No.2ベストアンサー
- 回答日時:
No.5
- 回答日時:
>日本兵は何故、降伏せずに万歳突撃で玉するまで戦ったのでしょうか?
回答:その方が楽に死ねるからです。
これは米兵でも英兵でもシナ兵でも同様だったようです。
【「アンブロークン」どころではない、言語に絶する連合軍による日本人戦犯への虐待】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=WWYTvmrcCNI
(3:00 またある海軍中佐は生爪をペンチで剥がされ、別の海軍中尉は草刈りの際に首に縄をかけられて引きづり回された。
8:40 この種の虐待は長らく続き、英国兵らは、「訓練と称して素足のままガラスの破片、ブリキの破片を捨てた穴の中を行進せしめ足を切るのを眺めては快哉を叫んでいた」のである。
【米軍は親切だったのか ~ 沖縄戦】
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110616/13082 …
《 投降した人は戦闘員と非戦闘員にわけられ、それぞれの捕虜収容所に送られました。収容所は一定地域に有刺鉄線を張っただけで、テントやバラックを建て、砂の地面に寝る生活でした。そこでは伝染病が蔓延し、昭和21年(1946年)にはマラリア患者が17万人にものぼり、死者は毎年1,000人を超え、本島北部の住民は戦死者よりもマラリアによる死者のほうが多いくらいでした。食事も軍用携帯食糧で、収容所によっては食糧飢饉になって草の根やネズミまで食べつくし、栄養失調で次々死んでいった収容所もあります。》
【アーロン収容所】(中公文庫 会田雄次)
《「英軍はひどいことをします。私たちは、イワラジ河のずっと河下の方に一時いました。その中州に戦犯部隊とかいう鉄道隊の人が、百何十人か入っていました。泰麺(たいめん)国境でイギリス人捕虜を虐待して多数を殺したという疑いです。その人たちが本当にやったのかどうか知りません。イギリス人はあの人たちは裁判を待っているのだと言っていました。
狂暴で逃走や反乱の危険があるというので、そういうところへ収容したのだそうです。でもその必要はありませんでした。
私たちは食糧が少なく飢えに苦しみました。ああ、あなたたちもそうでしたか。あの人たちも苦しみました。あそこは毛ガニがたくさんいます。うまい奴です。それをとって食べたのです。
あなたもあのカニがアミーバ赤痢の巣だということを知っていますね。
あの中州は潮がさしてくると全部水に没し、一尺ぐらいの深さになります。みんな背嚢を頭にのせて潮がひくまで何時間もしゃがんでいるのです。
そんなところですから、もちろん薪の材料はありません。
みんな生のままたべました。
英軍はカニには病原菌がいるから生食いしてはいけないという命令を出していました。兵隊たちも食べては危険なことは知っていたでしょう。
でも食べないではいられなかったのです。
そしてみんな赤痢にやられ、血便を出し血へどを吐いて死にました。水を呑みに行って力つき、水の中へうつぶして死ぬ。あの例の死に方です。
看視のイギリス兵はみんなが死に絶えるまで、岸から双眼鏡で毎日観測していました。
全部死んだのを見とどけて、「日本兵は衛生観念不足で、自制心も乏しく、英軍のたび重なる警告にもかかわらず、生ガニを補食し、疫病にかかって全滅した。まことに遺憾である」と上司に報告したそうです。》
【通州事件の真実 01 Sさんの体験談】(動画 中国人による日本人の虐殺)
https://www.youtube.com/watch?v=U7vJtEzXo_g
【広辞苑の嘘】(谷沢永一 渡部昇一 光文社)
(シナで捕虜になった日本兵は徹底して残虐な殺され方をしたからです。
それは局部を抜かれたり、全身切り刻まれるなど惨憺たる殺され方をする場合が多かった。)
一方で、日本の国際法の遵守や捕虜の扱いは非常に厳格で人道的なものでした。
日本人が戦陣訓のように 捕虜=恥 と考えていたとしたら、外国人の捕虜をそのように扱うとは思えません。
【「アンブロークン」のイメージとかけ離れた捕虜の食糧事情】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=pDUzoFz8-Ik
(8:50 僕達は最近悪い食料は貰っていないし、なかなか良い。今の所はムール貝で忙しい。
9:20 実際、『アンブロークン』の中には、日本の捕虜収容所で終戦時に撮影された写真が載せられているが、捕虜たちは、とても飢餓状態にあるようには見えない。)
No.4
- 回答日時:
玉砕の原因として「戦陣訓」を出す意見もありますが、以下の理由で確実なものとは言えないと思います。
戦陣訓は、1941年に、当時の陸軍大臣・東条英機が陸軍の行動規範を示したものです。
目的は中国戦線では戦況が膠着状態に入ったことによる将兵の士気と軍紀を建て直す事です。
その為に、内容は道徳実践綱領や、敵兵や住民に対する配慮、軍人の道徳実践、思想戦への注意となっています。
(これには、キリスト教徒である、島崎藤村も参画しています。)
【正本・戦陣訓】(全文)
http://www.geocities.jp/kyoketu/8193.html
《本訓 其の二
第八 名を惜しむ
恥(はじ)を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門(かもん)の面目(めんぼく)を思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)して其の期待に答ふべし。生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名(おめい)を残すこと勿(なか)れ。》
「意訳」
1:違法行為(軍規違反、戦争犯罪)で、逮捕されるような事をしてはいけない。
2:1で囚人や死刑になると、その汚名が記録されてしまい、家族にも迷惑をかける。
3:そのような事にならないように、行いには気をつけよ。
↑の解釈の理由は↓によります。
まず、「虜囚」ですが、犯罪者として捕えられた者=囚人 という意味です。
そして、敵国に捕らえられた者には、当時は「捕虜。俘囚。俘虜。とりこ。」という言葉が使われています。
また、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の構文ですが、
「生きても、死しても・・・なかれ」となり、この場合は「・・・」=「罪禍の汚名」となります。
広辞苑では、「罪禍」とは、「法律や道徳に背いた行為」です。
「罪過」の内容を、「敵国の捕虜」とすると、「法律や道徳に背いた行為」では意味が合わなくなります。
しかし、犯罪による囚人の汚名=罪禍(法律や道徳に背いた行為)なら、意味が通ります。
前述の構文でも、「生きている時も死んだ後も、犯罪者としての汚名を負うな」という意味になり、理解できます。
以上から、全体の意味は↓となります。
「恥を知る者は強いものだ。ふるさとの親類や家族の対面を考えて、(軍規に反して略奪や暴行などを行い)(憲兵に)捉えられてて収監されたり、死んでまでも罪人として扱われるような行動をしてはならない。」
それに「虜囚」=捕虜 とした場合、Cの文の解釈は、↓になってしまいます。
生き残って捕虜となる=恥
それをせずに戦死=罪人の汚名
なら、いったいどうしろというのでしょうか。
「戦陣訓」の内容自体は、以上のようなものでした。
しかし、私は全ての兵士が、意味を正しく理解できていたか?ということについては、疑問があります。
島崎藤村の参画で、格調高い文章になったのは良いのですが、その為に難解になった事は事実だと思います。
しかし、だとしても、↓のように、実際は戦陣訓の存在自体が知られていなかったという事から、(誤解による)兵士への影響や、現場での解釈によって自決がどれほど行われたかについては疑問があります。
【私の中の日本軍】(山本七平著 文芸春秋)
「たとえば横井さんが出て来たとき、すぐにその原因は戦陣訓ということになり、私自身も取材を受けたが、私は戦陣訓など読んだことはないし、部隊で奉読されたこともないと言っても、その人は信用しない。私は自己の体験を語り、その人は戦後生まれで軍隊を知らないのに信用しない。
『戦陣訓』に戻って言えば私自身も一年半の軍隊生活で、『戦陣訓』を強制的に読まされたり、講義されたりしたことは一度もない。それは軍隊内で、いわば体よく無視されていたと言えるだろう。
しかるに現代のマスコミは、なぜ戦陣訓を重視したがるのか?それは山本氏も言うように、戦陣訓は実は当時のマスコミにかつぎ上げられてマスコミの中だけで拡まっていたものであり、それは現代のマスコミにも体質的に通い合うものがあるからではないか。」
陸軍で小隊長を務めていた経験のある司馬遼太郎も、エッセイに
「そんなものがある位の事は知っていたが、特に意識もしなかったし、暗誦させられたこともなかった」
と書いています。
余談ですが、wikiの「先陣訓」は捏造されているので、注意が必要らしいです。
そもそもwikiは誰でも編集ができるので、出典や資料の不明な記事には注意が必要です。
言語版によって内容が全く違う記事もあります。
【虜囚の辱の意味戦陣訓本意囚人を捕虜と捏造ウィキペディア捏造事典思想戦展開ついに馬脚を露す】
http://sinzitusikan.blog.fc2.com/blog-entry-5.html
No.3
- 回答日時:
陸軍大臣東條英機が1941年1月8日に示達した訓令(陸訓一号、戦陣訓)が原因です。
軍人としてとるべき行動規範を示した文書で、1942年からは、各兵士の持つ軍隊手帳にも記載されました。
このなかの<恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を
思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、
生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の
汚名を残すこと勿(なか)れ・・・>が有名です。
Wikiでは<(戦陣訓が)玉砕や自決など軍人・民間人の死亡の一因となったか否かが議論されている。>と中立を装って書いてあります。
しかし、生き残った多くの兵の証言に見られる、隠せない事実です。
そして、それを当然の事として受容れた日本社会、完全な洗脳教育の
結果です。
日露戦争頃の例や、犯罪者として刑務所に入れられた少数者の例を
挙げて疑問を呈しておられますが、敗戦直前の日本の状況は全然違い
ます。当時の軍隊教育がどういうものだったのかは、以前の質問に
対する小生の回答でちょっと触れていますので、それを参照してくだ
さい。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8630083.html
No.1
- 回答日時:
それはその様に教育されたからです。
敵前で降伏することが日本男児として恥ずべきこと…という教育です。
これは曰く「武士道」に続く教育です。
日本の天皇制にも責任があったのかもしれませんが、
それを助長した日本軍参謀の責任かもしれませんね。
ご参考まで。
教育と簡単にいわれるが催眠術でも簡単にここまでは変わりませんよ。おまけに太平洋戦争以前は、大正デモクラシーの余韻でハチャメチャな時代だったんです。では何故、明治の与謝野晶子は君死にたもうことなかれという歌を日露戦争の真っ只中に婦人公論に出してもなんらバッシングを受けることはありませんでした。戦士をまぬがれた人の記録で上官を殴り倒して終戦まで刑務所に居た人、自分の死亡診断書を出した人、金を積んだ人等沢山いるんです。教育だけではないでしょう。
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