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先日、祖母の遺骨を真宗本廟(東本願寺)御影堂の宗祖親鸞聖人御真影御下の須彌壇に遺骨をお納めてきました。
 私は、まだこのような事情に詳しいものでもありませんが疑問が浮かびました。
 全国から須彌壇に遺骨を納める方々が相当におられました。遺骨は7cm四方の桐箱に納められ須彌壇へと運ばれました。しかし、納められる須彌壇の中までは入ることはできません。全国からこれだけのペースで納骨されれば、須彌壇は相当に広いスペースを必要としますが、相当な広い場所なのでしょうか?というものです。それとも、ある時期がきたら他の場所へ移されるのでしょうか?また、”お斎付収骨”でこの須彌壇に納められる待遇は違うのでしょうか?
 この疑問に答えられる方お願いします。

A 回答 (3件)

真宗本廟さんについてあまり詳しくはありませんが、須彌壇収骨をされたと言うことは、「相続講」(度重なる火災から両堂復興の負担に窮した教団は、明治18年に相続講という募財機構を作り、講員となった者から男子2円、女子1円の拠出金を募りました。

その趣旨とするところの「法義相続・本廟護持」は現在も生きています。)で、その相続講金をご進納いただきますと、その賞典として受けることができるものです。大谷派教団の年間経費のうち、50%余りがこの相続講金によってまかなわれています。

なお、金額によって、お礼としての記念品的な取り扱いが異なり、お礼として食事(お斎)をふるまうのが、お斎付収骨です。
したがって、皆さんにふるまうものでありますので、須彌壇に納められたお骨の取り扱いが異なるというものではないはずです。
なお、分骨されたお骨は、最後には土に戻す形になるのは当然のことであって、お預けしたままの形でいつまでもあるわけではありません。
お骨も、15年も立てば風化し、容量も5分の1程度の量に変わっていますしね。
的確なお答えではありませんが、もし詳しく知りたいのでしたら、大谷派さんに直接お聞きしても答えてくれますよ。
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この回答へのお礼

歴史的な背景から説明いただき誠にありがとうございました。専門家の方から回答を頂戴できるとは思ってもいませんでした。
昨今の事情から、最寄のお寺さんに納骨が多くなってきたと聞いております。わざわざ、遠方の京都まで足を運ぶことより、最寄のお寺さんで供養するということです。この不景気がもたらした影響でしょうか?。
去ることもう20年前、祖父のお骨を京都まで納骨をしました。生前、祖母もたぶんここに連れて来られることは百も承知であったのでないかと思います。また、同様に(一緒)にすることで、生きている親戚一同が納得できる行為であると思われたからです。自分も納得できました。
これで、胸のつかえを下ろすことができそうです。ありがとうございました。
仏事のことで質問をした場合、また、お願いいたします。    (合掌)

お礼日時:2001/06/13 15:34

#1のymmasayanです。

この頁が該当するのでしょうか。
死後の世界も金次第ということでしょうか。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/40 …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。URL確認させていただきました。検索エンジンによるHPは、おおよそ自分の目で確認してからの質問としています。今、頂いたものも既に確認済みです。西本願寺のものでしたね。確かにおっしゃる通り、地獄の沙汰も金次第ですね。

お礼日時:2001/06/10 20:19

回答ではありませんが。

似た例を。
あるお寺に遺骨を納めると、一定期間保管(おまつり)したあと、1年分のお骨をまとめて塚にしてその上に亡くなった年に対応した守り本尊の仏像が建てられます。遺族は以後その塚(骨仏:こつぼとけ)にお参りします。
骨を大地に帰すと言う意味合いでしょうね。

この回答への補足

いの一番の回答ありがとうございます。
”1年分のお骨をまとめて”とあるので、須彌壇は1年分ぐらいのスペースしか無いということでしょうか?また、別に聞いた話なのですが、昔はその中に(須彌壇)へ入ることができた、お骨を納める場所まで見ることができたということ、ある程度、相続講金?を支払うといつでもお骨に合うことができるということも聞いたのですが・・。これも、本当のところはどうなんでしょうか?

補足日時:2001/06/09 10:10
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