好きな和訳タイトルを教えてください

たぶんうまくまとまらないかもしれませんが、相談させてください。

1人娘(5歳)を育てている母です。
私の住んでいるのは公営団地で集合住宅です。
幼稚園のバス停には全学年で10名ほど乗り降りします。
そのバス停で一緒の年長さんの女の子(以下Aちゃんとします)が娘(年中)のことが嫌いなのか、
娘に対してだけ発言が厳しかったり、バスを待つ間に仲間外れにしていることは夏休み前から薄々気づいていました。

例えば娘が一番仲良くしている年中さんの女の子だけにバスを降りてすぐに何かをあげて、「〇ちゃん(娘)には絶対にみせないでね。」といい、うちの子が近づくと「ダメ!あっちにいって!」とその子をつれて逃げる。←原則娘が仲良くしている子とやり取りしていると間に入って連れて行ってしまう。
他には娘の着ているものをダメ出ししたり、カットした髪型が「似合わない」といったり。
一番気になるのは、バスがなかなか来ないときに子供たちはしりとりなどをして遊ぶのですが、うちの子は入れてあげない。など。

そのAちゃんのママさんは歩き始めたこどもを追いかけるのに夢中でこのやり取りに気づいていないのですが、数カ月前、バスを降りた後、Aちゃんに直接「〇が何か悪いことやいやなことしちゃった?教えてくれる?」と聞いたら、「してない。しらない。」との返事でしたが、その時のやり取りはママさんの前で交わしたので、何となくは気づいているようにも思います。


当の娘は悲しそうな顔をしますが、それでもその年長さんから離れるわけでもなくついていこうとします。「△ちゃん(年長さん)のこと好き?」と聞くと、困ったように笑いながら「好き」といいます。そのことに触れないでほしいのかすぐに目線をそらします。

この状況で、親は介入すべきなのか、見守るべきなのか悩んでいます。
子どもたちのやり取りの中で学んでいくとも言いますし、私が感情的になって先回りすることは避けたいという思いと裏腹に、今の状況を冷静にみれなくなっている自分もいます。
Aちゃんはいわゆる先生の評価は絶大に高い(しっかりして、クラスをまとめてくれる)のもあり、わが子がなにか輪に入れない原因があるのかとも思いはじめ、将来的にも不安を感じてしまいます。

もし介入するとしても誰にどのように入っていくべきなのか。
この場はぐっとこらえるべきなのか。
ご助言いただけたらありがたいです。

※支離滅裂で分かりにくかったら申し訳ありません。

A 回答 (2件)

結論から言ってしまうと、記載されているような辛くて厳しい環境を味わうのも、幼稚園に通わせている目的だとの認識を持つ事だと思います。



保護者の居る家から出れば、娘さんの周りにはお友達も居れば敵も居ます。

それが社会ですので、小学校に行っても中学校・高校・大学・社会人とステップアップしても同じことです。

出来る限り自分自身の力で切り抜ける経験を積む必要がありますね。

もちろん5歳のお子さんが一人で背負うには荷が重いと思いますから、質問者さんが確りとサポート態勢を取ってあげる事ですね。

そのサポート態勢とは、娘さんの良き理解者に成ってあげる事、話を聞いてあげる事、アドバイスをしてあげる事、娘さんが頑張れるように応援してあげる事です。

決して直ぐに大人として仲裁の為に手を加える事ではありません。

母親としては娘の不憫な姿を見る事は辛くて耐えられない事かもしれませんが、もっと辛い思いをしているのは娘さんご本人さんですから、ご本人さんが頑張っているんのであれば、母親としてグッと堪えて見守ってあげるべきです。

そして頑張れた娘さんを精一杯褒めてあげて下さい。

幼稚園生活では楽しい事も必要ですが、辛くて悲しい事も心を成長させる事が出来ると言う意味では、良い経験です。

お家の中では、この様な経験は出来ないですから、大人に成って社会に出て行くまでに経験を積んで、娘さんなりの対処法を身に付けておく必要があるのです。

きっと心の強い良い女性に成りますよ。
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この回答へのお礼

まずはご意見をいただき有難うございました。私の今の気持ちに共感してくれつつも、冷静に『今の経験』が「娘にとって必要な経験」であることを〈わかりやすく〉諭してくださり感謝いたします。No.1の方と方向性が同じで、たまたまお二人が私の悩みの質問に目を留めてくださったことに運を感じます。私も親として成長したいと思います。本当に有難うございました。

お礼日時:2014/12/18 04:33

それがどんなに小さな子供でも、他人を変えるということは大きな労力を伴いますし、そうしても上手くいかないことも多いものです。

この世の中には関わりたくないタイプの人間はいつも存在しているわけで、そういう人たちを変えようと努力するよりは、自分たちを変えるほうがよっぽどラクで確実です。

どういうことかというと、娘さんがどんな人間関係に直面してもそんなことで揺らがないような自信を母子ともども身につけていくということです。他人の不快な態度に直面してもそういうことを間に受けたり、傷を負ったりせずにいつも明るくいられる心があれば、それは人間として大きな武器になるというものです。
私であれば、娘にひたすら無条件の愛情を向け続け、娘がどんなに素晴らしく価値ある子かをいつも話して聞かせ、どんなときもなにがあっても自分は娘の見方だということを伝え。。。というようにいつも太陽であろうと努力します。そして自分自身も日々のあれこれにいちいち動揺して落ちこんだりしないよう、心を整え強くしていく努力をすると思います。
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この回答へのお礼

まずはご意見をいただき有難うございました。目が覚めるようなご意見でした。お恥ずかしながら、冷静さを欠いていた私はその女の子を疎ましく思う気持ちでいっぱいでしたが、私があるべき姿を簡潔にまとめて下さり感謝いたします。今は亡き母も「太陽」そのものでした。ここで質問してよかったです。有難うございました。

お礼日時:2014/12/18 04:28

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