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徳島の日本ハムも広島の西林パンも、初代社長は自ら商品を焼き、自ら商品をリアカーで運んで売りさばいていたそうです。
何故、同じ戦略を取りながら、片方はプロ野球球団を持つ迄に成長し、もう片方は潰れてしまったのでしょうか?
どなたか教えて下さいませ。

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A 回答 (2件)

荷車で売りさばくということが戦略ですか?



それは若いころやむを得ずばりばり働いていただけでないでしょうか。

バンダイも、売れ残りの人形をリアカーに載せて台東区中回ったと言う話を聞きました。

成功者伝記みたいなものを集めるとすれば、まだ若くて海のものとも山のものともしれないときは結構大変な生活だった話はいくらでもありますよね。

本田宗一郎という人は町工場の修理工場からことを始めました。
その時の支払いや何かの苦しい思い出を持っているから、今でもホンダは1000万未満の支払いはすべて手形ではなく現金で行うということになっています。

松下幸之助というひともほそぼそと電球を口で膨らませるような仕事していたのですね。

ビル・ゲイツだとかスティーブ・ジョプスというのは倉庫だか駐車場だかで仕事をはじめたのですね。

彼ら、この時点では戦略というより、「夢」をもっていたんじゃないでしょうか。
それを具体的に明確にイメージできるように生活していたのではないでしょうか。

もし町工場で、そこそこ皆が食べていけてなんとか生涯をすごせればいいや、と思っていたらずっと町工場で終わるのではないかしら。
自動車を自分で作るメーカーになりたいと幻想を持たなければ、実現できないものと違いますか。

たまたま、というかいろいろ時が味方するようなことがあって、彼らは日の当たるところで人のうらやむような状況になったと思いますよ。
これは戦略ではなく、立身出世伝の類です。
思えばかなう、というマーフィーの法則なんかよく言われますけど、成功した人だけを見るからそう見えるのです。

同じように修理工場をやっていて従業員に給料が払えないで会社を整理したと言う話はいくつも聞きます。

ソードなんていうコンピュータメーカーが昔ありましたけど、消滅して某メーカーの一部になったのが最後です。
あの東海大学系の創業者の顔を覚えていません。

これは夢を持つ話、夢が実現したり失敗する話です。

戦略という話は違っています。こういうことになります。

印刷会社があって、昔は出版物のほとんどを自分のところで植字工と巨大な印刷機裁断機合本機でどんどんやれていたけど、ワープロ出現後、植字校正というのがなじまなくなった。
植字工の仕事はなくなった。校正という工程も縮小された。
プリンタが精密で安価なものが出回ってきたので印刷機自体もフル稼働はしないで済むようになった。機器資産の保持が重くなってきた。

で、基板をプリントする業務に転換し、Asicの製造会社になった上、ハイテクのシステム設計会社に業態を変えていった。
大日本印刷ですね。

こういうことが戦略でしょう。少なくともキンコーズが日本に上陸する前にその対応は終わっていたのだから。

日本ハムは、社名が示すようにハム屋だったのに、大きく食品商社になっていきました。
食肉も大きくやっていた。でも食肉部門でみなさんご存じのあの不祥事が起きた。その部門を切り離さざるを得なくなった。
会社の構成を大きく変え、今に至っています。これは戦略です。

同じころのスキャンダルで雪印というのもほとんど消滅しかかりましたが、食肉やら加工食品の世界ではなくなりミルクだけの会社を興してつなぎました。
これも戦略です。

広島の西林パンさんはうまく戦略を考えられなかったのではないでしょうか。
高陽のメイン通りから消えたときはみなさん騒いだようですね。

初代が大きくて次世代が育たなかったのではないでしょうか。
つぶしたのは三代目ですよね。
初代が偉大だと、それを継承することだけに二代目が神経を使い、それを批判的に見る三大目は商売がいかにたいへんか実感しないでダメにするパタンが、よくありがちパタンです。
坊ちゃんとか若様と呼ばれるから自分が生来の偉い存在だと勘違いし、見かけのきれいごとには気をつかうけど、マネジメントができない。

親子孫で血筋でやるとこのようになりがちです。
親は子には苦労をかけたくないと思う反面、自分のほうが偉いと思うから肝心なことを教えないわけです。で無能なものが育って権力を持ってしまう。

江戸の言葉で
売り家と唐様で書く三代目
と言ったのはまさしくこのことです。レストランガストの隣で腕組みをしている三代目の姿ではないでしょうか。
唐様、というのは中国風のしゃれたフォントを使っているということで、三代目がいかに贅沢三昧だったかという話です。

大事な商売は、他人の手に渡さないといけません。そうしないと戦略は発生できません。
サントリーは非常に懸命だと思いますね。
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この回答へのお礼

西林パンの三代目社長は、若殿、と呼ばれて居たかも知れませんね。産まれ着いてからの、将来は社長さん。
二代目迄は順調だったとは聞きました。
三代目から、どうもおかしく成って来た見たいですね。
産まれた時から、何不自由無く、贅沢三昧の末の慣れの末、潰れて当然ですね。
また、自分は、産まれながら、誰よりも偉いんだ!と、勘違いも有ったでしょうね。其処で何のマネージメントも知ら無い三代目が腕力で強引に経営を為る。最悪パターンですね。
御回答誠に有難う御座いました。

お礼日時:2014/09/09 15:35

同じ戦略・・・・??



「社長自ら商品を焼き、リアカーで売りさばいた」のは、戦略やビジネスモデルでなく、その時点の単なる「手段」にすぎなかったのでは?
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この回答へのお礼

仰る通りですね。
戦略と手段との区別がついていませんでした。
リアカーは単に、社長が車の免許が無くて、売りさばく手段としただけなのでしょうね。
でも、二人の社長のやってる事は僕には同じ様にしか見えませんがねえ…。
商品も、戦後成長が期待される、ハムとパンだし…。
何が二人を大きく分けたのでしょうね?

お礼日時:2014/09/09 15:01

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