No.3ベストアンサー
- 回答日時:
旗本は、自分の支配する領域も、自分の城もあり、一国一城の主?
いいえ、
一国一城令のため
旗本が持てるのは陣屋となります。
一国一城令で城持ちが許されたのは1万石という特例藩が1つあっただけで、普通は10万石以上となります。
今の感覚で領主ってわからないですよね
ある一定の地域から税金をとる権利を貰ってそれをお給料にできる人のことです。
とるだけじゃなくて
道が壊れたらお給料から直すお金を出したり、台風や地震で家が壊れたり、食べ物が無くなったりしたときも自分のお給料から支払います。
会社の社長のようなものですね。
大名は藩主?今の「県」の主?
藩主とは廃藩置県する為に一年だけ存在したものです。
領主のほうがしっくりきます。
数で言えば今の県知事よりはたくさん居ました。
県とは明治政府がだいたい100万石になるように適当にくっつけたものです。
大名や小名と呼ばれた領主の領地は今で言う自治区です。
日本国に所属はしてるけど独立した国のようなものです。
軍隊ももっていますしね。
県知事とはちょっと違いますよね。
小さい国の王様が妥当じゃないかな
旗本は「市」や「町」の主?
いいえ、
旗本はひとまとめに出来ません。
例えば無役で家督を継がない旗本は年収3両1分しかありません。
最下層の家督を継いでも30俵2人扶持。
とても主と呼べない人も居ました。
そもそも旗本とは徳川家親衛隊です。
師団長も居れば兵卒もいるわけです。
町や村の主は
まちなぬし、むらおさ、なぬし、しょうじ
などと呼ばれる土着の人がなります。
うえで書いたように
領地とは自治を認められた外国のようなものなので、100石でも30万石でも領地持ちならば王様って考えていいと思います。
詳しくは【守護と地頭】を理解して貰うとわかると思います。
役人ではなく、兵隊なんだってとこがめんどくさいですよね。
No.4
- 回答日時:
殿様です。
一国一城の主という意味ではなく、単なる尊称としてですが。
目下のものからは、お目見え以上の武士は「殿様」、その奥方は「奥様」と呼ばれました。
旗本の給与体系は基本的に知行取りなので形式的な支配地はありましたが、それとは関係なく、お目見え以上なら殿様なのです。
ただし、八丁堀の与力だけは例外で、八丁堀の「旦那」と呼ばれました。理由は、罪人を扱う不浄役人だったから、庶民に近いお役目で親しみを持たれていたからなど諸説ありますが、不明。
有名な八丁堀七不思議にも、奥様あって殿様なし、とあります。これは与力の妻は奥様と呼ばれたのに、与力を旦那と呼ぶ慣習を指したもの。旦那に対応する呼称は「ご新造」なので。
また、江戸時代には一国一城令があったため、大名でも支藩のお殿様など、城を持っていない大名はたくさんいました。
No.2
- 回答日時:
> 「旗本」はお殿様?
そうです。
wikiにもこんな記事があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%BF%E6%A7%98
> 旗本は、自分の支配する領域も、自分の城もあり、一国一城の主?
禄高が約300石以上では領地を持ち、以下は幕府から米が支給しました。前者を知行取りといい禄の表示は「○○石」となります。後者を俵取りといい「××俵」となります。数値が同じであれば同格でした。つまり200石と200俵は幕府から同格の待遇を受けるとともに義務を課せられます。
知行取りでは領地の政治をせねばなりませんし年貢米の輸送経費もかかります。ですから領地が少ないと経費が出ず親戚などに預けることもありました。
城とは一般に天守閣のある施設を指しますが、江戸初期の一国一城令でひとつの国に城は一カ所だけに限定されました。当然有力な大名の城または重要な場所にある城が残され、旗本は天守閣のある城は持てません(旗本で城持はいなかったはず)。
しかし旗本も城を持たない大名も自分の領地を支配する役所として陣屋を持ちました。簡単に言えば天守閣があるのが城、無いのが陣屋です。
現在あちこちに城が残っていますが正確に言えば残っているのは天守閣です。その近くに役所があったのですがそれは残っていません。例えば姫路城の前にある広場は役所があったところです。
> 大名は藩主?今の「県」の主? 旗本は「市」や「町」の主?
大名の領地は「藩」と言うので大名は「藩主」ですね。しかし「藩」という言い方は明治以降です。江戸時代は「御料」が一般的。旗本の領地は「知行所」。幕府領のことを「天領」と言いますがこれも明治以降。
領地の範囲がひとつの国全体の場合は「国持ち大名」となります。薩摩藩や加賀藩など。
禄が少ない場合は領地も狭くなります。一概に言えませんが1万石の領地は人口5000人~1万人程度と考えればよいでしょう。江戸周辺や現在の兵庫県、岡山県などは小規模な大名・旗本の領地が多く支配関係は非常に複雑です。
ちょっと面白いのは飛地が多いことです。伊勢亀山藩の領地は岡山県内にもあったし、一橋家の領地は兵庫県内にもありました。小規模の旗本でも飛地は珍しくありません。飛地にも一般的に陣屋を置きました。通常代官が駐在するので代官所とも言います。
2~300石の旗本でもそれだけのまとまった地域を領有するのではなく20~50石程度ずつあちこちに持つこともありました。このため1つの村に10人以上の領主がいることもありました。さぞ年貢集めが面倒だったでしょうね。江戸周辺ではこのような村が多いです。
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