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【仏教】曼荼羅には金胎不二という考えがあるそうです。

金剛界と胎蔵界とはどういう教えの違いがありますか?

A 回答 (1件)

両部不二、或いは金胎不二と呼ばれる思想は、「金剛界と胎蔵の両部は而二不二(二つでありながら一体)である。

」とする真言密教の教学の根本思想です。

そもそもふたつの密教は、大乗仏教の二大流派の「般若経の中観派」と「瑜伽行唯識派」の止揚で、それらと無関係な別個の教義を立てた訳ではありません。大乗仏教の思想進化の過程において、中観派の思想は胎蔵の密教へ継承され、瑜伽行唯識派の思想は金剛界の密教へ継承されたのです。

胎蔵の密教思想を説いた経典は、一般には『大日経』と呼ばれ、7 世紀中期の東インドにおける成立が有力視されています。漢訳とチベット訳は現存しますが、梵文の原典はごく零細な断片をのぞいて残っていません。

漢訳の『大日経』は、724 年に善無畏三蔵と一行による『大毘盧遮那成仏神変加持経』で、わが国には弘法大師空海の入唐以前に請来されています。この『大日経』の存在が、空海の入唐の動機の一つとなったとされています。『大日経』は、大日如来と呼ばれる根本仏がその太陽の光になぞられる如来の智慧の光によって、すべての生きとし生けるものに慈悲を注ぎ救済するという思想を述べている経典です。なかでも、仏の智慧(一切智智)とは何かという問いに対する、世尊である大日如来の答え、「仏のいわく、菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟となす。」という「三句の法門」は、第 1 章に当たる「入真言門住心品」に説かれており、『大日経』の教義の一つの軸となっています。

一方、金剛界の密教思想は『金剛頂経』に説かれますが、その経典は『大日経』のような単経を指すのではなく、狭義と広義の二様があります。両部、或いは金胎という場合には、狭義の『金剛頂経』を指し、一般には『初会(しょえ)金剛頂経』、或いは『真実摂経(しんじつしょうきょう)』と呼ばれている経典を指します。

『初会金剛頂経』の成立は、『大日経』の成立に少し遅れた 7 世紀後半の南インド説が有力視されています。
また、広義の『金剛頂経』は、『初会金剛頂経』の理論と実践を基盤として生みだされた様々な密教経典群を指します。『金剛頂経』は、摩訶毘盧遮那(大日如来)を中心とする五仏(五智如来)の曼荼羅と、聖俗一致(大日如来=衆生)を保証する成仏の理論および実践を説いています。

では、両部不二思想は、いつごろ確立されたのでしょうか。以下に、その代表的ないくつかの説を概観してみましょう。

まず、その成立が最も古い説としては、唐の時代、長安におけるインド僧の不空(705-774)から中国僧で空海の師匠にあたる恵果(746-806)への密教相伝の中国密教において確立されたという説ですが、勝又俊教先生は「それに関する資料が乏しいため論証には困難を要する。」と指摘しています。

次に、空海(774-835)により確立されたという説があります。これは、堀内寛仁先生によるもので、「台密(天台密教)が両部の外に蘇悉地という不二を立てるのに対し、両部の外に不二を立てず、金胎両部は二にして而も不二というのが東密(真言密教)の立場である。即ち両部は一具にして、そこに甲乙浅深はない、というのが弘法大師の正式の見解意見である。」と、空海による両部不二思想成立を主張しています。

また、平安時代後期の覚鑁(1094-1145)により確立されたという説があります。この説は宮坂宥勝先生によるもので、多くの論攷において、空海に両部不二の思想は認められず、両部不二が確立されたのは明らかに覚鑁においてであるとされています。

更に、空海の意志を覚鑁(かくばん)が宣揚し確立されたという説があります。この説は、橘信雄先生によるもので、「たとえその撰述に明確なかたちでの両部不二思想が認められないにしても、東密における両部不二思想に関する一考察の思想的萌芽は空海にあったと考えられる。」とした上で、「覚鑁はこの両部不二思想に関しては『秘蔵記』を非常に重要視され、その所説に基づいて論を構成されているものと思われる。」と指摘しています。また、覚鑁が金胎両部不二を非常に重要視した理由に、台密の蘇悉地大法の存在を挙げ、「台密の三大部に対抗し、インド以来の密教の伝統は両部にあり、それが空海の意志であるとして、覚鑁は改めて金胎両部不二を宣揚したのではないろうか。」としています。

一方、2013 年に鍵和田聖子先生は、済暹(さいせん、1025-1115)により確立されたという説を発表しています。これは、「覚鑁以前、東密教学の回復に真剣に取り組んだ人物の一人と言える済暹の時点で、両部而二不二の先行的思想が、確立されていたことが指摘でき、その教証として台密の書物である『講演法華略儀』が引かれていることから、台密の両部理解が東密で参照されていた様子が窺える。済暹と覚鑁の影響関係を考えれば、覚鑁は済暹の論を受け継ぎ、両部不二、金胎不二という用語を用い、重要視した姿勢を踏まえた上で、台密の説を東密流に依用しながら成立させてきた可能性が考えられる。」というものです。

このように、両部不二思想の成立については諸説ありますが、先述の通り「金剛界と胎蔵の両部密教」の源流は大乗仏教の二大流派にあり、その大乗仏教は釈尊の教えに源があることからすれば、両部不二、或いは金胎不二と呼ばれる密教の二大思想の統合は、「釈尊の思想」という原点への回帰という視点からは当然の帰結といえるのではないでしょうか。

http://www.bukkaisan.com/Pdf/Ryoubufuni.pdf
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

お礼日時:2015/08/15 17:35

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