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旧日本軍に潜水艦はないものと思っていましたが、ネットで検索してみるといろいろとあったようです。

戦艦が有名すぎで、潜水艦はあまり話題にならないようです。
そこで質問ですが、潜水艦の性能・実力のほどはどうだったのでしょうか?活躍はしましたか。
Uボートに比較してだいぶ劣るのでしょうか?
戦艦の技術が優秀なので、潜水艦も優秀であったと想像します。

A 回答 (6件)

日本海軍が潜水艦だけで沈めた大型艦は、空母ワスプと重巡洋艦インディアナポリスだけだそうです。

ここで『大型艦』とは巡洋艦以上の大きさの軍艦を、単独とは純粋に潜水艦からの攻撃だけで沈めたことを意味しています。ちなみに、アメリカ潜水艦は日本の大型艦を七隻以上、ドイツ海軍は英海軍の大型艦四隻以上を単独で沈めています。

日本の潜水艦が余り活躍できなかった原因として、用兵思想の誤りとアメリカ海軍の優れた対策、そして技術格差(潜水艦の建造技術とは別の面での)があると思います。

既に指摘があるように、第二次大戦で潜水艦が最も戦果を上げたのは対商船攻撃でした。潜水艦の任務について、ドイツは最初から対商船攻撃に絞って莫大な戦果を上げ、アメリカも太平洋戦争開戦後から潜水艦の主目標を商船に切り替え、開戦前600万トン以上もあった日本の商船を4年弱の間にほとんど0にしてしまうほどの大暴れをしています。一方、日本海軍は最後まで軍艦攻撃にこだわり、アメリカ軍の優れた対潜対策が充実して行くにつれ片っ端から沈められていく運命をたどりました。護衛の比較的弱い(ソフト・ターゲット)商船団を狙ったアメリカやドイツと、護衛の固い(ハード・ターゲット)軍艦にこだわりすぎた日本の差と言えるでしょう。無論、日本海軍には軍艦攻撃にこだわらざるを得ない事情があったわけですが。

アメリカ軍の優れた対策としては、アクティブ・ソーナーの標準装備、護衛専門の空母(2年間で100隻以上も新造)と駆逐艦の大量建造と護衛船団方式による対潜護衛の実施、護衛駆逐艦がペアを組んだハンター・キラー戦術(一隻が追い回し、待ちかまえているもう一隻の懐へ追い込む)の採用などが上げられるかと思います。また、英海軍が行ったOR(オペレーションズ・リサーチ)の成果から、夜間浮上中の潜水艦をレーダーを利用して集中的に狙う戦術を採用したことも大きく功奏したとされます(おかげで日本潜水艦は昼間浮上せざるを得なくなり、今度は飛行機に狙われた)。

技術差について言えば、アメリカの潜水艦が昭和17末年の段階でレーダーによる魚雷照準装置を実用化していたのに対して、日本海軍は最後まで潜望鏡による目視照準であったようです。また、対潜兵器について言えばアメリカ軍はヘッジフォッグと呼ばれる投網のような対潜砲を実用化していました。また、日本の潜水艦はエンジン/モーターの音を静音化できず、アクティブ・ソーナーのみならず水中聴音機によっても簡単に探知されてしまうと言う欠点を持っていました(ドイツの技術者から『ドラムを叩きながら潜っている』と酷評されています)。飛行機を搭載できたことは、日本潜水艦の優位性でしたが、逆に船体が大型化することで、アクティブ・ソーナーによる探知に弱くなる結果を招いたとの説もあります。

先程述べた多数の護衛空母の哨戒と探知・攻撃における技術格差によって、日本の潜水艦は簡単に発見されるようになり、飛行機や駆逐艦によるハンター・キラー戦術とヘッジフォッグなどの効果的な対潜兵器により、手も足も出ない状況へ追い込まれていったと言われます。

参考文献として、以下のようなものが手頃です。興味があればご一読なさるとよろしいかと。

NHK取材班 『太平洋戦争 失敗の研究』角川書店 ; ISBN: 4041954126~
三野正洋『日本軍の小失敗の研究』光人社 ; ISBN: 4769822596
大井篤『海上護衛戦』学習研究社 ; ISBN: 4059010405
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旧日本海軍は1905年~1945年までに241隻の潜水艦を保有したとされています


(このうちの8隻は旧独、伊軍からの供与されたもの)
その中で1000トン以上(伊号クラス)のものは119隻とされています

創成期のものは英、仏、伊、独などから図面や主機の製作権を購入して製造されたもので
旧日本海軍独自の計画設計のものは大正8年頃に独潜を倣って続々製造されたそうです
そして第二次大戦時においてその性能は全ての面で諸外国のレベルより優れていたと言われています

しかし戦況の悪化に伴い戦線への補給路を寸断された日本軍にとって
その任務は潜水艦に頼らざるを得ない状況になってしまいました
主砲取り外し補給物資を艦体にくくり付けて泊地で荷物を切り離し潜航するというヒストン輸送のようでした
そういう意味で華々しい戦歴こそ少ないですが旧日本軍にとって
重要な役割を担っていた事は確かなようですね

消耗が激しかった潜水艦の中で不死身と言われた”伊41艦長”板倉光馬著の
「あゝ伊号潜水艦」(海に生きた強者の青春記録)【光人社刊】という本があります
これを一読されれば当時の潜水艦のとった軍事行動に関して凡そ把握できるでしょう。
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日本の潜水艦運用はドイツとは違い、艦隊に随伴して敵艦隊を漸減することを目的にしてしまいました。

そのため、攻撃が可能であった商船をかなりの数攻撃しなかったようです。
ドイツの潜水艦はこの様な運用ではなく通商破壊を目的にしておりました。その関係から、商船が攻撃対象出会ったために沈没させた総トン数がかなりの数に上っています。
イ400型は世界最大級の潜水艦ですよ。Uボートと比較するとなると規模的にはロ号かハ号の小型潜水艦ですかね・・・
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日本海軍の潜水艦は、"甲標的"と言う小型の特殊潜航艇から、排水量が1000t以上ある"伊号(イ号)潜水艦"などいろいろなタイプがありました。


先の"甲標的"は開戦時にハワイの真珠湾に潜入して、魚雷攻撃を行いました(戦果なし)が逆に米軍にやられてしまいました。

主力となった"伊号潜水艦"は様々な種類があり、偵察機を搭載していた物(飛行機搭載は世界中で日本だけ)
や魚雷攻撃を主目的とした攻撃型のものや、最終的にはパナマ運河の爆破を目的とした、小型爆撃機を3機搭載した大型潜水艦も作られました。
結局、戦局の推移により攻撃目標はパナマから太平洋の米軍に変更になり、出撃中に終戦を迎えました。
しかし、戦争初期の頃には日本の潜水艦から飛び立った飛行機が、アメリカ本土西海岸の山林に、爆弾を投下しています。(アメリカ唯一の空襲)
また。インド洋から大西洋へ出て、同盟国ドイツまで赴き、平気技術の交換などに携わった艦もあれば、太平洋で海戦中に、米空母ワスプを撃沈した艦もあります。

また本土近海決戦様に作られた、"海竜"や"狡竜"などは小型ですが、水中での機動性に優れていました。
ただこれも戦局の推移により活躍の機会はありませんでした。

日本海軍の考え方として、主力の水上艦艇(戦艦や巡洋艦)の数的な劣勢を補うために、艦隊決戦の前に潜水艦部隊の魚雷攻撃で、敵主力艦の攻撃力を減少させておいてから、水上艦艇で相手を叩く!のが基本だったので、通商破壊を主目的としたドイツのUボートとは、艦の大きさも運用方法も異なっていました。

潜水艦そのものは、大変優れた技術で作られていて、パナマ攻撃用に作られた艦などは、戦後に原子力潜水艦が登場するまで世界最大級でしたし、遠くの海域にいる潜水艦との無線交信技術なども、世界トップ水準にありました。
http://www.aka.ne.jp/~deguchi/hobby/japan/j_ship …

参考URL:http://www.aka.ne.jp/~deguchi/hobby/japan/j_ship …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
パナマ運河攻撃が目的のものや戦闘機を搭載したものなど、驚きました。
しかも実際に空襲を敢行していたとは!
空母を撃沈していたのも驚きです。

それでもあまり活躍できなかったのは、探査技術が弱かったからなのでしょう。
先に見つけられると劣勢に立ちますから。

お礼日時:2004/04/19 15:08

参考URLによくまとめられています。


日本の「伊」シリーズはUボート並みに優秀だったといわれています。
戦争後半では大国の探知技術の発達でかなりの船が沈められましたが。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3853/sa …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/04/19 15:02

はじめまして。



つい先日同じような回答をしました。

ご紹介するURLのまんなかあたりの「フネ」の
ところをご参照ください。
沢山の潜水艦がありました。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/nishidah/index.htm
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この回答へのお礼

ありがとう。

お礼日時:2004/04/19 15:02

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