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理系 文系 大学 仕事


現在高校2年生の女子です。
私は物理や数学が好きです。
しかし、将来、研究者・技術者になろうとは思っていません。
数学や物理を解くのは好きなのですが、研究者は自分で新しく発見していくというイメージがあります。私は、論理的に解いていくことは好きなのですが、自分で新しいことを見つけていきたいか?と聞かれるとそうでもありません。ただ、現在、勉強では、論理的に解いていく数学や物理が好きなように感じます。
また、技術者はものを作るというイメージがあり、私はものを作りたいわけではありません。

その場合は、文系の学部に進学したほうがよろしいでしょうか。
研究者や技術者以外で、数学や物理を使える仕事はありますか?
また、文系でも数学や物理は使えるでしょうか?


回答よろしくお願いします。m(_ _)m

A 回答 (6件)

自分は電気電子工学科卒だけど、半導体商社と言うところを経て、40代でアメリカの電子部品メーカに転職しました。

 研究者でもなくて、開発者でもなくて、マーケティングと言う、FAE(技術的にアドバイスしたりサポートしてあげる人ね)に近い仕事をしてます。 でも、物理とか電気理論の基礎が最も重要で非常に役立ってますよ。正直、数学、物理はオタク級に趣味で勉強してたけど、仕事に役立ってます。もちろん、年収もね。 

ま、あくまでそう言う商社で有ったりとかで需要はありますから安心して下さい。
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文系で物理はほぼ使わないでしょう。

だってまともに履修している人は僅かでしょうから。少なくともセンター試験が今の制度になる前なら。
数学なら、経済学なんかで使うでしょう。
そう、文系っぽい理系で、都市工学とか、経営工学なんてのがあります。
都市工学というと聞こえが良いですが、元は土木でしょう。そっちの面では物理は必須でしょう。
あるいは、化学工業なんてのはどうでしょう。合わないかなぁという気はしていますが。
物を作ると言っても、化学工場のでっかい反応槽をどうしようか、みたいな話だろうと思います。
何をどのくらいの速度で流し込んだら何がどのくらいできるんでどう回収して、なんて。
流体を扱うんで、力学は生かせるでしょうね。
ただ、大学三年までは、化学実験などをやらされると思うんで、手を動かすことが嫌いな人にはお勧めしません。
試験官を振っていると面白いな、という人なら良いかも。
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自分の好き嫌いとか、「~したいわけではありません」という個人レベルの視点ではなく、「自分は、何によって社会に貢献できるか」「どのように社会の役に立つか」という視点で考えてみたらいかがですか?


「好きなこと」「やりたいこと」は、趣味の世界でやればよいのです。

それは、理系も文系も同じです。
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>文系でも数学や物理は使えるでしょうか?



学問の世界でも、学際的(Interdisciplinary)になったと言われて久しいですが、複数の学問領域にまたがっている分野もありますので、数学や物理が得意な人が、文系に進んでも良いのではないでしょうか。

例えば、経済学でも、数理経済学や金融工学等と言われる分野や、経営学の中でもオペレ―ションズ・リサーチ等を学ぶためには、高度な数学的知識がないと難しくなるでしょうし、心理学でも数学や統計学が必要となる事もあるでしょう。

また、哲学の分野でも、数学や物理学の出身者が、哲学の教授になっている人も居ますし、言語哲学や科学哲学等の論文でも、数学的表現が見られる事もあります。

日本では、理系・文系と白黒分けて、物作り優先の考え方で、理工学が偏重されていますが、どの分野の仕事でも、最先端の知識が必要な人には、理系も文系も分け隔てない知識(教養)が必要だと思います。
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文理の分け方が社会にマッチしていないかもしれません。



理科系に進んで、仕事としては後で考えるほうが無難でしょう。


良く分からないのですが、

好きか嫌いかと言う表現をされる若い人が増えています。

実際的には、出来るか?出来ないか? ではないでしょうか。

「好きなことに取り組んでいるので満足です。」

という主張は、人前ではやってはいけません。

「出来ることを沢山増やして、その中でも好きなことに取り組んでいる。」

と言うのが正しい見え方でしょう。

用法としては、

「あの人は色んな事が出来るのに、どうして俺らに付き合ってるんだろう?

 この仕事が好きなんだろうなあ。」

と他人が言う事です。

自分で言うというのは、痛すぎます。

そこは賢く使い分けましょう。


そうしないと、

「出来ることが少ないので、自分を誤魔化している」

と捉えれれます。

実際にそうである場合もあるでしょうし、その場合は必ずバレます。



歌が下手だったとき、歌を歌うのが嫌いでした。

歌が上手くなった後は、歌を歌うのが好きになりました。


同じように、

モノ作りが出来るようになってから、

好きか嫌いかを判断するというのが良いかと思います。



安心してください。

モノ作りも教えてもらえます。

数学や物理での問題を、教えられたとおりにコツコツと解けるのであれば、

社会貢献活動において全ての適正があると思えます。

説明されないものを理解する力を磨いてはいけません。

また、説明せずに理解させようとしてもいけません。

研究や技術と言うのは、

説明できないものを皆で思い思いの説明をしたり、

その説明では納得できないと、質問したりする活動が殆どです。

一度、間違いのない説明方法を創り上げて、これを記録してしまえば、

誰がやっても同じことが出来るはずです。

出来上がった説明文書を、数学や物理の問題を解くように、

落ち着いて説明どおりに汲み上げていけば、製品が出来上がります。

これをする仕事が技術職です。

いま勉強でやっていることがそのまま活かされます。

想像でおびえてしまっては、見当違いの道を歩んでしまいます。

可能性を消してしまわないようにしましょう。




研究職の場合でも、新しいことを発想する方法を教えてもらえます。

これは、大学院にいくと、先生の指導方法が変わります。

これに素直についていければ問題ありません。

多くの方が、大学受験で自信をつけてしまい、先生に抵抗するため出来ません。

(大学の先生より、塾の講師の言う事を信じてしまう。

 しかし、塾の講師は大学の先輩だったりする。面白すぎますね。)

たったそれだけのことですから、誰でも出来ることであると思えます。

新しいモノを考え出す、やり方があります。

研究職全般は、勉強と言う概念から脱して、自由になる術を教えるジャンルです。

そのため、研究職ですら職業なのです。


教えてもらわないで出来るものなどありません。

出来ないものを好きと言える人などいません。

やっていないのに、向いているとか向いていないとか言う大人はいません。

子供のうちは流行り言葉で使うかもしれません。

しかし、想像だけで決めてしまうのは面白すぎますよ。

まして、人生なんですから。



モノ作りについては、仕事についてから教えてもらえると思いますよ。

向いていないと判断するのは、雇っている側です。

そのときに好きなんだと主張されれば、仕方なくやらせることもあります。


ですので、

「モノ作りが好きなのでやらせてください。」

「いや、君は向いていないように思えるんだけどな?」

と言う構図を維持することが、嘘でも大事であり、

本当に自分から向いていないとか言ってはダメですよ。


頑張っても頑張っても、どうにもならないと悩んでいると、

次の世代が入ってきます。

指導してくれと言われて驚きます。

「え、それくらいはできるんじゃないの?」

と驚きます。しかし、教えてないんですから出来ないのは当たり前です。

(俺もこうだったのか。先輩があきれるわけだ。)

しかし辺りを見ると、先輩方は引退しています。

「え、俺が、日本のモノ作りの代表者なの?」

となります。

こうなって始めて問うべきです。

「モノ作りが嫌いか好きか?」

指導してくれといわれる=管理者になってくれ。

ですから、皆このルートで出世しているんです。

他のビジネス活動でも同じです。

営業職も、営業と言う技術を磨いています。

これらも理科系の勉強と同じ構図であります。

説明すること、説明されること。

その通りに実施すること。これらは計画と呼ばれています。

会社を経営する次元になりますと、事業計画と言うものを作成します。

モノ作りは計画を必要とするビジネス活動全般を指します。

販売方法や販売ルートを作る場合も、モノ作りと捉えられています。

サービスの開発も同様です。

モノ作りをしないと言う事は、企業活動全般に参加しないと言う事です。

この場合は、労働力のみを提供することになります。

こうした形態で働く場合は、派遣社員などの道があります。

ご自身が何を決めようとしているのか?

このあたりを理解してからのほうが無難ですよ。



次に新しいこととは何か?

ある程度ベテランになると、こんなシーンが生じます。

「今まで、こう作れと教わったんですが、理由があったんですか?」

と引退した先輩に聞いてみたことがあります。

「いや、特に。皆そうしてたんで、面倒だったからそうした。」

と答えられることが多いはずです。

「じゃあ、前から思ってたんですけど、これやらないでおいて、

 こっちでもいいでしょうか?」

「知らないよ、試してみなよ。」

といわれるでしょう。

つまりこれが、新しいことをするというシーンです。


学生時代でも、

友達同士の遊びやサークルの運営などで同じ会話がされているはずです。

社会に出ると、単に、自分より年上の大人が皆引退してしまうので、

「人類で初めてのこと」

になるだけです。

くらいついているだけで、人類で初めてのことは出来るんですよ。

しかし、知識ベースがいい加減では無責任に成りますよね。

この大事な知識を専門大学で学ぶと言う事です。

ここでの知識は、人類が積み上げた偉人の業績の集積です。

しかし、2週間程度で終わります。

受験の苦しさからするとあっけないものです。



また、応用可能な専門ジャンルと、応用できない専門ジャンルがあります。

しかし、先生の立場にとっては、

「後でツブシが効かない学問だが、俺は教えたいんだ。

 ためしに募集してみれば、生徒が来るかもしれないだろう?」

「いや君、それじゃ学生が可哀想だろう。

 彼らはまだそういう学問だと知らないんだから。」

「それくらい調べない学生が、どうして世の中の役に立つ?

 結局同じだろう。

 逆に、学生側に何らかの戦略があり選んだとしたら?

 俺らは、学生の自己責任として、多様なジャンルを紹介すべきだ。」

「自己責任か。確かに。んじゃ、それでやってみたまえ。」

と言うところで、学問のジャンルが出来るわけです。

大学の先生にも力関係があり、

役に立たないと勝手に決め付けるわけには行きません。

義務教育と違って、国も知ったことじゃないと思っています。

受験産業は、偏差値が高いところに入学させるだけで評価されます。

つまり、学生本人の望みとは乖離しています。

ちゃんと、これを理解して選んでいますか?



学生のほうで、

「応用可能なお得な学問は何か?」

を探しておき、そのジャンルを先生にお願いすることが重要です。


どんどん若い世代が社会に出て行きます。

そのため、

「ああ、これは失敗した例だなあ。よし、次!」

ってなノリで自分を切り捨ててきます。

次とか言われても困りますよね。

そのあとも自分の人生はあるんですから。


雇い手と言うのは、

成績の良い子が欲しいのではなく、必要な技術を教えられる新人が欲しいのです。

「ちゃんと教えるぞ。
 
 モノ作りが好きだと心から感じさせてやるぞ!」

と言うノリで、待っているわけです。


これだけ甘いスペックであるのに、

判断ミスによりコースが決まってしまうのは、どうにも救いようが無いです。

例えば、

「え、それって漫画のイメージで、実際は違ったんですか?

 もう一回チャンスってありますか?」

と言っても、

「うーん、そうだねえ。 判断が良くて得した人に、

 やり直しを求めて、皆が了解すれば可能かもしれない。」

しかないですが、

「いや、それはないんじゃない? 自己責任だろう?

 もう終わったことだよ。何言っているの。」

と言われますよね。



私が驚くのは、漫画やドラマから得た知識で判断する若者が多いことです。

漫画やドラマを作る職業は別にあり、

この方々が研究や技術職について知っているはずが無いでしょう?

その道を選ばなかったんですから。


恋愛の達人が恋愛ドラマを作ってるわけじゃないですよ。


自分は何も出来ないから何も知らない。

とすることのほうが、無難でしょう。

全部出来るほうがいい。全部教えてくれるどころはどこ?

と言う発想が大事です。



以上、ご参考に成れば。
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うーん...それはピアノの鍵盤はは叩きたいけれど曲は弾きたくないって言ってるのと同じかな...


文系に進むと少なくとも物理を使う場面は無いに等しいと思います。
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