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主観の内にしかない。

よって 哲学の理論として鍵語としては用い得ない。

という認識ですが そのほか いろいろおしえてください。


ちなみにーー自虐的だと見られたら 申し訳ないのですが――
ヒロシマやフクシマは 天罰だという見方 これが 摂理の問
題にふくまれ得るという理解でもあります。

要するに 原因のーー情況を超えたような大きな原因がーー分
からない出来事については 神の所為にするという見方ではな
いかと。

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    誤解をまねいたということの指摘に BA。

    さらに議論がつづく場合には 別のあらたな質問へどうぞ。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/31 09:10

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A 回答 (19件中1~10件)

ヒロシマ、フクシマが天罰。

摂理。まさに神の視点。疫病神の面目躍如ですね。
摂理とは、あなたの意思。想像を超えた非経験の領域。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

理論などについて説明するため例を出すときには 自分を有利にするよう
な内容は出しにくい。

中立のものがよいが 不利になるような事例を出した。

摂理の例としては 敵が言っている事例を出すことは 議論の上でふつう
のこと。

回答をありがとう。

お礼日時:2016/01/28 07:37

#18です。



>★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆これ
は、「おそらくですが」よりは、それまでの私の記述内容の一部、あるいは全体を指
していると捉えるほうが自然なのは明らかでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《明らか》だというくらいなら その明らかな事態に従って すでに答えていれ
ばよかった。それだけのことでしょう。

どちらとも取れる聞き方じゃないですか、あれは。
質問の意味が不明なのに答えられますか?
ですから、それを確認するために、
#9
★これは、どの箇所を指していますか?
と問いましたよね?
それに対しての返事が、

#9お礼
☆全体と受け取ってください。
☆特には 引用したふたつの問題点をめぐってのやり取りです。
よくわからんので、さらに、

#11
★ですから、どの全体なんですか?
★引用した のは、どの箇所を指していますか?
と問うたはず。それに対して、

#11お礼
☆あとで 間違っていたとなりませんか?
★おそらくですが大丈夫だと思います。
☆ これで理論ですか?
と、#6お礼と同内容を繰り返す形で返してきた。

#12
★何を言っているのか、全く理解できません。
まさか
☆あとで 間違っていたとなりませんか?
★だけで、何か理論を言ってもらえると思ったわけじゃありませんよね?
#12お礼
☆そういう疑問があるとは思いませんでした。
★ おそらく間違いない
☆ という見立てで 理論として提示しますか? という意味の問いです。

ここで、はじめて質問の意図がわかった。
そこで、
#15
★つまり、表現の問題にすぎない、ということ。
★すぎないのに、そちらが(何らかの思惑があるのでしょう)いちゃもんをつけている形になると思います。
と答えた。
つまり、
>その明らかな事態に従って すでに答えて

いたら、とんだ徒労に終わっていたわけですよ。
であるのに、
☆すでに答えていればよかった。それだけのことでしょう。
なんですか?
こうしたことを平然と言うようになっては・・・。
ご自分でどう思われます?

>逃げたというセリフを吐いて さらにイチャモン
をつけてくる。常套の手口が見え見えなのですが

などと、下司の恫喝をしたって無駄ですよ。
品位を疑います。
実に情け無いですなあ・・。
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この回答へのお礼

《質問に回答を寄せる》という趣旨から逸れています。


でも ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/01/30 22:58

#17です。



>もしマチガイだと認定するのなら そちらのほうにも《自明の問いについてちょっとふ
つうでは考えられない疑問をいだいた》というマチガイが現われました。

いやいや、これは違うでしょう。
----------------------------------------------
☆ 《バランスさせている》という認識は得られるが 《どんな法則かは分からない》のですか? 
★ そのとおりです。
☆なぜ《法則》が《自然界を支配している》と分かるのですか?
★バランスさせている力 が働いていないなら、自然界は存在し得ないと考えるのが論理的だ、と私は思うからです。
☆あとで 間違っていたとなりませんか?
★おそらくですが大丈夫だと思います。
☆ これで理論ですか?
----------------------------------------------
この遣り取りにおける最後の
☆これ

は、「おそらくですが」よりは、それまでの私の記述内容の一部、あるいは全体を指していると捉えるほうが自然なのは明らかでしょう。
少なくとも、
(「おそらくですが」を指しているところの)
☆自明の問い

であるなど、あり得ません。

まあ、どうでもいいことですが、
☆もし指摘しないなら・あるいは相手の機嫌をうかがい気持ちに配慮して遠回しに言う
なら それは 相手を劣った人間だと決めつけていることではないか?
という説もありますので、一応ね、触れておきます。
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この回答へのお礼

《一応触れておく》という振る舞いについてなら こちらも同じようにしましょう。

《自明の問い》であるか否かをめぐって 見解の相違が発生した。ただこれだけの
ことでしょう。



もうすでに 見苦しい言いがかりが始まっています。

★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆これ

は、「おそらくですが」よりは、それまでの私の記述内容の一部、あるいは全体を指
していると捉えるほうが自然なのは明らかでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《明らか》だというくらいなら その明らかな事態に従って すでに答えていれ
ばよかった。それだけのことでしょう。

そして この不毛なやり取りに 次にも言いがかりが続いたときわたしがそれは取る
に足りないとして応答をやめたら 逃げたというセリフを吐いて さらにイチャモン
をつけてくる。常套の手口が見え見えなのですが 情況はこうだとお伝えするしか 
いまはないでしょう。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/01/30 04:25

#16です。



>まぁ 泣く子と地頭には勝てないんだとか。

出ました!
困ったときの捨て台詞。^^

>あなたが わたしだったら やはりツッコミを入れていますよ。

その可能性は否定しない。
しかし、
・間違ったなら間違えましたと言うのが ふつうではないか。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9148700.html
というある御方の説に賛同しておりまして、
あ、そう言われればそうですね。
と潔く非を認めているでしょうね。
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この回答へのお礼

★★ (回答No.15) ~~~~~~~~~~~~~~
 >★ おそらく間違いない
 ☆ という見立てで 理論として提示しますか? という意味の問いです。

あ~~~~~なるほどね。
理論なのに「おそらく(思います)」と注釈をつけていいのか、とおっしゃりたいわけ
ですね。
なんで、スパッと表現できないんですかねえ???
まあ、それは言ってもせんないことなのかもしれません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《スパッと表現》していなかったのは:
☆☆(№12お礼欄) そういう疑問があるとは思いませんでした。
☆ という理由です。

これをマチガイだとは思わないという意味です。
もしマチガイだと認定するのなら そちらのほうにも《自明の問いについてちょっとふ
つうでは考えられない疑問をいだいた》というマチガイが現われました。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/01/29 21:57

#15です。



>おそらく / ~~と思う》という認識の仕方を キーワードとしての
《摂理》や《バランス》をめぐって出しておられるわけですから それは ツッ
コミますよ。自然であり当然でありふつうのことです。

それは好きにすれば良いでしょう。
それに対して
★表現の問題にすぎない、
と応じたわけだから、
つまり、ご要望どおり、
☆うん それでよい。
と言ったことになる。
ここまではオッケー?

しかし、
>そこに何の問題も起きていません。

とは厚かましすぎる。
>☆ これで理論ですか?

これは、
・これで理論ですか? いや、そんなはずは無いだろう。
という反語表現としての批判であるのは明らかでしょう。
それとも

純粋疑問文だ!
と開き直りますか?

しかし、それは無理ですよね。
☆ツッコミますよ。

とすでに表明してしまっているわけだから。
つまり、批判したわけだから、それに対する反論に対しては無視しつつの、
>☆このどちらかの表明でいいはずです。そこに何の問題も起きていません。

などという、能天気な詭弁を弄するのは見ぐるしい。
しっかり頼んます。
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この回答へのお礼

まぁ 泣く子と地頭には勝てないんだとか。


ご回答をありがとうございます。

あなたが わたしだったら やはりツッコミを入れていますよ。

お礼日時:2016/01/29 20:02

#12です。



>★ おそらく間違いない
☆ という見立てで 理論として提示しますか? という意味の問いです。

あ~~~~~なるほどね。
理論なのに「おそらく(思います)」と注釈をつけていいのか、とおっしゃりたいわけですね。
なんで、スパッと表現できないんですかねえ???
まあ、それは言ってもせんないことなのかもしれません。

そもそもが、散々こちらが説明した上で、であるのに、そちらが
☆あとで 間違っていたとなりませんか?

という念押しを発したことに対する返答として、この表現があったわけですが、これは極めて簡単にお答えできると思います。
つまり、表現の問題にすぎない、ということ。
すぎないのに、そちらが(何らかの思惑があるのでしょう)いちゃもんをつけている形になると思います。
下記に再掲しましたから、よくご覧になってください。
----------------------------------------------
☆ 《バランスさせている》という認識は得られるが 《どんな法則かは分からない》のですか? 
★ そのとおりです。
☆なぜ《法則》が《自然界を支配している》と分かるのですか?
★バランスさせている力 が働いていないなら、自然界は存在し得ないと考えるのが論理的だ、と私は思うからです。
☆あとで 間違っていたとなりませんか?
★おそらくですが大丈夫だと思います。
☆ これで理論ですか?
----------------------------------------------
この遣り取りで
☆ これで理論ですか?
に正当性を持たせるおつもりなら、それはそれでよろしいでしょう。
しかしですね、あなたは今後、ご自分の理論を展開する上において、
・おそらく
・たぶん
・~と思う
・~と推察される
・~と推測できる
・~でしょう
・~ではないか
といった関係の、つまり、断定以外の、一切の表現を使うことはできなくなります。
ですよね?
そうでないなら、
☆ これで理論ですか?
などという言辞は取り消し、謝罪してください。
色々事情があって、つい言ってしまったのだ、と言い訳をする必要はありません。それ以外にはあり得ないのですから。
ひょっとすると別の理由も考えられますが、それは言うべきではないのでしょう。
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この回答へのお礼

いえいえ。《おそらく / ~~と思う》という認識の仕方を キーワードとしての
《摂理》や《バランス》をめぐって出しておられるわけですから それは ツッ
コミますよ。自然であり当然でありふつうのことです。

むろん 念を押してツッコンだあとは それ以上は こちらから何かをさらに尋
ねたりあるいは要請したりということはありません。

そうふるまいましたよ。何の問題も起きていません。

これで ひとまづひとつの問題点については話が結着したわけです。



もう一度念を押すとすれば あなたの答えは:

うん それでよい。

かまたは

いや そのような不確かな表現は 無造作に出てしまっただけだから取り下げる

か このどちらかの表明でいいはずです。そこに何の問題も起きていません。

あとの文章は 言いがかりです。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/01/29 16:41

哲学に理論、て有るんでしょうか。


哲学は理屈、ではないでしょうか。

哲学に、証明ってあるんでしょうか。
哲学って、想定する事ではないでしょうか。

バランス。
想定、いや想像してみました。
よく分からなかったので・・・。

これはたぶん、結果的には大河の流れに現れている。
道中、いろんな事が有っても結局は大河の行きつくところは大海。
これはバランスの力が存在するから、と見ました。

ブラジュロンヌ氏の意力も、それに刺激を受けて"発意"する私や、はこ氏も結局は大河の流れの一員。・・・でありたい。
支流と成って消えてしまっては悲しい、から。

想定、もたぶん非知という根拠に基づいていると思う。
ブラジュロンヌさんの、なんとなく醸し出す"自信"がそれを"証明"している。・・・様に思う。

人間側の"摂理"は人間主観。

なぜ、他人の悲しみや苦しみが自分の心にうつる(実感)の?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

バランスという意味では №2のわたしの応答を見てください。

自己組織化を その例に出しました。

★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
これはたぶん、結果的には大河の流れに現れている。
道中、いろんな事が有っても結局は大河の行きつくところは大海。
これはバランスの力が存在するから、と見ました。
~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ どうですかね。水の行き着くところとしては 重力でありそれとしてのバランスかも
知れませんが。

この摂理を いまは理論として用いているその問題をあつかっています。

しっかりとその主張を(あるいは 中立的な世界観)を打ち建てねばいけません。

そういう問題ですよ。

いや。わいわいえいとさん独自の《摂理》説が提示されてもかまいません。

お礼日時:2016/01/29 16:32

主観、は知識(体験と云う意味も含めて)を元にして発生します。


頼る知識は過去の出来事。
過去に依存していると云う事はそれらを事実と認めて居ると云う事。

自然の摂理は主観の外、と云うのはこの事。
この"自然"の中から僅かばかりの知識を得て、そこから摂理的事柄を引き出してみたのが主観的摂理。

その小さな主観的摂理はその人の心の印画紙、あるいは鏡に映した影像なのでその印画紙、あるいは鏡が歪んで至り、曇って居たり、汚れて居たり、傷ついていたりすれば、それなりの影像としてしか現れない。

個人の心の認識とはその影像の事であり、だから真実の影像とはいえない。

ブラジュロンヌ氏の主張も個人の認識する主観、の表現。

☆ 自分の外の世界を信じる勇気はありますか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

摂理には――はこ氏によれば―― 個別の・人が認識しうる法則のようなものとそして
それらを包括して・必ずしも認識しうるとは限らない真理のようなものとのふたつがあ
ります。

真理つまり神〔としての摂理〕は それがどんなものであるかについて知り得るか知り
得ないかが人知には分かりません。わたしの言葉で《非知》です。

ただし この非知なる真理としての神は――けっきょく《霊》のチカラとして想定され
得て(つまり 霊=非知です)―― 自然や人間の《外》ではなく むしろ《内にやど
る》というふうに想定からみちびかれて来ます。

個別の法則のような摂理は われわれ人間なる存在がそれぞれしかるべき位置を世界に
あって占めるといった意味で《バランスされている》そのコト・そのハタラキを言うよ
うです。

わたしが われは心地よく・また合理的で人間的にも妥当であるかたちで生きている・
つまり 生かされている。とすれば ひとまづ主観としてそれは 摂理によって バラ
ンスが採られ この生をあゆんでいることになります。そのあと 人びとのあいだにあ
って その主観内容が 吟味されて行きます。

このように一般的に説明される内容が 
★ わが心なる鏡に映った個別の・したがって主観的の摂理
☆ のことですよ!!!

あとは わたしたちは それぞれの《主観》をさらに――互いの批判をとおして――開
いて行くことです。

真実の映像ではないとか 主観だからいけないといった総括的な批判ではなく 具体的
に互いの主観内容・つまり思想として表現された命題について批判して行くのがよいで
しょう。

この摂理をめぐる主観内容が 《おそらくそれで大丈夫でしょう》と言って説明された
場合 ええっ? それで理論としていいのですか? と問うのは きわめて自然のこと
であり むしろそう質すべきでしょう。質さないなら 慈悲心がない。

お礼日時:2016/01/29 11:37

#11です。



>★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 >あとで 間違っていたとなりませんか?

おそらくですが大丈夫だと思います。
~~~~~~~~~
☆ これで理論ですか?

何を言っているのか、全く理解できません。
まさか、
☆あとで 間違っていたとなりませんか?
だけで、何か理論を言ってもらえると思ったわけじゃありませんよね?

大丈夫なんですか???
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この回答へのお礼

そういう疑問があるとは思いませんでした。

★ おそらく間違いない
☆ という見立てで 理論として提示しますか? という意味の問いです。

でも そうしているのですし いまも提示しつづけるということでしょうか。

そのように分かったとすれば もうご自由にとおつたえします。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/01/29 07:18

#6です。



>全体と受け取ってください。

特には 引用したふたつの問題点をめぐってのやり取りです。

ですから、どの
>全体

なんですか?

>引用した

のは、どの箇所を指していますか?

と伺ってるんですがねえ・・。
そんなに難しい質問ですか?
それとも、
>>☆ これで理論ですか?

が単なるいちゃもんにすぎないことがばれるのが怖くて、明確に示すことはできない、ということなのかねえ・・・。
どうでもいいことはべらべらしゃべるくせに、肝心の点になるとこのざま。
情け無いもんですなあ・・。
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この回答へのお礼

★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 >あとで 間違っていたとなりませんか?

おそらくですが大丈夫だと思います。
~~~~~~~~~
☆ これで理論ですか?




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/01/28 21:54

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Q神の説明に《摂理》が用いられるわけ

1. 神は経験事象ではありません。

2. 時空間にものごとが起こるこの経験世界を神は 超えています。

3. 《超えている》という規定は 案外むつかしいですね。経験事象と
しての《有る無し》をそして善悪をも超えていますし さらに《因果関係》
をも超えています。

4. ということは 神は有ると言っても無いと言っても どちらの表現
も神に当てはまると推し測られます。有神論も無神論も どちらも間違い
だとは言えない。

5. ものごとの原因結果の関係を超えているということは 逆にそのよ
うな経験事象に容易に自由に神はカカハリを持つと推理され得ます。

6. 神によるこの世界における因果関係へのカカハリ――あるいは ひ
ょっとして要らない容喙?――は いわゆる摂理ないし因果応報の説とい
った見方で現われています。

7. その具体的な応用――たとえば《この災害は神の怒りだ》説――は 
正解が 決められるという性質のものではないはずです。主観としては持
たれたとしてもです。

8. ちなみに 経験事象としての《有る無い》への神による介入は――
もちろん想定であり 推理ですが―― やはり《よみがえり・復活・再生》
といった物語として語られて来ています。

9. では 《摂理》とは 何か? それをどう扱えばよいのか?

10. 単純に捉えるなら 因果応報の説が 当たるときもあれば当たらな
いときもあるというように 摂理と言っても その内容が実際の経験的なこ
とがらと きちんと対応するとはやはり考えられません。

11. もう少し細かく見るなら たとえば自業自得といった因果関係はあ
り得ます。とすると 摂理も そのように特定の我れなる主観の内では 該
当することがある・・・と言えるだろうか?

12. 摂理とは 自然のことわりに善悪などの価値観を添えて捉え直した
ものですね。倫理的な意味合いを帯びた宇宙の法則。

13. ですが このようにすでに人間の認識をほどこしたコトワリが じ
つは神本体から如何に遠いかを怠りなく思うことが まづ大事なのではない
でしょうか? いかがお考えになりますか?

1. 神は経験事象ではありません。

2. 時空間にものごとが起こるこの経験世界を神は 超えています。

3. 《超えている》という規定は 案外むつかしいですね。経験事象と
しての《有る無し》をそして善悪をも超えていますし さらに《因果関係》
をも超えています。

4. ということは 神は有ると言っても無いと言っても どちらの表現
も神に当てはまると推し測られます。有神論も無神論も どちらも間違い
だとは言えない。

5. ものごとの原因結果の関係を超えているということは...続きを読む

Aベストアンサー

>  5. ものごとの原因結果の関係を超えているということは 逆にそのような経験事象に容易に自由に神はカカハリを持つと推理され得ます。

↓↓↓

 例えば、2次元に住む者からは、我々3次元に住む者のことは理解できない。だけれども、3次元に住む者からは、2次元の世界は理解しうる。
 このように考えますと、高次元にいる者ならば、その下位の次元の者は理解・把握可能かもしれません。逆はほぼ(全く)不可能ですが。


>  6. 神によるこの世界における因果関係へのカカハリ――あるいは ひょっとして要らない容喙?――は いわゆる摂理ないし因果応報の説といった見方で現われています。

↓↓↓

 上記”5”から推論しますと、”因果応報”といった見方で表出される、もしくは、(さらには、理解したい、という感情をも抱きつつ)そのように理解してしまうといった形で表出されることはありうるかと思います。


>  7. その具体的な応用――たとえば《この災害は神の怒りだ》説――は 正解が 決められるという性質のものではないはずです。主観としては持たれたとしてもです。

↓↓↓

 確かに、わかりません。わからない以上は、やはり、”決められ”ません、よ、、、ね。
 もちろん、神のご意思は知りたいですけれども。。。


>  10. 単純に捉えるなら 因果応報の説が 当たるときもあれば当たらないときもあるというように 摂理と言っても その内容が実際の経験的なことがらと きちんと対応するとはやはり考えられません。

↓↓↓

 上記”7”から推論しますと、”わからない”し、また、”決定できない”ため、きちんと対応するとはやはり考えにくい、と思います。私も。
 昔々、英国に在住していたニュートンという人が、「黙示録」の研究をとても熱心に研究していたと言われていますが。実際のその研究成果と言いますと。。。


>  11. もう少し細かく見るなら たとえば自業自得といった因果関係はあり得ます。とすると 摂理も そのように特定の我れなる主観の内では 該当することがある・・・と言えるだろうか?

 昔々の伝承であるマルセリーノの逸話について考えて見ますと、主観内ではありうる。さらに言いますと、そこに居合わせた人たちの希望・期待という感情の発露も手伝って、伝播することもありうると考えます。もちろん、実際の神のご意志はわからない、のですが。


>  12. 摂理とは 自然のことわりに善悪などの価値観を添えて捉え直したものですね。倫理的な意味合いを帯びた宇宙の法則。

 元来は、”神の摂理”、いわゆる”Providence(神意)”かと。それが後世になって、慣用的に”宇宙の法則・摂理”といった表現に用いられるようになったものと考えます。
 これまた昔々いたとされるガリレオという人なんかも聖職者でしたから、おそらく、ニュートンさんと同じく”神の摂理”が、近似的に”宇宙の法則・摂理”となったのかもしれません。さらに付け加えますと、自然科学(厳密には実証科学)が今日のように発展したのは、キリスト教圏であったのは、決して偶然ではない、と考えられます。


>  13. ですが このようにすでに人間の認識をほどこしたコトワリが じつは神本体から如何に遠いかを怠りなく思うことが まづ大事なのではないでしょうか? いかがお考えになりますか?

 というよりも、今日的発想からしますと、寧ろ「神本体から如何に関わっているのか?」という問いの方が珍しく感じられるのですが。。。

 いかがでしょう?

>  5. ものごとの原因結果の関係を超えているということは 逆にそのような経験事象に容易に自由に神はカカハリを持つと推理され得ます。

↓↓↓

 例えば、2次元に住む者からは、我々3次元に住む者のことは理解できない。だけれども、3次元に住む者からは、2次元の世界は理解しうる。
 このように考えますと、高次元にいる者ならば、その下位の次元の者は理解・把握可能かもしれません。逆はほぼ(全く)不可能ですが。


>  6. 神によるこの世界における因果関係へのカカハリ――あるいは ひょっと...続きを読む


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