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徳川家臣団の救済などを名目に蝦夷を占拠した榎本武揚たちでしたが、あくまでものちの開拓使のような北海道の防衛と失職する武士たちの仕事先とするために蝦夷地を目指したと聞きます。
なので天皇に対して反抗するつもりはなくむしろその目的を新政府に伝えて認めてもらうことが第一のはずであくまで日本人として戦っていて東北の戦争とは少し目的が違うと思います。
しかしそこで蝦夷共和国を建国して独立しています。
これだと明らかに新政府だけではなく天皇や日本に対する反抗になってしまいませんか?
あの榎本武揚ともあろう方がなぜそんなことをしたのでしょうか?

A 回答 (3件)

おそらく榎本武揚の目的は旧幕臣を守る、自分たちの勢力を存続させることなのでしょう。


そのための方策として朝廷に蝦夷地を求め、それが駄目なら諸外国に蝦夷共和国を認めさせ日本と並立させることなのでしょう。
蝦夷地殖民認可の嘆願書は目的でなく手段なのだと考えられます。
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この回答へのお礼

やはり榎本武揚は外交とかそういうのが上手いですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/11 03:08

当時制空権は存在せず、島なら制海権さえ押さえれば、本土からの大軍に艦隊防衛で対抗可能だったからです。



しかし、まさかの座礁で艦船を失って自滅するとまでは思ってなかったようですね。
残念!
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この回答へのお礼

たった一隻で制海権を握れるか否かが変わるとはすごい時代ですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/11 03:11

榎本武揚は旧幕府海軍を引き連れていたので、本州と陸続きではない北海道を選んだのです。

陸軍では新政府に勝てないためです。結局は背後に上陸されて陸軍に負けています。蝦夷のことは手段であって目的ではなかったはずです。旧幕臣の救済が目的であったと思います。もちろん新政府に反抗する勢力なので潰されたのです。
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この回答へのお礼

当時開陽丸にかなう船はほぼありませんでしたからね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/11 03:09

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