この人頭いいなと思ったエピソード

 ある回答を書いていて少し疑問に思ったので質問します。例えば「御一読をお勧めします」というような丁寧語の「御」が重なる表現は勧められないと昔学校で習ったのですが、ビジネス文書の露骨な丁寧語の羅列の普及が原因なのか、最近あまり違和感を感じなくなりました。

 このような用法は、俳句の「季重なり」と同じように無駄や露骨にあたるので避けるべきなのか、あるいはすでに時代が受け入れているので気にせず用いてよいものなのか、正確にご存じの方お教えください。

A 回答 (8件)

No.1です。



>「御気をおつけになって…」は、
>今でも多くの人が認めない用法かと思います。

これは「気をつける」でひとかたまりすから、
これに「御」を付けて「御気をつけて」が正しいと思います。
「気を」と「つける」と分ける事と、
「一読」と「勧める」を分けるのとは、意味が違います。
「気」というものを実際に「つける」のではなくて、
「気をつける」というひとかたまりで、
「注意力をはたらかせる」または「思い出させる」という意味です。
(小学館「国語大辞典」より)
分けて考えては、意味合いが変わってしまいます。
その点「一読」と「勧める」は別々の単語の意味で、
この文章で使われていますから、
それぞれに「御」をつけることも問題ないと思われます。


「おみおつけ」についてですが、色々調べてみました。
語源については、
ご飯の添え物だから元々「付け」と呼ばれていたものが、
丁寧な表現として「御付け」になり、
さらにその「御付け」が定着して、
この「御」が丁寧の意味で付いていると分からず、
さらに丁寧の「御」を付けてしまい「御御付け」となり、
同様に定着し、さらに付けて「御御御付け」となってしまった、
という説が有力なようです。
しかし、
漢字表記で「御『味』御付け」と書く事もあるそうです。
こちらの解説としては、
「御味」が味噌の事をさす近代の女性語から発生した言葉、
とされていて、ホントのところは良く分かりません。
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この回答へのお礼

 お礼が遅れて申し訳ありません。

 「気をつける」と「ご一読~」の違いは理解できます。ただうまく説明はできませんが、あまり丁寧になると「慇懃」な印象を相手に与えてしまうので、「御」は繰り返さないと習った憶えがあります。また同じ言葉の繰り返しも避けよ、とも習いました。しかし個人のフィーリングの問題であるなら、このように尋ねること自体が野暮だったのかもしれません。

 「おみおつけ」ですがお調べいただきありがとうございました。私はこれも陳腐化の一例かと思います。「御」を重ねてしまうことで、丁寧な気持ちが逆に薄まり、それを補完するためにまた「御」を重ねてしまう、もしそういうことが一般化するなら、逆に「御」の頻用は避けるべきとの戒めがルールとしてあったのかもしれない、私見ですがそう感じます。

 改めてご回答いただき感謝します。

お礼日時:2004/07/27 22:30

 >「御一読をお勧めします」というような丁寧語の「御」が重なる表現は勧められない…



 「一読」は一度読む、一通り読むの意味ですから、せいぜい「御(ご)一読下さい」くらいの敬い度に相応しいのでしょう。
 また、「お勧め」も、読書を勧める、節約を勧めるなど、「勧誘」や「奨励」の意味が篭もったもので、上級者が入門者に、あるいは同格の者同士の間の用法ではあっても、目上の方におすすめする敬い度まで高めるのは如何なものでしょう。

 もし、どうしてもすすめるという言葉を入れて表現に拘りたいのであれば、「良書をお薦めする」や「この傑作を是非とも推させて頂きます」のように「推薦」の意味の用法を選ばれた方が望ましいのではないでしょうか。

 なお、自分の著した文書を人様に差し上げる意味での、「拙著をお進めします」という「すすめる」用法もありましょう。こちらはあくまでも「差し出す」「提供する」として進呈・進上の意味となりましょう。

 したがって、そもそも「御」を重ねなければ敬い度を高められない類いの用法は、どこか違和を覚えさせられるものでしょう。と言いましても、では漢語を連ねて「是非一度ご高覧給わりますよう勘進申し上げます」などと表現するわけにも行かないでしょうし…。
 どうやらここは、「とても愉しめた本でしたので、書店などでお手にとって御覧頂けますよう、たってお薦め致します」とか、「是非一度御覧下さい。お求めの趣旨に沿う分野の秀作としておすすめ申し上げます」など平易な言葉にするにしくはないということでしょうか。
 
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この回答へのお礼

 確かに日常会話のレベルで考えると無数に表現の方法はありますので、相手に気持ちが伝わりさえすれば工夫の仕方はいろいろあるということでしょう。言葉は用法だけが独立して存在しているのではなく、その込められた意味が必ず存在します。用法のみにこだわっていると肝心の中身が形骸化してしまうといういうことがあるのかもしれないと考えさせられます。
 昔の人はその点非常に表現に気持ちを込めるのが巧かったと思います。用法にこだわることなく表現力だけで相手に気持ちを伝えることができた、と今更ながら感心させられることも多いのです。語彙や用法のバリエーションといったフレキシビリティを次第に失いつつある姿を嘆きながらも静観するしかないのかなという印象です。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/11 21:19

ご質問の


>丁寧語の「御」が重なる表現は勧められないと昔学校で習ったのですが、
これは重言(同意の語を重ねた言い方)を言っているのかなぁと思いました。

重言が誤っているかどうかは必ずしも一概に言えないところがあります。
有名な「馬から落ちて落馬」は明らかにおかしい、と誰もが認めるところですが、
「被害をこうむる」に関しては、誤用とする人がいる一方で、「被害」という名詞の中には、現在は動詞的意味は感じられなくなっているので「被害をこうむる」と言って差し支えはない、とする人もいます。現に、『大辞林第二版』『広辞苑第五版』『現代国語用例辞典』などにも用例と示してあるようです。

そもそも言葉に正用・誤用というのはあるのか。
以下、若干ご質問の趣旨とはずれると思いますが、よろしければおつきあいください。
質問者さんは
>避けるべきなのか、あるいはすでに時代が受け入れているので気にせず用いてよいものなのか、正確にご存じの方お教えください。
と「正しい用法」という語を避けておられますが、基本的には正用・誤用を問う質問であると理解できると思います。

現在、日本語の用法の「揺れ」をめぐって、大量の出版物が出ています。
それに対して、言語学の側は一貫して「言語学は規範的であるよりもむしろ記述的なのです」(某巨大掲示板内言語学板のFAQより)という立場から、「正しい」かどうかは問えない、という態度を取っています。

たとえば言語学者の田中克彦は
「作家や評論家たちが、「言語論」をたたかわせるのはもっぱらこの点(注・言語表現が正しいか誤っているか)であって」
「言語学が、過去一世紀以上にわたってたたかって、獲得してきた視点が、ことば、したがってそれを話す人たちの解放につながらず、絶え間なく言語が「迷信」の牢獄に閉じ込められている現状」(『言語学とは何か』岩波新書)
と厳しく批判しています。

自分自身、日本語の誤用を声高にあげつらう本に対しては批判的でありつつ、同時に、田中のような態度に対しては「そこまで言えるのか」と違和感を覚える、といった具合に、両者の間で揺れてきました。

そうしたなか、いくつかの文献を読んで、一番納得した見解を紹介したいと思います。

月刊『言語』の2000年5月号「特集・辞書をめぐる7つの闘い」の中で、同じく言語学者の国広哲弥は「正用・誤用」を端的にこう指摘しています。

「誤用に対して正用といわれるものを見ると、それは誤用の生じる以前の用法、つまり古い時代が規準にされていることが分かる。いわゆる「ラ抜き言葉」が誤りだというのは、「以前はラを抜いてなかった」ということ以外に理由は見当たらない。ラ抜きは文法的に間違いだという人もあるが、ラを抜いても、文法的には何の混乱も生じない」

「(注・正誤の判定は)大多数の教養ある人々が慣用としている、あるいは近い過去の慣用であった、というのが中心的な規準ということになるだろう」

ただ、言語学の立場からは正・誤も上品な表現も下品な表現も同様の「言語」ですが、社会生活の中で言語を使う一般の人々は、やはり何らかの規範を求める。
その心理を国広はこのようにまとめます。
第一に、人間の本能的な保守性。
第二に、情報の伝達に支障を来たすため。
第三に、教養のある人間と見られたいという社会的なもの。

けれども言語は変化し続けるので、いつの世にも“誤用”は跡を絶たないし、その誤用のあるものは時間の経過と共に正用に組み込まれていきます。そして、正用として定着する前の段階で、規範としてはどうなのか、と規範が問題になるわけです。

国広の文章の趣旨は、であるからこそ、辞書は「入手可能な資料に基づいて、規範が問題になりそうな場合には、できるだけ先回りして規範的用法を明記するように努力しなければならない」ということなのですが、逆に言うと現在の辞書が、必ずしもこの要請を満たしてはいない、ということの証左でもあると思います。

この問題は、簡単に解決できるものではないと思うのですが、少なくとも私は、言葉の「誤用」に直面した場合は、眉をひそめながら「これは正用として定着する前の用法だな」と自らに言って聞かせつつ、「レーポートが書けません」という文章に「レポートと書いた方がいいかも」と返事をしています。
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この回答へのお礼

 たいへん示唆に富んだご回答いただき感謝いたします。
 誤用正用をめぐる様々な立場から、多くの議論の積み重ねが存在する歴史的な経過の一端が少しですが理解できた気がします。私たちが日本語で書かれた文章を読んで美しいと感じるとき、その遠い背後に見えた気がする美しい日本語の体系は観念的な存在にすぎず、実は幻であるということなのでしょう。
 ご回答の文章を読ませていただいて一つ気がついたことがあります。それは言葉の持つ性質の一つである「陳腐化」という事態です。「御前」という言葉がたどった歴史的な変遷を考えればおわかりかと思いますが、丁寧なつもりで使った言葉が、相手にはその意図が伝わってないということがあると思います。そのことが言葉の使い方をより露骨な方向へドライブするのかもしれないと思ったりもします。
 ご回答いただいた背後には膨大な議論に裏打ちされた体系だった理論があるやにお見受けします。この回答を手がかりとさせていただき今一度調べてみようと思います。

お礼日時:2004/07/11 21:08

知っての通り、「御」には、接頭辞として「お・おん・ご」という読みがあります。

しかしながらこれ全部に「御」の字を用いてしまうと読むには不便です。

近年では、「お」と読む場合にはなるべく開いて、「ご」では漢字にするという区別をつけるのが慣例(誰がいつ決めたというわけではないですが)になりました。

例文の場合、私が不自然に思うのは「御一読」と「お勧めします」の丁寧さの度合いが微妙に違うということです。「御」というのは形式ばった印象の漢字なので、「お勧めします」ではやや馴れ馴れしいなあ、と思ってしまうわけです。

そこで、

「御一読をお勧め致します」

としてみます。
なるほど、これなら御一読のレベルに見合ったものになったかもしれない。では、逆に「お勧めします」に合うような前の部分は何だろう……そう考えるとどうしても出てこない。強いて口をついて出そうになったのが……

「一度読まれることをお勧めします」

なんだかしっくりきません。
かと言って「お読みになる」を使うと、かえって所謂「季重なり」のような状態になってしまいます。
「一読」という漢語をひらたくして、

「一度ごらんになることをお勧めします」

が私の出せる精一杯の日本語でしょうか。

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「季重なり」は避けるべし、と言いながら、季重なりにもかかわらず名句というのもあります。

例1:目には青葉山ほとゝぎす初鰹 素堂
例2:葱白く洗ひたてたるさむさ哉 芭蕉

立派な俳人は、破格によって素晴らしい句を生み出しています。規則に従うだけではせいぜい秀句止まりになってしまうようです。規則に則った正しい日本語というよりも、生き生きした日本語を使うためには、それもやむを得ないのではないかというのが私の意見です。

************************

「御御御付」ですが、これには諸説あります。関西では漬け物、関東では味噌汁のことを指すとも言われていますし、「御味御汁」という表記もあることから、2度目の「御」は当て字とも考えられます。

この「御御御付」のような言葉遊びは、他にも「御御足(おみあし)」「御御籤(おみくじ)」など、いろいろあります。もっともおみくじは「御神籤」と書くのが普通ですが。漢字が重なるのは避けられる傾向があり、「出出し」などの表記はあまり見ませんね。

正確に知っているというものではないですが、回答致しました。
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この回答へのお礼

 ご回答いただきありがとうございます。
 言葉の用法はそれまで間違いとされているものでも、一度定着してしまえば、違和感を唱える方が無粋となるってことですかね。
 季がさなり忌避のルールの例外とされる数々の秀句ですが、規則に縛られない自由な感性が生み出した名句といえます。
 御御御付けは以前関西にいたときに何かのきっかけで脳裏に残っていて、それで混乱していたものと思います。
さまざまなご指摘をいただき再度感謝いたします。

お礼日時:2004/07/11 20:44

ご質問、大変興味深く拝見しております。



私は例に挙げられた「御一読をお勧めします」に違和感を覚えなかった者です。
正確な日本語に疎く、ご質問にお答えすることが出来ないので恐縮ですが・・・。

僭越ながら申し上げますと、御御御付け=味噌汁のことで、漬物のことではないと思います。
私も以前勘違いしておりまして、友人に指摘されて気付きました。
揚げ足を取るようで申し訳ありませんが、一応。

今後、ご質問者様の疑問を見事に解消する回答が寄せられることを願っております。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%AA …
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この回答へのお礼

 でした。バカですね。このような指摘は大歓です。穴があったら入りたいところです。ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/09 20:55

>御一読をお勧めします…



最初の「御」は「一読」に、あとの「お」は「勧め」に係るだけですから、おかしくないです。
ATOKでも、二重敬語として指摘されることはありません。
「御一読を勧めます」
「一読をお勧めします」
では、かえって不自然です。

>最近あまり違和感を感じなくなりました…

むしろ、「季重なり」のような語句というのは、次の例などだと思います。
「違和感を感じる」
「馬から落馬する」
「旗がはためく」
「はるかに凌駕する」
「裸足の足」
「頭が頭痛」
「終電の電車」
「車を廃車する」
「各位殿」
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この回答へのお礼

 僭越ですが、ATOKにはさまざまな間違いがあることをお気づきでしょうか。基準とするにはもう少し洗練された形で提供されるべきかと思いますが、今の価格設定では無理なのかもしれませんね。ジャストシステムも赤字決算だったようですし。それは別として、たしかにおっしゃるとおりいまや「御」の頻出は、多くの人にとってあまり違和感がないようです。

 ご回答いただき感謝します。

お礼日時:2004/07/09 19:32

>正確にご存じの方お教えください。


とのことですが、私も常々「おかしな表現だな」と思っていたので、世の中の皆様がどう感じているのか知りたい立場にあり「回答」はできかねることをお断わりしておきます。

私は特にビジネス文書では過剰な丁寧語は無用だと思い、自分で文書を作成する際には非礼にならず、かつ簡潔にを心がけていますが、既に世の中では「御一読をお勧めします」のどこがおかしいのか指摘できない人達も増えているのではないでしょうか。

しかし、古い日本語にしても「御御御付け」のように丁寧にするあまり、過剰になってしまった言葉が一般に受け入れられてきた経緯があります。

言葉は使う人によって生かされるものです(逆もまた然り)、ご自分が違和感を感じられるのであればそれを主張し、その表現は人によってはおかしいと取られる可能性があるんだ、ということを周知されるのも良いかと思います。
そこまでしなくても・・・と思われるのならば、時代の流れとあきらめ見守るしかないでしょう。
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この回答へのお礼

 私の貧弱な読書経験の中でのことですが、明治から大正にかけての小説を読んでいると、現代のものよりも落ち着きがよいと感じます。その背景には言葉に対する感覚が客観化されていて、標準的で美しい日本語とはこれだという基準が曖昧な形にせよ、日本人の中に強くあったのかもしれないと想像をたくましくしています。

 かつては用法や文法に対する絶対的な基準を常に求め、洗練された形が文学作品や大衆芸術を通じて提供されたのだと思います。それがいまや、強力な基準を求める方が無粋とされる傾向にあると感じるほどになりました。曰く、個人の勝手であると。

 こういった傾向の評価は別として、やはりまだ「御」が頻出する文章は気持ちのどこかで私はくどさを感じます。日本語には、簡潔で慇懃にならず、エレガントな表現を好んできた歴史があるのではないかと感じます。例えば江戸時代は「休ませていただきます」などの表現はなく「休みます」というストレートな表現だけが使われたと言います。

 人間に優しさがなくなり、その分を言葉で補おうとする傾向が背景として強まったのなら、やはり悲しむべきことと考えます。

>時代の流れとあきらめ見守るしかないでしょう。

 確かにそうするしかないでしょうね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/09 19:27

正確には誰も言えないと思うのですが…。


特に「時代が受け入れている」という場合は、
その定義が出来ませんから。

>「御一読をお勧めします」

これは「御」が重なっている事にはならないように思います。
なぜなら、
「御一読」と「お勧め」は別々だからです。
「御一読」は「一読」を丁寧に言っていて、
「お勧め」は「勧め」を丁寧に言っているだけで、
両者が直接つながっているわけではないです。
逆に、重ならない言い方を考えると、
「一読をお勧めします」
「御一読を勧めます」のどちらかと思われますが、
こうなると、
一部のみ丁寧な表現が使われていて、
文章全体として丁寧かどうか、中途半端です。
ならいっそのこと、どちらも付けないほうが、
文章として正しいです。


※余談ですが、
「御御御付け」と書いて「おみおつけ」と読みます。
辞書にも載っています。
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この回答へのお礼

 なるほどと思いながら御回答を読ませていただきました。ありがとうございます。

 さて、意味の重なりがなくてもやはり「御」の頻出は私にとって落ち着きの悪さがあります。「御一読をお勧め…」は確かにいまや違和感がないのかもしれませんが、「御気をおつけになって…」は今でも多くの人が認めない用法かと思います。

 「おみおつけ」ですが、日本の伝統的な食品の中でこのように「御」が重なるのは例外的です。例外と言うからには何かしらの特別な状況があったのかもしれません。

 人間の生存に必要な栄養素の主なものは、炭水化物やタンパク質です。そういう意味では漬け物は主要な食品とならず、あくまでも副食の立場であったはずです。私のつまらない想像にすぎませんが、ただの漬け物に対してアイロニーに満ちた表現を与えた結果なのではないかと思ったりもします。確かにつまらない想像ですが。

 ご回答に感謝します。

お礼日時:2004/07/09 19:14

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