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サマール島沖で米空母部隊に大和などが砲撃を浴びせた後、いよいよレイテ湾突入というところで、なぜ栗田艦隊は突然北へ反転しレイテ島に背を向けてしまったのですか?なぜレイテ湾突入を断念してしまったのですか?

A 回答 (8件)

mkfdhさん、こんばんわ。



アメリカ護衛空母部隊を攻撃している段階で戦力になる重巡の半分を損傷あるいは沈められ、戦艦武蔵を失い、栗田艦隊の戦力は半分になっていました。護衛空母部隊を正規空母部隊と間違えていました。また、スガリオ海からレイテへ突入する予定だった西村艦隊が壊滅、志摩艦隊が大損害を出して退避したことから、敵の上陸部隊を護衛する艦隊の攻撃や空襲などが行われ、さらに戦力を消耗するかもしれないとの判断からレイテ突入の前提が壊れてしまったと判断したと考えます。
詳細は下記のURLを参照ください。


レイテ海戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4% …
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NO6です



書き忘れました。

・艦隊の燃料に不安があり、特に駆逐艦への補充の時間を要するだろう予測されたこと。
・残弾に不安があった事。

が、栗田中将の元には、情報が届いていたと思われます。
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表向きは、



・予定時刻を大幅に遅れていて、レイテには、もう船はいないだろうと、判断されたこと。
・予想以上の損害で、本当に艦隊が全滅の危機にあったこと。
・小沢艦隊の作戦成功が、伝わっていなかった事。

また、

・長年育成した戦艦艦隊が、輸送艦隊と刺し違える事を嫌った
・最後の最後で、艦隊の保全の考えが浮かんだ

と、言われています。

栗田中将は、戦後もこのことに沈黙を守り亡くなりました。

ただ残っている言葉は、

『疲れていた』
『本当の事を言うと、全てがおかしな事になってしまう』

でした。

ただ、小沢艦隊の作戦成功は、同じ大和艦橋にいた、第1戦隊司令部の宇垣中将には、伝わっていたと言われています。
宇垣中将は、積極的に、意見具申をしなかった様です。

今後に、資料が出てくること良いですね。
参謀の日記とか・・・
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諸説出ているんですが、本人ははっきりとした理由を語らなかったそうで(疲れていたとかいう発言は伝えられているそうですが、これにも議論あり)、そういう意味でははっきりしていないんじゃないでしょうか?



ニコニコ大百科に概要がまとめられていました。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%A0%97%E7%94%B0%E3% …
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エンペラー(天皇)から預かった艦の損傷を何よりも恐れたからです

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無理な作戦をやらされ、バカみたいに特攻して死の抗議をするか、テキトーな理由をつけて回避するか、といった状況だったというのが、本当のところなのかもしれません。

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航空戦力も航空機の護衛も無くむやみにレイテ湾に突入すれば


生きて帰れないと思ったからでしょう。
単に臆病風に吹かれただけです。
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小沢空母機動部隊のおとり作戦が成功していることを知らなかったからです。



知っていれば迷うことなく突入していたでしょうね。
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