電子書籍の厳選無料作品が豊富!

冤罪はどこの国にもあります。
しかし、冤罪を理由に死刑を否定するなら、司法そのものの否定に他ならないと思うんですが、
みなさんは 冤罪と死刑の関係について どう思いますか?

質問者からの補足コメント

A 回答 (4件)

そのとおりだと思いますね。

死刑反対派ですが、冤罪が主な理由ではありません。(理由が知りたいなら補足します。長文になります)また、法学部出身です。

そもそも「人間が人間を裁く」ということは、誤謬が生じます。また神のように全能ではない、人間が他人を裁くのは問題があります。法を犯したことも道徳的に違反したこともない、人なんて殆どいないからです。

また人間が行なうことは常に完璧ではありません。死刑になるような犯罪だけでなく、万引きや痴漢のような軽犯罪でも冤罪は生まれます。冤罪はどのような場合でも社会的な損失を生みます。たとえば、痴漢冤罪で捕まり、会社を解雇されるようなことがあれば、死刑と同等とはいえなくても社会的に抹殺されてしまうといえます。今まで積み上げたものをすべて失うわけです。

ですから、冤罪は常に注意深く避けるようにしなければなりませんし、そのための歯止めを十分に行い、新しい検証方法(DNA鑑定など)ができれば、それらを取り入れてまちがいを極力起こさないようにしなければなりません。

また、法的な手続き(デュー・プロセス、令状主義)をきちんとすること、裁判の証拠や検証を正しく行なうこと、それらの方法に誤りや新しい技術があれば取り入れること、などが重要ですし、もち後々まちがいがあれば、恐れずに検証することも重要です。

それでも100%冤罪を防ぐことは出来ないでしょう。後は「正しく安全な社会のために、犠牲をどの程度まで許容するか」というバランスでしかない、といえますし、それが「法の限界」でもあるといえます。

つまり、交通事故で死ぬ人を社会的に許容するように(殺人罪には問われないですよね)、冤罪で死刑になる場合も事故として許容できるかどうか、ということです。

実際に、日本以外の先進国を見てみると、そもそも有罪率が日本よりも低いのが特徴です。大体7割から6割程度の有罪率しかありません。また、陪審員制度などを取り入れている国も多く、彼らは少なくても「有罪・無罪」を決定しますので、冤罪であった場合の社会的な責任を国民が負担しているともいえます。
また、有罪率の低さは「疑わしきは被告の利益に」という刑事裁判の大原則からみて、冤罪のリスクをそれなりに下げているといえます。

それでも、冤罪は100%ふせぐことはできませんが、アメリカの例をみてみると、死刑や長期刑に処された犯罪については、後に証拠を再鑑定できるように保存する仕組みがありますし、その再鑑定で最近多くの冤罪(10件とも25件とも言われている)が明らかになったため、死刑のある38州のうち31州で「死刑の当面の凍結と司法制度の見直し法案」が検討されています。

日本の場合、そもそもデュー・プロセス自体が先進国として不十分です。
・弁護士の接見などの、自己防衛権が確保されていない
・代用監獄など、拘置と取調べが分岐していない
・取調べの可視化などが出来ていない
・証拠の取り扱いについて検察の権限が強すぎる(検察が無いとか出さないと言ったら出てこない)
・証拠の科学的捜査の取り扱いが明確でなく、後の再検査が保障されていない
・司法府も行政府も「国民の司法制度への信頼」に対してアピールしない

日本の死刑議論は単なる感情論にすぎません。刑法運用の実態を誰も知らないし、死刑の実態も殆ど知られていません。
そのため死刑賛成論者にも「死刑囚にお互いボタンを押させあえばいいんじゃないか」という意見がでるぐらいです。

死刑が「国権の発動」であることが議論の前提であるはずなのですが、そういう議論が行なわれていないのが一番の問題ではないでしょうか。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/07/06 15:27

おじさんです。


久しぶりのテーマですね。
「冤罪はどこの国にもあります」
→そうですね。
「しかし、冤罪を理由に死刑を否定するなら、司法そのものの否定に他ならないと思うんですが、
みなさんは 冤罪と死刑の関係について どう思いますか?」
→結論から申しますと、検察、弁護士、裁判官といえども完璧ではないということでしょうね。
冤罪を心配すれば死刑判決は危険です。
しかし、死刑を廃止すれば凶悪犯罪は増えるでしょう。
どちらの意見も完璧ではないということでしょうね。
この回答への補足あり
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>しかし、死刑を廃止すれば凶悪犯罪は増えるでしょう。
これは 疑問ですね。例えば、宅間守や加藤智大のように死刑になりたくて連続殺人に及んだ人間もいるし。あと、結果的には甚大でも凶悪犯罪とは呼べないとは思いますが、新幹線で焼身自殺した71歳の男性も 死刑が抑止力にはならない証明だし。

お礼日時:2015/07/06 22:29

冤罪は結果であって、それまでの判決に従った処置を否定する事を良しとは思えない。


万一死刑執行後に冤罪と解っても、それはそれで仕方ない事。
その判決を出すまでに相当の考慮が成されたはずで、死刑判決を出した司法の責任は無いはずです。

ただし、あくまでも罪を否定しているのも関わらず、死刑判決を下した裁判官は、冤罪と解った時点で相当な苦悩を負う事には成るでしょうね。
人が人を裁くことは、本当に難しい事です。

ちなみに、私個人は死刑によって楽に成る罪人を死刑にする事には反対で、生き長らえさせて肉体的や精神的に苦悩や苦痛を与える方が良いと考えています。
人権無視や虐待と言われても、死刑によって楽に成ってしまう罪人を、被害者の苦悩を考えるに死ぬことによって楽に成る事は許せません。
    • good
    • 1

直接の関係はないでしょう。

    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!