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和式や洋式の、和式についてです。
この“和”は、“大和”に由来しているのですか?あるいは、“倭”にですか?

A 回答 (4件)

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD
こちらによると
倭が和になったみたいですね。
なので大本は倭です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
引用していただいた説明によると、大倭→大和から和が来たのですね。

お礼日時:2014/02/06 09:32

「和」は「大和」から来ています、がその大和は「ヤマト」から来ています、そしてその「ヤマト」の音を宛てたのが「倭」と云う字です。



多分この説明では分りにくいと思いますので、少し説明をします。

日本では上代には言葉を記録するための文字がなかったと云うのが現在の学界の定説です。(神代文字は大分時代が下がる事が事が分りましたので)
大陸から、文字(漢字)が伝わり、それを用いて言葉を記録しようとしました。
本来、大陸で使われていたものでは有りませんから、字の読み方もそれぞれの文字の意味する範囲もその頃の日本語とは同一ではなかったのです。
当時の大陸では現在の日本にあたる処を「倭」(わ)と云って居ました。これは史書に記録されて居るのではっきりわかります。「魏志」の中に「東夷伝」と云うものがありその中に「倭人」に就いて記した条(くだり)があるからです。
  *注意、よく日本では「魏志倭人伝」と云って居ますが、あれは俗称で、正しくはありません。「倭人」だけでは「伝」は立つほどの重要度はないからです。

大陸から「倭」と云う辞が伝わってきました。最初は多分、大陸の読み方をその儘まねて読んでいたのでしょう。一方、日本には「ヤマト」と云う概念がありました。その「ヤマト」をあらわすのに「倭」と云う辞にあてたのです。
所謂、万葉仮名では意味で書く場合と、音さえ合えば良い場合とがあり後者では、「ヤマト」は他にも色々な書き表し方をしています。
軅、「ヤマト」に「大和」と云う辞が専ら充てられるようになり更にその一部を略字として使うようになりました。

その意味では「和」の由来は「ヤマト」とも云えます。

御参考にならば幸甚です。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
<「和」の由来は「ヤマト」>
なのですね。
古代、日本人は自分たちの地域を、ヤマトと呼んでいたのですね。中国では、日本のことを、倭と呼んで(書いて)いたのですね。日本人は、その倭にヤマトを充てていたのですね。その後、ヤマトを大和に充てたのですね。和は、その大和からとられたのですね。

お礼日時:2014/02/06 09:48

>この“和”は、“大和”に由来しているのですか?あるいは、“倭”にですか?


和は「わ」に由来していて、倭から由来した訳ではありません。
但し、和式とか洋式という言い方は明治以降の言葉ではないのでしょうか?

Wikipediaの説明には
日本列島の政治勢力も倭もしくは倭国(わこく)と自称した。倭の住人を倭人(わじん)という。和、俀とも記す。
となっていますが、説明不足です。

大和言葉の古語では一人称を「わ」と称したと考えられています。
「わがくに」「わがとも」のように現在でも使われています。
津軽地方の方言として現在でも一人称として単独で「わ」が使われています。

倭という文字は、蔑視語(蔑視文字)で、みにくいという意味を持っています。
中国は中華思想で周辺の民族には、全て蔑視語(蔑視文字)を当てはめました、
西域の人を指す胡人の胡もでたらめという意味を持っています。

Wikipediaの説明は、中国人が書いた文書から引用していますので倭人と自称した記されているだけです。
当時の大和の人々が自分を「倭」すなわち醜い人と考えていた訳ではありません。
隋書には国名ではなく都のある場所として「邪靡堆」と記されいます。
又唐書では、「倭国」と「日本国」を併記した上で、日本国は倭国の別種とし、倭国が日本国に改名したあるいは元小国の日本が倭国を併合したと記されています。
遣唐使の時代には国名として日本が使われています。

「やまと」というのは元々奈良盆地内の一地域の名称だったと考えられています。
律令制での国名として伊勢や紀伊と同じように「やまと」も使われています。

ここから先は推定になります。
おそらく、自分の国を表すのに「おおいなるわ」という意味で大和と記したのでしょう。
朝廷が奈良盆地のやまとに成立した結果、大和をやまとと読ませたのではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございました。
<和は「わ」に由来していて、倭から由来した訳ではありません。>
ですね。
日本ででは、一人称に"わ"が使われていたのですね。”倭”とは、たまたま発音が似ていたのですね。
ichikawaseiji様は、明確には説明されていませんが、地域としての日本も、”わ”に類する言葉が使われていたのですね。
その後、自国を”おおいなるわ”と称したのですね。そして、漢字では、”大和”が充てられたのですね。
その後、朝廷(大和政権)がやまとに成立した際に、”大和”を”やまと”と読んだ(読ませた)のですね

お礼日時:2014/02/08 08:51

1)奈良の国都


和語「やまと」の漢字を「大和」に統一したのは天平宝字元(757)年です。
それまでは「魏志」の「委」を始め、その蔑称「倭」、それを誉め返した「大倭」や美称の「大養徳」などと記していました。

2)日本の自称代名詞
平安期に和語「大和(やまと)」から、海外と対比した自称代名詞「和(やまと)」を使用。漢詩(からうた)⇔和歌(やまとうた)など。

3)室町期の音読み
自称和語「和(やまと)」を音読みし、「和(ワ)」や「大和(ダイワ)」として称呼。
並行して海外交易に際して「日本(ひのもと/ニッポン)」や自称代名詞「我朝(ワガチョウ)」「本朝(ホンチョウ)」や、「日の丸」の旗印などが定着。

4)幕末・明治期
鎖国開けでの外国との対比で、和魂漢才、和魂洋才や、先進的な西欧(西洋の欧羅巴)に対する東和(東洋の和国)など。

ここから、「和風(ワフウ)」「和式(ワシキ)」の音読みについては、3)室町期に始まり、「洋式」など外国との対比では幕末以降に盛んになった「和(やまと)」の音読みとされるでしょう。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
和風などについては、室町期に始まった、のですね。ただし、大和が公式に使われ始めたのは、
<天平宝字元(757)年>
なのですね。”和”は、大和に遡るのですね。

お礼日時:2014/02/09 06:07

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