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よく瞑想とか色々な方法で思考停止などがありますが、
これはあることを集中的に考えて他のことを考えないようにしたりだとかそういった方法であるけれど、結局は考えてることなので、ほんとになにも考えないようにしたら出来て10秒くらいでなにか不意に考えてしまうのですがこれは普通のことなのでしょうか。
やはり思考停止というのは脳がある限り無理だということでしょうか。
変な話もしできたら、思考停止するのをやめようなどといった発想も考えれないため出来なくてずっと思考停止状態になるのでありえないし、そんなことなりたくないので出来たくないのですが。
わかりにくい質問ですいません。

A 回答 (10件)

質問者さんは考え事をしたくないのですか?


ならば簡単な方法があります。
人間の脳は目からの情報を最優先にするらしいです。
なので、一点を見つめないでキョロキョロさせてみましょう。
キョロキョロだと酔いそうなら、ピントを近くから遠くへ、またその逆にと意識的に変えるのです。
そうするとあら不思議、雑念は何処かへ行ってるはずです。
思い返してみて下さい。
考え事をしている時は、どことなく前をぼーっと見ているはずです。
目からの情報が無いので、物思いに耽ってしまうんです。
家の中で目を動かすのは限界があるとお思いなら、外に出てみましょう。
知らない街を散策すれば、意識せずとも目がキョロキョロ動いていますし、人とぶつからない様に気を付けるので、頭に雑念が浮かぶことはありませんよ。
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No.7 さんの回答が、実際の経験からの回答です。



一部の感性のみに集中することが、ポイントです。
それ以外は、思考がうすくなり、一部の感性だけになってきます。

さらに進むと、感性もうすくなっていきます。

瞑想には、どれだけ空の状態になるかで、段階があります。指導者は、修業者がどの段階にあるかを見定めることができます。

完全に思考や感性がなくなるのが究極の状況ですが、そこまでいける人は何万人に一人もいないでしょう。
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 もう一回質問を読み直して見ました。

けれども非常に観念的であることに違いはありません。
「瞑想」=「何も考えない」=無私の状態と理解するならば、坊主が口にする座禅と同じでしょう。
 とはいえ、坊主も座禅を組んでいる間は何も考えていないことなどない、と他ならぬ彼等自身が言ってもおります。文字どおり雑念だらけです(友人で僧籍のある者が、座禅の間でも只管打坐などではなくひたすらスケベすることだけしか考えていなかったとの若かりし頃の話をしていた記憶もあります)。
 けれども一方には雑念があるから人間なのだ!(=これでイイのだ!)とのバカボンのパパ的な考え方です。逆に何も考えていない人間がいるならば、その人に「貴方はなぜ何も考えていないのですか」と尋ねてみれば、どの様な答が返ってくるでしょう。
 もし「何も考えていないとの状態」が実際にあるならば、考えていない状態を知っていることになります。それは考えることとどう違うとの説明になるのでしょうか。それがこの質問で欠けている肝腎な部分です。

 >変な話、もしできたら(何ができたら?。何も考えない状態?)思考停止するのをやめようなどといった発想も起こらない。
 そのためずっと思考停止状態が続くことから、それは実際にありえない話となる。更にそんなことにはなりたくないので出来たくないのですが(文章後半部分は意味不明)

 もし質問者がヘンテコリンな宗教団体やサークルに勧誘されているならば、一刻も早くそこから抜け出すことを強くお勧めします。
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瞑想は意図的に考えないで、感性のみの状態にするのが


最初にやることだと思います。

しかし、考えがすぐに上がってくる人は多く居ます。
以前私がそうでしたが、おそらくは10秒持たなかったと思います。
確か2~3秒が限界で(;^_^A

気にかかるものが多い場合、つまりストレスが高く
問題を沢山抱えている。
あるいは、自己矛盾を多く抱えたままで解決していない。

そのような状態であると、考えが深層意識から
常に上がってくるので、自己コントロールが難しいようです。

自分の中を整理して行き、スッキリした状態になれば
ビックリするほど内面が静かな状態を長く保てます。

最初から雑念が少ない人は、静かな状態を保てば
心が落ち着いてくるようですが、雑念が多く思考が
ガンガン上がってくる状態にある人は、自分と向き合い
自身の中を整理して行くことがいいのでは無いかと思います。

集中力が増し考えやすくなり、忘れ物や物忘れも減りますので
時間をかけてでも、やる価値はあるかなと思います。
何よりも認知症対策になります(^_^)
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良くそういった言葉を耳にしますが、其れの正確な意味は、「思考に頼るな」です。



思考とは一つのロジックで系統付けて行われます。

逆に言えば、一つのロジックから離れた結果を導き出す事は出来ないのです。


もっと正確に言えば、「一つの考えに固執するな」です。

更に詳しく言えば、「複数の思考が存在する事を理解しろ」です。


ま、言葉で言われても難しい物です。
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思考停止といっても、生きている限り脳の活動を止める


事はできません(本当に止めたら単なる気絶です)。
脳の機能の1つである、過去の経験の蓄積による新たな
刺激によるニューロネットの励起(先入観)を抑制し、
感受を感受として(即ち、環境を環境として、内観を内観
として分離して)知覚するニュートラルな状態に近づく事
ではないでしょうか。
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 何か、いろいろな問題を複合的に扱おうとして舌足らずで説明不足になっている印象があります。


僕は無宗教の立場ですので、瞑想などの発想は持ちません。そして今の中高生以上がよく使う「集中的に考える」などの言葉にもピンときません。
 思考停止というのは、思考停止状態にあるなどの使い方をする言葉であって、もし思考そのものが定子したならば、脳の活動が停止することと同じになります。脳の活動が停止することがどの様な意味を持つか、お考えになってみて下さい。
 もし精神的にお疲れのようでしたら、大学の健康保健センターのカウンセリングルームなり心療内科を受診されることをお勧めします。前回のご質問も実際には意味不明でした。
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考えていないというか、考えていると自覚しないで過ごしている時間が、後でタイムスケジュールに書いてみると実はある、というのが実態だと思います。



その中には、無意識でよけた自転車もあるかもしれませんが、机について作業を始めるまでに何の論理思考もない、という場合も多いと思います。

それは、脳が自分でオーバーヒートするのを抑止してくれているのだと思いますし、それを越えると精神の病気に至るのかもな、という経験からの実感もあります。
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Jdjdkfhdj様、こんばんは。




「コレ(進行形で遭遇しているもの)は、これ(過去に経験しているもの)か?」というのが、
基本らしい。(認識?)

ですから、「思考停止」とは、もっと別の何か、でしょう。
(認識の上での判断?)


あ、それでは「判断」を止めるのは可能か、と言えば、
それは不可能なんでしょう。
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どうも、ぼうっとしているから脳の活動が停止するわけではなさそうです。


たとえば、寝て夢を見ます。

考えてはいないですが、余計な部分をはずして、脳を機能的にしているんだと思います。

忘れることも大事だと。


いちいち前日に電車の隣の席の人を覚えていたら大変です。

忘れることは発想がでてくるともある本では言ってました。


まず、初めに考えていると何かバイアスなどに捉われてしまいます。

でも忘れてみて、ほっとこれが大事だと。

それって、静寂さが必要であったり、精神の世界です。
正しい仕組みの世界ではありません。

労力をかけて考えるのではなく、静寂のなかで日常など忘れてみて、何か本質がわかってくるといったようなのでしょうか?

最近は科学が発展して理性を信仰して、まるでよく知りませんが、欧州の啓蒙の時代みたいです。

考えてばっかりでは細かいことが気になって、何かずっとそのステージから次へ行けないように思えます。

ですので、考えているときと迷走しているときの脳の活動が違うということだと思います。
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