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守護と地頭とはなんでしょうか?
どっちも領主ですか?

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A 回答 (8件)

>軍事警察権と武力支配権は違うんですか?



守護の軍事警察権は国家権力ですが、地頭の武力支配権は武士の私的権力なのです。守護も地頭も鎌倉殿の御家人ですが、守護は上級御家人で、地頭は下級御家人なのです。また、元々地の武士が御家人になり地頭になった場合もあるでしょう。守護は地域支配が目的ですが、地頭は大荘園支配が目的なのです。
貴族が支配していた大荘園は独立性が高かったので、守護だけでは取り締まれなかったのです。『泣く子と地頭には勝てぬ』と言われるぐらい無茶をして地頭は大荘園乗っ取りを行ったのです。

元々は貴族支配であった社会を武家支配に切り替えようとするのですから混乱は必至です。平家は武家支配ではなく貴族化してしまったので滅んだのです。この社会的混乱は延々と続くのです。関東は幕府支配で、関西は朝廷支配です。政権が2つあったようなものです。
この状態を解決したのが、元寇だったのです。元からの服従を求める国書は朝廷に届けられるが、朝廷は責任放棄して、この返書を鎌倉に委ねたのです。朝廷は国家として一番大事な防衛を鎌倉幕府に任せてしまったのです。これを口実に鎌倉幕府は国土防衛を口実に九州にまで支配権を伸ばしたのです。島津家や大内家もその時に着任した守護で、後に守護大名に成長するのです。

地頭はやがて荘園主になり、開墾も行ない農場主でもあるのです。しかし、時代が進むにつれて地頭は守護に取り込まれてゆくのです。その理由は守護には徴税権がなく、地頭にはそれがあったからです。このようにして、守護は軍事警察権と徴税権を手に入れ大名になったのです。地頭の中で守護に組み入れられなかった者が国人となり、その後に戦国大名になったのが毛利家です。
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この回答へのお礼

なるほど国人ってそういうものだったんですね。

国家権力ということは守護はその地域の支配には自分の武力だけでなく、その地域の他の御家人の武力を使えるということで正しいですか?

早速回答ありがとうございます。またお願いします

お礼日時:2014/07/28 23:51

No3



これは所領の安堵とはまた別なんですか?

ある土地に対して単一の支配が確定していくのは、戦国時代を通じてであり、最終的には秀吉の太閤検地の段階になります。
歴史上これを「一円知行」といいます
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%86%86% …

ある土地に対していろいろな権利者(権利を『職』と呼んだ)がいるというのが、鎌倉時代を含めた中世の実態でして、鎌倉時代に置いては「所領の安堵」とは一般には、ある土地に対する「地頭職」に任ずる事を言います。

http://www.planet.pref.kanagawa.jp/app/search/cu …

鎌倉時代。鎌倉幕府初代将軍源頼朝が、北関東の御家人の小山朝政に宛てた下文。将軍家政所より発給された地頭職補任状を再度承認したもの。

これが所領安堵の具体的なカタチです

全国一律で地頭職ということではなく、ある土地に対する「取り分」の保証が所領安堵になりますので

http://www.pref.kagoshima.jp/ab23/reimeikan/jose …

元暦2(1185)年8月17日付で源頼朝より摂関家の一つ近衛家の所領で薩摩・大隅・日向に広大な面積をもつ島津荘の下司職(げししき)に補任された。

という場合もあります
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この回答へのお礼

なるほど合点がいきました。

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/07/28 23:56

 みなさんが丁寧な説明をされていますが、簡潔で間違いのない説明をします。


お年がわからないので中高生扱いになっても気分を害さないでください。

鎌倉幕府の成立とほぼ同時期に守護・地頭が任命されました。
守護は国毎におかれた追捕使(警察長官)です。主目的は平氏殲滅。
地頭は荘園毎においた。荘園におかれた鎌倉幕府の代理人。荘園領主は貴族・寺社。
そして荘園内部には有力農民もいますから、地頭は最初からやりにくくてしかたがない。
荘園に無理に入り込みいきなり農民を苦しめる地頭から中に
入れず外に居を構え無収入のままの地頭まで様々でした。
 全体としては急速に荘園内での地位を高めていく地頭。
ついには困り切った領主が荘園の半分を地頭に譲るまでに。

 守護は職としては無収入ですから地頭を兼ねていた。が、
鎌倉幕府も終わり頃になると名門武士として貴族の国司など
ものともせず、領国内の地頭たちを家臣として守護大名に成長
します。こうなれば守護も立派な領主です。
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この回答へのお礼

なるほど、まるで別物なんですね。

ありがとうございました

お礼日時:2014/07/28 03:57

守護と地頭の設置は義経の京都脱出を知った時に頼朝が設置したものである。

側近の大江広元の発案と言われる。義経の捜索と逮捕を名目に部下の御家人武士を各地方の守護に任命し、各荘園には地頭を任命して支配権を強めようとした。

守護は後の名で当時は追捕使と呼ばれ各地方の軍事警察権を持っていた。地頭は荘園支配で武力支配権を持っていた。守護は地方単位で、地頭は荘園単位であった。それは荘園が小さな独立国のようであったからです。

追捕使は義経の探索逮捕の名目がなくなると守護となるが、警察支配権を有するので守護大名へと成長する。地頭は支配地域が小さく年貢の徴収と納入が主な任務であるが警察権も持っていたので、これも大名に成長していった。

この守護と地頭の設置により頼朝の支配が全国に及ぶことになった。鎌倉政権が確立した時とも言われ、後の鎌倉幕府の成立につながる。
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この回答へのお礼

軍事警察権と武力支配権は違うんですか?
ここは職権がかぶらないのでしょうか?
守護も荘園内のことには手が出せないのでしょうか?

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/07/28 03:59

どちらも鎌倉時代に定められた身分(職制)です。


言葉としては地頭のほうが古く平安時代の末期から使われていました。
地頭は慣用的な言葉としては江戸時代まで使われていました。
江戸時代を舞台とした歴史小説などでも時々登場する役職名ですが、江戸時代には慣用語としてのみ使われていたことから、鎌倉時代や室町時代とは職制上の性格が違います。

平たく言いますと、地頭は土地を管理し年貢の徴収管理を主な仕事としていました。
守護は国を管理して治安の維持を担っていました。
税務署のお役人と警察官(機動隊)との関係とでもお考えください。

日本史の言葉で、領主とか国司とか大名とか、領国、荘園などといろいろ出てきますが、要は年貢即ち租税の徴収権を誰が持っていたか、ということだけです。
その徴収権を持っていた人間の役職名がいろいろ変ったり、その徴収できる範囲(縄張り)にいろいろ名前がついているだけです。

701年に定められた、大宝律令に基づいて、朝廷から、各地方へ、この徴税官を派遣していました。
国司と呼ばれます。
朝廷即ち天皇家の政治力が低下するにともない。お公家さん達がここはオレの縄張りだから、税金はオレに払えとやりだしました。
この縄張りを荘園と呼びました。
京都にいるお公家さんが、自ら遠い地方へ出掛けて行くなどということはせずに、家来に任せました。
地方で暮らしていて、セッセと税金を集めて、雇い主のお公家さんへ送ってやっていた人達が、やがて地頭と呼ばれるようになりました。
朝廷から正式に派遣された国司がいますから、当然もめます。
もめても、肝心の朝廷があてになりませんから、現地で話をつけようということになります。
こうなると、腕力の強い方が有利です。
鎌倉時代に、頼朝がこの腕力の強い連中を正式に認めろと言いだして、朝廷に認めさせてしまいました。
ここで、治安は守護という役職の者の責任で、税の徴収は地頭の責任だ、と責任と権限を分担させました。
守護の多くは鎌倉から派遣されてきましたが、地頭は元々地元の人間ですので、そのまま鎌倉幕府の組織に組み込まれていきました。

この制度の元締めである幕府なるものがしっかりしていれば、問題はありませんでしたが、鎌倉幕府のあとを継いだ室町幕府が地方行政などと面倒くさいことはやめたと放り出して、お茶だ絵画だ文化だと京都で楽しんでばかりいました。
こういうことになれば、地方で武力を持っていた守護の連中が、オレはオレとやりだしました。
守護大名と呼ばれます。
腕力の強い人間はどこにでもいます。この守護大名をぶっ潰して乗っとる連中が現れました。
下剋上といいます。
この連中が、守護大名を乗っ取るだけでは気が済まずに縄張り争いを広げました。
この連中を戦国大名、縄張り争いの時代を戦国時代と呼びます。
結果として江戸時代へとつながっていきます。
元来事務屋さんだった地頭とよばれる人達は、どの時代でも、税を徴収する実務者として残り続けました。
税を納める庶民(主として農民)にとっては、窓口は変わらないということになります。
結果として江戸時代にも地頭という言葉は残りました。

超々大雑把に守護と地頭の説明をしましたが、何かあれば補足でご指摘願います。
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この回答へのお礼

わかりやすかったです。

ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/07/28 04:01

地頭


各荘園などの領地単位での徴税責任者

徴税の責任があるということは、徴収した税金から自分の取り分を取れるということ。
この「自分の取り分」の保証を鎌倉殿(将軍)が行いました。これが「御恩」
この御恩に対して奉公をする必要があり、国単位でその奉公の指示・監督を行ったのが守護。
守護は自分が担当する徴税地域があるという意味では、地頭でもある。
大番役として京都や鎌倉の警備をすることとか。その警備の監督が守護

どちらも領主ですか?
と、聞かれれば、領主ではない。

地頭が徴税して、その税金を全部自分の取り分にしてしまい、『領主』に税金を払わなくなると、地頭は領主になります。
地頭の奉公(警備という武力行使力)を将軍の命令を受けて行うのではなく、自分や近所の地頭連合のために行うようになると、地頭は守護の部下となり守護は守護大名になる。
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この回答へのお礼

これは所領の安堵とはまた別なんですか?

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/07/28 03:56

守護は一国の主


地頭は地主

今風に言えば
守護が東京都知事 地頭が23区の区長長
と考えれば分かる
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この回答へのお礼

なるほど

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/07/28 04:02

>どっちも領主ですか?


いや、領主とはちょっと違うかな。
どちらも、幕府の役職として任命されているので、一般的に領主といわれる存在ほど自由は無かったと思いますよ。

参考
http://manapedia.jp/text/index?text_id=1646
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%A0%AD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E8%AD%B7
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この回答へのお礼

なるほど

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/07/28 04:03

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Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む

Q守護 地頭の設置

1185年に守護・地頭が設置されたようですが、平家没管領500ヵ所(関東御領)に置かれたのは地頭。そして守護は一国に一人ずつ設置されたとありますが、これは頼朝の支配権が承認されている平家没管領などに関係なく全国的に設置されているんですか?

Aベストアンサー

はじめまして。

Wikiによると、1185年の頃の頼朝の勢力は、
単なる関東の一大私兵集団でしかなかったそうです。
この1185年に頼朝の義父である北条時政が
後白河上皇との折衝で、守護・地頭の設置を勅許されたそうですが、
これも名目上は義経追討のための捕獲組織、というもので、
当初は西国ではなく東国~奥州への地固めに利用されたと
考えた方が正しいのではないでしょうか。

もと平家の所領であった西国への進出についても、
頼朝が征夷大将軍となってからも、後鳥羽上皇が守護職を勝手に任命・罷免したりと
その立場としては非常に弱いものだったようで、
「全国的に」設置できたかは疑問です。

守護・地頭が九州や関西の所領にまで広がり、
その権限が強められていったのは、
1221年の承久の乱によって後鳥羽上皇派だった関西の御家人が
所領を没収され、その替わりに幕府側の御家人が領主として
移り住むようになってから、ということのようです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E8%AD%B7

はじめまして。

Wikiによると、1185年の頃の頼朝の勢力は、
単なる関東の一大私兵集団でしかなかったそうです。
この1185年に頼朝の義父である北条時政が
後白河上皇との折衝で、守護・地頭の設置を勅許されたそうですが、
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当初は西国ではなく東国~奥州への地固めに利用されたと
考えた方が正しいのではないでしょうか。

もと平家の所領であった西国への進出についても、
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Q建武の新政で置かれた「国司」と「守護」の違いは?

はじめまして。

日本史を学習しているものです。
建武の新政で後醍醐天皇が諸国に設置された「国司」と「守護」とはどのような役割の違いがあったのでしょうか?
端的に教えていただけると嬉しいです。

Aベストアンサー

 『国司』は、大宝律令(8世紀初頭に制定)において、地方の貴族が、
 地方の国単位の行政(今で言うと県知事)と
 司法(警察)・軍事(今で言うと県警の本部長)を
 統括する役職として就きました。


 平安時代では、『国司』は、律令制で目的とされていた地方の人民統治から
 租税納入が主要任務になります。
 そして、武士が荘園や国領の警備につきます。

 
 鎌倉幕府の設立により、武士が台頭してきました。
 これにより荘園や国領を管理する武士の役職に『地頭』が定められ、
 今まで、『国司(貴族)』がしていた国単位の行政と司法・軍事を
 『守護(武士)』がするようになりました。
  
 しかし、御成敗式目(1232年)の制定で、
 『守護』の職掌を司法(警察)と軍事に限定され、
 『国司』の職掌(行政)への関与を禁じられました。

 その後、北条氏の執権政治により『国司』の支配力が衰え、
 御成敗式目は有名無実になり、形骸化してしまいました。  
 

 さて、ご質問の【建武の新政】です。
  
 今まで、形骸化していた『国司』の支配力と権限を強化し、
 昔の職掌(律令制の時の役職)へと戻ります。 
 『守護』は、職掌を軍事指揮権のみとしました。
 (今で言うと地方の警察署長くらい)
 
 律令制の官である『国司』と武家の統治機構である『守護』の並立は、
 【建武の新政】における大いなる矛盾といえます。
 
 その後、室町幕府の設立とともに
 『国司』は名前だけの名誉職となり、
 かつての『国司』の役職は『守護』が継承していくこととなります。
  
  

 こんな感じで判りますか?
 
 
 詳しくは『国司』や『守護』などでググって見てください。

 『国司』は、大宝律令(8世紀初頭に制定)において、地方の貴族が、
 地方の国単位の行政(今で言うと県知事)と
 司法(警察)・軍事(今で言うと県警の本部長)を
 統括する役職として就きました。


 平安時代では、『国司』は、律令制で目的とされていた地方の人民統治から
 租税納入が主要任務になります。
 そして、武士が荘園や国領の警備につきます。

 
 鎌倉幕府の設立により、武士が台頭してきました。
 これにより荘園や国領を管理する武士の役職に『地頭』が定められ、
 今まで、『国司...続きを読む

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

★「封建制度」を簡単に説明してください!

世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

理解力を深めたいので、封建制度を簡単に説明できる方よろしくお願いします!

Aベストアンサー

封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
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のことを言います。
御恩と奉公ですね。
もちろん日本・中国(周)・中世欧で指す封建制度とはそれぞれ少し意味が異なったりしますが、基本的には上記の意味です。

ちなみに対義する言葉は絶対王政や絶対君主制です。

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q国会と内閣の違いを簡単に教えてください!!

国会・内閣・裁判所って三権分立であるじゃないですか?それで、裁判所と国会は建物もあるし、なんとなくは分かるんですけど、内閣って一体なんなんですか??内閣には国会議事堂や裁判所のような建物とかって無いですよね??(間違ってたら指摘お願いします!)
じゃあ内閣って一体どこにあるんですか?内閣で一番偉い人は首相。つまり今は小泉総理ですよね?じゃあ国会で一番えらい人って誰なんですか?今の僕の意識では国会の中に内閣がある。っていう感じなんですけど、コレって間違ってますか??教えてください!

Aベストアンサー

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指摘する(こちらは決算)ことができます。
このように、お互い独立して仕事をしていますが
自分の担当だからといって自分勝手な行動をとらないようにチェックしあっているのです。
ですから、どこが偉いということはありません。
3つとも同じ地位にあります。
総理大臣は必ず国会議員ですから
「国会の中に内閣がある」というような気もしますが
そうすると、国会議員の中でも偉い人が総理大臣、
つまり国会より内閣の方が偉い!ということになってしまいますから
その認識は正確ではありませんね。

 内閣はどこにあるか?ですが
内閣には総理大臣のもとにたくさんの省庁がありますね。
外務省とか財務省とか、防衛庁もそうです。
その建物の一つ一つが内閣をつくっています。
仕事が膨大で職員の規模も大きいので、
まとめてどこかに置くというわけにはいかないのです。
内閣のまとめ役の総理大臣の城である首相官邸が一番小さかったりします。
紛らわしいですが、内閣府は内閣の一つの機関にすぎませんのでお間違えなく。

 最後に、国会で一番偉い人ですが
やはり衆議院、参議院の議長でしょうね。
議長は野党でも与党でもなく、中立の立場にいます。
議長、副議長になると、党を離れて無所属になるんですよ。
ですから、与党からも野党からも敬われる存在です。
とはいえ、話し合いを重んじるのが議会ですから
偉いからといって何でもできるわけではないですけど。

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指...続きを読む

Q「そう」の品詞

文章の品詞分解をする際、「そう」という単語がさまざまな形で現れるので、困っています。

「そうなんだ~」などと言う場合の「そう」の品詞は何にあたるのでしょうか?
代名詞と考えているのですがどう思われますか?

また、「そういえば」は接続詞の一単語として考えていいのでしょうか?

さらに、何かを思い出した時に、文頭で「そうそう!」というときの品詞は感動詞でしょうか?

教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

No.1の再質問の回答です。

>(1)副詞「そう」+助動詞「です」
>(2)助動詞「そうです」
>のどちらになるのでしょうか??

これは(1)です。(前文を肯定する意味で使われているため)
助動詞「そうだ」は伝聞、様態を示すのに使います。
「次期部長は誰になりそうだ?」「私だそうです」
であれば、左側が様態、右側が伝聞の助動詞です。

Q好気呼吸と嫌気呼吸の違い

好気呼吸と嫌気呼吸の違いってどんなものなのでしょうか?また「発酵」反応の種類ってどんなものがあるんでしょうか?教えてください。

Aベストアンサー

好気呼吸とは我々が行う呼吸の事で、
有機物(グルコース:ブドウ糖とか)を酸素を使って分解しエネルギーを取り出します。
好気呼吸の特徴は有機物を水と二酸化炭素まで完全に分解できることで、
有機物1g当たりで得られるエネルギーが大きいです。

嫌気呼吸とは酸素を使わず有機物を分解する代謝で、
有機物を完全に分解することは出来ません。
従ってエネルギーの効率が悪く老廃物として有機物が残ります。

発酵とは微生物(細菌orカビ)の行う呼吸のことで、ほぼ「腐敗」と同義語です。
一般的には人間の役に立つ微生物の呼吸を発酵、
人間の役に立たない微生物の呼吸を腐敗と呼びます。

発酵は一般的に人間の役に立つ物質を生産しますから、
生産する物質の名前を取って、アルコール発酵などと呼ばれます。

Q国司、荘園領主、守護、地頭が農民に要求するモノについて

 東京書籍の「新編 新しい社会 歴史」(中学校の教科書)、山川出版社の「改訂版 新詳説 日本史」、「日本史B用語集」等で、日本史を勉強している社会人です。
国司、荘園領主、守護、地頭が農民に要求するモノについて、混乱しています。

・国司…奈良時代から。朝廷が、地方の国に貴族を派遣。
・荘園領主…奈良時代の墾田永年私財法から。
・守護…頼朝の時代から。幕府が、国ごとに警察として派遣。御家人に、領地とともに与えられる地位でもある。
・地頭…頼朝の時代から。幕府が、荘園・公領ごとに年貢の取り立て役として派遣。御家人に、領地とともに与えられる地位でもある。

という原則は、理解できました。(間違っていたら、指摘してくだされば幸いです。)

 室町時代になると、守護大名が国司の権力を吸収するようなので、話は少し簡単になると思うのですが、鎌倉時代における、これら4者の役割・権限分担がよくわかりません。(「領主に年貢を納める」、「地頭が兵役を課す」という記載が中学校の教科書にはあり、ますます混乱しています。)
これら4者が農民に要求するモノ、朝廷や幕府への年貢の流れ等、ご教示くだされば幸いです。

 東京書籍の「新編 新しい社会 歴史」(中学校の教科書)、山川出版社の「改訂版 新詳説 日本史」、「日本史B用語集」等で、日本史を勉強している社会人です。
国司、荘園領主、守護、地頭が農民に要求するモノについて、混乱しています。

・国司…奈良時代から。朝廷が、地方の国に貴族を派遣。
・荘園領主…奈良時代の墾田永年私財法から。
・守護…頼朝の時代から。幕府が、国ごとに警察として派遣。御家人に、領地とともに与えられる地位でもある。
・地頭…頼朝の時代から。幕府が、荘園・公領ごとに年...続きを読む

Aベストアンサー

NO3補足の回答です。
「荘園」とは、御存知と思いますが、墾田永年私財法の適用により、公地公民の原則をはなれて、私有を認められることにより始まり(初期荘園)、これはその後衰退しますが、11C中頃に急増する、国司の収奪を免れるために、寄進されて中央の有力者(有力貴族・寺社・皇族)名義の私領となったもの(寄進地系荘園)ですから、事実上の「私領」と考えて差し支えないと思います。言葉の上でも、○○荘と呼ばれ、○○郡・○○郷などの公領と区別されるようになります。 最も、「公領」の方も、院政期以降、引退した元天皇(=上皇・院)という私人により政治の私物化が進み、知行国制などのため、有力者が収益を得るための「私領」に等しくなります。NO1で国司を公領のオーナー(のようなもの)と表現したのはこのためです。
 鎌倉時代の守護の職務なわばりは、主に軍事警察など今で言う刑事に限られており、一般行政を司る国司との棲み分けが建前でしたが、時代が下ると、在地武士クラスである国衙の在庁官人にも命令権を行使するケースが出てきます。元寇期にそれがさらに強まり、南北朝期になると刈田狼藉取締権や使節遵行権など当時は民事と見なされていた分野にも権限が及ぶようになり、半済令に及んで荘園公領の年貢半分の徴発抑留権を持つに至って、土地・ヒトに対する支配権も強め、ほぼ一国全体を掌握する守護(守護大名)も現れます。
これにより、既に形骸化していた国司の権限は、有名無実化して名誉職のようになっていきます。ただ、守護大名クラスの有力武士が国司に任命されるケースもあったりします。
 内容が本来の質問より、領域が広がりすぎてしまったので、この上は新たに質問をたてられた方がよろしいかと存じます。

NO3補足の回答です。
「荘園」とは、御存知と思いますが、墾田永年私財法の適用により、公地公民の原則をはなれて、私有を認められることにより始まり(初期荘園)、これはその後衰退しますが、11C中頃に急増する、国司の収奪を免れるために、寄進されて中央の有力者(有力貴族・寺社・皇族)名義の私領となったもの(寄進地系荘園)ですから、事実上の「私領」と考えて差し支えないと思います。言葉の上でも、○○荘と呼ばれ、○○郡・○○郷などの公領と区別されるようになります。 最も、「公領」の方も、院政期以降、引...続きを読む

Q「すいません」と「すみません」どちらが正しい?

 タイトルにあるとおり、素朴な疑問になりますが、「すいません」と「すみません」ではどちらが日本語として正しいのでしょうか。分かる方ぜひ教えてください。

Aベストアンサー

もともとは「すみません」ですが、「すいません」と発音しやすく変えたものもたくさん使います。
話す時はどちらでもいいですよ。

ただ、私個人の語感で言うと、公式的な場では「すみません」の方がいいような気もします。「すいません」はちょっとくだけた感じかな。でも、これはあくまで私個人の語感。人によって、あるいは地方によっても感じ方は違うだろうと思います。

書くときはもちろん「すみません」にしましょう。

発音しやすく変化した発音の他の例としては
手術(しゅじゅつ→しじつ)
洗濯機(せんたくき→せんたっき)
などがあります。これも、話す時にはどちらでもいいです。「しじつ」「せんたっき」と書いてはいけませんが。


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