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A 回答 (16件中1~10件)

太平洋戦争という呼称は南米の戦争でとっくの昔に使われていた事


を知らないで歴史を評価している人がいるようですがペルーやボリビア
の歴史に無知な表れに過ぎません。アジア太平洋戦争なんて後からの

ごまかし。昔からアメリカの要求で太平洋戦争と記されて来た。
大東亜戦争というのは大日本帝国政府による正式名称であります。
歴史を語るのに中華民国を使わず中共国と表現すると同じで不正確。

開戦の発端と言えば、戦闘の拡大と言えますね。
戦闘が拡大し続いたので戦争と成りました。
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 追記


「在外の居留民保護を目的とする出兵もしくは派兵」とするのであれば、なぜ日本の国土から海を隔てた中国大陸の東北部および上海や南京といった沿岸部に日本人の居留地があったのですか、説明ができません。
 しかも上海や南京の「租界」とされていた地域は元々中国の領土内でありながら治外法権で運用管理されていた空間ですから、それだけで異常事態ともいえます。法的に合理性などありません。それは日本のみならずそこに租界を設けていた全ての国々が抱える問題であり、外国がやっているから日本も認められて当然などとするならば、その発想自体に誤りもあります。
 日本帝国の名において、などの説明も帝国主義国家としての日本の性質を判断説明する材料が具体的に提示されていませんから、そうした牽強付会で強引なこじつけは成り立ちもしません。
 郷愁や偏狭なナショナリズムに浸る個人の感情で、歴史が云々とは歴史事象に対して正面から向き合うこともせず根底からしておかしな話です。
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 もし「あの戦争」を大東亜戦争と呼ぶならば、その前提があるはずで、その原理とも呼ぶべきは「東亜の新秩序」とやらを指すはずであり、その原理が八紘一宇との皇国史観に依拠したものであることも疑いの余地などどこにもありません。


 ではその皇国史観の根底にある八紘一宇がどの様なものであったかを念頭に置くならば、それは欧米の支配からアジアを脱却させるとのまことに聞こえの良い文言に行き当たりますが、それも現実には欧米に代わり日本が支配に乗り出すとの意味で、侵略以外の何物でもないとのことになります。
 アジア太平洋戦争が中南米で呼ばれる戦争であるなどとの歴史的に根拠のない見解もなされていますが、アジア太平洋戦争は南太平洋にあるハワイ諸島からポリネシアそしてボルネオやインドネシア一帯までを含む広い海域を舞台とした戦争です。
 そして戦争末期にはテニアンやサイパンから飛び立った米軍機が日本列島に絨毯爆撃の形で空襲も行ったことをとっても、アジア太平洋戦争との呼称にまちがいはありません。
 日本が朝鮮半島から中国大陸に向けた視線の背景にあるのは、日本国内での経済の行き詰まり状況を外部で解消するとの転化が大きな要因であることも事実でしょう。
 軍縮交渉にあって日本が不利な立場にあったからとして日本の立場の正当性を殊更に表面に出すだけでは何らの説得力もありません。なぜ日本がそこまでして軍備拡張に拘泥したのかとの背景を考えねば、日本が意図した近代化の終着点であるあの戦争を評価するポイントとしては不十分といえます。
 
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問題は何故、欧米がこんなにも日本の中国進出に厳しかったのかということです。


当時は第一次世界大戦が終わり、ヨーロッパ諸国の国力は疲弊し、その上世界恐慌が起こっていました。ヨーロッパ諸国は自分の国のことで精一杯だったのです。植民地のある英仏はブロック経済を行い、植民地のない国は植民地を求めることとなりました。
そこで、植民地のないドイツ、イタリア、日本は植民地を求め始めたのですが、同様にアメリカも大した植民地は持っていませんでした。
ヨーロッパ列強は中国進出をしているのに、アメリカだけフィリピンどまりだったのです。当時、中国は最後のフロンティアと呼ばれ、人口が多く資源が多い、資本主義社会にとってはとても美味い土地でした。アメリカはどうしても中国進出をしたかった。しかし、中国周辺に基地化できるところはなく、沿岸部の要所はほとんど英仏の支配下でした。そこで目をつけたのが日本です。日本は満州国を建国し、着実に中国進出を行っていました。そう、日本を手にいれれば、中国進出ができるのです。
この根本的な考えがアメリカにはあったと考えれば、無理な要求である突然のハルノートの提出や日米交渉の難航は全て納得できると思います。
アメリカはこの戦争で無事日本を支配下におけましたが、新たな敵である共産主義によって、韓国までで中国には結局進出できませんでした。
戦争は戦争を呼ぶんですね。戦争はよくありません。
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フセインのクェート侵攻と同じ、図式です


クェート進行してもアメリカは何も言わないだろう

北仏印に進駐したとき米国は大した反応はなかった

その前の三国同盟には米国は鉄の禁輸した

予想として南仏印に進駐してもたいして反応はないだろうと予想していた

資源獲得の為南仏印に進駐した

この進駐の原因は泥沼化した、日中戦争である

これに対して米国は態度硬化させた、石油の禁輸 資産 凍結

石油の備蓄が三年分これでは海軍あせるだろう

軍縮 首切り 失職
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大東亜戦争のはじまりは昭和12年8月13日の第二次上海事変からです。

この原因が昭和12年7月7日の盧溝橋事件以降の日シ間での停戦協定をシナが破った事です。因みに、昭和12年が大東亜戦争のはじまりなのですから、回答の中で「中国」や「南進」「南方資源」などの言葉は時代がまるで違います。
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アメリカがいう、太平洋の戦い の発端は日米交渉で


合意寸前と大喜びした日本政府と軍隊に対し問答無用
のハルノートが突き付けられたのが直接の発端です。

戦後はアメリカの宣伝戦の支配により報道で大東亜戦争
を使う事は禁止されました。名前までアメリカが呼んだ
太平洋の戦いとなり太平洋戦争の呼びが広まりました。

太平洋戦争という名称自体がアメリカ支配の延長であり
歴史学や教育から出て来たものでは無いのです。
戦後は教育界の粛清が行われ社会主義者や共産主義者が

教師となり日本帝国を否定する言説を広めて来ました。
無垢な子供や青年たちが教えられた事を真実と信じ日本
に否定的に育ちました。敗戦を利用して日本の歴史を

分断する方法として太平洋戦争の呼び方をする訳ですね。
また漢字の使用も制限され歴史と文化の断絶に利用されて来た。
日本は東アジアと太平洋の全域で戦争したのですから

大東亜戦争の呼びの方が歴史を扱うのにも適している。
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1901年 北京議定書により中国大陸には欧米各国の軍が租界に住む自国民を守る為に駐留して居り、日本も租界に住む日本人を守る為に軍が駐留していました。


その当時、中国による盧溝橋事件のようなテロ事件は散発していましたが、直接のきっかけは1932年の上海休戦協定に違反して中国の蒋介石軍が協定線内に侵入し、上海国際共同租界の日本人居留区域に侵入し日本人を包囲し攻撃してきました。

話が長くなるので簡略化してみました。
以下参照↓で宜しく。

中国の租界に住む自国民を守るため欧米軍と同様に日本軍は国際協定に則ってルールを守り駐留していた。

中国側(蒋介石)がルールを破って日本人居留地に違法なテロ攻撃をしてきた。

その違法なテロリスト側を欧米諸国が徒党を組んで武器支援していた。

英米の資金・武器支援があるから
日本からの何度も和平交渉を申し出たが蒋介石は拒否し続けた。

日本は援蒋ルートの合法的な遮断に努力していた。

それに対して米英欄が日本に一方的な経済制裁・石油禁輸してきた。

それを受けて日本は蘭印の石油を武力で確保する決断に至った。

ハワイのアメリカ艦隊が日本に来襲するという情報が入り来襲するのを遅らせるために先手を打って真珠湾攻撃。

日本は敗戦。

紛争当事者の一方である戦勝国が東京裁判で裁判官となり、
すべての責任を日本にのみ求め、紛争当事者の一方である戦勝国が東京裁判で裁判官となり日本に全責任を押し付け裁いた、、、
という流れです。

真珠湾攻撃に関しては故意に日本軍に襲わせたという説も強いです。(「ニイタカヤマノボレ」という日本軍の暗号が既に米国側に解読されていたという逸話が有名ですね。)

あの当時は既に欧州でWW2が起こっており、同盟国の英国を援軍したい米国としては戦争反対論が強かった米国世論を説得させWW2に参戦する何らかの理由が欲しかったのだろうと思われます。
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中国で日本は戦争をしてました


負けそうになった中国は欧米諸国に救援を要請
欧米は日本に「中国戦線からの撤退」を要求 日本は当然受け入れません
そこで欧米は経済封鎖へ 石油・ゴム・天然ガスなどの日本への輸出を禁止
資源の確保に困った日本は東南アジアに活路を見出すべく南方へ進出
東南アジアを植民地としていた欧米へ宣戦布告し大戦へと突入していくのである
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単に「発端は?」とのご質問だと、歴史を、際限なくさかのぼることになるので、ここは、その時点での直近の契機に絞りましょう。



1、日本が得た合法的権益への、条約・協定・約束を、遵守しない中国への、やむにやまざる対策の実行、それが満州事変・日中戦争(支那事変)でした。

2、アメリカ・イギリス・ソ連が、中国を、露骨に援助するため、日中戦争解決せず。

3、この日中戦争の早期終結を目的として、米英の対中援助を、日本は断(た)とうとした。

4、そのために対米交渉(日米交渉)に至るも、いきなりハルノートを突き付けられた。

これら1~4が、対米英開戦に至る契機であり、この史実連関は、間違いありません。
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