いや10年頑張れば立派な職業人になれるという希望を奪ってしまったのです。  石の上にも3年や蕎麦うち10年と言った言葉は死語になってしまったのです。   企業側は、人を仕込むことから、都合の良い時だけ使い捨て可能な、非正規労働者を増やした。   その結果、若者は正社員のなることが困難になり、派遣やパートタイマーを渡り歩くはめになったのである。  これでは、希望が持てず、高望みをして挑戦する機会を失うのは当然である。   こういう自分も2005年に会社が倒産し、未だに正社員の応募に成功していない。 先着順に採用する短期バイトを途切れ途切れでつないでいる。また、親の介護の問題も発生し、それすら怪しくなっている。 困っているのは、20代だけではありません。  しかし、倒産はリストラ解雇より厳しい。リストラなら黙っていればわからないが、当方は、公にダメ人間であることが知られているからである。  話は変わるが、倒産の取材をマス・メディアから受けた後、たまたま通りかかったデビュー前の高橋みなみさんと軽い会釈を交わした。 たかみなは、覚えていないと思うが、奇遇にも会社倒産とグループの結成は同じ年だったのだ。  こんな一世を風靡するアイドルになるとは、当時は想いもしていなかった。   そのたかみなの座右の銘は、「努力は必ず報われる」ことで、成果を出したかどうかは発展途上であるので何とも言えないが、その姿勢は感銘を受けている。  20代でも努力をしている人は少なからずいることは事実である。  機会があればたかみなと直接会って会話をしたい。 できれば友達になりたい。      話を戻すと、人生は長いのだから、修復できない人生に幕を下ろすのは良いと思う。   人生に幕を下ろすことは、生命を絶つことと同義語ではないと自分は定義付けたい。   生命さえ在れば別の人生を始めることが出来ると思いたいからだ。  こうすれば、努力は必ず報われる時は、必ず来るからだ。     今の社会に不満があれば、自分たちで変えて行くよう努力をしよう。   古い体質の会社も、今は人生の勉強だと割り切って乗り切ればよい。今いる古株社員は、先は長くはないんだから・・・・・・!     今の30代世代の厳しいのもわかるが、20代で仕事に就く能力のない人を仕込むのも、先輩の役割でもあるのです。 仕事をする資格がないのではなく、機会がないのです。  一見能力が無さそうでも、それなりの仕事を割り振れば良いのです。 就職難の今では、採用さえ出来れば、彼らも一生懸命やると思います。  これは、正直難しい問題ですね。    倒産した人間が大きなことを言って申し訳ないが、気だけは大きくないとやっていけないから!
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全ての人がそうではないと言う前提と、独断と偏見を自覚して勝手に言います。




人間と言うのは、生きた時代にマインドが左右されます。

20代の若者は、デフレ化の日本しか知りません。そしてデフレとは経済が縮小する状態なので、未来志向がありません。そんな世の中で生きた彼らは、未来に対して希望が希薄です。

今現在の大人たちは、経営難が理由で以下仕方ない面はあっても、規制緩和というデフレ化で行ってはならない誤った経済対策により、派遣法の拡大で人を部品として捕らえ、必要な時に入れ、必要がない時は捨てると言う「実例」を作りました。


そのような社会を冷ややかに見ていたかつて学生だった彼らは、「どうせがむしゃらに働いても必要なかったら捨てられる」と言う、会社に対する信任は完全に欠如した状態でそのまま社会人となりました。


そんな彼らが、真面目に働くはずがありません。就職していない若者も、「働かなくても生活保護で養ってくれる」と言う「実例」があるので、労働意欲は欠如、会社に採用されようと言う意欲がありません。




彼らは「社会から必要とされていない」と言う意識があります。だから会社員になっても愛社精神はありません。上司に誘われた飲みも残業代を請求します。

彼らにとって会社とは、金を稼ぐ手段でしかありません。そして、会社も従業員は利益を上げるための部品としてしか考えていない。と思っています。それは全て「実例」から学んだものです。



全部の若者がそうではありません。

しかしもし、部下にそんな若者がいたら、ちゃんと正面から接する事です。そして彼ら若者の「個人」を認めて堅実に接する事です。部下は部品では無いと言うことを分かってもらわないといけません。そうなれば本人も「目をかけられている。必要とされている」と自覚が芽生え、真面目に会社に貢献しようと言う意欲がわいてくる「かも」しれません。
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大人がもっと注意しろと言うことですか?



既にやって聞かないから無視しているのですがね。

後は、失敗するのを待っている状況です。

仕事でミスしたときは、時はすでに遅しで辞表を出すのを待っている。

今は、成果主義が当たり前の時代ですから、貴方が言うような人材はいらない。

でも、採用してしまったので仕方なくやれる仕事与えている。

それに、新人社員は99%期待されていない。1%残ればよいと考えているので、注意する必要性がない。
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私は、どちらかというと努力をしすぎて、人に努力を強要する様な社会に問題あると思います。



いわゆる不幸自慢、自己の努力を賛美して弱音を履いた人間を見下すような感じに誤解を与えかねない。
悪く言えば単なる説教であり、意味があるのか、
そんなやり方で果たして次世代がついてくるのかなぁという感じ。

誰も好きでこの世に生まれてきた訳じゃない。全ては親のエゴであるのだから、努力義務、そして責任も親にしか発生させてはいけないのではと


ネットで何度かアンケート調査して分かったのですが、「人一倍人生を努力したと思ってる人間」というのは、全体の1割も居ません。
一方で半人前、もしくは人の10分の1とか、努力と無縁の人も同じ割合くらい居て・・・
その割合について世代間の差について開きがある訳でもありませんでした。

真実として言えるのは、不公平にも努力しすぎの人々が居て、その人々は苦しんでるという事実

私は、この原因について、世の中の職業選択の幅の狭さが起因しているのではと結論しています。

たとえば、塾産業ですが、果たしてこの世に絶対なくてならない業種でしょうか
極論すれば自己学習可能な訳ですし、自己学習にて柔軟な発想探査能力が養えるのであれば、塾はむしろ害悪にもなりえる。

にも関わらず、塾産業には金が入ってきます。税収が入ります。塾産業が必要な論理が正当化されやすいけど、そうじゃない。
塾が無ければ、多くの家庭では貯金があまり子供と親は家族旅行したりで、税収を発生させる。
塾は雇用を創出してるから正当できるという論調もあるけれど、雇用はそれほどまでに大事なのだろうかと。
仕事あぶれちゃった人には、政府がお金を印刷して配布してれば事実上、問題無い筈ですから

それでも塾の意義性はあるでしょう。だから無くす事はありえない。しかし問題なのは、塾産業が反映してしまう様な、学力競争、受験戦争が肯定化される社会です。

脳みその出来不出来があるのだから、同じ成績を出す人は共通した努力量ではない。不器用な人程、人の何倍も努力する事になろうと思うけど、そもそも学力が無いと世の中生きれない訳では無いし、出世できない訳でもない。中卒から社長になってる人だっている。

そうであるなら、塾産業が発展せざる負えないのはなぜか
「大学のブランドイメージ。人は中身より、着飾るものを見てします」が答えとして正しいのでしょうが、もっと根源的に言えば、「そういう職場が多い。」という事
なぜそういう職場多いのかと更に根源を深めれば、「仕事の数、職業選択の幅、会社そのものが少ない」になります。

現代はハイテク化してあらゆる産業は昔より労働者不要になってきている。そういう社会では必然的に仕事先が少なく、塾産業はその原理の元、足りない雇用の穴埋めをして発展した。

政府は足りない雇用について、生活保護などで弱者を救済する事も可能でしたが、市場原理に任せた。その結果として、今がある。その今は効率性という意味でさいぜんであるかどうか。おそらく違うでしょう。
大学に通う人がこの20年で倍以上に増えたけれど、科学者等の研究員の人口はこの20年で殆ど変わらず、

学校は行くけど、学んだことは活かさない。活かせない。もしくは学んだことを社会が要求してないか、定員過剰。
学ぶことは現代においては無駄が多いという事です。



政府が取るべき策は何だったのかと言えば、雇用創出しかありえません。

雇用はどこからでも生み出せる。たとえばボランティアとされる分野を仕事として雇用に転換し、働く人に紙幣を刷って配る。等

いくらでも方法はあるという事。


仕事の数、職業選択の幅を増やしておけば、結果として、”大学のブランドイメージを気にしない。人の中身を重視。、着飾るものを見ないor見る必要が無い雇用主”の絶対数も増やせた。

大学に行く人が少なく塾や学業に金を使う必要の無い世界で、割と今よりも笑顔の多い家庭が多かったんじゃないかと思います。

母子家庭多くて、ヒステリー母親多く、虐待多く、社会がギスギス。結局、これ全部政治責任です。

アホな政治家が多いのがいけない。
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努力やガマンがバカらしいと思ってるんでしょ。



だって、その結果が一生社畜なんですから。

そもそも努力はすりゃあいいものじゃなくて、方向ってのがありますからね。

自分の才能と関係ないことをガマンしてやってたら、
単なる自己マンで終わります。

パソコンとケータイいらないってのは、賛成です。

便利さと引き換えに、問題多いですからね。

アナログなほうがおもしろそうだし。

さて、どうやってなくそうかな。
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私から見れば30前半も似たようなものですが、まだマシでしょうね。



育てた親からして残念なの多いですからね。

自分のケツも拭けないのに子供のケツまでふけない馬鹿親だからねー

今度は今問題になってる投稿写真な馬鹿餓鬼が社会人になってくるよ

親もろともガッチリ賠償させて二度と公の場に出て来れないように

しなきゃねw
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