性格悪い人が優勝

家事は何とかできます。仕事は週2回行っています。家事が終わったり、仕事が休みで何もやることがなくなるとどうしても横になりたくなってしまいます。眠るわけではありません。ただ横になりたいのです。うつ病になるとそうなりますか?薬のせいとかありますか?ただ気持ちの問題で気力が無く怠けているだけですか?うつの経験者にお聞きしたいのですが、よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

NO.3です。



>私がやったことがいい事、知らない事、あるでしょうか?
これといって特にありません。
逆に、『何かしなきゃ。』と駆り立てられるような思いが強すぎると、
空回りして、結局なんにもできなかった。と落ち込む可能性がありますから。

例えば、骨折したら、何をするにもその場所に負担がかからないように気を配るでしょう?
心(精神)も同じことですから、
『今は、ちょっとセーブ。』と、考えてみる感覚でいたほうがいいと思います。
過保護になる必要は無いですが、なるべく心の負担を減らす方向に持っていく。
不安感に取らわれそうになったら、なるべく安心できるように心がける事ですね。

私の症状がひどかった頃は、
そうなった時(不安感や胸苦しさ)やなりそうな時、安定剤を飲む事でしのいでいました。
だから頓服(短時間型安定剤)はかなり多めにもらっていました。
※中~長時間タイプは、1日に何回も飲めないのと、調整しづらいので短時間型のほうがやりやすいです。
どうにもならない時用の頓服(抗精神薬系)も症状によってはあったほうが、飲まなくてもお守り代わりに使えますので、
精神の安定に作用します。

これにより、薬の量は増えますが、将来的に減らせるので大丈夫です。(でも乱用は控えましょう)

今はできないかもしれませんが、
物事の捉え方を変えてみる、ということも精神安定には欠かせません。
自分にとって精神不安になりそうなときに、本当に不安になる必要がある事なのかを
一度、安定剤を飲んで心を落ち着けてから考えて見れば、
いろんな気付きがあると思います。

もう一つ
主治医をうまく活用してください。
自分に合った薬を飲んでいたとしても、
どうにもならない不安感などの症状が抑えられない時もあります。

そんな時は、予約外で診察を受けに行ったり、電話で対処法を聞いたりして下さい。
それだけでも精神が安定しますし、
何より、大きな後ろ盾(後述)を持っているのですから、どんどん利用しましょう。

ちょっと変わった考え方と思われるかもしれませんが、
精神科に行くという事は、健常者ではありえない大きな後ろ盾を手に入れているのです。

例えば、日常生活で辛くなって悩むことは、誰にでもあります。(それにより寝られなかたり、不安になったり、食欲がなくなったり)
そんな時、健常者であれば、一人で悩み苦しむか、不確定な他人(友人等)に打ち明けることくらいしかできません。
ですが、精神科にかよっていれば、
主治医があなたの苦しみを受け止め、それに合った処方やアドバイス(症状に対してになります)がもらえます。
しかも普段から通っているため、気兼ねなく聞けるし行くことができるわけです。
これは精神安定に最も大きく作用するところです。

精神疾患って、嫌なイメージや偏見もありますが、
人生をトータルで見れば、メリットも大きいのです。
健常者が、悩み抱え込んで自殺するようなことでも、
精神疾患者なら主治医がいますから、それに至ることなく対処できます。
言い換えれば、健常者よりも精神面では優遇されているのです。
さらに、それを乗り越えた時、
健常者にはたどり着くことすらできない幸せの価値観が得られます。
もともと(精神疾患者は)感受性が強いですから、些細なことでも感動し感謝する力があります。

私は、精神疾患の病名がついたのは大人になってからですが、
むしろ精神疾患になったことで、いろんな気付きが得られたことが多かったです。
精神疾患持ちも悪くない。と最近は思います。

だから、物事の捉え方で、人生、楽にも苦しくもなる。といえるのではないかと思います。


あと、『気持ち日記』というものをやってみるのも、いいのではないでしょうか。
私が高校の頃からやり始めた事(当時は自殺日記・遺書日記として始めたものです)なんですが、
ノート(※)に自分の気持ちを書くというものです。
※今はノートではなく、パソコンのメモ帳を使ってやっています。
毎日つける必要はありません。
ただなんとなく書きたいと思うときに、思いつくままに気持ちや、近況の出来事、疑問や不安なんかを書きます。
私はそれに対しての考察(なぜそういう気持ちになるのか。なぜそう思うのか)を書くようにしています。
しかし、考察できない事も多くありますので、そういう時は、考察はなしですが・・・。

これを書く意味は、数年後にわかります。
後になって読み返えせば、当時とういう心理状態だったのかが分かります。
また、自分の症状の波(良くなったり、悪化したり)もわかるようになります。
私の場合、悪化しそうな時期に入ったなと思ったら、投薬変更で薬を増やしてもらっています。

なお、この日記は、
主治医に見せることで、言いづらい事や聞きづらい事を読んでもらうという使い方もできます。
私の場合、日記の一部を印刷(この場合パソコンのほうが楽)して読んでもらうことがあります。
この方法で、投薬変更やアドバイスをもらうこともできます。

ここまで書いたことは、あくまで私自身の経験と体験ですので、
あなたが全く同じ方法でできるかどうかはわかりません。

しかし、何かの気付きになれば幸いです。
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。私は薬に対して抵抗があったのですが、あなたの話を聞いてだいぶ楽になりました。薬が追加されてから落ち着いた日々を過ごしています。あなたの言葉も素直に受け入れられています。原因が家庭のことで排除できないので、もし不安がまた出てしまったら頓服も相談してみようと思います。日記もこれからのためにつけてみようと思います。本当に安定しているのでかえってまたいつ来るかとどきどきしています。入院もこのままなら家から逃げる必要が無いかもしれないので必要ないかなと思い始めました。本当にいろいろ教えて下さりありがとうございました。

お礼日時:2016/07/31 21:22

NO.3です。


先の回答は踏み込んで書きましたので、今回はゆるゆるといこうと思います。
だた、私の性分上また難しくなってしまうかもしれません。

>今薬が追加されて怖さと不安感がなくなったので自分にあっているのかもしれません。でもこれで治ったわけではないのですよね。
捉え方によって難しくも簡単にもなります。

一時しのぎでも継続して精神安定していれば、寛解と言えるでしょう。

私がまさにそうですが、
薬なしでは、不安定になります。ですから薬は手放せません。
しかし、日常生活において困ることはない状態です。
私はそれで十分幸せだと思っています。

人は上を見ればキリがありません。
それは健常者であっても同じことです。
お金があれば、別のものを望みます。そして、その別のものが手に入れば、また別のものを望みます。
いわば、永遠に不満足な人生なわけです。
不満足は、不満や嫉妬を生み出します。そして永遠に幸せを得ることができないのです。

私の人生の大半は死んでいましたから、
精神が安定するだけで、十分幸せだと感じます。
だから、それ以上を目指す必要がないのです。


>入院して家事から解放されて少し休んで、デイケアでヨガをやったりして身体を動かしたり、何か趣味になるようなものを見つけられればそれに集中して、病気を忘れられるんじゃないかと期待しています。でも退院して家に帰ったらまた同じかとも思っています。
先に書いた上を見ている状態ではないでしょうか。
少なくとも、現状に満足すること(ほんの些細な事(※)でいいのです)を気づかなければ、永遠に不満足のままだと思うのです。
※例えば、薬が追加されて、不安感が和らいだ事とか。
なお、趣味と言うのはあくまで余興ですから、趣味で何かを忘れようとする行為は良くないと思います。
趣味は楽しむもので、それ以上もそれ以下もないのではないでしょうか。


>でも治っている方は皆自分探求しているのでしょうか。
このカテの回答者さんの中には、精神疾患持ち(寛解含む)が割りといらっしゃいます。
その方の回答を読んでいると、
『やっぱりそこにたどり着くよね。』と思うことが多いです。
表現方法や価値観は違いますが、自分なりに考えた末、たどり着く境地は同じということだと思います。

ただ、それを『自分で考えて、しなければならない。』と思うのは違うと思います。
おそらく、他の回答者さんも、『自然と考えていたらそこにたどり着いた。』というのが本当のところではないかと思います。

だから、あなたにできない理由はどこにもありません。
自然とできるようになるはずです。
例えれば、
歩き方なんて習わないでしょう。自然とハイハイして、つかまり立ちをして、そしてあんよしていくものです。

前回はそれを文章にしたので難しくなってしまいましたが、(例えば、歩き方も文章で説明するととんでもなく難しく思えますね。)
本来人に備わっている力ですから、あくまで自然なんです。な~んにもしなくてもそのうちできるよ、ってことです。

難しいと感じるのも、簡単と感じるのも、
あなたの物事を見る角度一つで簡単に変わってしまいますから。


追記
久しぶりに一つの質問に長々と回答しました。
私としては、こういう回答の仕方のほうが楽なのでありがたいですが、
他の回答者さんのはいる余地がなくなっていまうという問題がありますね。

多分、私の性分上あなたが納得するまで回答を続けてしまいそうで怖いですが、
このカテで1つの質問にここまで深く書き込む回答者はまず見かけたことがないので、変わり者なのかもしれませんね。
『自分の気持ちに素直になる』が私のモットーですから、私は自分が書きたいと思ったらためらわないですね。


こんな私で良ければ、聞きたいことなどがあればいつでもどうぞ。
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この回答へのお礼

頭の固い私に親身に答えて下さってありがとうございます。上を見ない、完璧を求めないことが私には必要ですね。焦らないことも。初めてのことで周りにもいないから入院して同じ境遇の人はどうやって治していっているのか知りたかった、話してみたかったのですが、あなたと話していて少しわかった気がします。あと私がやったことがいい事、知らない事、あるでしょうか?私は何も勉強してなくて、調べると余計に不安になってしまうのでうつについて本当に何もわかってないかも知れません。来週、1ヵ月ぶりの診察に行ってきます。

お礼日時:2016/07/29 20:32

NO.3です。


今回はかなり難しいと感じられるかもしれません。
今は、大枠だけわかってもらえればいいと思います。

お例文に対する感想から、
おそらくあなたが思っている事(解決したいこと)というのは、ベストな回答が得られないと思います(後述)。
『どうすればいいですか。』という文もこのカテでたくさん見ていますが、
自分の動か方がわからない人に対して、
こうしたら動けますという安直な回答は私にはできません。

自分というもの(精神・あるいは魂)を知る事から始める必要があるからです。
自分というものを自分なりに動かさないと、他力では解決できない問題が遠からず発生します。
いわゆるカウンセリングを受ける・精神科に行く・薬を飲む等はすべて他力によるものです。
自分の中で自分を知り、自分の動かし方を学ぶときは、それぞれ人によってその時期も期間も違うでしょう。
私は、あなたがまさにその時ではないかという気がします。

手とり足とり教えてくれる人はだれもいませんし、他人では介入できない問題なのです。
あなたなりの価値観、あなたなりの倫理観、あなたなりの人生観をあなたが自分自身で探し見つけるほかありません。
あえて現実的な表現をすれば、哲学です。人によっては宗教という場合もあるでしょう。
この自分の哲学というのは、私自身の永遠のテーマであり、生きるための原動力とも言えます。
自分の宗教(※)と言うのは、私の場合、哲学を追求する段階で理解する必要があったために独学で調べ勉強したものと捉えてください。
※私はどの宗教にも属していませんし、自分の中で信ずる宗教はありません。

精神科や投薬・カウンセリングはあくまであなたの手助けをするだけにすぎません。
何をするにもネガティブな気持ちでは、うまく行きませんから、
表面的な症状だけでも軽くしましょう。ってことです。




ここからは少し現実面での話になります。
>治したいなら頑張らなきゃいけないのに頑張れない。根性が無いのだと思います。もうネガティブなことしか考えられなくなっています。
『治す=頑張る』は捉え方が間違っていると思います。
『頑張る=根性』これも捉え方が間違っていると思います。
治す=のゴールが遠すぎるもしくは実現不能だと言いたいのです(少なくとも現段階では)。
ある程度思考がマイナスにならないようにする解決法は、なんの努力も頑張りも必要ないのです。

『またかよ。』て思われそうですが、
投薬を甘く見てはいけません。
鬱で投薬される薬と言うのは、数十種類程度ですが、単剤投与されないのはすでに知っておられると思います。
この数十種類の組み合わせこそが、投薬の本質であり、最も重要な部分です。
その組み合わせとは、実に数万に及びます。その中のどれかにあなたの合う組み合わせがあるはずなのです。
これが一番簡単で確実な解決法の第一歩だと思うのですが・・・。
※これも調べて行けば興味深い世界ですし、あなたに必要な薬がどれなのかをある程度机上で得ることができます。

投薬による精神の安定というのは、人生観すら変わるくらいの変化があります。
精神が安定すれば、気持ちの問題など取るに足らないくらいの感覚になります。
そこから先に書いた自分の動かし方の話になるのです。

だから、今すぐ何とかできるものをあなたが望んでいるのなら、投薬以外ないと思うのです。


ここからまた感想その他に戻ります。

>焦らずゆっくりも難しいです。これが気質の問題でしょうか?
そんなに短絡的に話はつながりません。
もし私が、あなたに回答を示すとすれば、あなたが生まれてから今日までのすべての出来事、(経緯、環境、人生観、過去・現在)を
書き込んで貰わないと回答はできません。

>先生に執着気質だと言われたことがあります
これも同様です。先生との会話をすべてここに書かないとそれがどういう意味を持って発言されたものかすらわかりません。

気質は、生まれてからすぐに形成されていくものです。執着気質と言うのは、その概念から外れると思います。
知りたければ調べてください。自分で調べ納得してこそ価値ある知識と自分の哲学になりますから。

『頑張る』『努力』ということは、この世に存在しないと私は思います。
自分自身のことを知るための時間は、苦痛ではなく『気づき』です。
いわば、趣味を楽しんでいる感覚ですから、
それは仕事でも同じです。
自分にできないことがある。それは『気づき』です。
それを自分なりに、本当に(物理的に)できないか、できるのかを考える。
できないならそれは諦める。
できるなら自分の方法を探す、調べる。それが自分の動かし方を知るということです。
その積み重ねが、自分の哲学の一部となり、人生観・価値観へと繋がると私は考えています。
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この回答へのお礼

うつ病を治すって難しいですね。まず投薬なのでしょうが、それだけでは治らない。投薬も自分に合うものを見つけるのに時間がかかる。今薬が追加されて怖さと不安感がなくなったので自分にあっているのかもしれません。でもこれで治ったわけではないのですよね。うつ病を治すのに自分を知る必要があるとは思いませんでした。入院して家事から解放されて少し休んで、デイケアでヨガをやったりして身体を動かしたり、何か趣味になるようなものを見つけられればそれに集中して、病気を忘れられるんじゃないかと期待しています。でも退院して家に帰ったらまた同じかとも思っています。やはり何かを変えないといけないと思っているのですがそれがわかりません。どうしても他力を求めてしまいます。こんなに難しいものだと思いませんでした。でも治っている方は皆自分探求しているのでしょうか。私にできるでしょうか?難しいです。

お礼日時:2016/07/27 23:11

NO.3です。


>共存しないで消し去ってしまいたいのですが、それは一度うつになってしまうと無理なのですか?
人によりけりだと思います。
確かに完治する人もいるでしょう。
しかしそうなる条件として、気質の問題があります。
これは、生涯変えることのできない不変のものです。
気質に関しては、ここに書ききれないほど奥の深い話ですので割愛しますが。
興味があれば、ご自身で勉強なさればわかると思います。

私が精神疾患と共に生きる事を選んだ最終的な理由も、その気質が大きく影響しています。
ただ私自身、共存とは捉えていません。自分自身を受け入れる。という考えで生きています。
言い換えれば、精神疾患と共に生きるのではなく、自分の気質を受け入れて生きるという意味です。

なお、気質と精神疾患の関係もなかなか奥深い世界です。興味があれば調べて見るのも良いと思います。

>前の仕事のときみたいに元気に頑張れるようになりたいです。
これに関しては、ここに書き込まれる多くの質問者の同じような質問文(私はこのカテでしか回答しないので他のカテはわかりませんが)を私は見てきました。
おそらく大多数の人が、そういう事を考えるんだろうなぁ。と私が驚いた部分でもあります。
人生の中で、過去を振り返った時、元気だった過去がある人しか、できない発想ですから。

私は、人生の大半(幼稚園~数年前まで)を希死念慮の中で生きてきましたから、
人生辛く苦しく悲しいのがデフォルトであり、元気や幸せ・楽しいという感情自体ほとんど持ち合わせていなかったためです。

そう考えれば、あなたが完治する可能性は、私よりは大きいと思います。
でも、なんとしても治してやろう。という気持ち自体が、余計にいまのあなたを苦しめていませんか?
元気だった頃と今を比較しても、得るものは虚しさと憤りしかないように私は思います。
人はこだわりを捨てられれば、楽に生きられる。と最近私は思います。
鬱だから、迷惑かけてるから頑張らなきゃいけない。
元の自分に戻るために頑張らなきゃいけない。
うつの人に頑張れが禁句だとよく言われていますが、
それは、周りから言われる以上に、自分自身に対しての意味合いだと思ったほうがいいです。

意識しなくても、精神は頑張っているのですから、症状が出る(言い換えれば魂の叫びあるいは悲鳴)のです。
無意識の頑張るを意識してやめる事が、第一優先のはずだと思います。

ここまで書いておいて、今更ですが、
人生ずっと変わらないことはまずありません。
どこかで変わるときが来るものです。
そう考えれば、今優先すべきことが少しは見えてくるのではないでしょうか。
一番簡単で、おそらく最も効果が実感できるものが・・・。

鬱が怠け者ではないと仮定すれば、改善の余地はあります。
真の怠け者なら、ここにこんな質問文は書けないですよ、それだけの人生経験がないですから。
鬱に関する様々な学術がありますが、少なくとも脳内物質のアンバランスによって引き起こされていると見ると、
改善できるはずだと思うのです。

しかし、それがあなたの言う、以前の状態(元気な)がゴールではありません。
先に書きましたが、人生は必ず変化します。それと同時にあなたの価値観も変化していきます。
また、時間は遡れません。進む事しかできないのですから、
以前の状態に戻れるはずがないのです。
しかし、新たな価値観・人生観のなかで、過去というものを遠目に見る日が来ると思います。

だから、人生、焦らずゆっくりなんだと思います。(鬱の人にも言えることですね。)
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。たぶん、私は治したいといいながら行動に移したり考えるのが苦手、考えられない、面倒、億劫なのだと思います。仕事に行くのが辛いのも本当は面倒、億劫でやらないですむなら横になっていたいと逃げているのだと思うのです。治したいなら頑張らなきゃいけないのに頑張れない。根性が無いのだと思います。もうネガティブなことしか考えられなくなっています。入院しても治らないですよね。自分で変えられないならカウンセリングを受ければ変わるのか、これもあまり効果が無いような気がしています。焦らずゆっくりも難しいです。これが気質の問題でしょうか?先生に執着気質だと言われたことがあります。ではどうすればいいのでしょうか?毎日悩んでばかりです。

お礼日時:2016/07/27 10:11

何度もすみません。

(NO.3)です。
やや長文となります。

>常に頭に病気のことがあって何か普通と違うという気持ちがあるのです。
気持ちの整理と言うのは、確かに着け辛いと思います。
鬱状態の時と言うのは、普通とは確かに違いますよね。
何をやっても気持ちが滅入ってくるばかりですから。

本当のところ、周りの理解が得られればだいぶ違うのですが、
ある意味これが一番むずかしいことでもあります。

>でもうつの人たちはうつと向き合ってそれを抱えながら生きていく方法を見つけなければいけないのですか?
>どんな心持でいればいいのでしょうか?
これは症状が落ち着いてこないと見えない部分かも知れません。
私自身、一番ひどかった時はそんなことを考える心の余裕がなかったですから。

ある程度、症状をコントロールできる(私の場合は投薬によってですが)ようになってくれば、
あとは考え方次第で、共存できると思います。

方法や考え方と言うのは、価値観がみんな違いますので、私の価値観でしか書けませんが、
私は、
・壁を作らない生き方。
・自分に素直になる事。
・ありのままの自分でいる事。
の3点を生きる糧にしています。

自分の精神(心)が人より傷つきやすく弱い(不安定)という事実は変われません。
その弱さ(不安定さ)を出来る限り減らすことを考えた時、
少なくとも精神に負担になることは極力避けるという結論に至ったのです。
その中で、自分と他人(生活環境)の中で、壁を作らないというのが1つでした。
相手によく見せようとか、自分の弱さを見せないでおこうとか、自分は普通に見られたいと思うこととか・・・です。
別に精神疾患でもいいじゃない。と思うこと。
自分に壁を作れば、相手から自分を見えにくくすることはできますが、同時に、自分の精神を閉ざす事にもなります。
それは、精神にとっては、負担になるだけという事です。
精神の負担は、症状を生み出します。それが過ぎると精神疾患ですから。

以前、私は会社の飲み会の席で、『私はは普通に見えますか。』とみんなに聞いたことがあります。
みんな口をそろえて『普通にしか見えない。』と言っていました。
私が精神疾患を持っていることは、今の職場全員に打ち明けていますので、その認識があったうえでです。


普通と違うというのは、あくまで自分でそう感じているだけなのではないかと思う気がします。
ここでもやはり壁を作ってるといえるのではないでしょうか。
普通じゃないのが嫌だという壁を。

精神疾患(鬱)は、ある意味感受性が人よりも大きいということだけなのだと思います。
それは、あなたの長所でもあります。
人として人の気持ちがわかるというのは、感受性が強いほど大きくなりますから。

>いつ寛解するかわからない長い時間を耐えることができません。
寛解を未来に見ることをやめたほうがいいです。
それも精神の負担でしかありませんし(普通という概念・元気な頃に戻りたいという概念、はなくしたほうが楽に生きられます)、
寛解と言うのは、医師から与えられるものではなく、
あなた自身が過去を振り返った時に初めて分かるものです。
実際の時の流れと言うのはとても緩やかで、日々感じ取れるほど早くありません。
私もいつの間にか薬が減り(減薬はしていません。本当に勝手に少なくなって行きます。)、
振り返れば辛かった時の1/10になっていただけの事です。
考えていたのは、日々いかに精神の負担を減らすか、だけです。


最後に
今は、安定しているのでここにこんなことを書いていますが、
私自身、未だかなり不安定になる事も良くあります。
その時には、先に書いた3点を思い出すようにしています。

私の回答に再三お礼を下さりありがとうございます。
ただ、私としてはこういう形のほうが回答しやすいですが。
あなたにとって、何かしらの気づきになれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。頭の中に常に病気のことがある今の私にはまだ難しいです。そうだなと気持ちがすぐに切り替えられればいいのですが。頭が固いのかもしれません。共存しないで消し去ってしまいたいのですが、それは一度うつになってしまうと無理なのですか?私も職場の人には鬱だと言っています。だから迷惑かけないように今は週二回しか行っていません。毎回行くのに躊躇して行きたくないという気持ちがわいてきて辛いのです。仕事自体苦手なこともあるので病気のせいだけではなく気持ちの問題もあるのかもしれません。前の仕事のときみたいに元気に頑張れるようになりたいです。身体の症状よりも気持ちのほうをどうにかしたいです。いろいろアドバイスありがとうございました。

お礼日時:2016/07/26 20:12

NO.4(NO.3)です。


お例読みました。

環境が変えられない時は、何か別の向かうべきものを持つと気分転換になります。
なんでもいいんです。
月に1度だけでも、温泉に行くとか。
誰かと話をするとか。
映画や読書もいいかもしれません。

あとは、心の支えを持つことですね。
私は、主治医がそうでした。
まあ、先にも書きましたが、
仕事のこととか、プライベートなことは、話しても解決にはなりませんが、
不眠・焦燥感・不安感・希死念慮等そういう症状に関しては、すべて話しています。
話すことで、自分を理解してくれているという事が分かりましたし、
どこか落ち着くと言うか、話すことで安心感もありました。
それらに対して、処方変更を行う形で乗り切った経緯があります。

精神科に通うことが、心の支えというのも不健康かも知れませんが、
それで救われた部分は大きかったです。
私が本当に死んでいた(気持ちも症状も)時期に、ある意味最も症状が大きく改善したのは薬でした。
環境は変わりませんでしたが、自分に合う薬というのは、本当に大きく人生を変える力を持っていると思いました。
もともと、当時の主治医は、症状と投薬にすごくこだわる先生でしたので、それも幸運だったのかもしれません。

おそらく今は、気分転換なんて考える気分になれないとは思いますが、
自分に合う薬の組み合わせが見つかれば、数ヶ月で、いろんな事ができるようになると思います。
何かをしようという気力とかも芽生えます。

私は、投薬中心で環境を変えずに寛解(未だ薬は手放せませんが、日常で困ることはありません)まで行きましたが、
すべての人が同じようになるとは思いません。
しかし、可能性があるなら、やれることから始める事が寛解への道のりではないかと思います。

最後に、
誰も好きで鬱や精神疾患になるわけではないです。
しかし、なってしまった以上、それを抱えながら生きていく道を、
自分なりに見つけていかなければ、誰一人として理解はしてもらえないと思うのです。

ただ、焦って結果を追い求めても、疲れて自己嫌悪に陥るだけ。
焦らずに、ゆっくりと向かい合えば自然と道は開かれると私は日々考えています。
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。どうしても焦ってしまうのです。いつ寛解するかわからない長い時間を耐えることができません。でもうつの人たちはうつと向き合ってそれを抱えながら生きていく方法を見つけなければいけないのですか?どんな心持でいればいいのでしょうか?入院が良くなるきっかけになればと思ってしまっています。体の症状は薬で取れていると思うのですが、常に頭に病気のことがあって何か普通と違うという気持ちがあるのです。それが抜けてくれてすっきりしたいのです。アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2016/07/24 20:31

NO.3です。


厳しめの意見ですが、
同じ病(その他精神疾患も持っていますが)を約十数年持っているものからのアドバイスと思ってください。
なお入院に関しては、主治医より勧告を受けたことがありますが、踏みとどまったため、入院には至っていません。


最近あなたの質問をこのカテでよく見かけますが、
辛いのはわかりますが、少し深呼吸して見るといいのではないでしょうか。
鬱病と言われて、まだたったの2年であれば、
程度にもよりますが(仕事にいっておられるということは、入院対象ではないと思われますが)、入院等を考える前にすべきことがあるのでは?


まず、一番にあなたのそこまで焦る原因の特定。
焦りがあるうちは、精神は休めません。
当然症状も収まりません。

原因が排除不可の場合。
投薬の変更。
主治医が、もう勘弁して下さい。って言いたくなるくらい、試して見るべきではないでしょうか。
やるべきことを放置して、入院しても何も変わらないと思います。
大切なのは、自分の気持ちや不満ではなく、あなた自身の『症状』に着目して、病院に通うことです。
主治医に人生相談しても解決はしません。
精神科は、あくまであなたの『症状』に対して、投薬やアドバイスをするところです。

耳に痛い意見でしょうが、
あなたが寛解になれば、おそらく理解できることだと思いますので、あえて書かせて頂きました。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。原因は排除できません。だからせめて自分が早く元気になりたいと焦っています。今の窮屈な家庭に耐えられるように元気になりたいのです。入院も家から一時でも逃げたいのだと思います。これでは寛解はむずかしいですね。辛いです。

お礼日時:2016/07/23 22:07

至って正しい症状ですので心配ありません。


何かをしたいけれどできないのが、まさに鬱の症状ですから。

なお、投薬のせいと言う事も、関係性があります。
出されている薬にもよりますが、
基本的に体が言うことを聞かない(だるく感じる)というのは、確かにあります。
減らせば、だるさは改善されますが、症状悪化の可能性がある場合は、痛し痒しの状態です。

個人的に最もだるさを感じやすかった薬は、
ベンゾ系の中~長時間タイプ(レキソタン等)の安定剤でした。
抗鬱薬系は増減してもあまり身体的なだるさは感じません。
抗精神薬系は、かなり幅が出ます。強烈に効き、意欲ややる気も改善できますが、だるさや眠気も多いです。

鬱と診断されて2年であれば、ある程度投薬が安定して来る時期だとは思いますが、
主治医と相談して、組み合わせの変更をしてみると、意外と快適に生活ができる可能性があると思います。

参考まで。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私もレキソタンをのんでます。主治医と相談してみます。

お礼日時:2016/07/26 19:43

認知行動療法をやってみませんか?


「u2plus」というサイトで無料でできます。
結構簡単にできるので、毎日日記を書くみたいにして私は1年間続けてきました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。やってみます。

お礼日時:2016/07/26 19:43

私は双極性障害の鬱病相でそうなります。

現に今そうなっているところです。ケータイ開く気力しかない…。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。本当は横になっていないで前みたいに自分の趣味をやったりできればいいのにと思うのです。思うのですが趣味をやりたい気持ちにもならないんです。どうしたら治るんでしょうか。早く元気になりたいです。

お礼日時:2016/07/20 16:54

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