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Dann erst hatten sie Mut genug, des Wehrlosen frech zu höhnen und ihm, wie sie sagten,
zum Andenken an diese Stunde, Haarbüschel aus seinem Bart zu reissen, bis
das Blut des entstellten Antlitzes des Helden über die Brust rann.

出典 Hans Schmölzer, Andreas Hofer und seine Kampfgenossen. Ein Jugend-und Volksbuch, Innsbruck 1900,S.203f.

1行目のhöhnenは昔は2格支配の動詞だったのでしょうね?目的語はdes Wehrlosenになりますね。
現在でも存在する2格支配の動詞は数少なくて、gedanken, bedürfen, entbehren などと書いてありますが、これらは会話でも2格目的をとりますか?

A 回答 (3件)

höhnenが2格を取ったのはだいぶ昔のことですね。

普通の独和辞典には載っていないはずです。シラーの作品などには出てくるようです。
gedenken(gedankenという動詞はないので、見まちがいか書きまちがいと思います)、bedürfen、entbehrenなど現在でも2格を取るとされている動詞ですが、ものによっては今でも2格で使いますが、誤って3格で使われるようになっているものもあります。2格を取る動詞の中には、雅語になっているものもありますので、そういうものは日常会話ではもともとあまり使われないでしょう。bedürfenを使わなくても、brauchenやnotwendigを使えば済みます。私も日常会話ではbedürfenは聞いたことがありません。読んだことはもちろんあります。下のQ&Aサイトには、bedürfenが3格目的語を取るようになっているという説を読んだ人が、どのくらいそれが広まっているのかという質問を出していますが、ほとんどの人がそんなのは聞いたことがない、bedürfenは絶対2格で使う、と言っています。また、5番目の投稿者Derselbeという人は、bedürfenは日常会話では使われなくなっていると書いています(In der Umgangssprache wird "bedürfen" wohl schon deshalb nicht mit Dativ verwendet, weil "bedürfen" insgesamt eigentlich kaum in der Umgangssprache verwendet wird.)。ただし、この質問の内容からはちょっと離れてしまいますが、複数形で2格がはっきり認識できない場合に限り3格で置き換えることがあるという指摘があります。これは、wegenなどの前置詞でもあることですが、「Der Dativ wird dann genommen, wenn man ihn in Pluralkonstruktionen nicht als Genitiv erkennen würde」という規則を挙げている投稿者がいます。「Er ist wegen Diebstählen angeklagt worden.」という文では、2格ならDiebstähleですが、わかりにくいのでnを付けて3格にしています。もちろん、定冠詞付きの場合はわかるので、wegen der Diebstähleなら問題ありませんが、定冠詞を付けない場合は、「wegen Diebstähle」よりも「wegen Diebstählen」の用例の方が多いです。この規則に従うと、

Bedürfen arbeitslose Kinder reicher Eltern Sozialbezüge?
裕福な親の失業中の子供に生活保護の受給は必要か?

という文の最後の「Sozialbezüge」は、このままでは1格か4格かが一見してわからないため、「Sozialbezügen」と3格にした方がよいということです。

http://forum.wordreference.com/threads/bed%C3%BC …

いずれにしても、bedürfenという動詞自体、日常会話ではほぼ使わないので、2格か3格かという議論そのものにあまり意味がないということのようです。しかし、書き言葉ではあるので、目的語が単数のときは必ず2格、複数のときは、場合によっては3格になることがあるということは覚えておいた方がよいかもしれません。
これに対して、gedenkenは3格で誤用されるケースが結構あるようです。たとえば、

Am Sonntag wird in Kampehl dem 354. Geburtstag von Ritter Kahlbutz mit einem Konzert gedacht.
日曜日にカンペールでは、騎士カールブッツの354回目の誕生日がコンサートで追悼される。

という文では、Ritterを2格とするか、でなければ、少なくともGeburtstagの方を2格にするべきだと、「Spiegel Online」の「Zwiebelfisch」に記事が出ています(2格をとる動詞がいくつか最後にまとめられています)。

http://www.spiegel.de/kultur/zwiebelfisch/zwiebe …

この記事の途中には、ネオナチの連中が政治集会を開いたときに持って歩いたスローガンの旗に、「Wir gedenken den Opfern des alliierten Holocaust」と書いてあったと出ています。「der Opfer」と2格で書くのが正しく、これを見た人の中には、「それよりもまずうちに帰って学校の宿題をやれ!」と思った人もいるだろう、とあります(笑)。ただ、先ほどのQ&Aサイトで言われている複数の場合のケースに当てはめると、「der Opfer」では見かけが単数1格のようです。先ごろのパリのテロに関して、「Wir gedenken den Opfern von Paris」と書いているサイトもありました。

https://www.piraten-nds.de/2015/11/14/wir-gedenk …

用例としては決して多くはないので、やはり正しくはないのでしょう。
entbehrenも、使うなら2格が正しいことは間違いありませんが、やはり日常会話では使わない表現です。2格目的語を取る動詞のほとんどは、書き言葉として儀礼的に用いられるだけだと思います。古いドイツ語には2格を取る動詞がたくさんあり、sterben、fragen、vergessen、beginnen、wartenなども2格を取ったようです。もちろんこれは本当に古いドイツ語で、綴りも全く違います。
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この回答へのお礼

Tastenkasten先生、詳しいご回答をありがとうございました。

>gedenken(gedankenという動詞はないので、見まちがいか書きまちがい

gedenkenの間違いでした。hoehnenは今の辞書には4格でしか載っていませんでしたが、2格支配だったのはそんなに古い時代だったのですね!

今では4格支配になっているか、そうでなければ、他の動詞などで言い換えているのですね。

この質問とは関係ないのですが、Ich bin unterwegs manchem Kollegen.
という文を見ました。これはbegegnetが省略されているものと思いますが、このような省略はよくなされるものでしょうか?尻切れトンボみたいな印象を受けますが、普通ですか?

お礼日時:2015/12/28 23:32

>これは例の梅津時比古氏の『冬の旅』156ページに出ています。



ああ、それでしたか。やっぱり感心しませんね。まず例文についてですが、私はその辞書を持っており、begegntは省略されずにちゃんと書いてあります。著者は、「manch」の意味を示したかっただけなのでそういうぞんざいな引用の仕方をしたのでしょう。
それと、manchの意味の取り方を批判するにあたって、独和辞書のいくつかの例だけで検証するというのはどういうことでしょう。ほかの解釈を退けて自分の独自の解釈を主張することが先行しているようだと、研究としては長くは残りません。「たくさんあるもののうちのいくつか」と主張しても、詩の題名が「Wasserflut」です。そして、Folge nach nur meinen Tränen, Nimmt dich bald das Bächlein auf.とありますから、小川になると解釈できます。manchを独和辞典ではなく、Dudenの辞書を引くとこう書いてあります。

1. einzelne Person oder Sache, die sich mit andern ihrer Art zu einer unbestimmten, aber ins Gewicht fallenden Anzahl summiert
2. einige, in ihrer Anzahl aber trotzdem ins Gewicht fallende Personen oder Sachen unter anderen

「いくつかの」ではあるが、その「数において重要な」量の人間や事物、ということになっています。ですから、郁文堂の辞書の和訳でも、「幾つもの」「幾人もの」「何人もの」となっていて、「いくつかの」「数人の」とはなっていません。そこから無理矢理「たくさんあるもののうちのいくつか」という意味だと主張しているわけです。ドイツ語そのものへの語学的配慮を重視せず、哲学的新解釈にこだわっているのではないでしょうか。そのうち図書館で借りて見てみます。

「manche tränen」を書籍検索にかけて、出てきた例文を読んでみても、必ずしも「幾粒かの少ない涙」とは取れないように思いました。
https://www.google.co.jp/?hl=ja&gws_rd=cr,ssl&ei …
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この回答へのお礼

>begegntは省略されずにちゃんと書いてあります。著者は、「manch」の意味を示したかっただけなのでそういうぞんざいな引用の仕方をしたのでしょう。

やはりそうでしたか!いくらなんでもおかしな文だと思いました。

>「つまりここでの涙は、切れ目のない激しい涙ではなく、どこか徹しきれない、逡巡するような涙と言ったらいいだろうか。」
とあります。

>主張することが先行しているようだと、研究としては長くは残りません。「たくさんあるもののうちのいくつか」と主張しても、詩の題名が「Wasserflut」です。そして、Folge nach nur meinen Tränen, Nimmt dich bald das Bächlein auf.とありますから、小川になると解釈できます。

この人は自分の「新解釈」を誇示したかったのでしょうね。でも小川になるようなものであればやはり滂沱の涙の方がふさわしいように思えます。

Tastenkasten先生のご説明がまっとうです!!ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/30 14:19

>Ich bin unterwegs manchem Kollegen.



こういうケースは聞いたことも読んだこともありませんが、どこで御覧になったのですか。これだけでは意味が通じません。begegnetが省略されているというのは、それを示唆するような日本語訳が付いていたのでしょうか。前後に行われている会話の内容によって省略はいくらでもあると思いますが、これだけでは、sein支配の動詞や3格を取る形容詞、あるいは状態受動など、省略されているものとしてはいろいろな可能性があります。会話の流れで省略されているとしても、ちょっと中途半端な長さの文です。「途中で誰かに会ったか?」という質問のあとなら、「manchem Kollegen」だけで済みますし。この一文だけでは何とも回答のしようがありません。あまりあり得ない文だと思いますが・・・
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この回答へのお礼

はい、私も変だなあと思いました。これは例の梅津時比古氏
の『冬の旅』156ページに出ています。Wasserflut の中でmanche Traenenの解説として例を挙げてmancheのニュアンスを説明しているものです。

日本ではほとんどの場合<manche Traenen>が「あふれ出る涙」「とめどない涙」などと訳されている。無論間違いではないが、これではまさに滂沱の涙といったイメージになる」中略 manchはたくさんあるもののうちのいくつか、ー略ー独和辞典の例文を任意に拾っても<Ich bin unterwegs manchem Kollegen(私は途中で幾人もの同僚に出会った)>郁文堂「独和辞典」)となる

以上の記述があったものですから、???と思った次第です。私の辞書は郁文堂ではありませんので確認できませんが、こんな変な例文が載っているのかといぶかしく思いました。

お礼日時:2015/12/30 00:28

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