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「ここで一句」という心境とは程遠い暑い日が続いています。

「哲学」のカテゴリーではありますが、あなたのお気に入りの「五七調」をおしえてください。

たとえば、和歌・短歌・狂歌・都々逸・俳句・狂句(川柳)など。
(山頭火や放哉などの自由律俳句も含めます)

あまり考えず、フト思いついたもので結構です。

ちなみにわたしが好きなのは

『ひとり寝たのは 寝たんじゃないよ 枕かかえて 横に立つ』-これは都々逸ですかね。

『きれい好き 夜はすこぶる 汚(きたな)好き』 

(これは小津安二郎の映画、『彼岸花』で、小津映画の常連三人組=(笠智衆、(時に佐分利信)中村伸郎、北竜二)の小料理屋での席で、最近若い娘と再婚したという北竜二をからかって中村伸郎が言ったセリフです)

何だか艶笑ものになってしまいましたのでもうひとつ

『咲かざらば 櫻をひとの折らましや 櫻の仇は 櫻なりけり』-後拾遺集

内容は問いません。

お好きな五七調と、なんでその句(一首)が好きなのかも書き添えて下さい。

(意味が分かりにくいと思われるものは簡単な解説を添えていただけると助かります)

質問者からの補足コメント

  • 次回はエロス(艶笑)についての質問でも立てますか(笑)

      補足日時:2016/07/14 02:50
  • ちょっとした気晴らしのつもりで投稿したものの、まったく「哲学的」でなく深めていくことも難しそうな質問を後悔していましたが、いろいろと素敵な回答を頂きました。

    特に猪突さんお得意の都々逸、これで充分この質問の元は取れたと思っていたところ、ぶらじゅろーぬさんの、ご自分で訳された、ランボー、ポール・ヴァレリーの詩、瀬里香さんのこれまた自作の短歌、
    すずめさんの哲学的な歌。yy8氏の隠れた趣味など、他の閲覧者にとっても収穫の大きな質問になりました。

    こちらでも猪突さん、ぶらじゅろーぬさんと決めかねましたが、質問の当初の意図である五七調ということと、都々逸及び自作の回文短歌を寄せて下さった猪突さんをベストアンサーとさせていただきます。

    みなさん、お付き合いくださってありがとうございました。

      補足日時:2016/07/15 23:38

A 回答 (16件中1~10件)

夢に逢い 想いに逢いて もう逢えぬ



・・・人生とは、全てが過去になっていく事。
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この回答へのお礼

こんにちは。

>夢に逢い 想いに逢いて もう逢えぬ

・・・人生とは、全てが過去になっていく事。

もういちど、夢であえればしあわせですね。

とてもロマンティックです。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/07/15 15:00

私のお気に入り。

(またお前か、なんて言わないで)

『家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな』 大滝和子
(月のライトアップによる満開の桜の神々しさ)←私の感想

『城門は脚より昏れて夏の馬うなずきながら今日を閉じゆく』 梅内美華子
(穏やかな・・と言うのが今一な表現ですが、そのような夕暮れ)

『連綿と海老の種族を生みだしてわが惑星(プラネット)のくすくす笑ひ』 井辻朱美
(地球上の生物の生き模様。無知だからそれが何で海老の種族になるのかがよく分からないけど)

『ふくだみてパラシュート浮く春の昼馬魚様(うまうをやう)の人体さがる』 河野裕子
(人体、と言う語感が澄んだ大空を思わせてくれる)・・・人体と言う表現に対戦相手の“方人(かたうど)”から語感が良くないとの批判が出てました。

これらの歌は岩波新書の「短歌パラダイス」から選びました。この本は初版が1997年(今から19年前)でその第1刷発行で絶版状態だったのを、"アンコール復刊"したのが2012年(4年前)で、だからこれが第2刷。私も"要望"した一人です。

歌合(うたあわせ)という"古式ゆかしい遊び"を現代の歌人たちが行った様子を本にしたものです。
「題」は『家々に・・・』が"芽"。『城門は・・・』が"門"。『連綿と・・・』が"海"。『ふくだみて・・・』が"パラシュート"です。

歌人たちの博識には驚きます。また無知な私には"解らない"歌も多いのですが、それでも短歌の持つ"音(楽)感"は楽しめるので、初版の一冊はずいぶんと痛んでしまいました。今ここに有るのは本の"腰巻き"にアンコール復刊とある2刷目です。

知者の皆様ならもっと深く読まれるのではないでしょうか。

女性ばかりだったので、男性の歌を一つ。
「題」は"浅葱(あさぎ)"です。
『低く泛(う)く浅葱のいろの糸とんぼ大きな足はまたいでゆけり』 吉川宏志
(都会の雨上がりの様子)
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この回答へのお礼

こんにちは、yy8zさん。

へえ、現代短歌ですね。初版が1997年ということは、今40代くらいの作者たちでしょうか?

>『連綿と海老の種族を生みだしてわが惑星(プラネット)のくすくす笑ひ』 井辻朱美

個人的にはこれが好きです。

「題」があるせいか、他の歌はシュールさに欠ける気がします。



「農業を しなくていいは 嘘だった」前に新聞で、こんな短歌を読んだことがあります。(笑)

多分田舎に嫁いでいった人が歌ったのか?

「事件は いつも イオンで 起こる」なんていうのもあったけど、田舎川柳だったかな?

「プチ家出 街まで100キロ プチじゃない」

「寒いとか そんなレベルの 話じゃねえ」

「気がつけば 隣の嫁は 外国人」

「猪は 速い固い 止まらない」


yy8さんは穂村弘をご存知ですか?わたしと同世代の歌人で、彼のエッセイは大好きですが、メインである彼の短歌は正直さっぱりわからない。

現代短歌に対する感性はyy8さんの方がずっと勝っているでしょう。

イナカ川柳笑えますが「うさぎ追いし かの山 小鮒つりし かの川」はいまどこへ・・・?

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/07/15 14:57

夏の夜のえろーすとしては こんなうたを出さざるを得ないぢゃ


ないですか。

     *

 若いパルク La Jeune Parque


 星を散りばめたこんな時間に 独りして
 そこで
 もし風の音でないとすれば 泣いて
 いるのは 誰かしら

 今にも泣こうとしているわたしのこんなにそばで
 いったい 誰が 泣いているの?



 何か心の深い意図に対して憑かれたかのように
 わたしは わたしのこの手は そっと 目鼻をかすめて
 わたしの中から 多分それは わたしの弱さの中から
 一滴のしづくがこぼれるのに
 触れたように思っている。

 〔わたしは〕わたしの運命をおもむろに超えて
 《もっとも純粋なるもの》が
 静寂のかなたから
 この傷ついた心を照らし出してくれることを
 待っている。

 〔大波は〕大波のうねりは わたしの耳に〔は〕
 咎めのうねりを囁いている。――

 岩礁の喉の方へと 欺かれた藻くずを
 ものを苦々しくも呑むことになったような
 心を締めつける嘆きをざわめかせ
 送りやっている。


 
 髪を逆立て 凍ったような手をかざして おまえは
 何をしているの?
 あらわな胸の谷間を抜ける こんなに執拗な
 風に吹かれた落ち葉がざわめき
 つづけるのは
 何故なの?

 この未知の天空につながれて
 わたしは きらめいている。

 災厄を求めているわたしの渇きに 限りない天体は
 輝いている。

 ・・・

 わたしは ここまで
 わたしを噛むあの蛇を追ってきてしまったのかしら。
 ・・・

 (ポル・ワ゛レリ。ぶらじゅろんぬ訳)
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この回答へのお礼

こんばんは。

夏の夜のエロスというには少々格調が高すぎましたかね。

ヴァレリーの詩は象徴的で難解です。(笑)

とは言え、格調の高さに文句をいうものではありません。

瀬里香さんの生活詩と対照的ですね。

重ねてのご投稿ありがとうございます。

お礼日時:2016/07/14 23:51

こんにちは、blueさん。



本来、哲学におけるやりとりは、ひとつのお題目に対し、それについてのみ注目し話し合い突き詰め結論を出す【ベキ】であり、他のお題目を持ち込んだり他のお題目から派生させる【ベキ】ではないのですが(笑)、よそで頂いた唄が愉快だったので、邪道ですがこちらにお邪魔します。


>秋来ぬと、目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
:これいいですね。たしかに風を虫に変えてもいいですね。僕なら【波】に変えてもいいし【花】に変えてもいいし【雲】に変えてもいいと思ひます。blueさんのことだから、花も雲も音なんかしないだろう!とかツッコミを入れると予想しているのですが、9月の秋桜や雲を眺めていると【彼らの音を聴いている】気分になることがあるんです僕は。↓は僕が適当に書き変えてみましたが如何でせう。なお、詩や歌は句読点無しでお願いします。流れるやうに詠みたいからです。途中で区切りたくないからです。

→秋来ぬと まるで瞳に映らねど おどろかれぬる稲のかをりに
→秋来たり 目には露ほど映らねど おどろかれぬる 鈴虫のおと

___________



さて。以下は僕が精神科の閉鎖病棟で退屈していたときに描いた落書きです、ええ、本当に小学生の落書きです。ぶらじゅろ~ぬさんがところどころ添削してくださっています。ノートに鉛筆で殴り書きしたものを、そのまんまダァ~っと書きますね。


◇汗ひらり 駆ける少女に水仙の
 きりつと薫り気の引き締まる
(正月の駅伝中継を観ていたときに詠いました)

◇洗ひ立てTシャツGパン スニーカー
 少年のやう 天突き抜けて
(真冬の透き通った空です)

◇始まりは淋しさ抱き芽の澄みて
 ためらふ空を見る沈丁花
(【芽】は【眼】と読んでください、
 あるひは【瞳】と読んでください。
 2月末の沈丁花の蕾を眺めて詠みました。
 だいたい三寒四温のころです。)

◇制服の袖の触れ合ふ裸の田
 また明日ねと伸びる夕暮れ
(下校時の中学生を眺めてうたいました。)

◇ブランデイ グラス眺めつ棚見上げ
 藤の揺れるを揺らしつつ呑み
(ノーヒントです、笑)

◇運動会 木犀の香を身に纏ひ
 砂埃抜け歓喜溢るる
(ノーヒントです、笑)

◇響き合ひ防音硝子の向かふ側
 君のホルンと僕のフルート
(ノーヒントです、笑)

◇息永く菜花畑の西東
 やはらかな陽に君想ふとき

◇茉莉茶(ジャスミンチャ)湯気の立ち籠め雪の夜に
 擦り切れた本 語り掛けをる

◇雪山に天使の梯子 舞い降りて
 もういいかいと蕾なやめる

◇新じゃがのコロッケ頬張る赤き頬
 見つめ満腹ごちさうさまです

◇金柑の毬にぎやかに散歩道
 息の白さにコバルトの空

◇恵方巻 願いを込めて西南西
 笑みをこらへた沈黙流る

◇卓袱台に家族あつまる雪の夜
 鍋をつつけば柚子香り立つ

◇朝一番 霜柱踏む靴たちの
 リズム華やか登校の前

◇新雪に椿紅(ツバキクレナイ)点々と
 物言わずをり旅立ち祝ふ

◇朝顔と挨拶交わし細き道
 駆けて仲間とラヂオ体操


___________


お読みいただきましてありがたうございました。気が向いたら新しいの作りますが、ご覧の通り僕が詠うのはほぼ【僕の生活の中から】しか生まれないのですよ。笑。もう少し想像力があると楽しいのでせうね。いつも通りご批判や添削などどなたさまからでも大歓迎します。また、1年半前、壊れた僕もどきが幼児のやうに殴り書きをした五七を哂わずに聴いてくださり助言を下さったぶらじゅろ~ぬさん、ありがたうございます。ではでは。
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この回答へのお礼

こんばんは。瀬里香さん。

>本来、哲学におけるやりとりは、ひとつのお題目に対し、それについてのみ注目し話し合い突き詰め結論を出す【ベキ】であり、他のお題目を持ち込んだり他のお題目から派生させる【ベキ】ではないのですが(笑)

あれ?そうだったんですか?(笑)「派生」こそが醍醐味であると個人的には思っています。

>→秋来ぬと まるで瞳に映らねど おどろかれぬる稲のかをりに
>→秋来たり 目には露ほど映らねど おどろかれぬる 鈴虫のおと

いいですね。どちらかというなら、「稲のかおり」という嗅覚の歌が好きです。

十七の句を頂きましたがとくに好きなものをならべてみます。

◇茉莉茶(ジャスミンチャ)湯気の立ち籠め雪の夜に
 擦り切れた本 語り掛けをる

◇新じゃがのコロッケ頬張る赤き頬
 見つめ満腹ごちさうさまです

◇恵方巻 願いを込めて西南西
 笑みをこらへた沈黙流る

◇卓袱台に家族あつまる雪の夜
 鍋をつつけば柚子香り立つ

◇雪山に天使の梯子 舞い降りて
 もういいかいと蕾なやめる

◇響き合ひ防音硝子の向かふ側
 君のホルンと僕のフルート

いや、どれも完成度高いですね。「生活苦」・・・じゃない「生活句」は上の句のように作為がないほうが好きです。ありのままに心のシャッターを切ったという感じ。

瀬里香さんにこういう趣味があるとは思いませんでした。いや、とてもおもしろく読ませていただきました。

他にもあれば聞かせてください。

お礼日時:2016/07/14 23:40

カフェでの談話ですよね。



     *

故き墓地にて

紫の毛虫の朝のつゆ知らず鬼百合を喰うわがるりたては

照源寺の 裏山の端の
草深き 林の中の
木漏れ陽の 明るい墓地は
少年の日 蝉網かつぎ
幾段も 石段登り
松の木の 回廊巡り
松の木の 黒き鱗に
目を凝らし あぶらわしわし
鳴く中を 息を凝らして
たどり着く 静寂宿す 石の神殿

武士(さむらい)の 領主の家の
代々の 戦勝碑の
列なる間 商家の主の
近代の ひとり大きく
横たわる 真白き墓標
苔生す 角の欠けた碑
黒ずむ 蔦のからまる
古代の碑 八月五日の
灼熱の 陽の神の射る
光の矢 木の葉突破り 銀石貫く

明るく 照り輝く
光線は 鋭く反射
取り囲む 樹々の闇中へ
蝉時雨に つのる静寂
蝉時雨に 流れる静水
るりたては ひとり翔け入り
水柱から 水中花へと
すいすいと 銀鱗きらきら
ひらひらと フランス松露に
舞い降りて 神殿にまた 静寂降りる

ああ時よ止まれ 蝉吟の
中にこのまま 静水の
中にこのまま るりたては
おまえとふたり 身を浸す
みやまはなごけ 中空の
黄色い繊維で 松露囲み
のきしのぶの奥 ゆきのした
薄黒緑の 葉の蔭に
一羽見つけた 華奢な翼
ひめいととんぼ 複眼の 目を配り
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この回答へのお礼

ふーむ。

なるほど、夏の日の情景が鮮やかに描写されていますね。蝉しぐれ降りしきる夏の日の古き墓地の静けさと孤独。

これは自作の詩でしょうか?それとも訳詞ですか?

素敵な夏の詩をありがとうございます。

お礼日時:2016/07/14 14:07

自作でもよさそうだと甘えた判断をしてちょっと横やりを試みます。



安住に歪みが知恵を促して両刃の剣の歴史の賭けが

こんな感じで歴史のいたちごっこが始まったんじゃないかと思っています。
歪み⇒知恵⇒歪み⇒・・・というような流れの中で
歪みの威力が大きくなって
常により大きな知恵で克服しようとしていないと
滅亡の方向に流れて歯止めが利かなくなるというのが現状
になってしまっているんじゃないかと思っています。
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この回答へのお礼

こんにちは。

歪みというのは歴史的な或る時代で、知恵、というのは、例えば「革命」のようなものでその「歪み」を矯正するというようないみでしょうか?

人間が「知恵」というもので、歴史の歪みを正せるという発想はどうにも首を傾げざるをえない。
しかしそれが人間の「業」というものでしょうか。

>安住に歪みが知恵を促して両刃の剣の歴史の賭けが

なかなか鋭い視点であると思います。

No.12でぶらじゅろーぬさんが、「カフェでの談話ですよね」と仰っています(笑)

歌としての良しあし以前に歴史哲学として、興味深く、また共感できる作品でした。

ありがとうございました。

お礼日時:2016/07/14 13:50

#9のつづき。



この機会にどうしても「教えて」デビューさせたかった私の秀歌(自画自賛)一首を書くつもりでいて、忘れていました。昨年の正月に目出度い和歌をと言うことで、正月に因んで篝火を焚いた初詣の情景を回文(上から読んでも下から読んでも同じ)で詠んでみました。和歌って中心を挟んで対称に出来ていないので作るのが大変でした。作るのに3時間かかりました。では、ご鑑賞の程を。

 長き田の 水辺の岸に 雅の火 闇錦野辺 隅の滝かな 

(なかきたの みすへのきしに みやひのひ やみにしきのへ すみのたきかな)
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この回答へのお礼

なるほど。

これはにごりが入ってしまうと回文にならないところが難しいですね。
はじめを「ながき」にしてしまうと、最後が「かな」でなく「がな」になってしまいます。

こりゃ物理やアートよりも難しいや!

発表の場を提供できてうれしく思います。

みなさまご鑑賞ください。

ありがとうございました。

お礼日時:2016/07/14 01:28

先ず、哲学好きの連中向けに:



 白だ黒だと喧嘩はおよし 白という字も墨で書く

 井戸の蛙が空うち眺め 四角なものだと議論する

 柔肌の熱き血潮に触れもみで 寂しからずや道を説く君

官能的な歌:

 清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人みなうつくしき

 積もる話が仰山おすえ  それに今夜は雪どすえ
 
 出来たようだと心で察し 尻に手をやる燗徳利

 帯も出来たし箪笥もできた そろそろ旦那と別れよか

 抜けるにも抜けぬにも 伊勢の旅

 ぬっと入れ まず抜いてみる 伊勢の留守

(注)伊勢の抜け参り。江戸の商家では奉公人が店に無断でお伊勢参りをして良かった。一方、お伊勢参りで旦那が留守中に女房が浮気すると抜けなくなるという言い伝えがあった。

勇壮な和歌:

 大海(おほうみ)の磯もとどろによする波 割れて碎けて裂けて散るかも  源実朝

 男なら出て見よ雷にいなびかり 横にとぶ火の野辺の夕立   平秩(へずつ)東作


私の尊敬する南方熊楠神の辞世の都々逸:

 見えぬ山路を越え往く時にゃ 鳴かぬ烏の声もする


お遊びに:

 芭蕉翁 ボチャンというと 立ち止まり

私の座右の一首:

 塞翁がむまいことなど起こりしは あとからうしが来ると思へや

私の付け歌:
 
  むまのあとうしが来るかと思いしに わが生きざまにしかぞ来るなり

熱力学第二法則を講義するときに必ず紹介する歌:

 花の色は移りにけりないたずらに 常無き身世の第二法則

お後がよろしいようで。
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この回答へのお礼

こんばんは。

いやあ、随分出ましたねぇ。

以前の質問で時折このような五七調を織り込んでおられたので、回答をお待ちしてました(笑)

こちらもいくつかお返しを。

哲学好きの連中向けに:

鷺(さぎ)を鴉(からす)と言うたが無理か? (自説を押し通す人に)

官能的な歌:得意版

居候、亭主の留守にし候

惚れて通えば千里も一里、会わずに帰ればまた千里

九尺二間(くしゃくにけん)に過ぎたるものは、紅のついたる火吹き竹 - 九尺二間(くしゃくにけん)=貧乏長屋

日に三箱、鼻の上下、へその下 - 千両箱 芝居、食い物 そして遊郭

馬鹿らしい、いやよと、暗い方へ逃げ

厭世的な歌:

明日ありと思う心の徒桜、夜半(よわ)にあらしの吹かぬものかは 親鸞

お遊びに:

青蛙 お前もペンキ塗り立てか? 芥川龍之介

私の座右の一首:

色みえで、移ろうものは 世の中の 人のこころの 花にぞありける 

お後がよろしいようで

沢山の秀歌をありがとうございました!

お礼日時:2016/07/14 00:34

お礼をありがとうございます。



★ 素敵な詩
☆ ですよね。必ずしもランボーらしくなく。
淡々と風景描写をつづって行くというようなかたち。

いくらかはその味を出せたでしょうか。
このわたくしめの訳でした。大昔にそんなこともしていました。



★ さっきこのサイトを開いたら、文字がやけに大きくなって
いるのですが、・・・
☆ いまのところ わたしの画面では変わっていません。

わたしはお礼欄の文字が回答欄にくらべて小さいので 拡大し
て見ています。(125%)。






おだてられると のぼせあがります。ランボーが17歳ころ書
いたらしい。かろうじて一部が七五調でしょうか。

 縁覚 (Sensation)

   夏の青い夜などに
   わたしは小さな野径をたどる
   ちくちくと麦穂に刺され
   小さな草を踏みしめる
   わたしは幻に酔い
   草々は足から心地よい
   ああ風よ吹くがよい
   わたしの剥き出しのあたまから
   洗っておくれ
   わたしは口などを利くまい
   なにも考えまい
   ただ限りなき愛に飢え
   わたしはこころが昂ぶるのみ
   ただ果てしなき遥かかなたへ
   わたしはボヘミアンをたどるのみ
   俗界を隈なく――わたしは西方へ行く
   おんななどを従えて
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この回答へのお礼

ふたたびのランボーをありがとうございます。

まだ初期の詩でしょうか。こちらも夢とも現ともつかないような夏の夜の情景ですね。
これを完全にひと夜の情景としてとらえてしまうよりも、どこか夢見心地と見た方がいいですね。女などとともに西へ、などはすでに夢の中です。

へえご自身の訳ですか?

いつになく(?)平易でわかりやすく、自然にこころに入ってきます。

改めて、ありがとうございます。

お礼日時:2016/07/13 13:18

それでは 格調高く(?)。


A.ランボーです。あっ 五五調でした。

 谷間に眠る者 (Le Dormeur du Val)

   緑なす里の野にさわやかに水流れ
   狂乱の銀の衣(きぬ)草々に飛び散らす
   いや高き山の端に綺羅やかに日は昇り
   光線の泡の生(む)すこの狭き谷合いに

   年若き兵士ひとり髪乱し口を開け
   鮮やかな芥子菜(からしな)の群青に頂漬け
   眠りゆく。陽光の雨注ぐさみどりの
   床に臥し蒼ざめて草のなか雲ながめ

   足元に菖蒲(あやめ)咲き眠りゆく。口元に
   病める子の微笑みを微笑んで眠りゆく。
   天地(あめつち)よ暖かく揺らせ彼凍えるを。

   芳(かぐわ)しき花の香も鼻元に届き得ず
   陽を浴びて眠りゆく。片腕は安らかな
   胸の上。右脇にくれないの傷跡(あと)ふたつ。
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この回答へのお礼

こんにちは。

うーん。ランボーですか。

ランボーは、ボードレールやヴェルレーヌに比べて、難解な印象があって、
同じ堀口大學の訳でもランボーには今一つはまりませんでした。

この描写は戦場ですね、夏草や兵どもが夢のあと。

とてもいい詩ですね。傷つき倒れた若き兵士をとりまくものいわぬ草木、自然の対比が美しく感じられます。

これは誰の訳でしょう?鈴木信夫?

素敵な詩をありがとうございました。

PS.

さっきこのサイトを開いたら、文字がやけに大きくなっているのですが、
「gooからのお知らせ」を見てもそのような記載はないのですが、これでは文字が大きすぎます。ぶらじゅろーぬさんの画面(文字のサイズ)はいかがですか?

なにか情報があれば教えてください(瀬里香さんも)お願いします。

あらためて、ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/07/13 12:31

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