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最近、テレビや雑誌などで日本語の乱れについての記事をよく見かけます所謂若者言葉、ら抜き言葉と言ったものです。何なんですかね?。正しい日本語?なにそれ。まるで今の日本語がおかしいみたいですが。明らかにおかしい日本語ならよいのですが。大抵そう言うことを言う馬鹿はダイヤモンドのような頭を持つ人です。要するに頑固な爺かおばはんです。
いつも思うのですが正しい日本語は誰が決めるのですか?
言葉遣いと云うものは今まで庶民の使い方により変化しました。
僕は言葉は皆が普通に話す物が正しいと思います。言葉は経年変化です。今の日本語は、乱れているのではなく、流れているんです。其れを受け入れずああだこうだと批判し、何十年も前の言葉が正しい等屁理屈を言って何が楽しいのでしょうか?そんなこといったら、言葉の乱れを主張する人々の言葉も、明治時代の人から見れば、変に思われるでしょう。でも、そんな事言い続けたところできりがない。結局、日本語の乱れ等頭の堅い人達が言葉の経年変化を受け入れずに作った屁理屈に過ぎません。何でもかんでも屁理屈を云ってしまえば、お終いなんですよ。もう話が進められません。いや、話になりません。
逆にこういう奴が居ると、日本語がそれこそ本当の意味で「乱れ」るといってもよいでしょう。
皆さんは、どう思われますか?

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A 回答 (8件)

最近? もう20~30年前から言われていますよ。

そして同時にこのような意見も手垢のつきまくった、言い古された議論で、目新しくない。これまでの流れを知らないのかな? …と思われます。
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この回答へのお礼

質問するきっかけは、街中で「若者言葉使った」などという人が居て、マスコミだけではなく、一般人まで言い始めたからです。

お礼日時:2013/12/14 18:01

私はむしろ方言は徐々にすたれ。

標準語に近い言葉に変わっていると思います。
20年ぐらい昔奈良に住んでいましたが、、云っていた。~いっとてやった。していた=しいてやった
などと云う方弁が使われていました。、今では世代が変わり、外部から移住する人も多くなり、
通じなくなったという事でした。
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屁理屈を言うしか能がないまま大人になってそのままの人が多い。



そして責めやすいところは馬鹿にでも責めやすいから馬鹿はそれを責める。

言葉と政治は馬鹿でも批判できるんです。だから騒いでる大半は馬鹿なのです。馬鹿の好物が言葉と政治の批判。

脳ミソが楽してる奴らという事です。
言葉の乱れよりも嘘つくなが道徳心です。
嘘つきほど有害な物はありませんよ。

本題はマスコミや雑誌は馬鹿に受けるネタを提供する商売という法則と整合します。なんであれマスコミがネタにし始めたら馬鹿注目ですからそれは末期症状でお仕舞いだと察した方がいいです。政治に関心を持とうとかね。政治を健全化するのと政治に関心を持つのは別だろうに。つまりご指摘のように日本語はどうしょうもなく流動的であり手遅れに近くそれもまたマスコミのマッチポンプ。
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この回答へのお礼

確かに。僕はマスコミは嫌いです。
貴方は河原美代子さんを知っていますか?
昔、マスゴミが一方的に騒音おばさんと称し悪者として、被害者夫婦がただの被害者として報道されていた
人です。
彼女は若い頃、相手が障害を持つ人とだということを隠され見合い結婚させられ.その後三人の子供が産まれたそうだが三人とも障害を持ち. 娘二人は亡くなり今ご主人は入院中だそうです。 そして障害を持つ息子さんと一緒に暮らしていました。
そのような家庭環境の中、今回被害者とされる「老夫婦」が隣に引越ししてくるわけで、ミヨコは原告夫婦が越してくるまでは明るい楽しいおばさんだったとされています。近所でも評判の。 しかし原告夫婦が引っ越してきて、庭にミヨコの家を照らすような明るい照明を設置。自宅に重病患者のいるミヨコは、せめて囲いをして、窓から光が入らないようにと原告夫婦に頼んだ。しかし原告夫婦はそれを無視した上に、わざと早朝 からの布団叩きを開始。おまけに
ミヨコの家の茶碗を洗う音がうるさいとか 病気の息子さんの「うー」いう声を「キチガイがうるさい」と自治会の班長にいう など悪行三昧。家庭内の会話にも聞き耳を立てられ言い触らされる。
そこでミヨコも布団叩きで対抗する。原告夫婦は周辺の信者を20人も集めビデオを撮りつつクスクス笑う。ビデオでの監視は24時間やってたらしい。嫌がらせは、彼女が家族の介護のために自宅前に止めていた車にまで及ぶ。
ミヨコは昔からのご近所の方には、いつもお菓子を持ってうるさくして申し訳ないと謝っていた常識人で、日ごろから被害者夫婦以外の者には親しく接しており、近所の住民に笑顔で挨拶をする様子も見られた。マスコミのインタビューに応じた近隣住民も「普通の人だったと思います」などと答えて居ます。
マスゴミは
事件が起きればワアワアガヤガヤ騒ぎ立てる癖に、いざ其れが間違いだと分かっても何もしません。
結局、日本語の乱れという考え方はマスコミが作ったのかもしれません。

お礼日時:2013/12/14 17:58

>皆さんは、どう思われますか?


いや、最近は随分と減ってきましたよ。
「日本語の乱れ」云々の話は。
少なくとも、NHKと文部省は「変化」と捉えてて、「乱れ」なんて言い方はしていないはず。

Cjmjmaさんの質問も、頑固頭の若者の反抗って感じ。
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この回答へのお礼

新聞や雑誌には、いまだにありますし、街中で「若者言葉」などと言っている人はいました。確かに、前よりは減りましたが。

お礼日時:2013/12/14 18:06

頑固な爺かおばはんも案外日本語を間違って使っていますよ。



文化庁が毎年「国語に関する世論調査」と言うのを公表しています。
なかなか面白いですよ。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/yoronchousa/

ご指摘の通り言葉は生き物で、時代とともに変わってきます。
IT用語やコンプライアンスに関わる用語などは以前無かったものなので
カタカナ言葉を中心に新たに日本語に加わる単語も多いです。

文化庁が日本語の乱れを決定しているとは思わないですが、
世論調査にあるよう、年代や性別を問わず多くの人が「誤用」している物から
晴れて正しい日本語として市民権を得ていくのでは?

以前は全然+否定文でないと怒られたものですが、最近は寛容という印象を持ちます。
ただ飲食店で良く聞く「ご注文の方は以上で宜しかったでしょうか」
「一万円からお預かりします」は今もまだ市民権は得ていないのでは?
私はとても変だと思いますし、そう指摘する人も結構見ます。
私や周囲がダイヤモンド頭なのでしょうか。
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私も日本語は必ずしも乱れているのではなく流れているのだと思います。

つい数日前にも「こないだ」とか「1つづつ」が辞書に載っていると知って驚きました。

そうやって、どんどん辞書が更新されればわかりやすくなると思います。例えば、「ら」抜きなどは、「ら」が抜けたところで意味は必ず通じるし、失礼にもあたらないし、強いて言えば、一部の人にとって聞き苦しいだけなので、もうそれならそうと、「ら」抜きも日本語ってことにしちゃえば、みんな、すっきりすると思います。

ただ、日本語って、ものすごい速さで変化していくので、久しぶりに違う世代の人と話したりすると、通じにくかったりするんですよね。やはり存命の世代間で通じる程度には、統一感があったほうがいいとは思います。

それから、誤った敬語は問題だとは思っています。例えば、いつぞやも店員に「商品についてのご説明だったんですが」と言われたので、「え? どれがですか? 私、ご説明を聞き逃しちゃいました」と本気で言ったら、これからする説明のことでした。急いでいたので、ちょっと時間の無駄でした。あるいは、「私は帰りますが、先輩は、まだここにおりますか?」とか言われると、あんたはナニサマか、何のための敬語だと思ってしまいます。

とにかく、言葉はコミュニケーションツールですから、意味も気持ちもすんなりと伝わるなら、いいですよね。
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多くの人はそんなことを気にしないので、



  別にどうでも良い

的な意見なんですけど…。


古い言葉で申し訳ありませんが、「だらしない」は正しい日本語じゃないんですね。
正しくは「ふしだら」と言う事です。
「ふしだら」は「しだら ではない」「しだらない」と言う意味です。

…はい。その通り。「しだら」を「だらし」と読み替えて使ったんですね。
当時はきっと言葉が乱れたとかなんとか言って「言葉狩り」をしようとした人もいた
のでしょうけど(いたのかどうかは定かではありませんがw)結局現在に至っています。


そんなわけで気にするほどのことでは無いと思います。
今流行っていてもいずれ使われなくなることもありますからねえ。
(いわゆる死語ってやつ)
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 質問者様の意見も一理あると思います。

テレビや新聞雑誌などで「乱れ」を論じてる人はたいてい専門家でないような気がします。図書館などでそういった関係の本を読むと、著者や国語学者や元アナウンサーだったり納得できる人で、おおむね若者が使う新しい日本語について肯定的な意見だったりするものが多いです。
 「見られる」と「見れる」の二つがあることによって受動の意味か可能の意味かが判別しやすくなったともいえる、という事実を淡々と報告する人もいます。
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Q日本語の乱れ、「ら抜き言葉・すいません」気になりますか?

日本語が乱れて来たと言われて久しいのですが、
皆さん、どの程度気になりますか?
「日本語の乱れ」と聞いてどのようなことを思い出しますか?
例えば「ら抜き言葉」はどうでしょう。聞いてて不愉快に感じますか?
本来は「すみません」が正しいのに、
「すいません」と使われるのをどう思いますか?

ちなみに私は前者の場合、気にはなりますが仕方がないなと思ってしまいます。
何故なら某コンビニのCMで
「食べれる・しゃべれる ミニ○トップ」と歌っていたり、
「たべれる」と入力すると「食べれる」と漢字変換されるところを見ると、
これはもう江湖に認容されていると判断せざるを得ないからです。
後者については、回答が寄せられてからおいおい述べたいと思います。

実は「すいません」と使う私に注意してくれた方がおられまして、
後にその方から酷い仕打ちを受けまして。
それで日本語の乱れってそんなに許されないことなのかと思い、
この質問をさせて頂いた次第なのです。
尚、お礼に数日かかるかもしれませんのでご承知置き下さい。

Aベストアンサー

再びNo.7、No.17の者です。
何度もおじゃまして す「み」ません。

No.19の方へ。

>No17の方、「するまい」も誤った表現とのことですが、

質問から外れていくようなので詳しくは述べませんが、手元の辭書には文法の教科書とはまた違った記述が書いてあり、文法とやらに從っても、結局のところ「するまい」が誤っているのかははっきりしません。

(質問より。)
>「食べれる・しゃべれる ミニ○トップ」と歌っていたり、

このような歌を唄うことが好きな方(←もしいたら。)へのアドバイスです。もし「食べれる」は間違った表現だと言われたら、
「これはあくまで歌に合わせて唄っているんだし、『しゃべれる』と韻を蹈むための例外というものです。」
と答えましょう。


私は文法の教科書を讀んで、改めて學校で習った文法というものは勝手なものだなあ、と思いました。

・「變化しない部分を語幹と言う」と書いてあります。
しかし、「投げる」という語だと、
「なげ-ない」「なげ-ます」「なげ-る」「なげ-るとき」「なげ-れば」「なげ-ろ」
と、「なげ」は共通しているので「なげ」が語幹かと思うと、「な」だけが語幹だと言います。

・五段活用動詞で「ない」が後ろに附く形と「う」が附く形は違いますが、これを同じ未然形としてまとめてよいのか、という疑問が湧きます。
例えば「飛ぶ」という動詞では、「とば ない」と「とぼ う」は、活用語尾が「ば」(ア段)と「ぼ」(オ段)で異なりますが、それをまとめて未然形にしています。

それらは文語の文法に從ったなど理由はあるんでしょうけど、まじめに讀むほど疑問だらけになると思います。

他にもいろいろ言いたいことがたくさんあるんですが、キリがありません。

他の方がおっしゃるように、言葉を整理してみた結果が文法であるはずです。
しかし言葉を整理した結果にすらなっていないようです。

文法の教科書の立場で日本語を見ると、なんだか現實に使われている日本語はとても間違っているように思ってしまいます。

教科書に「投票すまい」や「これる」が誤りだ、などと書いてあっても、
「本當は正しい表現ではないだろうか」
と教科書を鵜呑みにしないのが正しい姿勢です。

文法の教科書は、そのうちコロッと態度を變えて、
やれ、可能の意味で「こられる」というのは間違っているだの、「すごいきれいだ」は正しいだの言い出すでしょう。


>「日本語の乱れ」と聞いてどのようなことを思い出しますか?

人には、自分が育った環境で身に附けた言い回しや發音が正しく、それ以外を誤りと決めつける傾向があります。そのようなことを思い起こします。

「みだれ」というのとは違いますが、なんで モーニング娘。というのは最後に「。」(句點)が附いているのか(句點のように見えて實は句點ではないのか)、理由はあったとしても、私は【はっきり言って】なじめないですね。
しかし、私がなじめないからと言って誤りと言うこともできません。

これくらいで回答は終わりにします。

再びNo.7、No.17の者です。
何度もおじゃまして す「み」ません。

No.19の方へ。

>No17の方、「するまい」も誤った表現とのことですが、

質問から外れていくようなので詳しくは述べませんが、手元の辭書には文法の教科書とはまた違った記述が書いてあり、文法とやらに從っても、結局のところ「するまい」が誤っているのかははっきりしません。

(質問より。)
>「食べれる・しゃべれる ミニ○トップ」と歌っていたり、

このような歌を唄うことが好きな方(←もしいたら。)へのアドバイスで...続きを読む

Q若者言葉について・・・

 最近ニュース等で「言葉の乱れ」についていろんな人が意見しているじゃないですか。皆さんは俗に言う「若者言葉」についてどういった考えを持っているのか教えてください。
ちなみに僕は、そんなに乱れていないと思うのですが、(やはり自分もそういった言葉を使うからですね)皆さんはどう思いますか?(できれば性別、年齢を書いて返答してくれるとありがたいのですが)とにかく回答の方よろしくお願いします

Aベストアンサー

こんばんわ。
本日付けの確か読売か朝日新聞の朝刊を見ていますと、新しいボキャブラリーや日本語の用法は、常に若者から始まるとかいう意見が中村うさぎさんや国語学者から寄せられおり、概ね、「世間で喧伝されている程、乱れていないし、心配していない」旨の内容でした。
確かに、私など、喫茶店で「○○でよろしかったでしょうか」とか「チョー○○」とか少しついていけないなと思う部分もありますが、自分も若い時、何の疑問もなく「ナウい」とか使っていました。しかし、今では、淘汰されてしまいました。ある学者もその記事の中で若者言葉も合理性があれば、生き残り日本語として定着するが、世間に受け入れられなくなるにつけ、淘汰されるなりして一時の流行で終わるとか述べられておられました。また、誤用もそうで、誤用も人々に受け入れらて、定着し例も多いとかで「舌触り」などの例を挙げておられました。私も、基本的にその論調に賛成ですし、余り心配しておりません。それよりも、美しい日本語が美しいと感じられなくなっていく、大人社会の余裕の無さの方が心配です。ご参考までに。(男性、中年です)

Q「乱れた」日本語への激怒はなぜ?

テレビや本などで、いわゆる「乱れた」日本語が取り上
げられ論じられているのを目にすることがあります。わた
しはこういう実例を目にしたり耳にしたりすると、「面
白い言い方だな」「なぜこういう言い方が使われているの
だろう」と考えてしまいます。乱れなのかどうか、間違いなのかどうかはそれに比べるとあまり考えません(そも
そも乱れや間違いとは何なのかがよくわかりません)。
もちろん公的なところで話すときはとても気をつけます。先日、年配の男性のかたと話す機会があり、この種の
現象についての話題が出たのですが、その人は
すごく興奮した様子で「間違っているものは間違って
いる。この前も若い店員がレジで乱れた言葉を使った
ので怒鳴っておき、店長に投書しておいた。その
言葉のことはテレビでも取り上げていた」と言ってい
ました。この言葉の是非についてはさておき、なぜこうも怒る人がいるのか分かりません。以前別の人が
怒っていらっしゃるのをみたこともあります。この
怒りの原因は何なのでしょうか?

Aベストアンサー

大して日本語のこと知らない人が怒るんですよね。
私は国語学を勉強していてよく国語学者に会いますが、みんさん大抵、若者言葉が大好きです。
ものすごく面白い言語活動の一形態としてワクワクして見守ってます。
私も、誤用の起きる原因、それが広まる過程、若者言葉独特のビビッドさ(なんていうのでしょうか、ラングとパロルの距離のなさというか誠実な密着感というか)、全部が興味深くて面白くて「日本語好きー」と思います。

で、日本語の出自や文法の変遷、語彙の移り変わり、音韻の交替、etc、etcについて、一回も真剣に勉強したことがない=つまりそれほど日本語には関心がない人に限って、言葉の変化を受け付けない感覚になるようです。

言葉って時間軸でも違いを持つけど、空間軸でも違いを持つんです。方言てやつです。方言否定しちゃいけませんよね。
「時間、もしくは空間が異なる者の言葉は自分とは違う」
「違う言葉を聞くと人間は不快に感じる」、しかし
「自分の感覚だけが正しいと思い、聞きなれない言い回しを『間違い』と断定する」のは愚かなことです。

あらゆる言葉の変化のきっかけは言ってみれば誤用です。
そして変化しなくなった言葉は死んだ言葉です。日本語が生き生きと生きている限り、誤用と変化は続いていくでしょう。
反面「水」はいつまでも「みず」と呼ばれていて、確固として変わらない語もあったりします。

しかし枕草子の昔から、人は「最近の若者言葉は……」と眉をひそめてきたようです。
異なる方言を持つ地方に放りこまれると、すごいストレスを感じますよね。で自分の方言の地方に帰るとホッと安心する。
言葉というのは他の何よりも強く、自己の感覚と結びついているようで、違う言い回しへの拒否反応というものが出てしまうのは仕方ないのかもしれません。

ただ、怒っている人が、何も知らないくせにえらそうに「正しい日本語を使え」とかいって説教しているのを見ると、
真剣に国語学に向き合っている者としてはブチ切れたくなります。

お前が、国語の、何を、知っているというのか!
真剣に勉強したこともないくせに、エラそうに「正しい日本語」語るな!
要するに若者のやることが鼻につくから斬りたいだけじゃん。
そんなことに「日本語」を使うんじゃないよーーー!!!

と言いたくなります。

大して日本語のこと知らない人が怒るんですよね。
私は国語学を勉強していてよく国語学者に会いますが、みんさん大抵、若者言葉が大好きです。
ものすごく面白い言語活動の一形態としてワクワクして見守ってます。
私も、誤用の起きる原因、それが広まる過程、若者言葉独特のビビッドさ(なんていうのでしょうか、ラングとパロルの距離のなさというか誠実な密着感というか)、全部が興味深くて面白くて「日本語好きー」と思います。

で、日本語の出自や文法の変遷、語彙の移り変わり、音韻の交替、etc、etc...続きを読む

Q若者言葉 このままでいいんですか?

私は若者(若者全員が一概にそうだとは思いません)の使う言葉が乱れていると思います。コギャルの言葉なんて理解できません。しかしマスコミでは、言葉の乱れを「文化」と呼んでいますよね。若者言葉を文化と呼んで認めちゃっていいんですかね??私は疑問を感じます。
みなさんの意見を聞かせてください。

Aベストアンサー

「文化」って難しい言葉ですね。
「文化」かどうか わかりませんけど、
「人を見かけで判断しない」なら「人を言葉遣いで判断しない」も成り立つと思うので、「言葉遣いで『理解できない』」なんて位置づけしては大人げないのでは?
(「考え方が言葉に出る」なら 「考え方が服装に出る」ことになるのでは。言語も 服着るのも人間ならでは的なものですし。)

マスコミは、キャッチフレーズが好きですし なんでも作っちゃいますからねぇ。それはそれで良いんですし、かりかりしても・・・。
==========================
TPOで ギャル語・普通の敬語をつかいわける人が知り合いに居るので、マスコミが対象としいる(実在するかもわからない)集団でまじめに考えるのは・・。
テレビに出てくるギャル達って タレントクラブの子だったりするし・・・。

Q「日本語の乱れ」をどう思いますか?

ここ数年若者の日本語の乱れが指摘されてますよね。
(いわゆるら抜き言葉、コンビニ敬語など)
皆さんはこれについてどう思いますか?
私自身は
「ちょっと変わったからっていいじゃない。言葉なんて当然時代の流れと共に変化するものなんだし。文句を言う大人だって万葉集をすらすら読めるわけじゃないでしょ?」
なーんて思っちゃいます。
私は接客のアルバイトをしているのですが
「お釣りのほう~円になります。」
と言うと
「お釣りのほう、という日本語はない!!」
と、ご年配の方にお説教されることもしばしば。
確かに違和感を感じる言い方かもしれませんが・・・意味が伝わらないわけでもないし、そこまで過剰に反応することかな?と思ってしまいます。
それともこう思う私はやはりまだ子供なのでしょうか?
みなさんはどうですか?

Aベストアンサー

こんばんは。。

 自分は「気にはするが、寛容な方」だと思っています。
 寛容である理由の第一はご質問者さんに近いかな、と思います。言語は変容するもので、変容するものに絶対的な「正しさ」はないと考えており、「変容」か「乱れ」かを判断するのは後世の識者の仕事であって、その変化に対して主観的な快・不快を感じることは個々人の心情として止むを得ないとしても、それを基準に是非を論じることは適当でないと思っています。

 第二に、個人的な興味から、サンスクリット語(←インド・ヨーロッパ語族、英語・フランス語・ドイツ語などの祖先である古代インドの言語)を、ほんの少しだけ、独学でかじったことがありまして、そのなかで感じたことが根底にあります。
 言語というのは、あらゆる意味合いにおいて、ダイナミックかついいかげんな変容をするものなのだな、と感じたのです。
 サンスクリット語は聖典言語として整備された関係もあって「完璧な言語」と感じられるぐらい文法体系が理路整然としています。(現在は使われていません。)
 結局、インド・ヨーロッパ語族の他の言語は、「サンスクリット語をいかに使いやすく崩していくか」を試行錯誤する過程で生まれたとも言える、と感じました。(←これは自分のまったく個人的な考えなので、これが本当かどうかは自信ないですが・・・自分はサンスクリット語の文法体系に興味があっただけなので、外国語の読み書き会話はまったくダメな人間です。)

 確かに、○○円からお預かりします、の「から」とか、~~でよかったでしょうか?の「よかった」は気にはなりますが、そういう表現にある種の必然性も感じます。「その場面でそういう表現をしたくなる心情」とでも言えるでしょうか、それはあると思っています。
 まぁ、目くじらをたてる方の心情も理解できなくはないですけどね、気にはなりますから。ただ、言語というのものが永遠不変ではない以上、寛容さと、批判一辺倒ではない視点というものが必要だと思いますけど。では。

こんばんは。。

 自分は「気にはするが、寛容な方」だと思っています。
 寛容である理由の第一はご質問者さんに近いかな、と思います。言語は変容するもので、変容するものに絶対的な「正しさ」はないと考えており、「変容」か「乱れ」かを判断するのは後世の識者の仕事であって、その変化に対して主観的な快・不快を感じることは個々人の心情として止むを得ないとしても、それを基準に是非を論じることは適当でないと思っています。

 第二に、個人的な興味から、サンスクリット語(←インド・ヨーロッパ...続きを読む

Q日本語の乱れは放任するしかないのか

コンビ二言葉を初めとして、最近、日本語の乱れが目だっています。しかし、自分のように日本語の乱れを憂いているのは少数派で、乱れた言葉はウイルスのように蔓延していきます。そこで、思い出すのは「誤用でも多くの人が使えば市民権を得る。」という言語の宿命です。しかし、「言語はその民族にとっての最大の守るべき遺産」という考え方もあると思います。国語に興味のある皆さんは、このことについてどう思いますか。

Aベストアンサー

ワシもね、老人ですから国語の乱れはかなり気にはなるのですが…

おそらく無理な話です。
「民族の…」などといっても、万葉時代の言い回しをいまだにする人間はいませんし、言葉はどんどん変化して行くのが普通です。

上の行に“など”と書きましたが、ワシが子供の頃この言葉に「等」と言う字を充てていました。
しかしその字の「など」と言う読みが使えなくなって後、教育者や閣僚、官僚に至るまで、「など」と言う意味で「等」を使い「○○とうは…」などと使います。^^;
「とう」と言う読みに「など」という意味などありません。
ことほど然様にこの国の人間は言葉にいい加減です。

それに「美しい国」などという人が「再挑戦」といえばいいものを「再チャレンジ」などと言ってみたり…。

話は飛びますが、一番の問題は礼儀や言葉遣いを商売として教えている人たち、その人たちの言葉がなっていない。
あるラジオ番組で、礼儀や言葉遣いを教える会社を設立した女性が「企業さん」「個人さん」と何度も言う。
彼女の経歴をネットで調べてみたら「百貨店販売員」と言うのがあった。
さもありなんと、思ったしだい。

もう言葉の変化は個人にはどうすることも出来ないんですよ。

ワシもね、老人ですから国語の乱れはかなり気にはなるのですが…

おそらく無理な話です。
「民族の…」などといっても、万葉時代の言い回しをいまだにする人間はいませんし、言葉はどんどん変化して行くのが普通です。

上の行に“など”と書きましたが、ワシが子供の頃この言葉に「等」と言う字を充てていました。
しかしその字の「など」と言う読みが使えなくなって後、教育者や閣僚、官僚に至るまで、「など」と言う意味で「等」を使い「○○とうは…」などと使います。^^;
「とう」と言う読みに「など」とい...続きを読む

Q「日本語の乱れ」は、見方を変えると表現力が豊かになったと言えるか?

「日本語の乱れ」は、見方を変えると表現力が豊かになったと言えるか?



「日本語の乱れ」が問題視される事は良くあります。

「とても良い」や「すばらしい快挙」と言う言葉はすでに誤った言葉が寧ろ正しい言葉と使われ、「生き様」「拘り」と言った誤った使い方は何故か黙認されている。

しかし、「全然良い」や「普通に美味しい」などのいわゆる「若者言葉」は、誤った言葉として問題視されます。


厳密に言えば、例に挙げたこれら全ての日本語は、誤りと言ってよいでしょう。

他にも数多くあるはずですし、私も知らず知らず誤った日本語を使っているでしょう。
しかし、一つの事実は「その誤った使い方でも相手に通じる」と言う事です。

「本来の使い方ではなくとも、意図が通じる」ならば、これは言葉の誤りを越え、「日本語がそれだけ表現力豊かになった」と言えないでしょうか?

Aベストアンサー

言語は時代を経るにつれて様々な新しい語彙(外国語なども含み)を付け加えて単語そのものの数を増やし、また言いまわしやら文法体系がより複雑になり、細やかになってより幅広く、深く微妙な言語的表現が可能になってきました。世のひとたちはこういった現象を「表現力が豊かになった」といっているようです。
仰る「日本語の乱れ」はこれとは異なった現象のように思われます。ただ、言語表現の変化が従来の言い方と平行に使用され、変わったというより新たな語彙として加わり、これまでになかった表現が可能になることがあります。こういった現象は「日本語に何らかのプラスアルファーを付け加えることになるかもしれません。確かにこれは「豊かになった」という例でしょう。
>「本来の使い方ではなくとも、意図が通じる」ならば、これは言葉の誤りを越え、「日本語がそれだけ表現力豊かになった」と言えないでしょうか?
仰る「言葉の誤り」が本来の「正しい言葉」に完全に置き換わるのではなく、また、その「誤った言葉やいいまわし」が本来の言葉にはなかった意味を表現できるツールになったのならば、貴方の主張は正しいと思います。こういった例は少なくないと思いますが、本来のことばや表現が失われていく傾向にその現象が暴力的な力を振るっている現状を思えば、私はあまり歓迎できないことだと思います。

言語は時代を経るにつれて様々な新しい語彙(外国語なども含み)を付け加えて単語そのものの数を増やし、また言いまわしやら文法体系がより複雑になり、細やかになってより幅広く、深く微妙な言語的表現が可能になってきました。世のひとたちはこういった現象を「表現力が豊かになった」といっているようです。
仰る「日本語の乱れ」はこれとは異なった現象のように思われます。ただ、言語表現の変化が従来の言い方と平行に使用され、変わったというより新たな語彙として加わり、これまでになかった表現が可能にな...続きを読む


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