プロが教えるわが家の防犯対策術!

「1+1=2」は、人間の主観が作り出した事実でしょうか。それとも普遍の真実なのでしょうか。
質問の意味が分からないということであれば、すみませんが、おっしゃってください。ほんの思いつきからの質問です。

A 回答 (13件中1~10件)

真実と言えば真実ではあると思います。



たとえば、りんご1個+私=私(りんごは腹の中)とか
男1人+女1人=男と女と子供(合計で3~15ぐらい)
とか、実際はありますよね。

つまり、「条件付きで部分的に採用できる法則性を表してる」のが
「1+1=2」であり、まずは基本から理解しましょうと言うことで
基礎の基礎を学校で学ぶことだと思います。

使い方は、必要に応じて採用する。
仕事でも買い物でも、娯楽や趣味でも限定無しで使えるもの。
使う方の使い方次第で、人生を豊かにできる。

そんな原理の出発点が「1+1=2」でもあるかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/14 13:10

そのような真実を、アプリオリと言います。


カントの哲学で数学のことが出てきます。
アプリオリとは哲学の専門用語です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ア・プリオリというやつですね。
カントさんとともに参考にさせていただきます。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/29 09:24

基本的に「1+1=2」というのは、我々の生活レベルの


時間・空間・エネルギーにおける近似値に過ぎない事は、
明らかとなっている(一般常識が置き去りにされている)。
1+1=2ではない可能性を含む多様な数学が導かれており、
また現実が「1+1=2」=ユークリッド幾何空間であり得る
のは、物体が存在しない場合のみである事も証明されて
いる。

そのユークリッド幾何空間の1つである我々の目にする
“どこまでも続く3本の直線が直交する3次元空間”=O3が、
物質的根源を成す超弦のリー群例外群E8×E8の26次元
からの階層現象表面化によって得られるプロセスにおいて、
超重力理論の11次元や相対性理論の4次元(虚数軸を
含むミンコフスキー空間)など、多様な位相空間を近似と
して包含している。
そうした負や虚数も含む多様性をひっくるめて平均化した
もの(無へと還元したもの)が、「1+1=2」だと言えるかも
知れません。
いわば「直線」・・・・最も基本的にして、この世界には無い。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

数学はずっと20-30点辺りだったし、僕には少し難しい話でした(*ToT)
ただ、数学にも興味深いと感じる時があったので、また少し研究してみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/29 09:27

皆さんは難しい事をおっしゃているようですが、物質の有り方を考えたらよいのではないでしょうか。

圧縮性流体と非圧縮性流体つまり空気と水のようなものです、非圧縮性の物は1+1=2ですが、圧縮性の物は1+1=2にはならないことは容易に理解できると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

すみませんが、理科は苦手で。。。
また、興味が湧けば、この視点から少し研究してみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/29 09:28

>「1+1=2」は、人間の主観が作り出した事実でしょうか。

それとも普遍の真実なのでしょうか。

○これは人間の主観が作り出したルール(事実)の一つです。
3進法以上の場合、このルールが適用され、2進法だと1+1=10 になります。でもこれも単なるルールですからどうとでもなるのですね。 例えば、2進法は手の数の和が指の数の和になっていますが、指が6本なら「1+1=12」としてルールを作ってもよいのですね。
ということで明らかに普遍のルールではありません。
足し算の普遍のルールとはその答えがゼロから無限大までをとることです。これが人間に対する普遍のルールです。例えば、男女が結婚して子供を儲けると数としては3以上になりますし、2人で起こした企業が大成功して従業員数10万人以上の大企業になったりもしますから、算数のルールとは違うということですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

二進法とか、オリエントの歴史で出てきたので覚えています。
またいろいろ調べてみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/29 09:30

数学は規則の体系だから、1+1が2なのはその規則の体系からいって正しいので、人間の主観とは独立です。


ユークリッド原論を読んだことがある?
そこに点だとか線だとか、いろいろ定義されています。
数学はそのいろいろな定義と公理の集積で、数学の正しさはその数学の規則・定義の体系に由来します。
だから、主観が入ってくる余地がない。
人間がいたって、いなくたって1+1=2です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

人間の存在の有無に関わらず、数学の法則は絶対の真理だとお考えなのですね。
またいろいろ考えてみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/29 09:41

普遍的なことに人間が気がついて記号化したのではないでしょうか。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

やはり普遍なのでしょうか。
だとしたら、唯一の普遍的真理でしょうか。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/29 09:44

これ結構難しいんですよね。


つまりは1+1=2の証明問題とも言えます。

個人的に哲学カテゴリーよりも数学カテゴリーの方がいい気がします…が、みんな難しく答えてくるから哲学でもいいのかな?(笑)

私も数学専攻ではないので間違っているかもしれませんが、すごーく簡単に説明してみます。
すごーく簡単にしたつもりなので、多少説明の省略があり、言葉と理論の使い方などは必ずしも適切ではありませんのでご了承ください。




「ペアノの公理」によって「自然数」というものが表されています。
公理とは、その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定です。(wikipediaより)
つまり仮定なので、正しいかどうかは証明されていないんです。

その仮定に基づいて、「1の次の自然数が存在します」。
それは「2」です。

…と言えるわけです。

仮定の上に成り立っているので普遍の事実とは言い難いですね。
かといって人間の主観が作り出した事実という言葉が適切かは分かりませんが、まあ基本的にはそうかなと思います。


あと、見方を変えるならば二進法表記だとして
1+1=10
とも言えます。
まあこれはちょっとせこいですけどね。
でもこうなってくると、やっぱり普遍の事実でもないとも言えるかもしれませんね。


つまり、結論としましては「人間の主観が作り出した事実」といった方が意味は近いですが、「事実」かどうかは証明できていないので分かりません、といったところでしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やはり真理の世界に辿り着くには一筋縄では行かないようですね。
証明は数学の中でも実学的要素が強いと思っていたので、割りと好きでした。
数学は苦手なのですが、やはり学問はつながっていると思いますし、なるべく数学的な視点も大事にするようにしたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/29 09:48

正解を知って(理解して)いる訳では在りません、念の為・・・。




数学者の話を聞き齧っただけなのですが、別に「1+1=2」で無くとも、成立はするらしいです。

但し、非常に理論(計算)が複雑化してしまうとの事。

つまり、現在の「1+1=2」はより、シンプルに実用に即した形を取っているだけだと言う事らしいです。


面白いのが「虚数」でこの数字は実在が出来ないと言う意味で名付けられていますが、実際には此れが在る事で四則演算が簡便に行える様になっています。

また、「0」での割り算等は、現代数学の定義では不可能となっているのも、あくまで、「今の約束事(定義)の範囲では無理」と言う意味だそうです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

数学が苦手で、よく分からなかったのですが、興味深い回答でした。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/29 09:50

1+1=2と言うのは、人間が考えた、あるいは定義した、数の法則性、つまり、数学です。


1個のリンゴと同じようなもう一個のリンゴを+すると2個のリンゴと=になる。
本当でしょうか。一個のリンゴともう一個のリンゴが全く同じであることは、厳密には、あり得ません。
墓石、や縁石、に使う大理石などは、見た目や体積が同じでも、産地が違うのか、重さは、抱えたり、動かすだけで判る程違うのです。(多分質量は中性子の保存エントロピ-、素糸?の自転量で替わる)
なによりも、リンゴが、かつてに、近づく事はないのです、人力か何かで、動かさなければ、+は出来ないのです。つまり、 リンゴ+リンゴ=2個のリンゴ
 ではなく    (リンゴ+リンゴ)×移動=1単位のリンゴ、あるいは、2個1皿のリンゴ。となるのです。
すべては1(いっ)として存在する。というのは、老子の考え方ですが。
インドの釈迦の釈迦も同じの考え方です。すべては縁によりて起こる、すべて=世界は、縁と起によって構成されている。縁=起、であり。縁×起=世界=1(一定)となります。
老子の 道は道にして常の道にあらず名は名にして常の名にあらず、
 道=道 道×常でない道(道の逆数)=1
老子と仏教を結びつけたのが、玄奘の般若心経の一節
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減
色=空 色×空=一定
晩年のアインシュタインが残した謎の方程式、と言われる。
空間×時間=世界=係数×エネルギ=世界=一定
世界の構成要素は、縁と起、道と非道、色と空、時間と空間、と名付けるかであり、考え方は同じなのです。
アインシュタインの場合は。エネルギ-という、若い頃の私の言う「神がいなかったとしても、として起こった、
事象×数学=物理学 が陥った、神、の概念、エネルギ-という言葉を捨てなければ、永遠に謎の方程式
でしょう。

 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やはり何らかの学問や宗教的なことを極めた人には真理に近い何かが見えていたのでしょうか。
興味深い回答をありがとうございました。

お礼日時:2014/06/29 09:54

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!