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400文字以上で、例など出して頂けると助かります。

質問者からの補足コメント

  • できれば哲学的に欲しいです。
    お願いします

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/07/03 00:40
  • はい

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/07/03 00:41

A 回答 (7件)

物理学・生理学として説明する分には同じこと。



 視力健常者に紫外線やX線について説明するのなら、まずはそれらの実在を示す実験について語るべきで、紫外線やX線を可視光に変換する手段、たとえば蛍光板を使った実験について説明すれば「像として見える」という経験と直結する。

 先天的な盲人の場合には「見える」および「色」という経験がないから、三原色と言われても類推が効かず、直感的に納得するのが難しいだろう。そこで、たとえば味覚(「甘い・塩辛い・酸っぱいという味を色々なバランスでミックスすると…」)に置き換えて類推してもらう。これは視覚のうちから「像が見える」という部分を捨象して、三原色から多様な色が生じる、という現象だけに限って話をしている。しかしこれだけでは「色が見える」という経験全体を説明したことにならないのではないか。そこで、聴覚(「あらゆるものがドミソの和音を出す、という世界を想像して欲しい…」)に置き換えて説明すると、(様々な方向から様々なバランスのドミソが飛んでくるという)音像のイメージからの類推で「(像が)見える」という経験については多少伝わりそうだが、今度は「原色」の意味がいささか曖昧になってしまう。うーん、困ったな。
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No.1さんの答えに近いような気がするけど



見えないものを語るのは一緒
話す方が見える事を語るのと、話す方も見えないことを語るのが多いに違う

相手にとって知覚出来ないことを語るのは似てるけど、相手が何となくこんな事かなぁ?と想像できる範囲が違いそう。
そして巷にある説明が、一般的には健常者向けにある事も。
盲人の方の事、よく分かってないから間違ってるかもしれないけどね

色覚異常で白黒しかない世界で生きてる方では無く、盲人って事が気にかかります
それは図や絵を描いて説明できるか、波というものを上手く説明できるかなど、盲人に語る方が格段に難しそう。

更に、自分が目で見て判る、自然に知ってる事を判らない方に話すのは、何が判らないかを手探りで探しながらという所が出て来そうで、難しそう。
え~っとこの辺は勉強が出来て聞けばすぐ判る方が勉強が出来ない方に教える際に何が判らないのか、なぜ判らないのかが判らない、って話に近いかな?
話す方の忍耐力や、知識が試されますよね

可視光線の波の波長の長さが~とか言われても、目で見える訳じゃないのは一緒でも、視力健常者は、虹やプリズム光を見て説明すれば、感覚的に色の違いで波長で色が変わる、紫外線は可視の向こう側とか言われれば、よく分かんないまでも、何となくあるんだな、と納得できるし 人によってはそうか、世界は自分が思っているよりずっと広いと感じる人もいるだろうね
で盲人の方に三原色…どう話したらいいのか私にはまずわからない。
でも話を聞いて、世界は自分が思ってるよりずっと広いんだと明るい気持ちで思える可能性はより低そうな気がします。
自分の見えない世界は元からある事を知っています
あ、盲人の方を侮辱したいわけじゃないですよ
でも他の人には見えてるものを語られて、その時の気持ちはどうなんだろう?と思ってしまいます

鳥は4原色見えてるだったかな?
全く違う色の世界で生きてるらしいって話を聞いた事があります
もし人語を解する鳥がいて、4原色について語られたらどう思うだろう?
関係ないと思うだろうか、イラッとするだろうか、見てみたいと思うだろうか、興味深いと思うだろうか…
私には想像が全く付かない世界で、一生見られない世界だ
自分の見ている世界と全く違う世界が実際には同時に存在している
ここから哲学的な境に入るのに、心の中の整理が付くだろうか

また、自分以外の人のほとんどが共感覚の持ち主で、音を見、物を聞いていて、それの詳しい事を語られた時、理解が出来るのか不安だ。
私だったら劣等感で縮みこみそうな気がする ここからものを深く考えるようになれそうにない
私がダメ人間なだけかもしれないけど、今の私が紫外線やX線の話を聞くのとは全く違いそうな気がする
純粋な好奇心を持てるかどうか、見えない世界をポジティブに受け取れるかどうか じめじめと暗くならずに深く考え込めるかどうか

利き手側の心情が大きく異なりそうです


なんとなく思った事を書いちゃいました

あ、盲人がほとんどの世界で、見える人が三原色を語るのは、見た事の無い人に幽霊を見た人が話をするのに近くなるような気もしてきた…
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こんにちは。

リクエストの条件から外れてるし私は哲学者じゃないので、ダメなら無視してくださいね。
科学の立場から申しあげます。昔から科学と哲学の間で対峙していて、今もなお科学では解明されていない哲学の問題があります。それが「クオリア」および「マリーの部屋」です。Wikiで検索してくだされば、参考になる事が書かれています。もしかしてだけど、そういうことなんじゃないのかなと思いましたので。
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三原色に意味があるとすれば。

哲学よりも寧ろ生物学では?

健常者が目で物を見る時には三原色に対応し反応する細胞があり、光の強弱によって反応した細胞のシグナルを脳が受け取り光として見ることが出来る。盲目の人はそれを活用することが出来ず見ることが出来ないが健常者ではそれが可能である。非可視光線については両者共に反応する細胞がない為見ることが出来ない。詳しく書けばあっさり400文字超えますがその必要もないかな。
この回答への補足あり
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答える前にちょっと疑問なのですが、なぜ、可視光ではなく三原色に限定されているのでしょうか?ここに意味はありますか?

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どっちも大変そう・・


紫外線は宇宙では地球に届く頃には赤外線になるとか 波長が伸びるので・・
いずれにしても眼には見えないものでしょうか
しかし赤外線は眼にも見えるかな 虹の赤とか 夕焼けとか
眼の不自由な人には証明のしようが無いかもだけれど
健常者にはある程度は眼に見えて証明出来る かな

これは宿題?
この回答への補足あり
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相手にとって視覚的に認識できないものについて語る、という意味では同じ。


一方、三原色は語り手には認識できる、という点で紫外線や X 線の場合とは異なる。
紫外線や X 線に関しては、視覚健常者、つまり語り手、聞き手双方ともに視認できないという前提で定義されているが、三原色の場合、視覚健常者、つまり語り手のみが赤・青・緑を視認(区別)できるという前提で定義されているはず。
結果として、その定義から盲人に説明する必要がある、という点が異なる。
これで半分ぐらい?例はご自分で。
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