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【宗教の歴史・日本史】なぜ宗教は国の繁栄を願うものだったのにいつの間にか個人の繁栄を願うものに推移していったのでしょうか。

今や個人のご利益、家族のご利益止まりの信仰に落ちぶれてしまったのでしょう。

神社、寺にお参りに行って国の繁栄を願う人など皆無で、個人の願い事を言う場が宗教ではなかったはずです。

密教の空海が元凶でしょうか。

キリスト教やイスラム教は国の繁栄を願う宗教ですか?

A 回答 (3件)

もともと宗教は国の為政者だけのものでした。


宗教の力を持って国を治めようとしたわけです。
現在も天皇は日本国並びに世界各国の繁栄と平和を願って毎日神様にお祈りしてくださっています。
それが天皇の仕事の一つでもあります。

 物は考えようで、それぞれ個人が自分自身の幸せを願って祈り、それが叶えられ、そのことによって国も繁栄するという考え方もできます。
空海が悪いのではなく、鎌倉時代に新仏教として広まった法然の浄土宗、その弟子の親鸞の浄土真宗などが、「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰でも極楽往生できるとしたんです。それまでは宗教は厳しい修行と、たくさんのお金が必要で、いわば坊さんたちの既得権益だったわけです。
それを法然親鸞が「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えるだけでいいとしたものだから、彼らはそれぞれ流罪されました。
「南無妙法蓮華経」こそが最高の題目であるとした日蓮宗の日蓮も流罪されました。

 結果としてはお分かりのように、浄土真宗などは一番信者を集め現在に至っています。
そして現在でもいろいろな規則や決まりが一番ゆるいのも浄土真宗です(髪の毛を丸めなくてもいいとか、妻帯してもいいとか・・・現在はどの仏教も妻帯していますが)浄土真宗はお金も一番かかりません。真言宗などはそれぞれ個人の位牌が必要ですが、浄土真宗は過去帳というものにそれぞれ命日のところに名前を書くだけです。

 先ほども書きましたが、私はそれぞれ個人が信心している宗教でお祈りし、その結果個人個人が幸せになればその国の繁栄に繋がると思います。
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

素晴らしい回答で感動しました

お礼日時:2016/07/11 20:11

まず、日本の古史を学んでから、なにこれ?という質問を発したらどうかと。

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キリスト教の変化とキリスト教価値観が世界を征服したのが大きな原因です。




ローマ帝国末期から30年戦争までのカトリックやプロテスタントは、名目上は人類の繁栄のための宗教でした。

(その当時は、カトリックとプロテスタントは異教徒扱いをし、互いに殺しあっていたのでカトリックからしたらプロテスタントは人類に含みません。逆も同じです)


しかしやっている事は、民衆を虐げ教会が太ると言うだけで何の人類のためになっていませんでした。それにNOを突きつけたのがヒューマニズム(人文主義)です。

人文主義以前は、「神の意思に人は従うべき。それが人類のためになる。」と言う思想でした。それが、「神の意思よりも個人の意思が大事。」と言う思想に変化したのです。

今では信じれない事ですが、人文主義以前は、心で思っている事も神の意思に従わなければなりませんでした。「汝、姦淫すべからず」は有名ですが、これは紛れも無い精神の自由の侵害です。口に出したり行動で「姦淫」したら責任が問われますが、心の中に閉まっている限りは何を考えても良いのです。しかし、人文主義以前はそれが駄目で、教会に「お前、心の中で姦淫しただろ。していないならそれを証明しろ。」と言われたらそのまま処刑されます。そういう事がヨーロッパ中に横行していて、その不満が人文主義を産みました。



それを支持した勢力は主にプロテスタントです。そして、その総決算が30年戦争です。

30年戦争の結果、プロテスタントの宗教の近代化勢力が勝利し、ヒューマニズム(人文主義)がヨーロッパの正義となります。



これが、「人類の繁栄のための宗教」から「個人の幸福のための宗教」に変わった切欠です。


今、世界中でその風潮があるのは、そのプロテスタント勢力(19世紀以前は大英帝国、20世紀以降はアメリカ)が、世界を支配し、「宗教は個人の幸福のため」という価値基準を押し付け、グローバルスタンダードになった影響強いです。







私は欧米的個人主義を妄信的に推すわけではないのですが、宗教はそれの方がよいと思います。何故なら歴史的にそちらの方が良いと言わざる終えません。

例えば神聖ローマ帝国は、実行範囲しているヨーロッパ諸国を教会がまとめていました。つまり、国の上に教会がある状態です。国の統治者なら暴君はどうか知りませんが名君なら民の事を考えます。何故なら、民を虐げ、切り捨てる事は、自分の手足を切り捨てる事と同じと言う意味を理解しているからです。しかし神聖ローマ帝国の教会の彼らは、そんな事考えません。

現在でも、イランなどは選挙で選出された政治家よりも、宗教指導者の方が権力を持っています。これは、つまり国民の意思よりも宗教指導者の意思が強い事を意味します。イランの宗教指導者は神聖ローマ帝国とは違い、実行支配地域はイランしかないので、イラン国家の事を考えているでしょうが、だったら国民の代表に政治をさせればよいと思ってしまいます。(イランの事はイラン人が決める事でしょうが。)

宗教は「人類のため」「国のため」とか政治などに介入しないで「宗教は個人の幸福のため」という、政治から脱却した存在としてあった方がよいと思います。これを政教分離と呼びます。
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