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旧日本軍の軍服について、調べていることがあります。
私の親族に沖縄戦で戦死した者がいて、独立臼砲第一連隊という部隊に所属していたそうです。
残された写真などを見ると、軍服の上着のポケットあたりに横長の長方形の中にV字が刺繍してあります。
沖縄にある独立臼砲第一連隊の慰霊碑を見ても同じマークが見られます(写真参照)
この、横長の長方形の中にV字のマークは、独立臼砲第一連隊の部隊のマークかな?と思い、調べましたが全くわかりませんでした。
わかる方がおられましたら、是非ご教示お願いいたします。

また、戦死した親族は、独立臼砲第一連隊の材料廠(ざいりょうしょう)という所で勤務していたらしいことがわかっていますが、材料廠というのは兵器の調達や修理などを行う部署と考えて間違いないでしょうか?

「旧日本軍の軍服について」の質問画像

A 回答 (1件)

>軍服の上着のポケットあたりに横長の長方形の中にV字が刺繍してあります。



未確認のため断定はできませんが、旧陸軍の部隊章の位置からみて同連隊の固有部隊章だろうと思われます。

これも断定はできないものの、旧陸軍における臼砲の軍隊符号(作戦図などに表す記号)は「M」で、これは臼砲の英語読み「mortar」に依っていました。したがって、V字ではなくMを象ったものでしょう。

>材料廠というのは兵器の調達や修理などを行う部署と考えて間違いないでしょうか

九八式臼砲は、有翼の砲弾と、発射座からなり、後者は木材および鉄板からなる床材、座板、球板、およびボルトからなり、地面を掘削しておおむね45度の斜面を造り床材を組み合わせてボルトで固定することで形成し、そこに砲弾(弾頭、弾中、弾尾筒からなる)を据え付け発射するものでした。

材料廠は、砲弾および、発射座の資材の保管供給を担任する部署のことでした。

臼砲の威力にかんしては、当時のビルマ北部にあったナムクイン飛行場陣地を挺進攻撃した記録を引用しておきます。

>「発射用意」数十メートルに及ぶ拉縄(りゅうじょう)がピーンと張った。臼砲の最大射程は一二〇〇メートルであるが、破片の届く可能性があるといわれていたので、、砲手は臼砲の位置から数十メートル後方に壕を掘って拉縄を引くのである。「撃てッ」有島隊長のかん高い号令が響く、拉縄が草の上をすべり、腹にこたえるにぶい発射音とともに発射台から弾丸が勢いよく飛び上がった。<うまく飛び立つだろうか>と危惧していた隊員たちは「やった!」と声を上げた。大きな弾体はスーッと上昇する。上りつめてユラリュラリと鯉幟の鯉が泳ぐように前進したかと思うと、急に弾頭を下げ、そのまま地上に急角度で落下した。弾丸の行方をかたずを飲んで眺めていた隊員は、パッと壕の中に身を伏せた。つぎの瞬間、まるで百雷が一時に落ちたような、それこそ迫撃砲の数十倍と思われる、すさまじい炸裂音が轟いた。(中略) 夜が明けると私たちは占領なった敵陣地跡を視察に出向いた。まず、わが臼砲の威力はいかにと、弾着点に行ったところ、聞きしにまさる大きな威力に驚いた。弾丸は滑走路の中間地点に命中し、直径三〇メートル以上、深さ一〇メートル近い大穴を開けているではないか。そのため敵機は離陸できず放置されていた。それよりもっと驚いたことは、多数の敵兵の死体が散乱していたことである。その中に無傷の者が数名いたので、その死体を調べてみると、眼球の飛び出た者や、口から血を吐いている者がいる。炸裂の爆風でやられたものと思われる。

資料:

  『日本砲兵史』陸自富士学校特科会 原書房

  『太平洋戦争 日本陸軍の秘密兵器』 小橋良夫 銀河出版

  「龍兵団 お化け臼砲隊巨弾を撃つ」神崎博 『歴史と人物』昭和六一年夏号所収

  『日本軍の沖縄作戦』沖縄戦史刊行会 日刊沖縄社
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この回答へのお礼

ご回答頂きありがとうございました。
軍隊符号の事も無知でしたし、本当に参考になりました。
私自身も頂いた回答を元に更に知識を深めていきたいと思います。

お礼日時:2015/07/04 17:26

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