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何で信教の自由は人権なんですか?
宗教を取り上げることはヤク中から麻薬を取り上げることと同じかと思います。

A 回答 (12件中1~10件)

No.9 です。




信教の自由は日本でも非常に大切です。

徳川家による、キリスト教弾圧・虐殺、
近代日本でも、国家神道に反するとして、キリスト教徒や宗教組織が弾圧される事件(大本事件など)が起きています
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理論の問題ではなく、そもそも「○○の自由」という人権の基本になっているルターの啓蒙主義は宗教の自由という立場からスタートしています。



ルターの時代、中世のヨーロッパでは表面的にはキリスト教だけですが、そのキリスト教の宗派がたくさんありました。大きくはカソリックとプロテスタント、どちらの宗派にもそれぞれの細かい派閥があったり、解釈の違いがあったりして、いろいろありました。
問題なのは、貴族がカソリックだとその貴族の領地の領民はカソリック以外信仰することができなくなったりしたことです。

中世のヨーロッパは戦争も多く領地の支配者も良く変わりましたので、その領民は自分の望む信仰を持つことができないこともありました。

これが人権に繋がる問題なのかといえば大問題だったのです。

日本人の場合、そもそも宗教と道徳は別れています。神棚と仏壇が一緒にあったり、キリスト教で結婚式をし仏教で葬式をしてもなにも問題がありません。しかも、ルールとかマナーそして道徳は神の教えとか仏教の規範に影響は受けても実際には独立しているのが日本のやり方です。

しかし、世界のほとんどの国、特に一神教では道徳と宗教は一心同体、同じこと、なのです。

ですからヨーロッパでは次のようなことが起きます。
カソリックでは免罪符で罪が許されますが、プロテスタントでは懺悔しかありません。領主がカソリックで免罪符を売りたくても、プロテスタントの領民は懺悔をしたい、ということになり金銭が絡むこともあって、支配者と領民が揉める元になります。

比較的近代ですが、イギリスの国王はローマ法王が離婚を許さなかったためにイギリスに国教会を作ってしまい、戦争の原因にもなってしまいました。

つまり、人間の尊厳とか人間の思想を「自由」にしたいとするならば、ヨーロッパ人の考え方では「まず、宗教を誰にも矯正されずに信じたいものを信じる」ということが「自由」になるわけです。

ですからルターの啓蒙思想の考え方では「信教の自由がなぜ人権なのか」ではなく、信教の自由こそが人権の根本であるといえます。

信仰は麻薬、逆をいえばこのようなヨーロッパ人は宗教と道徳を区分けることができません。イスラム教を選択すればイスラム教の道徳を選択しなければならないわけです。日本人のように道徳と宗教を区別することはできません。

ですから、彼らが信仰にどっぷり嵌ってしまうと日本人以上に抜け出すことが難しく、それを麻薬と表現しているわけです。
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こんばんは、しまりすさん。


少し遠回りになりますが、こちらをご覧になってください。心理学では【ブーメラン効果】といいます。
http://copyrighting-supremeprinciple.net/?p=351

今まさに自分の最初の選択が正しいかどうか細心の注意を払って点検し、他の選択肢も視野に入れて検討して判断して決定しようとしている十代の若者Tくんに向かって、【あなたの最初の選択は間違っているからこうしなさい!】と一方的に制限を加えた場合、十代の若者Tくんはどう感じるでせうか。Tくんは自分の最初の自分の選択を否定されたことに腹を立て、ますます最初の選択に固執するのが相場です。
もっと単純な例だと小学生のNちゃんに【宿題を早く済ませなさい】と進言すると、Nちゃんは【今やろうと思ってゐたところなのにやる気がなくなった、オカンが余計な命令をしたから、怒。】という反応をすることがあります。他にはロミオとジュリエットなんかもそうかな。
人は檻の中に謂れもなく閉じ込められたら余程奇特な人でない限りたいてい檻を破壊しなくなります。自分が生きるためです。もちろん自由にはある程度の規律が必要ですが、一方的な制約は破壊や暴走や思考停止や不信感や無力感につながります。

>ヤク中から麻薬を取り上げることと同じかと思います。
:ヤクのことは知りませんが、アル中の場合、配偶者が勝手に酒を棄てたり隠したりするのは逆効果だからアルコールに執着するようになることは容易に想像できます。

まとめ:【違いを認めること】を【思い遣り】と言います。人と人はこれが無いとお互い平和に生きられません。また、人からもの(宗教や思考や判断も含む)を一方的に取り上げるのは【窃盗罪】に該当し、取り上げた側にも取り上げられた側にも良い影響は及ぼしません。とはいえ例えば相手が幼子であったり何らかの理由で的確な判断力を持たない場合はこの限りではなく、相手が的確な判断ができるよう中立的に説明や援助をすべきだと思ひます。
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宗教、そして神仏を認めない無宗教も、形而上学の範疇は、すべて反証不能です。


つまり、間違えであると証明することができないのです。
だから、お互い争い合うと、とどめがきかなくなり、最悪ユグノー戦争などの戦争がおきたり、近い時代では共産主義者による虐殺などが起こります。

そこで、意見は対立しても、少なとも認め合うじゃないかと、信教の自由で、秩序が保たれます。
信じたいことを信じていれば、それぞれより幸せになり、それでいいということです。
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>宗教を取り上げることはヤク中から麻薬を取り上げることと同じかと思います。



信仰と麻薬は違いますから、貴方の理解は間違いです。

信教の自由とは何を信じ、どの教えに組するかについての自由です。自然科学の発見も含めて、新しい発見は常に未知な物に付いて自分はこうあるのではないかという思い込み(すなわち信じること)や直感から生み出されます。ですから自分の直感を信じて何か新しい発見をして下さいと言うのが、信教の自由の意味です。

これを否定してしまうと、人類は発展することができない。だから、人類がより快適な生活を営むんためには信教を自由にしておく必要がある。これが信教の自由を基本的人権として謳った理由です。
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1,歴史的理由


 昔、特定の宗教を信じている人を、あるいは
 信じていない人を、国家が権力を使って
 死刑にしたりしたことがありました。
 それはヒドイんじゃないの、ということで
 信教の自由が人権に入れられるようになったのです。

2,理論的理由
 何を信じるか信じないかは、その人の自由であり
 国家権力が介入すべきではない、という規範が構築
 されているからです。

3,実際的理由
 社会主義国では、宗教はアヘンであるとして
 禁じることになりました。
 しかし、その結果は、人民の心が荒廃し、殺伐
 としたものになってしまったのです。
 
 かつて、キリスト教も弾圧されましたが、施政者は
 弾圧するよりも統治の技術として利用した方が
 得策だ、ということになりました。

 人間に宗教的感情が無くなったら、遺族の遺体も
 ただの生ゴミになってしまいます。
 これはマズイだろう、ということです。


と、いうことで非科学的だから認めない、とする
よりも、人権として認めてやったほうが、結局 
世の中丸く収まる、ということです。
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逆に、信教の自由によって、信仰を無制限に認めているのだ。


仏教を国教とするブータンに住んでいたが、(さすがに個人の心の中の信仰までは問うのは無理だったが)たとえ自宅であっても、人を集めて他宗教の話をした白人ボランティアが、国外追放になったばかりか、抗議したボランティア団体は新規派遣を断られて撤退しました。
一神教は排他的であり、政教分離しないと他宗教の弾圧につながります。
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宗教は 個人の信仰と関係ないですよ。



宗教は オシへであり オシへを取り巻く社会としての思潮(ないし
文明)であり その中に一部特定の集団としての組織宗教があります。

宗教組織は 結社の自由のもとにあると見られています。

結社の自由は 広く表現の自由です。

表現の自由は 個人としての良心・信教の自由にもとづきます。
(これは 公理のごとく論証抜きに一般に認められているものです)。



★ 宗教を取り上げることはヤク中から麻薬を取り上げることと同じ
かと思います。
☆ この場合取り上げるというのは その人の《信じている何ものか》
のことのようです。

オシヘか。あるいはそれにまつわる宗教組織の人たちの勧誘・指導・
命令のことでしょうか。

われわれは オシへを信じる(心に受け容れる)のではなく 一般に
神を信じるのですから オシへを取り上げても 信教の自由にはかか
わっていません。

指導されたとおりに行動をおこなっても それは信教・良心の自由の
問題とは関係ありません。

恐喝や脅しによる強制があったなら それは無効の行為ですから 元
の原状への復帰が促されます。

オシヘやその指導・支配が《麻薬》であって それを取り上げるとそ
の人は 生きて行けない。だから 宗教を非難し無くすことは むし
ろ《人権》を守っていないことになるのではないか? というお尋ね
でしょうか?

それは 筋が違うと思われます。
宗教に《はまる》のは麻薬のようであっても 治るでしょう。
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宗教は麻薬ではなく、心の支えや行動指針ではないでしょうか?



ただ、一般的に宗教というと怪しげな新興宗教を思い浮かべてしまうので、そう考えてしまうのも無理ないですけど…
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それも宗教なんです。

根拠ないでしょう。
まともな頭の宗教の人は、宗教についておくびにも出しません。
おかしな人だけが、自分の宗教を誇示して、結果としてそれが宗教者のイメージになってるわけです。
元からおかしいので、宗教を取り上げても別のおかしな考え方にはまるだけです。
タバコを取り上げようとして、タバコの入れ物を取り上げるようなものです。中身はそのまんまです。
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