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哲学の世界では ・・・・・であると信じる。という言葉はあまり聞きませんねえ。
でも日常では「あなたの言葉を信じます」と言う事はよくあります。
我が子が「僕、万引きなんてしてないよ、信じて!」と言ったら信じてあげるのが親なのでは?
結婚するときは多く「二人の愛は永遠だと信じる」などと思います。
しかし信じると言うことは、信じて疑わないと言う事になります。疑ってもそれを判断する情報がない
或いはどうしても信じたいという場合もあります。
我々は哲学の世界を離れた時 信じて良いのでしょうか?それとも飽くまで批判精神は持ち続け、
どこまでも信じる事なく生きるべきなのでしょうか? 信じたばっかりに という詐欺も多いですよねえ。
あなたの人生ではどうですか? 信じることがありますか?けして信じることはないですか?
確からしさという言葉もありますが。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
No.4です。
「私は祖父母はいませんし 両親のいない人もいるでしょう その躾が 哲学や宗教よりも正しいと仰るのでしょうか?」
→その通りです。
それは自分の祖父母、両親だからということではありません。
私の家族、家系は決して裕福ではありませんが、70年近い人生で回顧してみても尊敬できるからです。
といいましても、祖父母や両親のいない境遇の人を批判したり、差別したりする考えはありません。
人はそれぞれ、幾らでも学ぶべき尊敬する人を見つけることができるからです。
「それは心の真実から来ているのでしょうか?子を思う愛から来ているのでしょうか?」
→もちろん、真実です。
その感謝の気持ちがあるので、早期退職して老いた両親の介護を今も続けています。
ありがたい方ですねえ。両親を助けてあるんですねえ。心の真実 私の親にはあったのでしょうか?心の真実?
父は自分が一番じゃないと気に食わない、我侭の権化でした。母は不満ながらそれに従うのみ。
母との会話もなかったですねえ。
それを信じろと言われても 信じられるかなあ・・・確かに僕等を育ててくれました。
父も頑張ったのでしょう。感謝すべきなんでしょうねえ。
どうも大変ありがとうございます
No.15
- 回答日時:
#9です。
お礼を拝見しました。
ですが…
>何度も何度も経験することで信じられるように成るのではないでしょうか?
学問の世界であれば幾度とない(数度程度では話にならない)検証は、その説の確かさを高めます。
ですがこれは、日常生活においては一転、最悪の「信じる」理由です。
それこそ出資を募って、幾度か高額配当をして信用させ、高額の追加出資を募ってドロンの投資詐欺の手口そのものじゃないですか。
結婚詐欺などでも同じことが言えますね。
また質問文ではお子さんの万引きの例を出していますが、一度ならまだしも二度三度と続けば、普通は疑いが増します。
(万引きでないにしても、わざと不審な行動をしているなど)
とまぁ反例を挙げればキリがありません。
質問者さまはなぜ
>何度も何度も経験することで信じられるように成るのではないでしょうか?
と考えられたのですか?
言ってはなんですが、それは「騙される方が悪い」(もちろん騙した方は悪くはないという意味ではない)と言われてしまいます。
せっかくお礼欄に「お化け」というキーワードが出てきたので…
質問者さまは「おばけなんてないさ」という童謡をご存じだと思います。
あれはすごいです。
まずおばけを考察して、存在自体が勘違いである可能性を提示しています。
また“仮にいるとして”、小さい子なりにおばけの物性を考え、退治法を提示しています。
さらにすごいのが、社会学的な見地から「友達になる」という解決法も編み出しています。
ここまで考え抜いても、「ぼくだってこわいさ」なのです。
学問的には「おばけ」の定義を考えねばなりませんが、学問的にも実生活的にもこの子の考え方をして初めて、事柄を「信じる」ことが許されるレベルになり、かつ結果が裏切られても周囲からは慰めの言葉をかけてもらえるのです。
それ以下のレベルは、疑うことを放棄した単なるズボラで、裏切られても自己責任です。
哲学と絡めればインテリでカッコイイと思ったのかもしれませんが、すでに他にも指摘のあるように哲学で考えるものではありませんし、学問と実生活を一緒にするのは無粋です。
ちなみに万引きの例は親が信じるのは当たり前ですよ。
だっていずれにしろ法的には親の責任になるわけですから、信じても信じなくても結果は自己責任です。
なら、当然信じますよね。
もちろん先ほど回答した通り、二度三度続けば別の話です。
「おばけなんていないさ」という童謡 知りませんでしたが。
その同様を作った人が哲学したのではないでしょうか?
どうなんでしょうか 哲学というものも世間からは疎んじられていますよね、宗教を嫌う人もいます。
人間ってやっぱり信じられる人(かなり)と信じられない人(殆ど)といるのかもしれませんねえ
同じ人間の形をしていますが 心は随分違うのかもしれません。それこそお化けは人間の方では?ないでしょうか?
真理があると信じるか 真理なぞないと疑い潰すか?
人を見たら泥棒と思うか 人を見たら信じてみるか どちらも言えてるような気もします。疑いながら敢えて信じて
傷つく事も後悔しないか・・・そんな聖なる人も 昔は居ましたねえ・・・
どうも大変ありがとうございます。
No.14
- 回答日時:
哲学てのは真実を発見、探求するのがその
目的ですよ。
これに対して、信じる、てのはそれが真実であろうが
虚偽であろうが、信じる、てことです。
宗教をみれば判るでしょう。
真実であるという確信などなくても、そもそもそんなものを
考えずに信じるのです。
宗教を信じた人は幸せになれるのでしょうか?哲学の精神で疑い抜いた人は幸せになれるのでしょうか。
その人にとって何が幸せかという事も色々でしょうけど。
信じるのが大切か あくまで信じないのが大切か を問うているのであります。
どうもありがとうございます。
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No.12
- 回答日時:
信じる者は騙されるですよ。
あ、僕の言ったこと信じないで。
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No.11
- 回答日時:
haruさんのこの質問には"人を、或いは他人を"と云う言葉が隠されていますね。
我が子に対しての「信じる」と、それ以外の文面の「信じる」とは質が違うように思います。
そのことに気が付いていますか。
人間と言うものは過ちを犯すものです。我が子であろうと嘘は付きます。ウソを吐かないように躾をして
嘘も方便と教えるのが日本式です。他者も信じられる事もあれば、裏切られることもあります。
つまり子供とて嘘をついてそれを信じていいのか?嘘でも信じてやるのが親か?それとも飽くまで嘘を見抜くのが親か?
ということだと思います。
其の辺は人間共通した問題だと思います。ご指摘は考えさせられました。どうもありがとうございます。
No.10
- 回答日時:
自分は信じる方を選びます。
例え騙されたとしても、疑いの目を常に持ち続けて生きるのは窮屈すぎます。
騙されるのも自分に原因があるので、そこは全てを信じると言うより『時と場合』で臨機応変にいいんではないでしょうか?
特に自分の子供の言う事は信じます!
子供の一番の理解者は『親』だと思うので、親が子供を信じないで誰が信じてあげるんですか?
そうですね 信じるという事が必要なこともありますね
子供の心からの訴えを信じてる。それは必要でしょうね。信じられる事によって子供は人を信じることを学びます。
誰も信じられないと疑心暗鬼になって歪な心になるよりも 信じられるもの信じてはいけないものの見抜き方を
学ぶことが出来るでしょう。そうですね、子を思わない親はいませんね。
どうも大変ありがとうございます。
No.9
- 回答日時:
僕が物理を教わった先生は「哲学は学問の最高峰」と教わりましたし、哲学の教授のエッセイでは私生活を哲学者の視点で書かれて非常に面白く、哲学ってスゲーなと思っていたのですが、なんか質問者さまの質問を見ているとガッカリです…
実生活と学問を一緒にするのはエンターテイメントとしてはいいですが、ガチは無粋ですよ。
そもそも、学問と実生活の「信じる」や「疑う」って次元の違う話だと思います。
学問の場において、ある仮説が発表されたとき、信じていても、疑っていても、やることは「追試」です。
どっちにしろやることは一緒です。
そして追試を重ねてその通りになったとしても、仮説の信頼性がより増すだけの話であって、仮説は仮説。
疑いようのない仮説はありますが、疑い方のない仮説はありません。
逆に言えば信じられないような仮説はありますが、信じるしか方法のない仮説もないのです。
でも実生活において、信じていて追試をするバカはいないでしょう。
法律だって疑っている方に立証責任があるわけですし。
実生活の信じるということは「疑うことの放棄」です。
そしてズボラをした以上は、裏切られた時のリスクを背負うということです。
同じ字面でも、定義は違うのです。
だから実生活では責任のとれる範囲で信じればいいだけのことで、自己責任で片づけることができずに信じようとするのは、単なる盲信であって、信じることとは違います。
日常でも 何度も何度も経験することで信じられるように成るのではないでしょうか?
お化けがいるとは思わないのも何度もお化けが居るんじゃないかと疑ってみても 居た験しがない
だからお化けなんて居ないと思う、信じるようになる。
学問と本質的には変わらないのではないでしょうか?
どうもありがとうございます。
No.8
- 回答日時:
「信じる」と言う言葉は確かに存在しますが、100%「信じる心は存在しないですね」
【例】
「もし、自分の大切な人が手術をする事になり、医師からは、50%の確率ですね」と言われると、
大半の方は、「大丈夫、手術成功すると信じよう」となります。
これを簡単に分析すると、「50%成功に賭けよう」との気持ちですよね?
では、残り50%は無視してるのか?・・・いいえしていません、不安、心配、恐怖が50%です。
信じるとは、自分が望む結果で終わりたい・・・こんな願望を「信じる」と表現してるだけで、
信じた結果、反する結果になる事も沢山あります。
「信じる」=「不安があるから」ですね。
もし、もしもですよ、「信じる者が救われるなら」
この世に「悲惨な裏切り行為はなくなりますし」
「信じて救われるなら、手術中、ディズニーランドで家族は遊べます」
なぜ? 信じてるのに、手術終わるまで祈りながら病院の廊下で待つのでしょう?
そうです、「信じてないからです」
手術失敗の可能性が50%あるのに、ディズニーランドには行けないはずです。
結果、 「信じるとは、自分の希望する結果を望んでるわけで、確信してるわけではない」
「信じる」=「信じきれないから」
そりゃ50%の確率で手術が成功すると言われれば 信じる事は大変です。必死で信じようとしているだけでしょう。
hikaponnさんの言う「確信」を信じていいかの問題です。確信であっても信じていいのか?
人間に100%はないから でも何かを信じないと行動できないこともある と言う様な事です。
幾ら100%手術は成功するにしても 大切な人が手術をするならディズニーランドに行って遊ぶという気にはならないのではないでしょうか?
信じきれなから信じる と言うのは言い得て妙ですねえ。
No.7
- 回答日時:
感覚は偽りかもしれないし、記憶も修正やバイアスが加わったものかもしれない。
でも、それらについて考える自己というよりどころの存在は否定できない。
・・・と、たとえ「独我論」であっても、上記は信じているようです。
すなわち
「我思うゆえに我在り」
が、西洋哲学での(一つの)出発点になっているのでしょう。
「人の話を信じるのではく、それが正しいと思った自分自身を信じる」というレベルでのみ、「信じるは」意味を持つのだと思います。
10年も昔のものですが、ブログに書き綴った下記を参照いただければ幸いです。
信じる。。。
http://jinen.exblog.jp/353333/
信じるの解説偏。。。
http://jinen.exblog.jp/361484/
哲学の基本としてデカルトの言った「我思う、故に我在り」が認識の拠り所というか、存在の拠り所とする人も多いですね
人の話は幾ら理論的であっても、権威があっても信じるものではないです。自分を信じるという事は出来ると思います。
奇跡が起きたから信じるというのは確かにおかしいですね。何の根拠にも成っていません。イエスがそのような奇跡?
を起こせるということでしょう。イエスが救世主だと信じる事の根拠には成らないかもしれませんね。
世界がある、自分が居る という事が漠然と分かるということでしょう。成る程です。
どうもありがとうございます。
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