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江戸時代にはたくさんあったと思われる大判・小判はどこへ行ったのですか?

A 回答 (4件)

#2の方のような要因も確かにありますが、別の要因も大きいです。



日本は江戸末期に開国しました。
そのときのレートは、
銀貨一枚=一朱
金貨一枚=一両
というレートでした。
また金貨一枚≒銀貨十一枚、金一両≒4朱でした。

あれ?と思いますよね。
外国から来る前に金貨を銀貨に変える→日本で銀貨を金に換える→国外で金を銀貨に換える
ということで、誰でも大もうけです。
実際、このために日本は大インフレに見舞われてしまいます。経済学的にいえば、貨幣供給量が減ったためにインフレになったのです。

したがって、大判小判は海外に流れた、これが正解の一つです。
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この回答へのお礼

も不平等条約の中の一つなのでしょうか。?
日本の金はそのようにして持ち出されたのですか。ひどいな~。
これも討幕運動の要素の中の一つだったんですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2006/05/03 13:15

>不平等条約の中の一つなのでしょうか。


どちらかといえば、あきらかな幕府の失策です。ただ、ハリス総領事が圧力をかけたのは間違いありません。
当時日本国内の金の価値は諸外国の1/3~1/5程度でした(つまり国内においては銀の価値が高かったとも見れます)。これを考慮に入れずに「向こうの金の価値」で交換を認めたのです。
もともと最初のレートでは、(諸外国と同じレートならば)諸外国の3倍ほど幕府が有利だったのです。
一分銀1枚と1ドル銀貨1枚ですから。
その後
一分金3枚と1ドル銀貨となります。諸外国ならば平等交換なのですが・・・
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この回答へのお礼

相手国の交換レートを知らなかったのですか。
なんとも間の抜けたことだ。

ご丁寧に再度の投稿ありがとうございました!

お礼日時:2006/05/09 11:52

良貨は悪貨を駆逐する。


悪貨は良貨を駆逐する。
両方言います。

慶長小判は江戸初期の小判で、金の含有量は7割以上の良貨だったようです。

その後、改鋳により、小型、金の含有量をどんどん減らして行きます。

もちろん、新しい小判に変える場合、古い小判は回収される訳なのですが、
慶長小判は、タンスの中に隠されました。

幕府は、慶長小判を2枚回収し、新しい小判を3枚作ろうとしました。
しかし、実際には、思うように回収出来ませんでした。

>江戸時代にはたくさんあったと思われる大判・小判はどこへ行ったのですか?

回収され、新しい小判にされちゃったの。><

その結果、慶長小判の値段は他の小判よりも安い価格で取引されます。(量が多い)

他の小判は、価値が無いので回収されました。

今残っていて高値で取引されているのは、
タンスの中に隠してあった小判が流通しているのです。

その結果、
現存する小判の量は少ないのです。
(悪い小判程数が少ないので高価。^_^;)
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この回答へのお礼

慶長小判は7割以上が金ってすごいですね。
質が悪くなるんだったら誰だって隠しますよね。
本来価値が高いはずの物が低いなんて、矛盾してるけど、
そのような歴史的背景があったのですか。
納得です。ありがとうございました!

お礼日時:2006/05/03 13:11

溶かされて、別のものに流用されたんじゃないですかね?


太平洋戦争中には、オリンピックのメダルさえ取り上げられて、武器(?)になったくらいですから。
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この回答へのお礼

せっかく努力して勝ち取ったメダルも没収なんて、
ひどいな~。
ありがとうございました!

お礼日時:2006/05/03 13:07

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