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生きているということがイマイチ分かりません。
「生きている」或いは「生きる」「死ぬ」これらは全て、状態に対する勝手な命名でしかないのではないのだろうかと思ってしまいます。
皆、生きていることが前提で話が進みますが、そもそも、生きているということがどういうことなのかすら分かりません。
何故今の状態が生きていると言えるのか…。そんな風に思いだすと、全存在が意味を失っていきます。
結局分かることといえば、「今、何故かここにいる」ということだけで、あとのことは何も分からなくなる。
同じように思われる方います?

A 回答 (15件中11~15件)

人生には不幸な出会いもあれば幸せな出会いもあります。

私は何故生きているのかという問いには、何か、或いは誰かと出会うためだと自分に答えることにしています。そしてそれが、全てなのではないかと。
そんなものは幻想で、人は孤独なものだという意見もありますが、わたしは先のように考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そのように考えるのが、一番素敵で幸せな気がします。
興味深く読ませていただきましたm(_ _)m

お礼日時:2014/11/24 19:31

その問題は古代ギリシャから「存在」の問題と言われ、「なぜ何ものかがあり、何も無いのではないのか?」とか、「なぜ、存在だけがあり、無ではないのか?」と問われてきました。


不思議ですよね?
なぜ、存在だけあり、無があるのではないのか?
だって、この世界は存在しなくても良かったはずです。
にもかかわらず、どうしてか存在している、なぜだ?

なぜ、私は生きているのか?
生まれなくたって良かったはずだ。
にもかかわらず、今、こうして生きている、なぜなんだ?
生きるって何?
人類の歴史が何千年あるか知らないが、今現在ここに私というものが存在している。
しかも、しばらくしたら私は永遠に失われ、存在したことは痕跡さえも残らない。
どうして、今から100年前に生まれずに、今生まれたの?
なぜ?
いったい、私って何?
100年前には私というのは存在しなかった、そして100年後も存在しないだろう。
人類の長い歴史からしたら、私の存在なんか瞬間のようなもの。
突然現れたかと思ったら、たちまち消滅してしまう。
この私って、いったい誰?
仏教のいうように私というのは、幻想で、実際は存在しないの?
だけど、私はこの広大な宇宙を見ています、見ている私の存在を疑うことは出来ません。
だから、私という存在は幻想ではありません。
私という存在は唯一のもの、他に代えがたい存在です。
その唯一の存在が死ぬって、私にはどういうことか分かりません。
生きているって何?
T・S・エリオットが言ったように「生まれてセックスして死ぬ、ただそれだけ」?
私は先祖と子孫の中継点?
とんでもない、私は祖先から生命を受け継いだのでもないし、子孫にその生命を引き継ぐだけの存在ではありません。
いわば私は唯我独尊。
単独者です。
他に代えがたい、この世に存在する唯一のもの、単独者です。
むしろ、幻想なのは世界の方です。
なぜ、世界は存在しているの?
世界なんて、1個の素粒子から誕生した物理的なもの、そこに私という存在は含まれていません。
私は精神だからです。
そして精神は世界にも、宇宙にも存在しないからです。
「存在とは何か?」そして「なぜ存在だけがあり、無ではないのか?」
私は暗闇で一人、そう呟いています。
答えはまだありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
興味深く読ませていただきましたm(_ _)m

お礼日時:2014/11/24 20:27

 回答ではなく、質問を通して思った事は・・・



 この「私」は何で、いま現在だけの「私」なんだろうか。江戸時代には「私」は居なくて、明治時代にも「私」は居ないし、戦国時代にも「私」は居ない。

 「私」は今現在だけの存在。
 この世に於いて唯一の存在、ですよね。

 「私」って、何なのでしょう。
 本当に不思議です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
本当に不思議です。「私」すら、便宜的な名称でしかないんじゃないかと思ってしまいます。
興味深く読ませていただきましたm(_ _)m

お礼日時:2014/11/24 20:10

まったく同感です。

何故に生きているのかは私も分かりません。この生きている状態を生かされていると表現する人もいます。しかし神様や仏様によって生かされているとの確信がありません。微生物も生きており、植物も動物もしかりです。多くの生物が生きているのです。私は昔から生命の起源と宇宙の終末が分らないのです。

生き物はDNAに生きるように書き込まれているのだと思っています。その意味からしてDNAに生きるように命令されているようなものです。死にたいとか生きる力の弱いDNAは子を残せずに消滅したのです。DNAも有機物なので酸化劣化は免れられません。古くなって壊れないうちに新しいDNAに生まれ変わらせる必要があるのです。

生きている状態と死んでいる状態が言葉の命名だけのことだとは思えません。生きていることの価値は死んでいる状態とは雲泥の差であると思います。しかし、いつか死ぬからこそ生きていることに価値があるのです。親がいつまでも死ななければ子は生きてゆけないのかもしれません。死ぬことでもって次が生きてゆけるのです。また死ぬことで生き物は進化できる能力を得たのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
興味深く読ませていただきましたm(_ _)m

お礼日時:2014/11/24 21:40

「信、無くば、立たず」

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
興味深く読ませていただきましたm(_ _)m

お礼日時:2014/11/24 20:41

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