戦前・戦中・戦後の食糧事情について質問です。
先日、戦前生まれの叔母に会う機会があり、ふとした事から食べ物の話になりました。
叔母もそういう事があったという事情は話してくれたのですが、詳しい事についてはうろ覚えでわからないとのことでした。
そこで以下が質問です。
1、戦前〜戦後も麦飯は臭みもあり貧乏人の象徴のようなもので、弁当に麦ご飯が入っていても弁当箱のフタで中身を隠しながら食べていたそうです。「じゃあ、お米を食べればいいじゃない」というと「米は供出に出していて(戦時中は主に軍用米として供出していたと思います。戦後も多分農協にいくらか供出があったように思います)充分に食べられなかった」というのです。私は供出などは戦時中の食糧事情が最も苦しい時だけの事だと思っていたのですが、そうでもないようなのです。米だけではないと思うのですが、この供出の制度はなぜあったのでしょうか?また、どのようなものが供出対象でいつからいつまで存在したのでしょうか?
2、配給制についてですが、これも私は戦時中だけの事だと思っていたのですが、戦後もいくらかのものは配給されていたそうです。どのようなものがいつからいつまで配給されていたのでしょうか?
3、戦時中にしばしば街に住んでいる人が矢絣の着物とお米を交換して欲しいとやって来たそうです。私どものように田舎の人間で作物を幾分か作っている農家は貧しいながらも何とか食べていけたと思うのですが、都会に住んでいる人はどうやって食べていったのでしょうか?配給のものだけでは食べていけないと思いますし、食べ物と交換する着物なども有限なので餓死してしまうと思うのです。
お金のある家は闇市などからでも調達できると思うのですが、空襲で身寄りもあまりなく無一文になった人が大勢いたはずです。まさに「ほたるの墓」を時でいくような生活をしている人も沢山いたと思います。
今のようにお金さえ出せば、食べ物をいくらでも購入できる時代とは違い、昔の人は本当に苦労したと思います。
ただ、戦後生まれで農家でもない知識のない私には、上記のような事を調べてもまるでわかりませんでした。
このような事に詳しい方がいればご教示頂けたら幸いです。
また、質問項目が多数なので、私の質問にある戦前〜戦後の食糧事情や供出・配給などについて制度も含めて詳しく書かれてある書籍やサイトがあればご紹介頂ければ助かります。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
はじめまして。
親戚に農家の方がいるので、その方から聞いた話をさせていただきます。が、片田舎の話ですので都会の方のことはあまり分かりません。
1については、地域差がけっこう酷かったようです。十分に食べられる地域とそうでない地域があり、当方の場合は前者で、後者の地域の方がよく支援を求めてきていたそうです。中には息子が出征するから、その前の日だけでも好きなものをたらふく食べさせてあげたいから、この箪笥と何かを交換してくれと言ってきた方までいらっしゃったそうで、あっちのほうはそんなに困っているのかと驚いたと言っていたのを聞いたことがあります。供出自体は戦後しばらく続いたようですが、別段食うに困ったということはなかったそうです。
米だけではなく、様々なものを作っていたために米が少ない時でもほかに食べるものがあったからというのはかなり大きいでしょうが……。
(養蜂、豆、豚、鶏、芋、柿などだそうです)
2については、ものによっては戦後も配給が続いたそうです。
3に至っては、様々な人が食料を求めて訪ねてこられたようで、爆撃から逃れる際に持ち出したわずかな財産を手に食料を分けてほしいと入ってこられた方が大勢いらっしゃったようです。箪笥、着物、宝石類、はたまた伝家の宝刀や家宝、あげく娘さんが自分と家族がある程度食べていけるだけの食料を交換してくれといったこともあったそうです。
無一文になった身寄りのない方などは、なんでも働くから食べ物と雨露凌げる場所をということもあったそうです。
あと、農家の横暴が酷かったとおっしゃられている方がおられますが、農家の側からしてみれば、まるで食べ物がいくらでもあるかのように言い、余裕がなくて分けることができない時などは野菜を盗み、あることないことわめき散らし、心ない言葉を浴びせていくことも多々あったそうです。
とある片田舎での話ですが、『こういうこともあったんだ』ということを頭の片隅にでも置いていただけたら幸いです。
ご回答ありがとうございます。
詳細な回答をありがとうございました。
3については、私のひいおばあさんは相場よりも多くのお米を変えてあげていたといいます。確かに農家の横暴のような事もあったのかもしれませんが、困った時はお互い様ということだと信じています。
No.6
- 回答日時:
最初で白けてしまいました。
麦飯を隠して食べていたのは相当新しい時代です。あなたの理解は間違い。
米が主食でしたから、軍隊を維持するために供出という制度ができ、戦後は配給ができました。
民を飢えさせると、政権の崩壊に直結しますから、戦後の政治はまずは食わせることから始まるのは当然です。
ご回答ありがとうございます。
人によるのかもしれませんが、祖母(大正4年生まれ)も尋常小学校で女子は弁当箱をフタで隠しながら食べていたと言っていたのですが…。
また、国土決戦などが現実に行われていたら餓死者が相当出たでしょうね。
No.4
- 回答日時:
1.供出
貧乏な家庭は米がないから麦飯にしてたんですけどねえ。まさか米を喰えばいいじゃない、とくるとは思いませんでした。
ご存じないかもしれませんが、戦前の日本は米の自給率は80%程度、麦は60%程度で、かなりの量を輸入に頼っていたんですよ。
供出とは、戦争で輸入が滞り始めたことと、それ以上に軍用に必要になったことから施行された制度です。主に米・麦等の主要食糧について農家の自家消費用以外は強制的に政府に売り渡す制度で、1940年に開始、食糧事情の悪化で徐々に芋や雑穀も対象になったとのこと。戦後は食糧事情の好転に伴って縮小、1955年度から廃止というかたちに。
2.配給
米などの主要食料以外には酒、マッチ、煙草、木炭、砂糖、マッチ、衣料品など、およそ軍で消費する可能性のあるものはほとんど対象に。これらは戦後供給が安定するにしたがって廃止されましたが、最終的に形がなくなったのは1981年とか。
3.どうやって食べた?
配給+農家との物々交換+闇市。おっしゃる通りツテやお金、交換するものを持たない市民は飢えたことになります。
ちょっとご質問の趣旨からは外れるかもしれませんが、面白いデータがあります。
→http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0280.html
→http://www.kanekashi.com/blog/2009/09/1031.html
ご回答ありがとうございます。
私の説明不足でしたが、私の家は米と麦の二毛作をしていて、米を作っていないわけではないのになぜ米を食えなかったのかが、ずっと疑問でした。
皆様のご教示から食料管理法でかなり厳しく米の消費を制限されていたようですね。戦時中は特に軍用米として、ほとんどが買い上げられていたようです。これで米を食えなかったし、戦時中はもちろん戦後も当分の間は麦ごはんを食っていた理由がわかりました。
No.3
- 回答日時:
こういう手記のようなものがあります
配給制度についても少し触れています
http://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru …
戦時中は当然ですが、戦後も白米は数年程度は配給制度が継続しています
配給するには、その元となる大量の白米を政府が確保する必要があります
当然、各農家に割り当てて供出させます
白米は当然のこと、麦などの穀類や豆なども対象になった時期があった
だからこそ『ヤミ米等』を手に入れるために、着物や貴金属と物々交換したものをリュックに背負って汽車に乗り込むような話が生まれているのです
食糧管理制度に関する法律は80年代90年代まで残っていましたが
実質的な配給制度は1950年代までです
ご回答ありがとうございます。
私の説明不足でしたが、私の家は米と麦の二毛作をしていて、米を作っていないわけではないのになぜ米を食えなかったのかが、ずっと疑問でした。
皆様のご教示から食料管理法でかなり厳しく米の消費を制限されていたようですね。戦時中は特に軍用米として、ほとんどが買い上げられていたようです。これで米を食えなかったし、戦時中はもちろん戦後も当分の間は麦ごはんを食っていた理由がわかりました。
No.2
- 回答日時:
「じゃあ、お米を食べればいいじゃない」
↑
マリーアントワネットの故事を彷彿させますね。
貧乏人はパンも食えない、と聞くや、彼女は
じゃあケーキを食べればいいじゃない、と
言って大衆を激怒させた、という伝説があります。
ま、これは間違いだったらしいですけど。
お米が高くて買えないから、仕方なく麦を
食べていたのです。
父も子供の頃は貧乏で、軍隊に入って初めて
百%の白米を口に出来て、感動したそうです。
このままず~と軍隊にいたい、と思ったとの
こと。
2、配給制についてですが、これも私は戦時中だけの事
だと思っていたのですが、戦後もいくらかのものは
配給されていたそうです。
どのようなものがいつからいつまで
配給されていたのでしょうか?
↑
米などは、1982年まで続いたといいます。
都会に住んでいる人はどうやって食べていったのでしょうか?
↑
闇市、闇米。それから農家との物々交換。
あの時は農家の横暴が問題になりました。
評論家の大前研一氏は、私は農家がしたあの
仕打ちを一生忘れない、と言っていました。
配給のものだけでは食べていけないと思いますし、
食べ物と交換する着物なども有限なので
餓死してしまうと思うのです。
↑
山口良忠という裁判官は職業上、闇米などを
購入するわけにはいかない、として配給だけで
生活し、餓死しました。
ご回答ありがとうございます。
私の説明不足でしたが、私の家は米と麦の二毛作をしていて、米を作っていないわけではないのになぜ米を食えなかったのかが、ずっと疑問でした。
皆様のご教示から食料管理法でかなり厳しく米の消費を制限されていたようですね。戦時中は特に軍用米として、ほとんどが買い上げられていたようです。これで米を食えなかったし、戦時中はもちろん戦後も当分の間は麦ごはんを食っていた理由がわかりました。
No.1
- 回答日時:
ご回答ありがとうございます。
私の説明不足でしたが、私の家は米と麦の二毛作をしていて、米を作っていないわけではないのになぜ米を食えなかったのかが、ずっと疑問でした。
皆様のご教示から食料管理法でかなり厳しく米の消費を制限されていたようですね。戦時中は特に軍用米として、ほとんどが買い上げられていたようです。これで米を食えなかったし、戦時中はもちろん戦後も当分の間は麦ごはんを食っていた理由がわかりました。
ちなみに私の祖父は胃潰瘍で戦時中もずっと体調が悪く、香川県の高松市の赤十字病院に泊りがけで受診しに行っていたそうですが、サイト内の記述の通り、米を持参して宿屋で炊いてもらっていた話を聞いた事があります。
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