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耳なし芳一の話は、僧侶が芳一の全身に般若心経の文字(漢字)を写したところ、耳の部分だけ書き忘れたため、そこを斬られたということだったかと思いますが、なぜ漢訳した経文に霊力をみるようなメンタリティーが存在するのか不思議に思います。
 これが原典に近い梵字のような文字を身体に書いたのなら、そこに霊力をみるというプロットも成り立つかと思いますが、仏典を漢訳した文字にスピリチュアルな力を見出すという精神風土は、どこから生まれたのでしょうか? 突飛な発想で恐縮ですが、仮に仏典の英訳版に基づいて身体にアルファベットを書いた場合でも、耳なし芳一の話は成立しますか?

 思想史や民俗学などの文化史的な側面からのご教授をよろしくお願い致します。

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A 回答 (4件)

般若心経はブッダの書いたものではなく、おそらくは龍樹もしくはその弟子


が書いた物を玄奘三蔵が漢訳したしたものです。
前半部は主に「空」の理論であり、後半部は呪術的な要素と自賛です。

原典はサンスクリット語なのですが、非常に優れた訳で、サンスクリット語の
音韻をくずさずに漢語で意味をなすように書かれています。
ですから、この経典は大乗仏教の根幹をなす経典として日本のほとんどの
宗派で用いられるとともに、経文や音韻自体に霊力があると考えられて
きました。

また、耳無し芳一の成立した時代と地域を考えると、鎌倉時代初期から中期、
山口県下関と考えられます。この時代にサンスクリット語を理解する人は
京都五山または鎌倉五山の禅僧と東密・台密の一部の高僧のみだったと考えられます。
従って、意味のわからないサンスクリット語を書いても物語が成立しないというところもあります。
キリスト教でも意味を無くして原典にこだわるパリサイ人よりも、原典の意味はわからない辺境人だが他人に優しいサドカイ人を上位においています。

>突飛な発想で恐縮ですが、仮に仏典の英訳版に基づいて身体に
>アルファベットを書いた場合でも、耳なし芳一の話は成立しますか?
成立すると思います。
英語の音で元のサンスクリットの発音を保ちつつ訳することは難しいのですが、重要なことは「空」に対する思想です。
平家の怨霊に「空」を理解してもらって成仏してもらうのが物語の主旨です。
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この回答へのお礼

漢訳仏典の成立に係る考察を頂き、ありがとうございます。たいへん勉強になりました。

 般若心経は原典の本義や音韻を最大限に活かした漢訳であるゆえ、古代・中世の人々はそれ自体に霊力を感じ、現在に至るまで継承されているということですね。読経(漢文の音読み)することに何の意味があるのかと思っていましたが、その背景が解って幸いです。

お礼日時:2015/10/02 10:44

私見です。



日本に仏教が伝来した背景を考ます。
538年ですから、飛鳥時代ですね。
この時期は、中国から伝わった『漢字』が
公用字として使われていました。

そのことから、『漢訳仏典』が主流となり、
日本の『経文』の原典は、漢字であったと考えられます。

霊力を考慮した場合、
原典の梵字の方が強力であっても
理解できなければ、物語として意味がない。

すなわち、死した霊も日本人なら僧侶も日本人、
物語を伝承してきたのも日本人です。
 
日本の『経文』が漢字で書かれてある限り、
それらの人が理解できるのは、漢字ということになります。
 
と愚考します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

 私も質問投稿後に同じような考えに至りました。この説話の時代(おそらく源平合戦後の鎌倉時代)は、漢訳仏典が伝来してから数百年を経ているので、漢字の経文が完全に普及していたでしょうから、物語的にも漢字が登場するのが必然であり、それ以外のものは想定できないということでしょうね。

お礼日時:2015/10/01 21:09

梵字なら納得できるが漢字なら納得できない、と言うのがそもそも分からない。


梵字が読めないからなら分かる。
要はそういうことなのではないですか。
英語でも、日本語、中国語、でも祈りは同じ。サンスクリット語のみが祈りの言葉として有効だとは考えてないですよね?
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この回答へのお礼

>梵字が読めないからなら分かる。要はそういうことなのではないですか。

 そういわれると、そんな気もしてきました。梵字が判読できないということも要素の一つとして、原典の文字を書いた方が物語に神秘性を与えたのではないかと感じました。しかし、僧侶が書いたのは漢訳仏典の文字だったので、この説話の設定は便宜的ではないかと思った次第です。ただ、この説話の時代背景を考えると、No.3の方が仰るように漢訳仏典が伝来してから数百年を経ているので、ここでは漢字が登場するのが必然だという考えに至りました。

>英語でも、日本語、中国語、でも祈りは同じ
 これを私がこだわっていた仏典ではなく、聖書に置き換えて考えてみると、仰る通りだと思いました。原初的な旧約聖書はヘブライ語で書かれたと思いますが、新約聖書は確かギリシャ語で書かれたものがラテン語に翻訳され、それらの新旧聖書がが南欧経由で戦国期の日本にもたらされ、一方ヨーロッパではルターのドイツ語聖書を代表例として、各国語に翻訳されて普及したという流れがあるかと思います。英語の聖書でも日本語の聖書でも祈りの言葉としては同じであり、これが仏典にも当てはまるということですね。

 常識的な視点を提供して頂き、ありがとうございます。

お礼日時:2015/10/01 20:53

所詮はフィクションでしょう。


架空の話をまともに考察しても
なんだかなあ
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この回答へのお礼

フィクションが創出された宗教史的な背景が知りたいということです。
SFやファンタジー小説などの明らかなフィクションでも、文芸評論などの考察の対象になっています。

お礼日時:2015/10/01 16:37

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Aベストアンサー

こんばんは.

芳一は幼いころから目が不自由だった。よく幻覚を観た。
でも 耳が聞こえたので音に敏感であり 琵琶は達人の領域に達する程の腕前だった。
平家の墓の前で供養のために 琵琶を弾くことになった。
芳一をよく思わない人が 芳一の耳が無くなれば琵琶が下手になるだろうと考えて 耳だけ取っていった。
耳が無くなると音を捉えにくくなるから。

だと思いますが。私は第六感を信じていますので。
片方の目で物を観ると 距離感が掴みにくく成りますし 上下が逆さまになり易いのは不思議ですね。(^-^)


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