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世の中には当たり前の自由ってものが沢山あります。
空気を吸うのは自由であり、水を飲むのは自由であり、寝るのは自由であり、首を回すのは自由であり、・・・などなど。
それを一々、空気を吸う自由、水を飲む自由、寝る自由、首を回す自由などとは言わないものである。
日本国憲法二〇条 信教の自由もこれと同類であって、ほんらい人は何を考えようと何を思おうと何を信じようと勝手なのである。
それをわざわざ信教の自由などと格別なもののように扱おうとするから、これを盾にカルト集団が出てきて世の中を荒らすのです。
だから今どき信教の自由を訴えるのは怪しい行為、ある種の危険信号と見なし警戒すべきことではないでしょうか?
 

 

 

A 回答 (22件中11~20件)

専門家じゃないので良く分かりませんが、個人的にはろくな憲法では無いと思います。



それで面白い事は、「日本国憲法によって、わが国は信仰の自由が保持されている!」と憲法を強調して叫ぶ人に限って、「政治家が靖国に行くのは反対だ!」と公然と憲法違反を主張する。
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utayomi_2011様、こんばんは。




空気を吸ったり、水を飲んだり、寝たり、ですが、
まあ、寝るのは、例外的な場合を除いて、まだ大丈夫なようですが、

空気や水は、残念ながら「あたりめぇ!」では無いものに、なってしまったようです。


「信教の自由」が、そこまで「あたりめぇ!」になってるとしても、
また、他にも、「住所の自由」とか「職業選択の自由」とか、
「財産の自由」とか「言論・出版の自由」とか、「契約自由の原則」とか、
「あたりめぇ!」になってて、何を今更というのが、ありますが、

あー、そうか、あれか「不断の努力」とかが言いたいのか、

でも、
「カルト集団が出るから、信教の自由を認めるな」は、本末転倒です。
誰かさんがお得意の宇宙論とか、仏教論も認められなくなってしまいますよ。
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この回答へのお礼

 
>「カルト集団が出るから、信教の自由を認めるな」は、本末転倒です。

「信教の自由を認めるな」ではなく、信教の自由を語る必要はないってこと。
わざわざ日本国憲法二〇条を設けて信教の自由を保障するなどの必要はないってことです。
 

お礼日時:2014/06/12 22:03

だべwww



やれるかどうかなんて関係ない、やってるかどうか。
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昔じゃなく今の話をしたんだけど?www

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この回答へのお礼

 
何をゆーておる、今だってやれるだべ。

 

お礼日時:2014/06/12 18:41

 信教の自由は保障されるが、信じた事はなんでもやってOKではないですよね。

法律の制限内で、信じた事はなんでもやって良いが、通常の解釈でしょう。そうでなければ、たんなる確信犯と変わらない。

 でも、ちょっと例をあげますか。

 (1)インドではつい先日、一族の宗教教義に反して恋愛結婚を望み、妊娠した娘が、一族郎党によってたかって殴り殺された。それも裁判所の前で。殺した方の言い分は、名誉の問題だった。

 (2)女性の教育権利を訴えたパキスタンのマララさんは、それを宗教教義として許さないタリバンに狙撃され、生死の淵をさ迷った。現在は、亡命状態。

 (3)女性の教育は教義に反するという事で、学校から女生徒を丸ごと拉致し、奴隷として売り飛ばすといった、某組織の事も記憶に新しい。

 (4)スーダンでは国教で異教徒(キリスト教徒)と結婚してはならない(今日知って、びっくりした)。ところが生まれた時からキリスト教徒として育ったとある女性は、当然キリスト教徒と結婚し、キリスト教徒としての結婚証明書まで役所から取ったにも関わらず、死刑を宣告された。妊娠中だった彼女は刑務所で出産し、出産中も戒めのための足枷を付けていたそうだ。

 (5)シリア、イラクでは、某教国を建設するために、ISIS武装集団が全土を占領しようとしている。


 つい最近の国際ニュースを見ただけで、このありさまだ。日本がいますぐ、(1)~(5)のようになってしまうとは思わないが、やっぱり憲法に明記しておかないと危険だと思いませんか?。未来への保険だと思ってもいい。 
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この回答へのお礼

>やっぱり憲法に明記しておかないと危険だと思いませんか?

思いませんね。
知っての通り、信教の自由はカルトの横暴を招くってことはこの日本では最近歴史的事実として証明された訳である。
だからそんな悪い自由はさっさと消したほうが世のため人のためではないのかい。
 

お礼日時:2014/06/12 18:44

水を飲む自由なんてありません。



お金を払うから飲めるのです。
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この回答へのお礼

 
んなことはない。
そこにバケツを置いとけば勝手に雨が降って水が溜まるからそれを飲めばえーんでないのかい。
昔は皆そーやってた。
水は空から降ってくる、金はいらん。
 
 

お礼日時:2014/06/12 18:21

憲法とか権利というのは、学者が机上で考えた


ものではありません。

歴史によって造られて来たものです。

憲法に規定されている権利は、歴史上問題になった
権利を保障しているのです。

空気を吸う権利は、歴史上問題になったことは
ありません。

これに対して、信教の自由は歴史上問題になって
きました。

歴史を勉強しないで、机上だけで考えるから
そういう考えになってしまうのです。
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この回答へのお礼

 
知っての通り、信教の自由はカルトの横暴を招くってことは歴史的に証明された訳である。
だからそんな悪い自由はさっさと消したほうが世のため人のためではないのかい。
 

お礼日時:2014/06/12 18:37

信教の自由は、


「国家や組織などから、個人の信教の自由を守ろう」というものです。

例えば、
○党が単独過半数で政権をとり、●大聖人の教えを国教に制定し、「これ以外の教えを信じてはいけない。信じた奴は火あぶりにしてしまう」というようなことを防止するために設けられているんですよ。
そして、カルト集団などから個人の信教の自由を守るためのものです。

日本国憲法には
「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」
と書いてあります。

わたしは法律の専門家でないのでよく分かりませんが、
「この条文は、国家やその機関に関する禁止条項であって、宗教団体にはあてはまらない」
とする憲法解釈もあるのかもしれませんけれど、
カルト集団などは、その教えに基づき精神的脅迫などを行って、儀式への強制をしますので、もっと広く考えるべきなんでしょう。


☆これを盾にカルト集団が出てきて世の中を荒らすのです。
◇信教の自由は、個人を守るもので、宗教集団を守るものではありません。
信教の自由を隠れ蓑して、何かよからぬことをやろうとしているに違いありません。


☆だから今どき信教の自由を訴えるのは怪しい行為、ある種の危険信号と見なし警戒すべきことではないでしょうか?
◇宗教団体やカルト組織がこれを強く訴える場合は。
宗教団体やカルト組織が、その信者を道具として使い、これを叫ばせている場合も同様だと思います。



ではでは。
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この回答へのお礼

 
当たり前のことだと思って軽く言ったつもりが、思わぬところで災いをもたらすってゆう、それが信教の自由なんだよね。

お礼日時:2014/06/12 16:28

>当たり前の自由ってものが沢山あります。



当たり前と感じられるなら、それは錯覚ですね。過去何度もあったように、為政者が自分の都合の悪い者を、殺してもよい、とされるなら、空気を吸う自由、水を飲む自由、寝る自由、首を回す自由など、すべて侵害されるのですよ。

殺人でなくても、汚染等で環境が悪化すれば、空気を吸う自由、水を飲む自由も侵害されていきます。

拷問を許せば、寝る自由、首を回す自由も侵害されていくのですよ。

あらゆる自由は貴重なものであって、人類の普段の努力によって勝ちとってきたものなのです。今後も、さらにより広い自由を獲得していくでしょう。自由は人間の進歩の指標の一つでしょう。だから、自由はいくら強調しても、強調しすぎることはないのです。

自由をないがしろにしたり、粗末に扱うこと自体が、犯罪予備と考えれます。

(引っ掛けられますか、、、て感じですが)
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この回答へのお礼

 
軽く言ったつもりが、思わぬところで災いをもたらすってゆう、それが信教の自由ってこと。
 

 

お礼日時:2014/06/12 16:25

●その信仰に基づくあらゆる形の活動も自由であり、保障されることになる。


○日本国憲法第20条はそんな風に解釈は出来ませんし、オウム真理教事件をみれば質問者の考えは杞憂にすぎないことがわかるはずです。
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この回答へのお礼

 
>○日本国憲法第20条はそんな風に解釈は出来ませんし、・・・

そんな風に解釈することは十分に可能ですよ。
オウム真理教だってそんな風に解釈した訳だし。
世の宗教団体は皆そう解釈しているはずですよ。
 

お礼日時:2014/06/12 16:38

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