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日本語の数の名前で、非常に大きい数を表す、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議

非常に小さい数を表す、涅槃寂静などと言った名前は、仏教用語が由来だと思われますが、何故仏教用語から取ったのでしょうか?

日常でよく使われる仏教用語由来の単語は「馬鹿」(莫迦?)とかがそうですよね?

A 回答 (6件)

#4、zzz0243zzzさんへ



たいへん参考になりました。

私自身が書いたことは、比較にならないくらい駄文をずらずら並べただけでしたが、中でも詰めの甘い部分に気がつきましたので、一つ質問させてください。


一 二 三 四 五 六 七 八 九 十

「イー・リャン(アル)・サン・スー・ウー・リュー・チー・パー・チュー・シー」
と読む(かそれに近い音)のは割と知っている日本人も多いと思いますし、
私自身が小中学生で麻雀に初めて接したとき
「リューとかチーとかパーとか、日本語に近くて覚えやすいな。音よみが唐音や呉音などと似通っているのは当然か」
ということは気付いていたはずなのですが、

つい先日テレビか何かで
「日本語の数の数え方自体が、南方民族と多く共通している」
(しかもピンポイントに、○○民族の中の△△という集落・部族、ということまで指摘していました)
ということを聞いて、
なぜか「新鮮な」驚きを感じてしまいました。

「日本に言葉を持ち込んだ外部民族・外部民族から言葉を持ち込んだ日本人がいたんだ!」
「そんな昔から(陸沿いじゃないと航海が危険だった頃から)中国の南方とも交易があったんだ!」
という純粋な驚きです。
「日本語は中国から文字も音も借りて(もらって)きている」
とわかっていたはずなのに。

どの点に驚いたのか、もっとしっかり見ておけば良かったなあ、と悔いが残ります。


>福建語では「イッ・ジー・サー・シー・ゴー・ラッ・チッ・ペー・カオ・チャップ」

たいへん参考になりました。私が見たものもこれだったのかも知れません(あるいは、福建語民族の中でも、さらに日本語に近いものを使っている部族の話)。


もはやこれが「イチ・ニー・サン・シー・ゴー・ロク・シチ・ハチ・キュー・ジュー」
のルーツである、と見て間違いないでしょう。

で、「イー・リャン(アル)・サン・スー・…」と見比べて、ん? と思い始めました。


「ひ・ふ・み・よ・いつ・む・なな・や・ここの・とお」

(○つ、○日、○重などの訓読みの時に使われる数詞)
のルーツ(日本語民族がどこから来たのかという血縁的なルーツ)が南方民族にある、と私が聞き違い・思い違いしていたことに気付きまして。。。


がぜん、「ひ・ふ・み・よ・…」のルーツがどこにあるのか、に興味が湧いてきました。縄文人(旧アイヌや旧琉球民族や旧クマソなど?それよりもっと古い先住民族?)と弥生人が使っていた数詞はそれぞれ、
「イー・リャン(アル)・サン・スー・…」
「イッ・ジー・サー・シー・…」
の違い以上に、異なる発音をしていたはずですよね。
どちらかが(恐らく先住民族の方のものが)淘汰されて、
「ひ・ふ・み・よ・…」
だけが残った、ということでしょうか。

「ひ・ふ・み・よ・…」
とはまた別の、第3の数詞(弥生人以前の数の数え方)が日本語に残されていたらおもしろいな、と思います。

まあ、
>数というのは人間の生活においてたいへん重要な機能を持っています
というのに同感ですから、
商取引などで混乱が起きないように(そして日本は閉鎖的な島国ですから)、「弥生式数の数え方への統一教育」が行われたのかな、と推測しますが。


質問者さんにとっては、どうでも良い方向に話がそれてしまって、すみません。


で、「とお」まで数えて、ふと気付くと、zzz0243zzzさんのお話も踏まえて、
「あれ? 弥生式数詞は11以上の数え方が未熟だったのかな」
「百や千に該当する概念がない、正に『あとは「たくさん」』という状態だったのかな」
と思われてきました。
古文で廿二日を、「はつかあまりふつか」と読むのを習ったことがあります。
でも、「はつか」は「ふ」とは関係ない、20に対する固有の呼び方かも知れませんが、11や12に対する固有の呼び方はないですよね。「とおあまりひ」「とおあまりふ」で済ませていたのでしょうか。

「三十」みそ、「四十」よそ、
「八百長」やおちょう、「五百川」いおがわ
「八千代」やちよ
から察するに、
「十」そ
「百」お(を?)
「千」ち
が、「十=とお」ではない私の言う「第3の数詞」ですか?

11以上は あまた、よろず で誤魔化さず、中国から数詞音読みが入ってくる以前から、十万、百万、一億を数える方法もあった、と信じたいものです。



ちなみに、
>1・2・3・4・5あとは「たくさん」という笑い話のようなレベルは実際にあったと思います。
は私も聞いたことがあります。5どころか1・2・「たくさん」で。私が聞いたのは(オーストラリア大陸ではなく)ミクロネシアかポリネシアの島の話でした。

ただ一部にはデマ・誤解もあったようで。

-------------------
http://www.australia-joho.net/archives/50401622. …世界名作劇場アニメ「南の島のフローネ」が絶大な影響を及ぼしたと思われる、オーストラリアのアボリジニについての逸話(要確認)
「1、2、3の次は沢山」といって周りを驚かせます。
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-------------------
http://blog.goo.ne.jp/teki-mizuno/e/b338d9215fb5 …
アマゾン、ピラハ族には「1」「2」「沢山」を表す言葉があると思われていましたが、「1」と思われていた言葉は実際には1から4の数を表し、「2」と思われていた言葉は5か6を表していることが」わかった
-------------------

私は大学入試の英語を教えることがあるのですが、英語の文でもこれとよく似た話を一度だけ目にしたことがあります。

すでにいくつかのトピックが立っているようですね。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5818092.html
http://d.hatena.ne.jp/jojo2009/20100810/p2


参考
アジア 数の言葉
http://taamchai.web.fc2.com/lang/asian-counting. …


タイ語 サーム

ラオス語 サーム



去年タイ語を勉強したときに 「サム とか サ から始まる読みをする国の多さ」の話を聞いたのだが、調べてみると、サと全然関係ない国もたいへん多いのでございました。

この表に 100、10000、10000000も載っていてくれたら、質問者さんにとっても答えになったに違いないですけどね!
(その場合、大乗仏教系と、上座部仏教系にわかれるんだろうか。梵語(サンスクリット)はどちらも共通だろうか。私は個人的には、日本には「10000以上の数を数える概念は、万という漢字の輸入以前は存在しなかった」という気がします。)



あと一つ答えてなかったので、答えておきます。
莫迦はその通りです。
馬鹿は日本に ばか が輸入された後の当て字です。
その他に印刷出版が一般的になってから直接的な言葉を避けるために独自に考えられた当て字も多数あると思われます。

この機会に改めてみたら、真空、玄関、世間、種子、境界、知恵まで仏教由来とされているので驚きました。
私の祖母が僧侶だったので、
我という概念が仏教由来だとは聞いたことがあります(アートマン?)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99% …
などなど。


ただ。語源とは「諸説ある」のが世の常、だと思いますよ。100~150年前(特に明治になった直後)に生まれた言葉ですら、語源が怪しい、2つも3つもある、というものもたくさんありますから。
その代表例がハヤシライス!


まあ、これだけあれこれ書いても、質問者さんは見ていらっしゃらないのかも知れませんが。

参考URL:http://taamchai.web.fc2.com/lang/asian-counting. …
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仏教はインドから中国を経由して日本に伝わりました。

インドの文字が漢字に変換され、漢字の形で日本に入ってきたのが主流をなしています。

つまり、現代日本で仏教用語と言われているものは、インドの言葉が漢字に置き換えられて日本に入り、日本人の宗教外の社会生活で使われなくなったが仏教界では残されている漢字で表記される言葉が仏教用語というカテゴリーに入れられているということで、もともとはインドの言葉ではなかったかと思われるものですね。

インドの言葉(サンスクリット語)の教典が中国に入り、それを中国語化する(漢字で表記する)ときに、同じ意味の中国語に置き換えられたものと、もともとのサンスクリット発音を漢字で表記するもののふたつができたようです。

で、ご質問の数字に関するものですが、数というのは人間の生活においてたいへん重要な機能を持っていますから、世界中のありとあらゆる民族種族がそれを持ったはずで、どこかのある民族がそれを発明して世界中に広めたという見方には納得しにくいものがあるように感じられます。もちろんレベルの差はあるから、1・2・3・4・5あとは「たくさん」という笑い話のようなレベルは実際にあったと思います。ただ、その1・2・3・4・5をある民族だけが発見したという説にはついていけません。

さて、数に関する高等な概念が最も発達したのがインドだったようです。十桁の位取りに必要なゼロ(空)の概念がインドで生まれたことが、その当時の世界で数に関するレベルをもっとも高いものにしたのではないかと思われます。そういう高いレベルに達したインドでは、位取りの際の単位を示す言葉が作られたはずですが、それが日常生活では滅多に使われないような大きさにまで作られた可能性があります。

それが仏教の経典の中に書かれて中国に入り、その漢語訳の教典が日本にもたらされ、もちろんその教典を中国で学んだ学生やあるいは中国から日本に招かれた高僧らがその意味を知っていますから、かれらが日本の仏教界にそれを教えて日本人の知識のひとつとして蓄えられてきたという図式が見えるような気がします。

古代日本では、さまざまな知識の吸収が中国から中国語(漢字)を通して行なわれてきており、日常生活で普通に使われている十・百・千・万といった単位もすべて中国に由来しています。無闇に大きな単位も仏典に乗って同じように日本に入ってきたわけであり、日本人が仏教用語の中を探して拾い出したという言い方は、もともとそれが日本人の知識の中に存在しており、忘れていたものを見つけ直したというだけの話ではないかというようにわたしには思えます。なぜなら、日常生活で使われる小さな単位も中国由来のものを使っているのですから。

あと余談ですが、日本人が日本語だと思って使っている、「いち・に・さん・し・ご・ろく・しち・はち・きゅう・じゅう」は古代中国華南地方の言葉から取られたものです。
台湾の福建系の言葉では「イッ・ジー・サン・シー・ゴー・ラッ・チッ・パッ・キュー・チャップ」であり、また福建語では「イッ・ジー・サー・シー・ゴー・ラッ・チッ・ペー・カオ・チャップ」と言っており、日本で使われているそれらの言葉の由来が想像できます。
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仏教はインドから中国を経由して日本に伝わりました。

インドの文字が漢字に変換され、漢字の形で日本に入ってきたのが主流をなしています。

つまり、現代日本で仏教用語と言われているものは、インドの言葉が漢字に置き換えられて日本に入り、日本人の宗教外の社会生活で使われなくなったが仏教界では残されている漢字で表記される言葉が仏教用語というカテゴリーに入れられているということで、もともとはインドの言葉ではなかったかと思われるものですね。

インドの言葉(サンスクリット語)の教典が中国に入り、それを中国語化する(漢字で表記する)ときに、同じ意味の中国語に置き換えられたものと、もともとのサンスクリット発音を漢字で表記するもののふたつができたようです。

で、ご質問の数字に関するものですが、数というのは人間の生活においてたいへん重要な機能を持っていますから、世界中のありとあらゆる民族種族がそれを持ったはずで、どこかのある民族がそれを発明して世界中に広めたという見方には納得しにくいものがあるように感じられます。もちろんレベルの差はあるから、1・2・3・4・5あとは「たくさん」という笑い話のようなレベルは実際にあったと思います。ただ、その1・2・3・4・5をある民族だけが発見したという説にはついていけません。

さて、数に関する高等な概念が最も発達したのがインドだったようです。十桁の位取りに必要なゼロ(空)の概念がインドで生まれたことが、その当時の世界で数に関するレベルをもっとも高いものにしたのではないかと思われます。そういう高いレベルに達したインドでは、位取りの際の単位を示す言葉が作られたはずですが、それが日常生活では滅多に使われないような大きさにまで作られた可能性があります。

それが仏教の経典の中に書かれて中国に入り、その漢語訳の教典が日本にもたらされ、もちろんその教典を中国で学んだ学生やあるいは中国から日本に招かれた高僧らがその意味を知っていますから、かれらが日本の仏教界にそれを教えて日本人の知識のひとつとして蓄えられてきたという図式が見えるような気がします。

古代日本では、さまざまな知識の吸収が中国から中国語(漢字)を通して行なわれてきており、日常生活で普通に使われている十・百・千・万といった単位もすべて中国に由来しています。無闇に大きな単位も仏典に乗って同じように日本に入ってきたわけであり、日本人が仏教用語の中を探して拾い出したという言い方は、もともとそれが日本人の知識の中に存在しており、忘れていたものを見つけ直したというだけの話ではないかというようにわたしには思えます。なぜなら、日常生活で使われる小さな単位も中国由来のものを使っているのですから。

あと余談ですが、日本人が日本語だと思って使っている、「いち・に・さん・し・ご・ろく・しち・はち・きゅう・じゅう」は古代中国華南地方の言葉から取られたものです。
台湾の福建系の言葉では「イッ・ジー・サン・シー・ゴー・ラッ・チッ・パッ・キュー・チャップ」であり、また福建語では「イッ・ジー・サー・シー・ゴー・ラッ・チッ・ペー・カオ・チャップ」と言っており、日本で使われているそれらの言葉の由来が想像できます。
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#2です。


思い付いていたことを一つ書き忘れました。

●その7
ボクシングの階級で
  フェザー(羽)
  バンタム(鶏)
というのは御存知でしょう?
  ストロー(わら)級
も。

つまり、ライトとかヘビーとかいう言葉だけで表すのは限界があるから、
(周波数は ウルトラハイ、UHF、ベリーハイ、VHFとか言いますけど限界がありますね。)
何かの序列に「呼び名を借りてきて」イメージしやすいようにする、というのはとても自然な感じがします。

羽と鶏、ならどちらが上級かわかりやすい。
おうし座とふたご座、なら(知ってる人にとっては)どちらが上級かわかりやすい。

そこでその題材として、仏教が選ばれて、世界の成り立ちの説明にも
使われた、「この世には我々の想像もつかないくらい多くのものがある」という定番の説法があった、と私は想像します。
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●その1


インドは 「0の発見」 をした国、とも言われますから、
古代から数学も中国(仏教 印度→中国→日本)や日本よりずっと進んでいたのかも知れませんね。

我々が使っている「無限」などは、印度の考え方に、漢語がプラスされた概念だと思われます。

●その2
まあ、全てが中国経由とは限らず、例えば
7は なな と しち
4は よ(よん) と し
9は ここの と きゅう
などの読みが混在している通り、

日本語の数の数え方自体が、南方民族と多く共通しているそうですよ。
3 を さん とか サム とか サ から始まる読みをする東南アジアの国が多かったり。

10日ほど前に読んだ(見た?)記事では、東アジア・東南アジアをあちこち歩いて言葉を集めているどこかの日本人教授が、「日本の数の数え方は、チベット?ウイグル?かどこかの少数民族たちの数の呼び方とそっくり」ということを発見したそうです。

だからどこかにルーツがあるのでしょうね。

●その3
なぜ仏教か、のもっと直接的な答えですが、
私が何度か見たことのある曼荼羅(まんだら)のイメージだと、

人間の下に
数匹の猿がいて
その下に数匹の像がいて
その下に大きな亀がいる・・・のような?
(だいぶ省略しましたけど)

つまり子供に初めて算数を教えるときにも、
10の下に
100があって
その下に1000があって・・・
みたいな説明は
(図を見ながらだと特に)
しやすいじゃないですか。

(もしかしたら、10が10個で100、100が10個で1000という、説明の仕方の違いはあるかも知れませんけど。)

だから、数の呼び方は、その国独自で発展するより、各国どうし影響し合う可能性が高かったんじゃないでしょうか?


子供の頃、一十百千万、一万十万百万千万、百千万、あれ?違ったっけ? とか言いながら数を覚えるのを楽しんでいた頃をなんとなく思い出します。
「じゃあ? 億の次は? じゃあ、じゃあ、じゃあ 兆の次は?」
「戦闘パワー、一万兆億」
とか言って好奇心を満たしたり。

だから、どっかの誰かが、半分遊び心で数字の大きさに名前を付けて、それがアジアで流行っただけだと思いますよ。

「お釈迦様と如来と創世論」の話をお坊さんがすると共に、もっともらしい呼び名が広まったのでしょう。
余談ですが、仏教では、メソポタミア系宗教ほどしっかりした創世論(アダムとイブ含む)はないと思いますが。

●その4
その3とかぶりますけど、半分は言葉遊びでしょう。
  寿限無寿限無・・・長介
と同じにおいがします。あるいは、

  ギニュー、リクーム、サイヤ、ベジータ
、ナッパ
みたいな名付け方と同じにおいもします(知らなかったらごめんなさい)。なんか
いちいち一つ一つに名前を付けるのが面倒だから、関係ありそうな言葉を適当に並べて、もっともらしく装った、ような。

一割一分一厘一毛の、さらにその下の単位って、ちり、とか、あくた、ほこり、という意味の漢字が出てくるでしょう。なんかなんでも良かったんじゃないですか?

甲乙丙・・とか
おひつじ座おうし座ふたご座・・とか
いろいろありますけど、
数の単位が一甲、一乙、一丙とか、一おひつじ座、一おうし座、一ふたご座とかになっても全然不思議じゃなかったような。

それに比べて欧米圏の
million
billion
trillion
というのはとても合理的な名付け方ですよね(m,b,tr=123)

●その5
1,000,000,000 = 10億
という、欧米は3桁区切り、東洋は4桁区切り、ということからも、
欧米→学問の発祥の地ギリシャ経由、あるいはローマ帝国がそれを広めた
東洋→オリジナルは印度だが、幾度となく膨張を繰り返した中国の影響力が絶大、特に日本は中国や半島との付き合いが濃かった
ということで、
中国は科挙の試験も含めて学問の中心地・日本の手本(ちょっとこういう言葉は認めにくいですが。)でしたから、

  中国からいろいろ輸入する=数学も仏教と一緒に伝わる、

と考えておかしくないでしょう。
「数学者」という数学専門で考える人はむしろ少なく、ダヴィンチのように「知識人が数学も天文学も占星術も医学もなんでもやる」という時代だったと考えると、
仏教と数学のクロスコミュニケーションはますます自然なことです。

いずれも全く根拠のない私見ですが、日本の教育方法も無関係でないのでは?
寺子屋やその前身は室町頃からだと思いますが、その名の通り「寺」が教育を担っていたのですから、
「生徒皆が覚えやすいように、説法の中にも出てくる仏教用語を数学にもちりばめた」
という解釈はどうですか?
寺子屋以前は、那由多などに対応する言葉も複数あったのかも知れませんが、寺子屋の教本が一部階層に広まることによって、那由多一本にしぼられたのでしょう。

●その6
その寺子屋と関わると思いますが、
  九九は 印度の19x19がルーツ
かも知れませんよ?

以上でいかがでしょうか。長くて失礼しました。
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仏教が伝来する以前の日本には非常に大きな数字 小さな数字の概念が無かったのでそのまま使っただけじゃないでしょうか 現代でも日常会話

で 阿僧祇など使ってる人を見たことないので通常用語ではなく、仏教用語の扱いだと思います 
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