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先の大戦初期に戦死した大叔父の墓標に、『昭和17年戦死 陸軍伍長』とあったのですが、2階級特進を考えると戦死したときには上等兵ということなんでしょうか?
20代なかばで会社員だった大叔父が、日華事変後に徴兵されて(おそらく)、わざわざ上等兵まで昇進したのだろうか?とも思います。しかし、大叔父は大卒で頭が良く、隊長に気に入られていたせいで撤退に遅れたのが戦死の原因とも聞くので、当時上等兵であったのは不自然でもないといえば、そうです。
実際はどうなんでしょう?

A 回答 (4件)

こんにちは。



当時の軍服姿の写真が残ってれば階級章を一目見れば判断出来るのですが、一般的に戦死は二階級特進ですから、上等兵⇒兵長⇒伍長の階級順から考えれば戦死時は上等兵の階級だったと思います。

また、徴兵された時期が戦死された昭和17年より数年前なら、兵クラスの階級は直ぐに上がったようですので、短期間で上等兵ぐらいの階級になっても不思議ではないと思います。

実際、陸上自衛隊に入隊経験のある友人の話を聞いても二等陸士で入隊後、二年後の除隊時には陸士長と二階級昇進してるようですから、徴兵された年度に戦死してないなら上等兵に昇進していても不思議ではないです。
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この回答へのお礼

軍服姿の写真はあります。というか、座敷にあるその姿でしか大叔父を知りません。思い至らなかったのが不思議です。じっくり見ることにします。
徴兵されたのは、やはり根こそぎ動員が始まってから、そして日米開戦前なのだろうと思います。
wikipediaなどで、選抜されるので上等兵になるのは難しかった、と書いてあったので、やや疑問でした。前線の兵士不足という裏事情もありますよね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/28 20:43

兵は、戦死=2階級特進が普通です。



また、徴兵期間で除隊時に上等兵というのは、普通の昇進です。

ただ20代なかばで大卒で、日華事変後に徴兵ということはかんがえられないので、召集でしょう。

日華事変後というのが、召集時期を曖昧にしています。

もしかしたら、中国戦線では無く、関特演だったり、南方戦線の可能性もあります。

撤退から考えると、中国戦線でしょう。

兵種、どこの戦線が分かると、もっと大叔父様の経歴をしぼれますよ。

隊長に気に入られていれていたとの事で、従兵、庶務担当だったかもしれませんね。
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この回答へのお礼

質問文に書くべきだったのでしょうが、墓には他に『ニューギニアで戦死 昭和17年7月』みたいなことが彫ってありました。
大学生が徴兵免除だったとか、漠然な知識があったもので、二十歳では徴兵検査は受けていない・・と思う(テキトー)。
徴兵と召集は同じ意味くらいに思ってました。
召集時期が日華事変以降というのも、いい歳のサラリーマンを引っ張ったのだから、その時期だろうという自分の推測です。
大叔父がもらったのがいわゆる赤紙(臨時召集令状)だったのか? とか色々疑問があるのですが。この質問に併せるべきではないかなと、省きました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/29 19:41

no.2です。




補足すると大叔父様は5年間も陸軍に在籍していたことになりますから、戦時のこともあり、また隊長に気に入られていたので、そのあたりまで昇進するのは当然だと思います。
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tettuaさん、こんばんわ。



日中戦争ということですから、戦争中になります。戦時になれば、戦死する人もいっぱい出ますし、戦時編成といって部隊を増強しますので、責任者を決めていかないといけないので、古参の兵から昇進していきます。そうしないと部隊の統率がとれないからです。隊長に気に入られていたとされる大叔父様が上等兵になったというのもその辺の事情があったと思います。
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この回答へのお礼

戦時編成で昇進したということも考えられますか。
隊長に気に入られていて、逃げ遅れた。隊長(30人規模の小隊長?)もおそらく戦死した? と、考えると犠牲の多い前線にいたのかも。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/28 21:19

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同時に始まった戦争で
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どのように階級分けされるのでしょうか

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宜しくお願いします。

Aベストアンサー

徴兵制が無い今は別ですが
昔は徴兵制度がありました
階級は元々定まっていました
赤紙が来た人は一平卒として参加します。

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要するに上官が死んだら進級です。

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一平卒が次の戦場では部隊をまかされる事もあります。

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Aベストアンサー

地域によっては戦死された方の名簿は出版されたものがあります。
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しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


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この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

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在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
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日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q勉強するためのレンタルルーム

大阪で、二人で勉強するための個室のレンタルルームを探しています。多人数の会議室はあるのですが、二人となると、個室喫茶のようないかがわしい場所しか見つかりません。机と椅子があって、書類を書けるような落ち着いたレンタルルームをご存知の方いらっしゃいませんか?お願いします。大阪、梅田近辺であれば嬉しいのですが・・

Aベストアンサー

個室喫茶って、ネットカフェとかそんなとこですか?
ネットカフェはいかがわしくないですよ。
こないだ勉強がしたくてネットカフェ(新宿)に行ったんですが、すごく静かで、誰の干渉も受けなくて、飲み物とかただで、3時間くらい集中することができました。
結構いいですよ。
最初は入るの勇気いりましたけど・・・。

Q二階級特進について

軍人は戦死したら二階級特進で、例えば生きているときの階級が少尉なら大尉になると思うんですが、階級が一番高い人(元帥?大佐?幕僚長?)が戦死した場合、その人の階級はどうなるんですか?
お願いします。

Aベストアンサー

帝国陸海軍において、大将が戦死したのは次の2例と思います。

山本五十六 海軍大将→戦死後、元帥府に列せられる。
古賀峯一 海軍大将→同上。

なお、元帥というのは階級ではありません。「元帥府に列せられた大将」です。ですから、元帥になったのは「昇進」ではなく「恩典」です。

中将が戦死したケースは多数ありますが、大将に一階級進級した場合と、進級せずに中将のままの場合の両方の例があります。以下、全て「戦死後の階級」で書きます。

例:
西村祥治 海軍中将:中将のまま
南雲忠一 海軍大将:中将から大将に昇進

これは、「一定の要件を満たした中将でないと、戦死後に大将に昇進しない」という規定によるものと記憶します。規定の詳細は失念しました。

帝国陸海軍における二階級特進というのは、「功績特に顕著」「功績を全軍に布告」というような「特殊な場合」に限ったものです。なお、特攻での戦死は、原則として二階級特進となったようです。

少将が戦死して二階級特進、大将となった例は存在しないと記憶します。大佐が戦死して二階級特進、中将となった例は、例えばアッツ島で戦死した山崎保代 陸軍中将の例があります。他にもあるでしょう。

戦死の場合に一階級進級するのは、法的根拠は分かりませんが、明治時代から行われていたようです。例えば、日露戦争で戦死した広瀬中佐は、戦死後に少佐から中佐に一階級進級しています。大東亜戦争時であれば二階級特進のケースでしょう。ただ、日露戦争の頃の話としては、「戦死後進級」という話はあまり聞きません。

帝国陸海軍において、大将が戦死したのは次の2例と思います。

山本五十六 海軍大将→戦死後、元帥府に列せられる。
古賀峯一 海軍大将→同上。

なお、元帥というのは階級ではありません。「元帥府に列せられた大将」です。ですから、元帥になったのは「昇進」ではなく「恩典」です。

中将が戦死したケースは多数ありますが、大将に一階級進級した場合と、進級せずに中将のままの場合の両方の例があります。以下、全て「戦死後の階級」で書きます。

例:
西村祥治 海軍中将:中将のまま
南雲忠一 海...続きを読む

Q台湾の1元→日本円:いくら??

通貨全般にくわしくなく困ってます(-_-;)
台湾で流通されている1元は日本円にして
いくらになりますか?

ネットで探しても探し方がわるいのか
台湾ドル→日本円は出てくるのですが
元→日本円が探しきれません.
もし今現在の元→日本円のわかるサイトが
あったら併せて教えていただけるとたすかります☆

ちなみに中国元と台湾の元は別物と考えていいんで
しょうか?
たしか仲悪いんですよね!?(>_<)

Aベストアンサー

元とNew Taiwn $は、同じことだったと思います。

1元=約3円
http://www.arukikata.co.jp/country/taiwan.html

>ちなみに中国元と台湾の元は別物と考えていいんでしょうか?

中国元とは人民元のことですよね。別物です。

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む


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