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九州には強力な騎馬武者は存在したのでしょうか?
日本では、関東に強力な騎馬武者が誕生して武士階級が誕生し、西日本は船と牛の文化で強力な騎馬は居なかったそうなのですが、でも九州地方はどうだったのでしょうか? 九州は兵士が屈強だと言われ、畜産大国です。肥前風土記によると五島列島の島民は騎射を好むと書かれています。それに九州には広大な阿蘇の平原があります。以上の関係から騎馬武者が育つ要素はあると思うのですが、誰が真相を教えてください。

質問者からの補足コメント

  • 「西日本は牛と船の文化」とは日本の騎馬隊に関するものです。西国は瀬戸内海があるから水軍が発達し、平野が少ないから騎馬が育たなかった。逆に関東等の東国は平野が多いから騎馬が育成出来たとのことです。鈴木史感に対抗して出てきた学説ですが、日向駒といった名馬の産地のはずの九州が無視されてることに疑問を感じました。

      補足日時:2015/06/22 13:04

A 回答 (4件)

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騎馬武者は、蝦夷の文化



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%A8%E6%89%8B …

「東北地方では、刃が上を向くように柄に反りを生じるようになる。湾刀の形状に近くなったのは騎馬戦が盛んになったためと下向井龍彦は指摘している」

捕虜にされた蝦夷は、日本各地に分散され軍事貴族の管理下に置かれた。この管理していたのが、「武士」となりまして、騎馬のノウハウを蝦夷から取得します。
分散された蝦夷の中で、捉えた方の阿倍比羅夫の あべ の姓をもらった子孫に長州の安倍一族があります。

平安時代の関東
http://ameblo.jp/edo-sanpo/entry-11910079240.html

将門の本拠地 猿島郡も 水郷地帯。

御牧
甲斐・武蔵・信濃などの国々にあった。<関東がメインではない
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>西国は瀬戸内海があるから水軍が発達し


瀬戸内で村上水軍、塩飽水軍などが発達しましたが、地上軍と
ほとんど交流が無いため、馬の生育とは関係ないでしょう。

>関東等の東国は平野が多いから騎馬が育成出来た
本当に馬は平地の多いところで育つのでしょうか?
武田騎馬軍は小さな盆地だし、肥後馬も阿蘇の盆地、
三春馬も福島の盆地です。

関西以西で騎馬武者が少ないのは騎馬が育たなかったからでは
ありません。騎馬戦術が古くなったからです。
騎馬武者が戦ったのは主に平安期ですが、騎馬武者1名に対し、
口取り、槍持ち、などの5名くらいの集団が必要です。
それよりも5名がそれぞれ槍をもって戦った方が強いのは明白です。
騎馬集団は奇襲、追撃に非常につよいのですが、肝心の先鋒線に
負けると無意味です。強力な騎馬武者も鉄砲も持った足軽3名には
勝つことはできません。
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>西日本は船と牛の文化で強力な騎馬は居なかったそうなのですが


どこの情報ですか?
日本の歴史を見ても、源義経を除いて、ほとんどのケースでは
西から東に攻め上っています。

以下の図は日本で最も有名な騎馬武者ではないでしょうか?
元寇で活躍した竹崎季長です。肥後の国の武士です。
「九州の騎馬武者」の回答画像1
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