アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

最近、タイトルについての、
『淡水が3%、海水が97%。人類が使える淡水の量は水全体の0.8%である』
と言う円グラフがありました。

このグラフが言いたいのは、
『人類が使える水の量はすごく少ないということである』とあったのですが、
私が思うに、この円グラフが最も強く表現しているのは、
『海水は淡水に対して圧倒的に多い』ということであり、
『人類が使える水の量はすごく少ない』ということを表現するのには
少し不適切な気がします。

そして、それを表現したいのならば
『人類が一年間に”使う淡水の量”に対して、”実際に使用可能な淡水の量”を
比較すると1万リットルと1万1千リットルという結果になる。』(実際の量は知りませんが)
というグラフを書き、そこに『あまり余裕が無く危険である』と結論付けるべきではないかと思うのです。

統計や水資源問題については全く無知なので恐縮なのですが、
素朴な疑問として上記の感想を抱きました。

どなたか統計についてお詳しい方がいらっしゃったら、お手数ですが
ご教示頂けないでしょうか。以上、何卒よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

このグラフをそのまま引用するのは危険ですね。

これはある一瞬の時期の淡水と海水の存在比率だと思うのですが、海水と淡水の間の循環比率が何も書かれていないので、年間どれだけが「人類が使える水の量」となるかの算出は不可能です。
淡水と言っても、河川、地下水、氷河などの氷などがあり、特に地下水の総量についてはたぶん大雑把な予測の域を出ないでしょう。
水不足は深刻な問題なのですが、総量ではなく地域的な偏在が大きな問題となると思います。

この円グラフはこれは、淡水の存在比率が大雑把にこれくらいなので、水を大切にしましょうぐらいの意味でしか使えませんね。

このグラフで行けば、海水の総量から、人類が使える水の量を計算すると1.08×10^16立法メートルとなり、一人当たりの「使える水の量」は150万立方メートル(15億リットル)となる。一人が70歳まで生きて一日あたり5万8千リットル使えることになるのですが、少ないでしょうか?
    • good
    • 0

>『あまり余裕が無く危険である』と結論付けるべきではないかと


同じものかどうか知りませんが、そのようなグラフを見たことがあります。『危険である』という結論に直結するグラフではありません。目的はあくまで「海水に対して(人類の使える)淡水が少ない」ということを示すためです。解説に「海水に対して」という言葉がありませんが、そのように読み取るべきだと思います。

>人類が使える淡水の量は水全体の0.8%である
人類の大多数は、海水のないところに住んでいます。淡水の方が見慣れているので、淡水が大量にあると思い込むのは自然ななりゆきだと思います。しかし陸より海の方が圧倒的に広いので、自分の見慣れている淡水の少なさに驚くのです。それを狙ったのがグラフの目的だと思います。

>『海水は淡水に対して圧倒的に多い』ということであり、
>『人類が使える水の量はすごく少ない』
グラフはこのことを分かりやすく伝えていると思います。
    • good
    • 0

出典が解りませんが、そのグラフは以下の事を要約してしまったと思います。



地球は表面の3分の2が水に覆われていて約14億km3の水があると言われている。
しかし地球表面にある水の97%までもが海水である。
3%の淡水も水蒸気や地下水や伏流水や南極や北極の氷や雪などであるので、差し引くと直接使用できる水は全体のたったの0.8%に過ぎない。(淡水の0.8%で有って14億km3の0.8%では無いと思う)
*人類が使える水とは、ここで言う様な”直接、生活に使用出来る水”と言う事になる。

世界には約67億人位の人が暮らしていて、その中で水量、水質共に十分な水を使える人は12億人位と言われている。
2/3の人たちは水量が不足している地域か、水量が有っても水質に問題が有る水を使わざる得ない地域である。
さらに将来の人口の増加で、ますます水の問題が厳しくなると想定される。
このように需要が増えることによって元々多い様で少ない水が貴重な資源になるのは自明である。
さらに人間だけでは無く地球上のすべての生物とわかちあって水を共有することを忘れてはいけない。

「人類が使える水が少ない」と記述が有ったのであれば、それは間違いで、水問題になる要因は水インフラ整備の遅れ、人口の都市部への集中、低所得者への配水などの課題が有ると言う事であり、水源が枯渇していると言う様な印象を与えるのは正しく無いと考えます。

例えば海水を淡水化するのは難しい技術では有りませんから、淡水自身が不足であると言う事はありませんが、その様な水源が無い地域に安心出来る水の配水が出来ない問題や折角、川が有っても排水を流して水源を汚す問題が有ると言う事です。

ご質問の内容で有れば資料としてはよろしくおりませんが、言いたい事は自然の水も、造水した水も貴重な資源であるので大切にしましょうと言う事だと思います。

参考になれば幸いです。
    • good
    • 0

『人類が使える水の量はすごく少ないということである』


『海水は淡水に対して圧倒的に多い』
どちらでも一向に差支えはありません。

統計資料の数値や数値を図式化したグラフなどから、何をどのように読み取るのかは読み取る側に一任されています。
コップに半分水が入っている状態を見て
「半分しかない」と表現するのか「半分もある」と表現するのかの違いです。

問題を議論する為に適切な資料か否か、という評価とは別な問題です。

>そこに『あまり余裕が無く危険である』と結論付けるべきではないかと思うのです。
問題とされておられる文書が淡水として集計した数値の根拠が不明である以上は、このように断定されると議論が迷走しますので注意して下さい。
淡水の最大の供給源は海水です。
海水の表面から蒸発した水蒸気が雨となって地上に淡水として供給されています。
一度使用されてた淡水は河川を経て海へ戻ります。
このように考えれば、時間を停止した静的な状態で単純に比較することは無意味となります。

現在人類は何処からどのような手段で淡水を入手しているのかという入手方法を議論する必要があるのではありませんでしょうか。
現在の入手手段に依存し続けた場合には余裕があるのかないのか、という別次元での議論をした上でないと、仰られる結論は出てこないのではないのでしょうか。
入手手段を変更すれば、入手可能な淡水の量は変わるのではありませんでしょうか。

あるいは、海表面から蒸発する量に対して人類が使用している量が多いが多すぎるのか否かという別な議論が必要となるのではないのでしょうか。
問題とされておられる文書はこのような観点から議論しているのではありませんか?
さらに、現在の入手方法を固定して議論しているのではありませんのでしょうか?

このように、統計資料というものは、一定の条件下で数値を集めたらこのようになった、ということを表すだけのものです。
その数値をどのように解釈して表現するかは、作成された資料を利用する側の問題です。
数値を集める条件が変われば当然集められた数値も変わります。
逆に言えば、自分の立てた議論の正統性を証明する為に利用されたり悪用されたりします。
都合の良い数値だけを集めて統計処理して使うことも簡単にできます。

統計学というのは、統計資料を作成するための学問であって、結論は利用者側の責任です。

若干古い書籍ですが「統計でウソをつく方法」という書籍がありました。
ネットショップの古書で購入が可能です。
統計に御興味があれば一度目を通されては如何でしょうか。
    • good
    • 0

 おっしゃる通りだと思います。



 こういうグラフを提示する意味は、地球は水の惑星と言われているが人類が使用できる水の割合は非常に少ない、という事だけです。

 >『人類が使える水の量はすごく少ない』ということを表現するのには
 現在の河川取水量やダムの貯水量に対して実際の使用量はどうか、等のデータでないと意味がないと思います。

 この問題は、統計や資源に関する知識の問題ではないと思います。

 こういうちょっとピントのはずれたアピールは時々見られます。
 単純に大きな量と小さな量を比較して提示すれば、状況の厳しさの強調になると思っている人が多いのでしょう。

 こういう事態が起こるのは、一般に情緒的な発言が重要視され、理性は情緒を損ねるものとの社会風潮があるからだと思います。
 あなたが思ったような疑問についてきちんと話をする人は少ないように思います。

 そうなる原因として学校教育での理性軽視教育があるように思います。

 回答になっていないかもしれませんが、あなたのような方は少数派なのです。
    • good
    • 0

絵を描けば判る



理解できないんだったら、小学校のやりなおしだよ
    • good
    • 0
この回答へのお礼

件のグラフは経済系の新聞広告に
載っていたのですが、やっぱりそうですよね。
ありがとうございました!

お礼日時:2014/04/03 06:37

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!