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ある書籍で日本語と英語の相違について,確か下記のような説明を読んだ記憶があるのですが,その書籍も著者も失念してしまいました。再読したいのですが,どなたか読まれて記憶されている方がいたら教えていただけると助かります。抜粋されている小説の原典でも助かります。

問題の説明→「『いくら汽車が遅れたからといって,もう来てもいい頃だ』(小説の抜粋文)という文を読んで,何が来てもいい頃なのか?を尋ねると,日本人は待ち合わせの相手が来てもいい頃だと答えるのに対し,西洋人の場合は,たとえ日本に長期生活し殆ど日本語ネイティブであっても,汽車が来てもいい頃だと理解することが多い」

A 回答 (2件)

太宰とかそんな年代ですかね・・不明ながら


読んだ気もするけれどどうかなあ・・
もうちょい何か無いとかな・・
夏目とかかな・・
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この回答へのお礼

早速の回答に感謝します。確かにその年代のテキストかもしれません。すみません,これ以上の手がかりがございません。

お礼日時:2015/07/12 16:27

趣旨の上からは、下記の文章が同じようなことを述べています。

あるいはここに挙げてある、「水谷修」の論文かも知れません。

 金田一春彦「日本語 新版(下)・岩波新書」p.94

   大きくかかるか小さくかかるか
 以上のように、「は」は題目を表わす助詞であるが、これは英語その他のヨーロッパの諸語にはないもので、日本語の文は、題目を掲げて述べるものとヽ題目なしに述べるものとに大別できることになる。一体に「は」は大きく文にかかり、「が」は小さく次の動詞・形容詞にかかるということも、その現われだ。
 水谷修の例を借りると、
  電車がおくれているようだけれども、もうそろそろ来るでしょう
 といった場合、日本人は「来る」の主格は、みんなが待っている人物だとすぐ思うが、外国人は、「来る」の主格は電車だと解するという。「が」という助詞の及ぶ力は、「おくれている」のところまでで、「けれども」のあとまでは及ばないのである。
 主語を表わす助詞と話題を表わす助詞の区別をもっているものは、世界の言語で非常に少ないらしい。「朝鮮語」にはこれがあることが有名で…………
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この回答へのお礼

OKAT様,お礼が遅れて申し訳ありません。ほぼこの内容に近いので,もしかすると,これを読んだ著者が引用したものを読んだのかもしれません。いずれにせよ,金田一先生の記述には非常に興味があるので,この新書を読んでみたいと思います。ありがとうございました!

お礼日時:2015/07/15 20:58

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