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「人間万事塞翁が馬」の「人間」は(にんげん)(じんかん)どちらが正しいのでしょうか?


「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。」の人間もどちらの読みが正しいのでしょうか?


ちなみには私は「にんげん」が正しいと思っていました。

どちらが正解なのかよろしくお願いします。

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A 回答 (9件)

1)「人間万事塞翁が馬」


「にんげん」でも「じんかん」でも間違いではありません。
 個人的には、「じんかん」が本来の読み方だと考えています(「人間到る所青山あり」も同様です)。しかし、近年の辞書は「にんげん」が優勢のようです。いつからそんなことになったのでしょう。

2)「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
「じんかん」ですかね。
http://www.weblio.jp/content/%E4%BA%BA%E9%96%93% …
================引用開始
人間五十年
読み方:じんかんごじゅうねん
別表記:人間50年

「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」という詞章の一部。幸若舞「敦盛」に見られる言い回しで、織田信長が好んだとされる。「人間五十年」は元々、人の世の五十年の歳月、という意味であったが、最近では人生50年と解釈されて用いられることも多い。
================引用終了

 しかし、これも近年の辞書の解釈だと「にんげん」と読むべきかもしれません。『大辞泉』は、「にんげん」の例文で「人間五十年下天のうちをくらぶれば」としています。
 詳しくは下記をご参照ください。
【突然ですが問題です【日本語編1】Yahoo!知恵袋ver. 人間/人生到る所青山あり 人間/人生万事塞翁が馬】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2559. …




 以下は一部の抜粋(重言)。
【問題】

【問1】
下記1)3)の「人間」にルビをふりなさい。

【問2】
下記の1)~4)のうち誤用はどれでしょう。

1)人間到る所青山あり
2)人生到る所青山あり
3)人間万事塞翁が馬
4)人生万事塞翁が馬

【解答?例】
【問1】
にんげん
「じんかん」も間違いではないが、「にんげん」のほうが意味が広い。辞書類も「にんげん」を本線にしているものが多い。
【問2】
考え方しだい。
辞書を見る限り、どれも「誤用」とは言い切れない。

【よくわからない解説】

まず【問1】。当方は長年、こういう場合の「人間」は「じんかん」と読むと思い込んでいた。いつの間にか世間の常識はかわったらしい。このことにはしばらく前に気づいた。
再確認のために辞書をいくつかひいて、当方はトンデモナイ泥沼に足を踏み入れたような気がしてきた(泣)。


ネット辞書(『大辞泉』)をひく。辞書のリンクがあまりにうるさいので、末尾にまとめる。
================================
人間(にんげん)到(いた)る所青山(せいざん)あり
《幕末の僧、月性(げっしょう)の「清狂遺稿」から》故郷ばかりが骨を埋めるべき土地ではない。大志を抱いて、郷里を出て大いに活動すべきである。→青山(せいざん)
================================
人間(じんかん)到(いた)る所青山(せいざん)あり
⇒人間(にんげん)到(いた)る所青山(せいざん)あり
================================
人間(にんげん)万事塞翁(さいおう)が馬
⇒塞翁(さいおう)が馬
================================

『大辞泉』を見る限り、
1)は「にんげん」(「じんかん」も許容)
3)は「にんげん」
そもそも「にんげん」と「じんかん」はどう違うか。
================================
にん‐げん【人間】
1 ひと。人類。「―の歴史」
2 人柄。また、人格。人物。「―がいい」「―ができている」
3 人の住む世界。人間界。世の中。じんかん。
・「―五十年下天のうちをくらぶれば」〈幸若・敦盛〉
================================
じん‐かん【人間】
人の住んでいる世界。世間。にんげん。
・「老人に身をやつしまして暫く―に住んでおりました」〈中勘助・鳥の物語〉
================================
要は「にんげん」のほうが意味が広い。「にんげん」の「3」の意味が「じんかん」をカバーしている。


納得がいかないので今度はネット辞書の『大辞林』もひいてみる。
================================
人間(にんげん)到(いた)る処(ところ)青山(せいざん)あり
→人間(じんかん)到る処(ところ)青山あり
================================
人間(じんかん)到る処(ところ)青山(せいざん)あり
〔補説〕 幕末の僧、月性(げつしよう)の「清狂遺稿」による
人はどこで死んでも青山(=墳墓の地)とする所はある。故郷を出て大いに活躍すべきである、との意。
〔補説〕 「人間」は「にんげん」とも読む
================================
人間(にんげん)万事(ばんじ)塞翁(さいおう)が馬
→塞翁(さいおう)が馬(うま)
================================

『大辞林』を見る限り、
1)は「じんかん」(「にんげん」も許容)。『大辞泉』とは逆になっている。
3)は「にんげん」
「にんげん」と「じんかん」に関しては、『大辞泉』とほぼ同様。
手元の『広辞林』をひく。事情はさらに悪くなる。
『広辞林』には「人間(じんかん)」って項目がない。当然「青山」も「塞翁」も「人間(にんげん)~」になっている(乱暴な略し方に、憤りが表われている)。


今度は『成語林』をひく。
人間(にんげん)到る処青山あり(「所」ではなく「処」)
※説明中に〈「じんかん」とも読む〉とある。
人間(にんげん)万事塞翁が馬→塞翁が馬
こうして並べると、「にんげん」のほうが圧倒的に優勢。
「塞翁」のほうは全部が「にんげん」。
「青山」のほうは、『大辞林』だけが「じんかん」を本線にしている。『大辞泉』と『成語林』は「じんかん」を許容扱い。
とくに納得できないのは『成語林』の態度。出典の『淮南子』人間訓に「えなんじ」「じんかんくん」とルビをつけている。でも言葉のほうの読みは「にんげん」ですかい。

ちょっと事情があって3)4)の話を先に書く。
3)人間万事塞翁が馬
4)人生万事塞翁が馬
これは一応3)が正解。ネット辞書は『大辞林』『大辞泉』とも「塞翁が馬」を見なさいとしている。

まず『大辞泉』。
================引用開始
塞翁(さいおう)が馬
《「淮南子(えなんじ)」人間訓から》人生の禍福は転々として予測できないことのたとえ。「人間万事―」
◆昔、中国の北辺の塞(とりで)のそばに住んでいた老人の馬が胡(こ)の地に逃げたが、数か月後、胡の駿馬(しゅんめ)を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かったという故事から。
================引用終了

次は『大辞林』。
================引用開始
塞翁(さいおう)が馬
人間の禍福は変転し定まりないものだというたとえ。人間万事塞翁が馬。
〔補説〕 「淮南子(人間訓)」から。昔、塞翁の馬が隣国に逃げてしまったが、名馬を連れて帰ってきた。老人の子がその馬に乗っていて落馬し足を折ったが、おかげで隣国との戦乱の際にも兵役をまぬがれて無事であったという話から
================引用終了

まあ、似たようなもんだ。では4)は誤用かと言うと、そうは言い切れない。
両方の辞書とも非常に重要なことを書き落としている。

【語源由来辞典】
※あんまり余計なことは書きたくないが、最低でもこれくらいの解説は欲しいよな。辞書の記述だと何がなんだかわからない。
http://gogen-allguide.com/sa/saiougauma.html
↑にあるように、元々の言葉は「塞翁が馬」。これにあとから「人間万事」が追加されている。誰が追加したかわからないんだから、「人生万事」が誤用と決めつけるなんてナンセンス、って考え方もできる。
そう考えると、4)が誤用と断言する自信はない。あとから「人間万事」をくっつけた3)が正用と断言するする自信もない。

で、この「塞翁が馬」って言葉はどういう場面で使うか。
意味が近いことわざは「禍福は糾える縄の如し」だろう。これは使う場面は……ねえよ。
基本的に結果論でしか使えない言葉だと思う。現在進行形の事柄に使うと相当おかしい。
善いことがあった人に、「好事魔多し」みたいな意味で使ったら性格がtobiすぎる。「縁起でもない」って殴られるよ。かと言って自分のことで「いいことばかり続かないから」とか戒めるのも相当ヘン。
悪いことがあった人を慰める意味で使っても的外れだし、ヘタすりゃ通じないと思う。「悪いことばかりじゃないから」とかくらいならまだアリだろうか。
結局、波瀾万丈の人生に関して結果論として「〈塞翁が馬〉などと申しますが……」と語るしかない。そんな言葉が使えるのは、落語か講談だよ。

(以下略)

詳しくは下記をご参照ください。
【突然ですが問題です【日本語編1】──解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1298. …
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この回答へのお礼

>『成語林』の態度。出典の『淮南子』人間訓に「えなんじ」「じんかんくん」とルビをつけている。でも言葉のほうの読みは「にんげん」ですかい。


そこで気にしないといけないのは『淮南子』を「えなんじ」を呉音で読んでいるところではないでしょうか?人間の呉音は(にんげん)です。『淮南子』を「わいなんし」と漢音では読みません。
ということで、人間訓も呉音の(にんげんくん)と読むのが正しいのではないでしょうか。

ちなみに、諸星轍次氏の「中国古典名言事典」、陳舜臣氏の「弥縫録」、芦田孝昭著「中国の故事・ことわざ」などは「にんげん」読みです。



たくさん書いていただき、とても参考になりました。
ありがとうございます。

ちなみに私は、「じんかん」読みは戦後一部で呼ばれていたものが、2000年頃に筑紫哲也さんが発言することで、広く認知された読みではないかなと思っております。

もともと、人間(にんげん)という呉音のみの読みだったものが、本来の意味ではない、「人という種」の意味の外来語の訳として人間(にんげん)を宛ててしまって、次第に人間(にんげん)に人の種という意味が強くなっていき、そして、紛らわしいのを区別しようとしたのか、単に勘違いした人が、人間(にんげん)の意味は人「という種」だけで、仏教用語は中国から来たのだから漢音の(じんかん)と読むと言い出したのではないかと思っています。

辞典を見ると、(にんげん)という発音の言葉は様々な意味を持つのに対して、(じんかん)という発音の言葉は仏教用語での意味たる世間や人の世など狭い範囲の意味しかもちません。なので、(じんかん)という言葉は(にんげん)から派生した語句だということがわかります。

お礼日時:2014/08/03 14:47

1.「淮南子(えなんじ)」


前漢の書、その内編第18番の訓目「人間(ジンカン)訓」に記載されてはいるのですが、「人間万事…」とは文中にはなく、後世で付け足したものです。
また、ここでの「塞翁馬」は「塞翁<の>馬」と読むのが自然か、と。
2.煕晦機
元の煕晦機禅師の詩文に「人間万事塞翁馬、推枕軒中聴雨眠」とあるのが、最初の出典か。ここでは漢詩文なので「ジンカン」が自然でしょう。
3.「元和本 下学集」
室町時代(1400年代中期?)に「人間万事塞翁馬」と出てくるようだが、これは煕晦機禅師の引用であれば「ジンカン」に準ずると。
4.「謡曲 綾鼓(あやのつづみ)」
「世の中は、人間万事。塞翁が馬なれや」という元清作の謡曲では「にんげんばんじ」と振り仮名されています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/876557/68
「世の中は…」という言い回しや、「人間僅か五十年」という舞もあるように、「にんげん」と語られたのではないでしょう。
そもそも中世では「今日は」を「コンニッタ」、「人間は」を「ニンゲンナ」と語る連声が発達していたことからも、「人間五十年…」の謡は「にんげん」の可能性が高い、と。
5.「毛吹草 世話」
こちらでは仮名で「にんげんばんじさいをうがむま」とありますから「にんげん」であることは明らかです。
6.「黄表紙」
寛政期の曲亭馬琴の黄表紙の題名は「人間万事塞翁馬」で、振り仮名は「にんげんばんじさいをうがうま」とあり、これもまた5.と同様です。

 以上から、原典や漢文を意識して「ジンカン」と読むのが正当なのかも知れませんが、日本の諺・言い回しとしては「にんげん」と言った方が自然に通るのではないでしょうか。

「にんげん」では、狭い意味での「人」しか感じられないと強弁する向きには、「人生」「人世」「塵世」と言い換えてもかまわないかも知れません。

一方、幕末争乱期の漢詩文における「人間」の場合は、漢語の「青山(セイザン)」との釣り合いからしても、あえて緊張を高めた漢文読みで「ジンカン」と言った方が口調からも意味が鮮明になるのであり、実際そのように読んだと思われます。
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この回答へのお礼

とても参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/31 22:31

漢学(漢詩・漢文)で読むなら漢音と、一応は決まっていました。

孔孟の教えを大切にした日本は、公式文体までも漢音を使いました。「教育勅語」(明治23年)に「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」と書いてある、その「兄弟」は「キョウダイ」(呉音)ではなく「ケイテイ」(漢音)と読ませています。
 さて、「淮南子」から出ているということなので読んでみると、このような言葉は出ていません。とすれば誰かが作ったのだろうとみると、あまりにも有名な言葉だから調べてありますね。(ことわざ大辞典)
 出典は「下学集」(東麓破衲)、「根なし草」(平賀源内)とありました。いまこれらの書物までたどることは出来ませんが、あくまで「おそらく」ですが、「ニンゲン」であった可能性は大です。「人間(ジンカン)」は「世間」の意味であったと思うので。

 二つ目についてですが、幸若舞の詞章がわかればいいのですが、といっても漢字で書いてあった可能性大です。しかし、実際声に出して歌ったのですから、それが何らかの形で伝承されているといいのですが。それも簡単には調べようがない。しかし、「人間五十年」ですから人生の意味で、当時の寿命は五十歳が常識だったようですから、推察で「ニンゲン」と考えていいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/08/31 22:32

一人でも、人間(にんげん)、大勢でも人間(にんげん)。


ホモサフィエンス=人、それをなぜ、にんげんというのか?。
じんかんと読むと、一人であれ複数であれ、個体を表すより、相互の関係に重点があるように感じます。
例 世間(せけん)と対比すると、やや興味が・・・?。
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この回答へのお礼

世間(せけん)も人間(にんげん)も呉音ですね。
でも、ジンカンは漢音です。


でも、(にんげん)は(じんかん)の意味をすべて含みますが、(じんかん)は(にんげん)という言葉の一部しか表しません。


回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/03 14:52

”にんげん(人間)”って、明治以降の”human”の訳語でしょう?


明治維新以前にはなかったと存じます。
ご引用の成句ですが、もっとずいぶん前の方々の人口に膾炙していたのではないですか。
だからその当時は”じんかん(人間)”ではなかったと存じますが。
結論としては”じんかん”だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/03 14:53

   下記に塞翁が馬の前では、どう読むかと言う講釈があります。


    https://mizote.info/image/02profile/30kaisetu_ji …
    僕は黙読しています。
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この回答へのお礼

そこは微妙に参考にならないので…

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/03 14:18

「人間万事塞翁が馬」は「にんげん」、



「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。」は、出典である敦盛の意図するところは「じんかん」のほうで、今では「にんげん」という人間の人生という解釈としても使われることがあります。
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この回答へのお礼

人間(にんげん)は仏教用語で、「人の世」や「世間」の意味を表します。
(にんげん)となぜ発音するかといえば仏教用語は呉音で発音するとの決まりがあるからです。


回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/03 14:17

人間(にんげん)ではなく、人間(じんかん)=世間というような意味合いです。


https://mizote.info/image/02profile/30kaisetu_ji …

幸若舞の「敦盛」もじんかんです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A6%E7%9B%9B_(%E5%B9%B8%E8%8B%A5%E8%88%9E)
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/08/03 14:14

じんかんなって読みはないです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/08/03 14:14

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やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。
人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。
すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。
人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。
一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。
しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。


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