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※※大前提※※

産みたいけれど身体上の理由で産めない女性は該当しないものとします。

※※※※※※※

基本的に生物は、子を成し遺伝子をつなぐことを目的としてつくられており、
またほとんどの生物は(人間の都合でペット化された一部の動物以外)
それを主目的として生きているとおもいます。

人間は「そうじゃない選択」が明確に、自分の意思で行えますが、その選択は
生物のありかたとして間違っているのではないでしょうか?

また、生まない女性だけではなく、正常な能力があるのに子を成そうとしない男性も同様です。

これまで脈々と遺伝子を受け継いでこの世界に誕生したのに、自分の世代で
自分の意思でその生物の理を断ち切ろうとする、その行為は社会を構成する
一員として間違っているのではないでしょうか。
それに対して罪悪感を抱かない心、そういう風潮が許されてしまう社会は、
生物として許されないのでは?
現に、それが許されてしまっている日本は、少子化による問題が多分にあります。

みなさんのご意見をお願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

ダーウィンの自然選択説。

これに尽きる。

大きく綺麗な羽を広げて求愛するクジャク。どんな動物も自分の優れているところをアピールし求愛する。子孫を増やす。オスもメスも美しく、強くて健康なものが求められ、醜く、生きる力の弱いものは淘汰されていく。人間も同じく、社会的スキル、頭脳、容姿、経済力に恵まれ、生物物理学的に魅力的な人は求められ、子孫を残していくが、何かしらの欠陥があるもの、弱い物は望まれず、例えば結婚できないとか、子供を産みたくないとか、産んでも上手に育てられないという人は生物として十分な機能を持たないゆえ淘汰される道を進む。

正しい、間違っているという問題ではなく、それが事実となることが大前提で社会は進化していくのだと思いますよ。

社会ありきの生物ではなく、生物ありきの社会だから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「種を残さない選択をする」ということも自然的淘汰の条件と考えると、かなりしっくりきたかんじがあります。

お礼日時:2014/05/15 12:13

私は風潮とは捉えてませんなあ。



知っとります?
100年前に比べて、現在の健康な男性の精子は、随分減っとるそうですよ。
そのことと同性愛者が増えることとは無関係ではない、という研究の結果も出ているそうで。
もう随分前のことですが、NHKでやってました。
つまり人間の生殖能力自体が衰えてきているわけです。
原因は、人間が増えすぎて、限界だからか?という疑問符で終わってましたが。

もしそれが正しいとしたら、人間がこれほど増えたこと自体が、生物の有り方として間違っていたとなりません?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>つまり人間の生殖能力自体が衰えてきているわけです。原因は、人間が増えすぎて、限界だからか?という疑問符で終わってましたが。

面白いですね、DNAにそういったプログラムでもあるのでしょうか。答えは私が生きているうちには出なさそうですが。

お礼日時:2014/05/15 12:15

>基本的に生物は


人間以外の動物界でも子供をなせない同性間のあれこれが存在するのですが、そこらへんはどうなのでしょう。
反生物的?もはや何もの?


>現に、それが許されてしまっている日本は
いや、日本だけではないです。海外も、「子供産め」「作れ」「結婚しろ」とか言われたら拒否することも一般的です。


個人的には許すも許さないもどちらでもよく、100%とはいかずとも自由で良いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

私は動物の気持ちはわかりませんが、動物は同性愛なのでしょうか。生殖行為のつもりで区別がつかずにやっているのでは?とはおもいます。

そうですね、個人的には私も選択は自由であると考えております。

お礼日時:2014/05/15 12:14

あなたのそのお考えだと、生まれつき容姿が醜くて、男性の恋愛対象(性欲対象)になり得なくて、子供が持てない女性はどういう扱いになるのでしょうか。



醜く産まれたこと自体が反社会的だということですか。それとも、容姿の醜さは、子供が産めない身体上の理由に該当するということで、反社会的な人間というレッテルを貼るのを免除してやるのですか。

子供を産むには、男性と性行為をしなければならないわけですが、すべての男女の人生に、そうした男女の関わりが当然にあるわけではありません。

あなたのような、子供を産まない=恋愛できないことが反社会的だなどと言う人間の存在が、男の性欲対象になることが女の義務であるかのような考え方に繋がり、女性を貶めているように思えますが。

ただ最近は、子供を産みたい女性が、恋愛や結婚は関係なく、精子提供を受けて子供を持つという考え方も広がってきているようなので、そういうことがもっと当たり前になって、欲しければ持てるようになるならば、あなたたちもより一層、子供を持たない女性を非難攻撃しやすくなるんじゃないですか。

この回答への補足

※お礼はあとで行いますが、その前に一言申し上げます。

私個人の意見と、こういう考え方はどうだろうという質問内容は、必ずしも一致するとはかぎりませんので、ご承知おきください。

補足日時:2014/05/14 13:14
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「産みたいのに産むことができない」
という点と
「産む気がそもそもない」
というのは、私は異なると考えており、前者の場合は例えば世間のムードが「生命をつなげることを重きにおく」という方向に変わればそれにより、回答者さんが投げかけたクエスチョンについて改善できる部分もあるのではないかとおもいます。

なにも性奴隷になれということではなく、それぞれが「自分の遺伝子を残したい」と思える社会も良いのではないか、それは生命として自然であり、もっと尊重されてもいいのではないか?と考えたことが、質問の発端です。

私個人的な意見でいえば、産む・産まないについては個人がそれぞれきめればいいとも思っていますし、私には子供がいません。このまま状況によっては子供がなくてもいいとも思っています。

ただそのような、私のような人間のありかたは、さて本当にそれでよいのかどうか?とも思っています。

お礼日時:2014/05/15 12:12

社会的にそういった状態になってしまっている、というのは思います。



ただそれは、女性に問題があるわけではなく、そういった社会にしてしまった政治の問題です。

昔は、男性は普通に働けば一家を養える上に余裕があるくらいの収入がありましたから、女性も若い頃は働いて適齢期になったら結婚、という流れが一般的になりました。

しかし、不景気に傾いた途端に、これが悪い方へ傾きます。

男性は働いても働いても収入が上がらず、その割に税金は上がるし物価も上がるしで、一家を養うのもギリギリくらいが一般的。
結果的に女性も働かねばならず、共働き家庭が増えます。

さらに女性の労働権利向上によって、女性の収入も男性と大した差が無くなり、1人で生活していくには十分な状況になります。
子供を産んでも生活が苦しくなるだけで補助も無く、養育費も学費も高い。
それでは結婚に魅力を感じなくなるのも当然です。

そうなると、わざわざ結婚して家庭に入って、子供の育児に悩まされつつ切り詰めた生活をするくらいなら、1人で余裕のある生活をすればいい、という女性が増えます。

これは女性が悪いのではなく、歴代政府の悪行です。

出生率の低下が顕在化し、ようやく腰を上げようかと思ったら、今度は団塊世代の老化による社会保障費の肥大化が経済を圧迫してしまった結果、八方ふさがりになりました。

そこで自分たちのツケを若年層に押し付けて、これからの未来ある若い世代の希望を奪ったのです。

これって実はバブル期には既に予想されていた事なんですよね。

今後もこのまま社会保障費の肥大化が進めば、その分出生率も低下していくでしょうね。

だって子供を産めば産むだけ、生きていくのが厳しくなっていくんですから。

非難を覚悟で言わせてもらえれば、老い先短いご老人方に余計な金を掛けず、未来を見据えた政治をしてほしいものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに場当たり的な対応がこの状況を招いている気もします。
命をつなぐということについて(産む、産まないはともかく)もう少し各個人真剣に考えるべきなのではないか?とおもっています。

お礼日時:2014/05/15 12:07

地球上が人類であふれかえっている状態に歯止めをかけるための、


新しい進化だと、私は思います。

増えすぎることで自分たちの首を絞めるのなら、子孫繁栄はマイナス要素です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

全て見えざるものの手のひらのうえなのでしょうか。

お礼日時:2014/05/15 12:06

一理あるとは思う上での反論ですが、



生むのは誰も代われませんから女性本人です。
仕事に生きたい女性が一旦第一線を退くのは
戻る際、影響は小さくありません。
仕事の性質にもよりますが。

特に日本は先進国の中では、母親の負担が
大きい国だそうです。例えば、出産育児後の
キャリアや、待機児童、保育所の料金など。

社会システムの問題をさしおいて、
女が頑張れ、だけではおかしい話です。

あと、比較するのもおかしいですが、
勢いで作ってしまい、きちんと躾、教育、愛情、
をしていない母親よりは、
その大切さを認識しつつ、自分は生まない選択を
しよう、という女性の方がましだという気もします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

他の回答でのお礼も書きましたが、社会にまずは問題があるとおもいます。
ただ、社会を構成するのは一人一人である以上、女性・男性ともに「産むこと(種をつなげること)」をもっと高く意識すれば、自然と社会のありかたも変わってくるのではないかとも思っています。

計画なく大量に生んで、そのうちどれか一人が成長すればいいみたいな(国によってはいたしかたないのですが)そういったあり方は勿論違うとおもうのですが、一人一人が「産みたいという選択」をできる社会が作られればとおもっています。

お礼日時:2014/05/14 12:13

その理屈は自然・生物という観念に基づいていると思います。


社会とはその時代に生きる人々の考えに基づいているものです。特に民主主義の国ではそうでしょう。

例えば戦争のあった時代には戦争に反対することが反社会的でした。
戦って強いものがより多くのものを得る。弱肉強食は自然の摂理ではあると思います。
ですがそれが社会的なのか反社会的なのかはその社会の考え方によります。

子供を産まない選択をすることも、自然の摂理には反しているのかもしれませんが、反社会的ではないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「継続的な意思疎通と相互行為が行われ、かつそれらがある程度の度合いで秩序化、組織化された、ある一定の人間の集合があれば、それは社会であると考えることができる。」

wikiからの引用ですが、これを社会の定義とするのであれば、思考(選択)ありきなのかもしれません。
自然の摂理に反するのですが、人間としてこれでいいのかどうか、という部分をフォーカスすべきだったかも。

お礼日時:2014/05/14 12:09

ちなみに「他者の権利や感情を無神経に軽視する」のは反社会性パーソナリティ障害ですよ。


「産まない権利」や「産まない選択」を軽視してません?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E7%A4%BE% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

私個人の意見と、こういう考え方はどうだろうという質問内容は、必ずしも一致するとはかぎりませんよ。

お礼日時:2014/05/14 12:05

「反社会的」の定義によります。


積極的に社会を破壊しようとしているのか消極的に破壊しようとしているのかによる。


人間が形成した文化としての社会なのか、生物が元々もっている本能としてなのか、悪い点をどうしようというのがブレまくりなのが気になりますが。

種の保存として、才能の無いものは淘汰されてしかるべき。なのでそういう思想に至るものはそういう考えの遺伝子を持っているのでそれを残さないために子孫を作らないのは正解だと思う。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「産みたいけれど、劣等の種しか残せないため、うめない」

というのは、質問前提とはさほどずれない選択とおもいました。

お礼日時:2014/05/14 12:06

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