【復活求む!】惜しくも解散してしまったバンド|J-ROCK編 >>

平和で、しかも国民の8割が農業または漁業に従事していたのに「日本のすべての時代の中で最も小柄だった」と書かれている。江戸時代の日本人の栄養状態が戦国時代や平安時代より悪かったのはなぜでしょうか。
過去質問によると江戸時代は国防上の理由で馬車など車輪を使った乗り物の製造や利用は制限され、船も大きなものは作れなかったようですが、農業・魚業には何か制限や制約はありましたか。
何割までと定めたルールは現実には守られず、武士・支配階級が収穫された農作物を好きなだけ年貢として搾取していた実態などが実はあるのでしょうか?
教えてください。

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A 回答 (6件)

江戸時代の平均身長が低かったということは言えそうですが、それが栄養状態が悪かったためだと、いう理由づけは寡聞にして知りません。



日本人の平均身長が時代によって伸びたり縮んだりしていたことは推定されています。
人骨や鎧の寸法から、鎌倉時代は全般に大柄だったと言われています。
平安時代は比較的小柄だったようです。(何分にもサンプル数が少な過ぎます)
鎌倉時代よりも江戸時代のほうが栄養状態が悪かったという史実は確認されていません。
戦国時代末期から江戸時代前期にかけて人口が増大しています。
栄養状態が悪い状況下で長期間に渡って人口が増加するということは考えにくいのではないのでしょうか。

頭蓋骨の形も上から見て丸くなったり楕円型に長くなっているそうです。
人骨や烏帽子などから鎌倉時代の人達は、楕円型に長かったようです。
このようなことからすると、鎌倉時代の人達は欧米人に近い体型だったようです。
江戸時代は丸かったそうです。
小柄で丸顔で鼻ぺちゃが江戸っ子の平均的な人相だったようです。
面長な花魁がもてるわけです。

このように時代によってサイクル的に変化する理由については未だに定説がありません。

江戸時代の農村は決して貧しくはありませんでした。
貧農史観というのは、明治政府が自己の正当化のために江戸時代を卑下中傷した結果です。
さらに、第二次世界大戦後の左翼系思想家が自虐的史観のなかで喧伝しました。
明治時代の方が農村は疲弊していました。
江戸時代の年貢の税率が一見高かったのは、帳簿上の数値の上でだけの話で、実行税率は低下しています。
困窮していたのは武家層です。
武家の財政は幕府、大名のみならず御家人にいたるまで破綻していました。
貧農史観のように農村が貧しかったというのは、郷土芸能が盛んになり伝承されてきた事実と辻褄があいません。
食うや食わずの人達が踊りや民謡にせいを出すとお考えでしょうか。
祭りの行事などを金をかけて200年も300年も伝承できたとお考えでしょうか。
武家が盆踊りをしたり村芝居をしたなどという話は寡聞にして知りません。
下記サイトをご参照ください。

石高 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/石高

江戸時代の百姓は本当に貧しかったか?
www2.ttcn.ne.jp/kazumatsu/sub226.htm

百姓の年貢負担は重くはなかった
www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/3-19.htm

下記のような書籍も出版されています。

貧農史観を見直す  佐藤常雄/大石慎三郎    講談社現代新書

農民一揆も左翼思想家がいう階級闘争ではありませんでした。
農村の内部というのはピラミッド構造をしていて農民どうしで経済力に著しい差がありました。
年貢徴収の実務は、富裕層の農民からなる名主(庄屋)を頂点とした自治組織が担っていました。
年貢も個人単位ではなく、村落単位で課税されていました。
低所得者層は年貢納入の義務からは外されていました。
むしろ富裕層の農民に対する低所得者層の農民の不満が蓄積された結果のものの方が多数を占めています。
なかには、なれあい一揆もありました。
下記サイトをご参照下さい

本百姓 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/本百姓

水呑百姓 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/水呑百姓

一揆の実態については下記のような書籍があります。

一揆の原理 日本中世の一揆から現代のSNSまで 呉座勇一 洋泉社

こんなコメントがある書籍です。
一揆からイメージされる、権力(悪代官)に立ち向かう民衆(正義)という単純な勧善懲悪的なものではなくけん制、戦略、取引、なれ合い、デモンストレーション、平等性の演出とか、一揆の中にそういう生身の人間の様子が感じられたのは興味深かったです。

>江戸時代は国防上の理由で馬車など車輪を使った乗り物の製造や利用は制限され、船も大きなものは作れなかったようですが、農業・魚業には何か制限や制約はありましたか

馬車
車輪を使った移動手段は平安時代までは牛車がありました。市中専用でした。
車輪を使った移動方法というのは、大陸のように固い平坦地が続く地形では有効です。
山岳と起伏に富み、急峻な河川と沼沢地に囲まれた日本列島の地形では恐ろしく効率の悪い移動手段です。
日本中に隣の村落へ行くのに川を渡らずに行ける地域がどの程度あるとお考えでしょうか。
橋は台風などで年中行事のように流されます。水量の増減が激しいのが日本の河川の特徴です。
コンクリートのダムなど無い時代です。
同じように峠を越えることなく隣国へ行ける地域がどの程度あるとお考えでしょうか。
石の無い砂地だけの河原を持った河川がどれだけありますか。
馬車をひかせるよりも、背中に乗せた方がはるかに移動が自由です。
アスファルト道路も高速道路もない時代です。


軍船以外には特に規制はありませんでした。
下記に述べる理由により、交易船の難破沈没が多かったことから、リスク分散の観点と経済効率から700石~800石程度が主流で最大でも3000石のものが数隻あっただけです。
理由
(1)日本の沿岸海域は潮流が複雑であることは世界的にも有数のものです。
詳しくは下記サイトをご覧下さい

黒潮の組織的渦構造と沿岸水域環境との間の乱流論的プロセス
library.jsce.or.jp/jsce/open/00008/1996/43-0411.pdf

海洋スケールの渦現象
www.nagare.or.jp/download/noauth.html?dd=assets/files/downlo...

一たび黒潮の外へ流されればあとは太平洋があるだけです。
生きて帰れる保証はありません。まして積荷の保証は不可能です。

夏季には南方海上で発生した台風が来襲します。
季節の変わり目には長期間にわたって前線が停滞します。(梅雨前線、秋雨前線)
天気予報技術が未発達な状態で、天候の急変、風向きの急変、突風などの予測は人間の勘以外に頼るものがありません。

(2)海外への渡航が制限されていた結果、大型外洋船の需要がありませんでした。
(3)港湾設備が未発達であったことから、喫水の深い船は接岸できませんでした。
これらの理由により下記のような独特の構造の船が発達しました。
洋式帆船と和船の違いは下記のサイトをご覧下さい

洋船と和船のちがい - 日本財団 図書館
nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/01046/contents/003.htm

大きな船を作る技術が無かったわけではありません。作れなかったのではなく作る必要がなかったためです。
伊達政宗が1613年に派遣した慶長遣欧使節団が太平洋を渡るのに使った洋式帆船サン・フアン・バウティスタ号は日本人の船大工が作ったものです。伊達藩での使用が終了した後はヨーロッパへ回航されて長く現地で使われていました。

車両にせよ船にせよ国防上の理由などというものは何処にもありません。

>農業・魚業には何か制限や制約はありましたか
特別なものはありません。
当時の海も川も池も沼も清潔でした。農薬だのなんだのと化学薬品が混じることはありませんでえした。
江戸だろうが大阪だろうが街の傍の海へ入れば魚介類はいくらでもとれました。
時には江戸湾(現東京湾)でクジラが採れることもありました。
潮干狩りは子女の季節の楽しみの一つでした。
内陸の池や川にはどじょうもたにしも潤沢にいました。子供でも採れます。
ただし、クール宅急便がありませんし、家に冷蔵庫もなかったので、内陸部で海の魚の刺身を食べるのは難しかったです。
ただし、干物は潤沢に出回っていました。
川魚はどこでもいくらでも採れました。

大阪と松前を往復していた北前船の主要な荷物は身欠きにしんでした。
食べるだけではなく綿の肥料にも使われていました。
現在でも関西ではぼうだら(干だら)は正月には欠かせない食材です。
関西料理の出汁は昆布です。昆布も鱈も鰊も大阪湾では取れません。
物流の発達した江戸時代が、それ以前の時代よりも食材が不足していたなどという史実は寡聞にして知りません。

>武士・支配階級が収穫された農作物を好きなだけ年貢として搾取していた実態などが実はあるのでしょうか?
このようなバカ侍は希少価値がありました。
武家というのは米がすべての生活の基本です。
武家は米を金に換えて生活していました。
自分の生活を支えている農民を虐待する意味はどこにもありません。
農民が自領から逃散(逃亡)されてしまえば、翌日から飢え死にするのを待つだけになります。
この逃散という手段は結構つかわれました。
逃げ込んだ隣の大名は労働力が増加して新田の開発が促進できることから喜んで迎え入れました。
下記書籍に詳し書かれています。

逃げる百姓、追う大名―江戸の農民獲得合戦  宮崎 克則  (中公新書) [新書]

以上がざっとした説明です。
なにかご質問があれば、補足をお願いします。、
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江戸時代に栄養状態がわるかったのは江戸に住んでいる庶民のはなしだとおもいます。

長屋ずまいなどかなり苦しい生活をしていたらしいので。

日本列島全般についてまた階層とわずについていえば、江戸時代のほうが平安時代よりわるかったというのは信じがたいです。山上憶良の貧窮問答歌とかよむと、食べ物もほとんど食べられないくらい税金でもっていかれた庶民の生活ぶりがかかれていますから。
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一言でいえば、「偏食になったから」だといえます。



なぜ日本人が小柄になったのかというと、単純にいやあカルシウムをとらなくなったからです。カルシウムをとらないと骨が育ちませんからね。
おそらく質問の発端になったのは、出土した日本人の骨を見ると江戸時代の人より縄文時代の人のほうが平均身長が高いとかそういう話だと思いますが、例えば縄文時代の人は動物を狩猟して食べたりいろんなものを食べていたんですね。平安時代には乳製品を食べたという記録が残っていたりします。
ところが江戸時代に近づくにしたがって日本人はお米大好き民族と化していきます。誤解を恐れずにいえば、お米以外を食べなくなっていくのです。

お米というのは特に玄米の場合は完全栄養食品といいまして、それだけ食べていれば死なないのです。不足するのはカルシウムとタンパク質ですが、日本人はタンパク質の不足は大豆で補っていたわけです。ところが、カルシウムだけは補えなかった。カルシウムをとるなら、肉か乳製品をとるしかないのですが、酪農がほとんど流行らなかったので必然的にカルシウム不足の状態となり、結果、背が低くなったのです。

なにしろお米ときた日にゃ、まず生産効率がいい。1粒の種もみから、何十粒ものお米が生産できます。さらに、土地が痩せない。小麦の場合は畑を休ませないと、連作をすると生産効率がガクッと落ちます。でも田んぼは連作しても大丈夫です。
さらにお米は甘味が強くて美味しくて、玄米ならそれしか食べなくても栄養不足による病気にはならないので、いつしか日本人は米しか食べなくなっていくのです。お米と野菜しか食べなかったといってもあまりオーバーではないほどです。あとは味噌や豆腐のような大豆製品でタンパク質を補っていました。
魚は、沿岸地域しか手に入りません。その上日本海側は冬は漁に出られないし、太平洋側も台風やらなにやらで海が荒れることが多く、気候が安定した内海なんてのは瀬戸内海くらいしかないので安定した供給源にはならないのです。

そして江戸時代にお米LOVEが嵩じすぎて、明治時代となって精米技術が全国に普及し、日本人が玄米から白米に主食が変わるとビタミン不足による脚気が国民病として一気に全国に広まったのです。
その脚気の原因は、栄養不足説と細菌原因説に真っ二つに分かれ、栄養不足説をとった海軍が採用したのがカレーライスなのです。海軍は最初はパンを水兵に食べさせようとしたのですが、「あんなもんを食うくらいなら死ぬ」というアレルギー反応があまりに強くて困って、「じゃあ野菜をごった煮にしてご飯にかけて食べよう」という案になったのです。
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ソースが良く分からなかったので検索してみましたが、都内で出土した江戸時期の骨が根拠のようですね。



そうなのか、という思いもありますが、本当なのかという気もします。平安期のほうが、庶民の栄養状態が悪かったのではないかとか。
身長は、成長期の栄養状態に影響されるところもあるでしょうが、高くなるか低くなるか良く分かってない部分も多いと記憶しています。生活習慣、正座が多いと足が短くなる(成長が抑制される)というのもあると思います。

江戸自体には80歳くらいの長寿の人も居たと聞いていますので、栄養状態が悪かったのかという疑問もあります。
平安貴族は水銀飲んで30代くらいからパタパタ死んでいますが。
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マルサスの罠のイギリスにおける分析に関しては



http://szabo.best.vwh.net/bookconsciousness.html
における Fig4 参照

人口とWAGE(賃金)となっているが、近似的には庶民の一人あたりGDPとなります。


Fitted Line 1280s- 1590s では人口が増えると賃金が減って栄養が悪くなり、人口が減るということを示しています。

一人あたり実質GDPと人口の関係を分析した図は
豊かさの誕生 ウィリアム/バーンスタイン 徳川家広(訳)のP29 P30 をご参照ください。

※ ちなみに徳川家広さんってのは、世が世なれば、将軍世子として千代田城西の丸にいたはずの人。
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江戸時代の日本人の栄養状態が戦国時代や平安時代より悪かったのはなぜでしょうか。





生物として考えれば定期的な「間引き」が行われないので、生存に関するカタストロフィーが生じている。
つまり一人あたりの栄養を向上させるよりも、分割して労働参加人数を増やしたほうが全体としての生産量は上がる。

http://phrik.misc.hit-u.ac.jp/Asami/Jugyo/2005/s …

あるいは 典型的なマルサスの罠にハマっているから。
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(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
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Q江戸時代の動物性蛋白質の摂取

江戸時代の農民の食生活についてお聞きします。
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笑止千万、無知蒙昧の極み。
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ただし動物性食材と植物性食材はたんぱく質に関して品質の傾向が異なります。動物性食材は概して、アミノ酸のバランスがよく一品目でも9種類の必須アミノ酸が揃っているのに対し、植物性食材のたんぱく質はアミノ酸のバランスが悪いということです。植物性食材には、一品目で9種類の必須アミノ酸が揃う食材はひとつもない。しかし複数の植物性食材を組み合わせて食べることで9種類全て充足させることが可能です。
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専門知識[アミノ酸スコア]
http://www.spitz8823.com/diet/senmontisiki6.htm
腎臓病:タンパク制限のある人の食事 - 栄養 - 教えて!goo
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7657521.html
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http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7657147.html

ここまでは栄養の話。ここからは江戸時代の話。

江戸時代には食品の流通機構も冷蔵庫も何もありません。だから保存加工技術が発達したわけです。流通機構が無いだけに全国同じものを食べていたわけではありません。地域によって極端に食文化が異なるのです。まず、そういう基礎知識を確認しておきたい。比較的新鮮なものを食べることができたのは江戸だけでした。だから江戸前寿司が開発可能だった訳です。寿司だけでも地域の食文化の違いが想像できると思います。

猟師は食べる為に猟をしていたわけではありません。村の田畑を獣の被害から守る為に猟をしていたのです。もちろん獲物は食べますよ、そりゃ。飢饉の時は犬だって食べるぐらいですから。たんぱく質とか関係なく腹が空くから食べるのです。動物性たんぱく質というならスズメの唐揚げ、バッタ、イナゴ、タニシ、ドジョウの佃煮だって動物性ですわな。江戸時代の農業は農薬を使ってないから、何でも食べられる訳です。要は食べられるものは食べられる時に食べておかないと生きていけないってだけです。不作だろうと凶作だろうと関係なく、毎年同じ量の年貢を納めにゃならんのですから。
農民が穀物中心という味方が偏見なのです。じゃ将軍は米を食べなかったのか。とんでもない。将軍だって穀物中心です。武士が米を食べている時、農民は玄米、雑穀、大根飯を食べていたってだけの違いです。カロリーが足りないから何でも食べる。肉体労働なんだから消費カロリーが多い。
穀類、豆類、魚類、魚介類、海藻類、木の実類、キノコ類、芋類、野菜類、果物類。とにかく、その地域で入手できる食物はなんでも食べるというだけのことなんです。

日本人は天武天皇の肉食禁止令以来1000年間肉は食べられなかった。それは建前に過ぎなかったけど、すくなくとも牧畜はしていないし、肉の加工食品も無かった。

西洋ではビーフジャーキー、コンビーフ、ハム、ソーセージなどの保存性加工食品が開発されたけど、日本には何もない。要するに日本では肉は日常的な食べ物では無かったということです。たまに食べられるチャンスが生まれると、わーと群がってみんなで食べきってしまったということになります。ぼやぼやしていたら腐って食べられなくなってしまう。有ったとしたら鯨の燻製ぐらいでしょうが、これは日本人は魚だと思っていたので、おおっぴらに食べることができたわけです。

繰り返しますが、江戸時代は地域によって大きな食文化の違いがありました。ある地域で食べられていたとしても、それが全国的に普通だったわけじゃないことだけは理解してください。(了)

笑止千万、無知蒙昧の極み。
そもそも動物性たんぱく質という概念は幻想の産物です。動物性たんぱく質だの植物性たんぱく質だのと2種類のたんぱく質があるわけではない。人間の体にとって重要なのは9種類の必須アミノ酸がそれぞれ必要な量を摂取しているかどうかだけです。動物性たんぱく質も植物性たんぱく質もどちらも最終的にアミノ酸に分解されてしまうのです。9種類の必須アミノ酸が摂れていれば、動物性でも植物性でも何でもいいのです。
ただし動物性食材と植物性食材はたんぱく質に関して品質の傾向が異...続きを読む

Qなぜ、日本人は小さいのですか!?

白人や黒人はでかいのに、なぜ、日本人は小さいのですか!?

身長の話です。

Aベストアンサー

>日本人は小さいのですか!?

家の天井が低いからです。

生物はその環境に合わせたサイズまで成長します。

天井が4メーターもある館で代々育つ欧米の貴族は男性の場合で、身長が1.9メートルになります。

「白人や黒人がでかい」というのはイメージに惑わされているだけで、事実は白人、黒人ともに平均すればデカくはありません。
白人や黒人など皮膚の色を問わず、環境が身長を決定します。

Q何故、江戸時代の農民達(庶民)は、魚をほとんど食べられなかったんですか?

何故、江戸時代の農民達(庶民)は、魚をほとんど食べられなかったんですか?

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月に1-4回ぐらいだったらしい?魚食べられるの。

基本、玄米、つけもの、豆腐、味噌汁、(納豆?)だったらしい?


今みたいに、エンジンとガソリンある、漁船がなかったからですか?

また、日本以外の中国やヨーロッパやインドなどでも、魚は貴重だったんですか?

Aベストアンサー

海や川、池、湖に近い農民は食べていましたよ

漁師も居たし、海や川、池、湖で魚が取れました

それらから離れた場所に住む人は、新鮮な魚は食べられなかったです、冷凍技術がありませんでしたから

だから、焼く、干物にする、塩や味噌や粕で漬けた魚を食べていました

Q昔のヨーロッパ人の身長

このカテゴリーの質問でいいのかどうか。
17世紀、18世紀頃のヨーロッパ人は、今から比べるとずっと身長が低かったようですね。
マリーアントワネットは何と150センチもなかったとか、モーツァルトも150センチ台、ベートーベンは高い方で160センチ台だったそうです。あるインターネットに、そんな情報が載っていました。
歴史上の人物は、つい立派な肖像画などを見て、自分勝手に想像してしまいがちでしょうが、今のヨーロッパ人と比べるとあまりにも低身長ではありませんか?
2,3世紀の間にそんなにヨーロッパ人は大きくなったのですか?
もっとも、日本人でも明治の頃は成人で150センチ台、今は170センチ程度の差があることぐらいはわかります。
でも、ドイツあたりを旅行しますと、雲を突く大男ばかりです。
とても、200年前、モーツァルトがウイーンの町をちょこちょこ歩いていたように思えないのですが。
情報の間違いでしょうか?

Aベストアンサー

 こんにちは。

 まんざら情報の間違いともいえないと思います。
 こんなことが考えられるからです。
 欧州の国々が殖民地を持つようになって、いままで自国(あるいは欧州内で)で自給していた食糧を、殖民地からも調達できるようになり、食材が増え、量も増えた結果、欧州人の体格がよくなった、と。
 もちろん殖民地の人々は、食料を搾取され、産業も自国のためではないような構造になってしまうため、貧困のスパイラルに陥ります。

 第2次大戦後、多くの殖民地が独立しますが、いまだに「20人は栄養がじゅうぶんではなく/1人は死にそうなほどです/でも15人は太り過ぎです」(『世界がもし100人の村だったら』より)という現状なのは、上記のような歴史的事情が大きいと思います。

 また、大雑把ないい方ですが、北の方は体格が大きく、南は小さい(もちろん南半球は逆)、純血は大きく、混血は小さい、蛋白源が動物性中心なのは大きく、植物性中心なのは小さい、と聞いたことがあります。

 余談ですが、革命前のフランスは、強い中央集権国家で、統制が厳しく、個々人の情報がよく残っていて、身長・体重・容姿の記録まであると聞いたことがあります。それをもとにこんな研究があります。
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 ご参考になれば。

 こんにちは。

 まんざら情報の間違いともいえないと思います。
 こんなことが考えられるからです。
 欧州の国々が殖民地を持つようになって、いままで自国(あるいは欧州内で)で自給していた食糧を、殖民地からも調達できるようになり、食材が増え、量も増えた結果、欧州人の体格がよくなった、と。
 もちろん殖民地の人々は、食料を搾取され、産業も自国のためではないような構造になってしまうため、貧困のスパイラルに陥ります。

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Q江戸時代の女性に対して、”太っている”と言うことは、どうだったのでしょうか?

現代の女性に対して、”太っている”と言うことは侮辱になります。
ところで、江戸時代の女性に対しては、どうだったのでしょうか?

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町民の体型では、ほとんどの女性に該当する、スマートタイプが、うけたでしょう。
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ただ、そういう賛美の対象は、もちろん、
生活環境によって違います。
農村では、重いものでも持て、子供をたくさん産めそうな、
がっしり、元気な女性が求められたでしょうし、
裕福な町人、大名クラスの家では、
色白でぽっちゃりした子が、美人だったと思います。
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3.高校球児達の発言を聞くと空々しく聞こえるのはなぜなのか?
4.もっともスポーツマンシップから縁遠いスポーツに思えるのは私だけなのか?
5.みんな暇人なのか?
6.ひいきの高校が勝った時のビールはやっぱり一味違うのか?

以上です。

甲子園へ行き高校野球の試合を同僚たちと見に行ったとき事なのですが、ビール片手に青筋立てながらどらり散らしている彼らを見て正直引いてしまいました。こんな私には甲子園を好きになるのは無理でしょうか?

毎年、春と夏にはこの疑問が沸いてきます。会社では昼休みやその他の休憩時間になると話題は甲子園一色です。どこそこの高校が今年は優勝候補だとか、注目選手
は誰それとか移動中の車内でも同僚達は甲子園かパチンコの話題しかしません。日本中甲子園一色です。中継もNHKと民放一局の2局体制だし。飲食店でもかならず甲子園です。こんな状態の中で甲子園には何の興味も抱くことができない私はこの季節になると同僚たちから変人扱いされ浮いた存在になります。こんな私が甲子園を好きになれる方法はないでし...続きを読む

Aベストアンサー

 私も、今朝の開会式を見てdekirumonさんのような気持ちになって、質問を立ち上げようかな?と思っていたところだったのです。
 日本人、野球好きやしねえ、もしかしてサッカーが日本に先に入ってきていたら、今ごろ夏の熱闘高校サッカーだったのかもね?←私はこれを聞こうと思っていました。
 
 私は何よりも周囲の大人たち、報道が盛り上げすぎなところが苦手です、感動とか、熱闘とか、高校の部活やん?要するに。
 高校で部活がんばっていたのに、野球部以外は注目してもらえなかったから、はっきり言って逆恨みしています、こちとら優勝しても、新聞の端っこにちょこっと載るだけだもんね。

 そして、毎日登下校時にすれ違いざまに「ぶーす」等と言ってきた奴らが、さわやか好青年のように扱われている事が我慢なりませんね、節穴です、大憤慨です!!
 知ってますよ、もう代が変わって、私に真実を告げた奴らは、その高校にいないことくらい、だけど未だにその高校が甲子園に出場するたびに、忌々しくってたまりません。
 今年も出てますよ…。

 しかも、私はブラスバンドにいたおかげで、その高校の応援の応援に駆り出されちゃったし、何の因果でって感じですよ、まったく。

 私は素直じゃないので、皆が浮かれている(ように見える)からそっぽを向いてしまうのかも、一生懸命にやってる人たちを見るのって、悪い気持ちは無いです、私もがんばろうって思わされたりね。
 けど、高校野球はもてはやしすぎに思える。

あと、もう一つ、高校が甲子園の近くにあったので、毎年毎年、道いっぱいに広がって歩かれて、邪魔で邪魔でしょうがなかったぜ。

 何で嫌いか、というよりも、私の度量の狭さを披露してしまった気がします…。でもまあ、こういうことです。

PS.開会式の「栄冠は君に輝く」だけは好き、聞くと目が潤みます。

 私も、今朝の開会式を見てdekirumonさんのような気持ちになって、質問を立ち上げようかな?と思っていたところだったのです。
 日本人、野球好きやしねえ、もしかしてサッカーが日本に先に入ってきていたら、今ごろ夏の熱闘高校サッカーだったのかもね?←私はこれを聞こうと思っていました。
 
 私は何よりも周囲の大人たち、報道が盛り上げすぎなところが苦手です、感動とか、熱闘とか、高校の部活やん?要するに。
 高校で部活がんばっていたのに、野球部以外は注目してもらえなかったから、はっきり...続きを読む

Q人は肉食動物?草食動物?雑食動物?どーれだ????

  さて、どれだとお思いでしょうか、、、、、
  私、雑食動物ですけど。肉が悪いなんてかいてある健康雑誌もあるし、、なにが本当なんだか、、、信じられるのは自分の本能だけ?!

Aベストアンサー

 
人は、咀嚼のための歯の構造からいうと、門歯・犬歯・臼歯を持っており、門歯と犬歯は肉食に使うもので、門歯・臼歯は草食に使うものです(門歯は両方に使えます。すりつぶすだけの草ではなく、果実や穀類も草食で、これらは、噛み切る門歯がいります)。

また、唾液と混じって出てくる口のなかの消化液は、澱粉を消化するためのもので、肉食だと、澱粉の分解は必要がないので、人は、草食だと言えます。小腸の長さは、日本人などはかなり長いですが、肉食の多い、欧米人は割りと短いです。

これは草食の食物は消化に長い時間がかかるからです。人はセルロースを消化できませんが、セルロースを消化するには、長い腸と、長い時間の消化が必要で、牛などは、複数回咀嚼しています。肉食動物の消化器は、あまり長くなく、肉の消化は速いです。

消化器系から見ると、人は草食動物のようです。

しかし、「草食動物」「肉食動物」という言い方が、かなり限定された表現なのだということを考えないといけません。純粋の草食動物や肉食動物は、ごく少数のはずです。環境が変っても、草しか食べられない、肉しか食べられない動物というのは珍しいということです。

「食肉目」という動物の分類がありますが、ここに入る動物は、犬歯などが特徴である猫や犬や狸ですが、犬は、肉しか食べられないのではありません。

草ばかり食べているような牛も、牛骨粉を食べさせられていたのであり、牛骨粉を食べていた牛は成長が早く、肉付きも良かったという話もあります。

大部分の動物は雑食性で、肉食動物、草食動物というのは、何かの事情で、特化した動物だとも言えます。非常に少数の草食専門の動物と肉食専門の動物がいて、他の大部分の動物は、環境に応じて、どちらでも食べられる、雑食性です。

人は典型的に雑食性で、「雑食動物」というものがいるとすると、それは人でしょう。文化の影響かも知れませんが、人ほど色々なものを食べる動物は他にいないです。

地球上の生物で、毒でなく、食べられるものは、ほとんど人は食べています。膨大な数の昆虫は、さすがにそれほど食べていませんが、蝗や蜂の子などは、珍味のような形で食べています。

「飽食動物」というのは、餓死している人が大勢いる状況で、そうは言えませんが、「貪食動物」かも知れません。地球上の山も海も、草原もジャングルも、そこいら中の生物を片端から貪欲に食べ尽くしているのが人でしょう。

環境に応じて、昔のイヌイットやアリュート(エスキモーが通称です。エスキモーは、北米インディアンが「生肉を食う者」という意味で名づけた名で、イヌイットはイヌイット語で「人」を意味するイヌイットと自分たちを呼んでいます。アリュートはアリュート語を使うエスキモーです)は、肉だけを食べていましたが、植物から得られるヴィタミンは、調理した肉にはないのですが、生肉には含まれているので、彼らは生肉を食べていたのです。

江戸時代の貧農は、雑穀と野菜を食べていたように思えますが、魚などもあったのでしょうし、タニシや蜆なども食べていたのでしょう。しかし、肉は魚肉の形でも,相当少なかったはずです。ヴェジタリアンは肉を食べないのですが、それで死んだという話は聞きません。

色々考えてみると,人は「ウルトラ雑食動物」で、純粋な唯一の「雑食動物」でしょう。その他大部分の動物は、「雑食性動物」ということになります。
 
>カナダの民族(2)/イヌイット
>http://www.canadiannetwork.co.jp/Canada_info/Inuit.html
 

参考URL:http://www.canadiannetwork.co.jp/Canada_info/Inuit.html

 
人は、咀嚼のための歯の構造からいうと、門歯・犬歯・臼歯を持っており、門歯と犬歯は肉食に使うもので、門歯・臼歯は草食に使うものです(門歯は両方に使えます。すりつぶすだけの草ではなく、果実や穀類も草食で、これらは、噛み切る門歯がいります)。

また、唾液と混じって出てくる口のなかの消化液は、澱粉を消化するためのもので、肉食だと、澱粉の分解は必要がないので、人は、草食だと言えます。小腸の長さは、日本人などはかなり長いですが、肉食の多い、欧米人は割りと短いです。

これは草食...続きを読む

Q「裸の王様」という比喩

 飲み会の席などで、よく「あそこのボスは、裸の王様だよね~」という例えを聞くことがあります。

 が、その意味合いは、人や場合によってまちまちの様な気がするのです。具体的には、

(1)自分は「それは違うのではないか?」という疑問を持ってはいるが、周囲が自分と相反する意見を主張すると、リーダーのくせに何も発言することなく「そういうものか。それでは自分が間違えているのだろう」とあっさり引き下がる人

(2)自分では何も見聞していないのに人の言うことを全て鵜呑みにする、判断力に欠けたリーダー

(3)自分にとって都合の良いことを言ってくれる連中だけを周りにおき、都合の悪い話には聞く耳を持たない人

(4)本当は威厳も権威も既に失墜しているのではあるが、他人にそのことを指摘されてもなお、威厳や権威があることを見せつけようとする人

 といったところです。

 「裸の王様」のストーリーからすれば、確かにどれも正しいような気がするのですが、本来はどのような意味合いで使用すべき比喩なのでしょうか? ご存じの方、ご教示下さい。
 なお、辞書は一応調べてみたのですが、掲載されていないようでした。

 飲み会の席などで、よく「あそこのボスは、裸の王様だよね~」という例えを聞くことがあります。

 が、その意味合いは、人や場合によってまちまちの様な気がするのです。具体的には、

(1)自分は「それは違うのではないか?」という疑問を持ってはいるが、周囲が自分と相反する意見を主張すると、リーダーのくせに何も発言することなく「そういうものか。それでは自分が間違えているのだろう」とあっさり引き下がる人

(2)自分では何も見聞していないのに人の言うことを全て鵜呑みにする、判断力...続きを読む

Aベストアンサー

No1です。
辞書をいくつかひっくり返してみました。
で、三省堂の新明解国語辞典(第5版)で、裸の王様の語句説明を発見しましたので、紹介しておきます。

[目に見えない服を着せられているのに気づかず、子供から「裸の王様」と言われてはじめて自分のほんとうの姿に気づくという、アンデルセンの童話から]いいことだけを知らされていて本当のことを知らないでいる人のたとえ。「有権者は裸の王様であってはならない」

という説明がありました。
ご報告いたします。

Qなぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのか?

題の通りなんですが、なぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのでしょうか?

植民地支配されてもおかしくない状況であったのに欧米が進出してこなかったのにはどんな理由があるのでしょうか?

どんな意見でもかまいませんので回答していただけると光栄です。

Aベストアンサー

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかしかった。
仏教、神道がの生活の隅々まで行きわたる一方、当時の日本人は宗教の”まやかし”の部分もちゃんと理解していた。

当時、日本の文明のレベル(特に底辺のレベル)が高く、西欧文明を日本流に取り入れることに成功した。
実は、他の植民地となった国々はこれが出来ず、欧米人の思うようにコントロールされてしまっている。
例えば、日本人はヨーロッパ人以上の識字率を誇っていた。
一部のインテリが欧米を見て知識を得ると、すぐに翻訳したり本を書いたりして、
それを印刷(江戸時代からの木版印刷、貸本屋のインフラがあった)し、あっという間に全国民に広めた。
寺子屋の伝統があったので国民皆教育の立ち上げも早かった。
市場経済のインフラもすでにあったので、欧米の商人と対等に渡りあえた。

明治維新が驚異的に早く終結した。
たいていの国々は封建制→中央集権制の変換に100年はかかり、
この間に国土は荒れ、富も消耗し、人材は消失し、国民の間に憎悪だけが蓄積する。
この間に先進国にいろいろな利権を奪われる。
これが最小限で済んでしまった。
また、幕府側も新政府側もそのことを熟知しており、さっさと手締めした。

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかし...続きを読む


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