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この「哲学」のカテゴリーでは、当然ながら、過去にいくつもの「美」についての問いかけがなされてきました。

もちろん「美」といい「うつくしさ」といっても、それはわれわれ個々の主観の裡に秘密を明かすものです。
「美」や「うつくしさ」に、普遍的・客観的な基準というようなものは存在しない。
それは人間が「生きる」ということの普遍的な意味が存在しないということに似ています。

けれども憂き世に生きる人間は、時に「この世の美とは何か?」と自問せずにいられなくなります。
そして「美とは何か?」と問うことの裏側には、自分の存在が、数知れぬ「醜さ」に取り囲まれているという疲弊とやりきれなさに依るのかもしれません。

今回の質問では、敢えて、「美」ではなく「醜」についてお聞きします。

あなたにとっての「醜さ」、「美」の対極にあるものとしての「醜」とはなにか?

「美」を問うことは、同時に「醜」を問うことであり、「醜さ」を問うことは同じ耳で「美について」訊くことでもあります。
「醜」を問われて、わたしは時に「人間」、自分自身を含めた人間存在を、たまらなく「醜いもの」だと定義したい衝動に駆られます。

さて、前置きはこのくらいしにして、以下の質問です。

1)あなたにとっての「醜さ」を定義すると? (視覚的な美醜に限定せず、五感にとって不愉快なもの、また、あなたの心を滅入らせ、苛立たせ、悲しませるものなど)

2)その定義に従った醜さ、醜いものの実例は?
 (美術・文学・映像などの作品、さまざまなモノ、場(空間)、振る舞い、心の在り方...etc)

3)そこから逆に、自分にとって心地良い(美)と感じることができるもの、人、場所、感覚とはどのようなものか?

質問者からの補足コメント

  • 質問文の訂正です。

    「「美とは何か?」と問うことの裏側には、自分の存在が、数知れぬ「醜さ」に取り囲まれているという疲弊とやりきれなさに依るのかもしれません。」



    「「美とは何か?」と問うことの裏側には、自分の存在が、数知れぬ「醜さ」に取り囲まれているという疲弊とやりきれなさが在るのかも知れません。」

    端正でない、晦渋でぎこちない文章は醜いもののひとつです。

      補足日時:2016/08/15 23:28
  • みなさん、ご回答をありがとうございます。

    みなさんの「醜さ」についてのご意見を伺いながら、悪い癖で、どうしてもお礼が反論のような形になってしまってると感じられるかもしれません。何分、世を拗ね者のこととて、大目に見ていただければ幸いです。その点について改めてお詫びいたします。

    これまでにいただいたすべてのご回答、とても興味深く参考にさせていただいています。
    また寄せられた回答に反応することで、改めて自分の美学というものを再確認しています。

      補足日時:2016/08/16 02:16
  • 醜さとは・・・相手に通じぬ独り善がり。

    No.15の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/08/17 00:01
  • https://artdocents.files.wordpress.com/2013/11/b …

    日本のグラフィック・デザイナー福田繁雄の作品です。M.C.エッシャーでもいいんだけど、
    美と醜が表裏一体とはこういうことを言わんとしています。

    またルビンの壺

    http://66.media.tumblr.com/a065f81c8f06afd576887 …

    これが顔に見えるか壺に見えるか。

    https://foxdreamblog.files.wordpress.com/2015/05 …

    若いか老女か?

      補足日時:2016/08/18 04:07
  • この質問も、今日・明日中に締め切ろうと思います。
    出来ればもう少し具体的な事柄や作品についての「美・醜」について広く議論が出来ればと思っていましたが、質問者の知識不足およびホストとしての器量不足のためあまり話題が広がりませんでした。

    貴重なお時間を割いてご回答いただいたみなさま、改めてどうもありがとうございました。

      補足日時:2016/08/19 23:34
  • 自分の「無知」振りを痛感した質問でした。まあ、毎度のことですが。
    お付き合いありがとうございます。

      補足日時:2016/08/20 00:20


  • DNAテストを行った世界中の国々の人(人種)が、現在の「国家」「国境」を超えて繋がり合っていたというビデオです。こういう科学的知見ももっと教育に取り入れるべきだと思います。No.24のニャンポコさんの回答への補足です。
    You Tubeの反応を見ても否定的な意見も少なくないようです。目立った意見は、DNAレベルでの親族と、文化レベルでの「身内」とは違うんだという意見です。これを「平和へのプロパガンダ」であると見る人も少なくはないでしょう。いずれにしても氾濫する様々な情報を鵜呑みにするのではなく、ひとつの「視点」として、批判的に、或いは好意的に取り入れることは悪いことではないでしょう。

      補足日時:2016/08/20 02:59

A 回答 (27件中11~20件)

私は、美醜の普遍的基準というものはあると思います。


「自由で強い」ほど美しく、「囚われていて弱い」ほど醜い、と。

しかし、人はこれを評価するときに非常に主観的(感情的)な態度をとります。
自分の落ち着ける場に美を求め、それ以外の場所に醜を見出そうとする。

例えば、私などは貧乏人の僻み根性が強いため、不遇の人々の中に美を探そうとしています。
どろろもエポニーヌも貧乏人でした。逆に「リア充」の中に醜を見ようとしています。
別れた妻は実は金持ちのお嬢様で美人でした。でも、私と同じで不遇の人の中が「落ち着いて
生きて行ける場」だったのです。

それぞれの「美学」というものは、このことに強い影響を受けているのではないでしょうか?

とすれば、人間の「生命力」というものは、なかなか強いものなんだなあと思いますね。
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この回答へのお礼

こんばんは。

ニャンポコさんは、「普遍性を持った美がある」と考えた方がよい、という立場でしょうか?
つまり人は自分の境遇を正当化するために、それに見合った美を求め、それ以外を醜としてしまう。
それはとても排他的なことである。と。

でも感受性というものは一様ではなく、人間の心、魂ひとつひとつが手造りのものである以上、規格の美というものとは相容れないはずだと思います。

わたしの美学は、言ってみれば「負け犬」の美学です。そして美意識というものは、ニャンポコさんのご指摘のように、持って生まれた気質、プラス環境によって育まれるのだと思います。わたしは「野心を持って成り上がる」よりも、もともと高貴の身であった西行が、墨染の衣に身を包んだような、「落魄の美」を好みます。

なぜそうなったか?結局「負け犬」に美がなければ「浮かぶ瀬」がないということでしょうか。
「瀬」とは「川の中の浅い部分、立って渡れる場所」のこと。「やる瀬ない」などと言いますね。

負け犬であるわたしにとって、「負の美学」とは、すなわち「瀬」のことなのでしょう。

>それぞれの「美学」というものは、このことに強い影響を受けているのではないでしょうか?
 とすれば、人間の「生命力」というものは、なかなか強いものなんだなあと思いますね。

そう思います。自己(或いは自分の同類)の存在の正当性を哲学に求めるのでしょうね。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/18 01:31

№15は独りよがりの回答?ですね。


neutralさんも怒り心頭かと思います。
あの痛烈な批判が怖い。

よくよく考えれば、好みに対する批判でした。
ごめんなさい。
でも悪意からではなく早く老けてしまうよ、と云う気持ちの"取り越し苦労"からです。

1)このように、人に不快な気持ちを与えてしまったことに気づいたときに、非常に滅入ります。また表面に表れにくい意地悪さ、に醜を感じます。こちらの思いがなかなか伝わら無い時や、待ち時間が長い時に苛立ち、生き物(人間も含む)のみすぼらしい姿に悲しみが湧きます。
フーテンの寅さんは人の食べている姿に涙したと言います。

2)自身の今の心に"実例"を見ました。

3)それこそ歳を取ったせいか、幼児の笑顔がほんとに好きになりました。思わずこんにちわ、なんて微笑み返したり手を振ってしまったりします。
また、自由で強制的でない統一感の有る場の一員であるときに、安どや心地よさを感じます。観客のなかの一員である時とか。

謝罪を込めての回答です。
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この回答へのお礼

こんばんは。

わたしの質問は基本的に一緒に考える場であり、議論の場であり、意見交換もありのスタンスですが、
でもそれは「相手」があって成立することです。「~と思いますがどうでしょうか?」というのは構いませんが、自己完結している意見表明は遠慮したいところです。「物は言いようで角が立つ」ということでもあります。今後とも忌憚のないご意見を聞かせてください。

>フーテンの寅さんは人の食べている姿に涙したと言います。

寅さんのことだから、いずれ場末のラーメン屋か壁に染みのあるような小さな食堂でしょう。それはとてもうつくしい光景だと思います。けれども、寅さんが「国民栄誉賞」をもらい、山田洋次監督が「文化勲章」をもらった時にわたしの心はこの両者から離れました。国家から勲章を授与された彼らには高級料亭がふさわしいからです。

>それこそ歳を取ったせいか、幼児の笑顔がほんとに好きになりました。思わずこんにちわ、なんて微笑み返したり手を振ってしまったりします。

yy8さんて年齢不詳ですよね。(誰でもそうか)まあわたしより十歳は年下ではあろうと思いますが。
子供の笑顔は可愛いですね。わたしは未婚でしたが、若いころから結婚や子供を持つなんてことは考えたことはありませんでしたね。女性との関係も「一夜限り」というものがほとんどだったし。

>また、自由で強制的でない統一感の有る場の一員であるときに、安どや心地よさを感じます。観客のなかの一員である時とか。

コンサート会場のことかな?わたしは昔から映画館とかコンサート・ホールとか、すぐ横に、(前後左右に)人がいる場所って苦手です。集団って物理的にも精神的にも苦手だなあ。逆にそういう場所で抵抗なく楽しめる人って羨ましいと思っています。

>謝罪を込めての回答です。

了解しました。

またのお越しをお待ちしています。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/18 01:04

私の一つ目の回答のお礼を再読したのですが、思ったよりも深い解釈が可能な事に気づき、何を書けば良いのか筆が止まりました。



眠れぬ夜を過ごす者はなぜ眠れないのでしょうか?悩み事があるからでしょうか?それは誰の悩みで、誰の為の悩みなのでしょうか。それとも夜が美しいせいでしょうか?

儚さが美しいと言うのは桜に代表される日本的な美意識であり、また歪なものを愛でるのは陰鬱礼賛にも似たこれまた日本的な美意識なように思います。朗々と輝く月夜よりも群雲のかかった月夜の方が味がある、春よりも(冬を前にした)秋の方が美しい、こういう嗜好は一種の余裕から生まれると私は思います。いや、余裕を生むためにこの様な嗜好をするのか。。普通、病気になれば誰だって健康になりたいと思います。しかしグラスルーツさんは病気もまた個性の一つ?だと言う。自分と言うのは基本的に当事者でありますが、自分とある程度距離を取っているので、こういう考え方が出てくるのではないでしょうか。

短絡すれば根アカか根暗かと言う事にもなるのでしょうが。昼よりも夜が好きとか、晴れよりも雨が好きとか。でもどうでしょう、逆に言えば、端正なもの、整ったもの、清いもの、そういったものに対する考察も深められておるのでしょうか?

つらつらと書きましたが、また質問が長く開かれておれば再回答すると思います。今回は逆に質問する形になってしまいましま。
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この回答へのお礼

こんばんは。

「眠れぬ夜を過ごす者」とは、「悩める者」の隠喩です。そこで、「何を?」「誰の悩みを?」「誰のために悩むのか?」という疑問が生じるところがおもしろいですね。

以前の質疑に「満足な豚と不満足なソクラテス」というのがあったと思います。これはいうまでもなく、ジョン・スチュワート・ミルの言葉で、東京オリンピックのあった年(わたしの生まれた翌年)1964年に東大総長であった大河内一男氏の、卒業生への祝辞の中にも引用されました。

「満足する」「足ることを知る」ということは、人間の美徳のひとつだと思っています。けれどもそれは「持てるもの」の「奢り」「傲慢」とは異なる、「幸いなるかな、汝、心貧しき者」という「欲少なき者」を指しています。

「わたしはなんて美しく、なんて聡明なんだろう!」そのような「満足」は、わたしには「醜い満足の姿」です。それに比べれば「わたしはなんて醜く、なんて馬鹿なんだろう!」という苦しみこそ、うつくしく見えます。

豚は豚である、それは「うつくしい」のだと思います。一方で人間は、些細なことに「美」を見出すことのうつくしさを持つとともに、悩み多き存在です。逆にいえば悩み多き存在なればこそ、日常の細部に美を見出す才能が必要なのでしょう。人間は「路傍の名も知らぬ花の美」を愛でる存在であると同時に、生きている限り、悩み、迷い、揺らぎ続ける存在だと思います。人は、欲する欲しないにかかわらず、原存在として、ソクラテス的存在であるのでしょう。

人間は例外なく病み、老い、衰える存在です。病める者が健康でありたいと願うことはまったく当然ですが、「健康」こそ尊ばれるべき姿であるという考え方に危うさを感じるのです。

多様性を認めるというのは、数ある宝石の、いろいろな色、形が美しいということではなく、路傍の石や土塊をも加えて認めることであるはずです。

美と醜は「ポジ」と「ネガ」の関係にあります。光がなくして影はなく、夏草があり冬枯れがある。一方は常に一方を反照し、指し示すものであると思います。何故「陰」が好きかと考える時には同時に何故「陽」を好きになれないのかという気持ちが込められているはずです。

重ねてのご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/18 00:32

音楽を生きるエネルギーとするならば、


歳を取ってからのレクイエムはいけません。

加速させてしまいます。

これは忠告、です。

生涯現役を目指しましょう!

☆ 団塊世代の特攻隊の組織作りを思案中です。(←冗談が含まれてます)
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/16 23:51

なぜジャズ界の人がクラシックを"演奏してみよう"とするの?


なぜクラシック界の人はジャズから学ぼうとはしないの?

醜!

・・・・・怒!
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/16 23:51

私の大好きな奈美恵ちゃんが歌っています。


曲のタイトルは『グロテスク』
その歌詞に惹かれました。
引かれる、といったほうがいいかもしれませんが。
ちょっと長いけど写してみます。

強者に媚びへつらう僕に 醒めた視線が突き刺さる
背中に汗がつたってゆく Some one said 「I hate you 」
あのコの甘ったるい声を かわいいと褒め称えてみる
笑い方が、死ぬほど嫌い Some one said 「I hate you 」
素直に生きる美しさを 黒く塗らなきゃ生きられない
アイツの幸せ喜べますか?あのコのもの欲しがってませんか?
果たして自分は特別ですか?it's me, why don't you Kill me ?
グロテスクな僕を愛せますか?本当は泣きたいんじゃないですか?
今を生きるパスはお持ちですか? it's me, why don't you kill me ?
「す」の一文字入力すれば「すいません」と予測変換
心ない指先の謝罪 Some one said 「I hate you 」
空が青く澄み渡るほど 風が優しく流れるほど
私のため息が浮き彫り Some one said 「I hate you 」
素直に生きるあなたは言う その目の奥に光が無い
アイツの不幸せは好きですか? あのコと本音で喋れてますか?
its me, why don't you kill me ?
グロテスクな私愛せますか? 本当は嬉しいんじゃないですか?
明日を生きるパスはお持ちですか?
It's me, why don't you kill me ?
(yeah, why don't you kill me ?)
暴きだせ 曝け出せ
アイツの幸せ 喜べますか? あのコのもの欲しがってませんか?
果たしてあなたは特別ですか?
it's me, why don't you kill me ?
グロテスクな自分愛せますか? 本当は泣きたいんじゃないですか?
今を生きるパスはお持ちですか?
it's me, why don't you kill me ?

長すぎたかな?
醜、と言う文字は出てきませんがあちこちに、ちりばめられているように思えたのです。
歌手でもある平井 堅は、この歌詞にどの様な思いを込めたのか正直よく分からないのですが、Grass さんはどのような感想を持ちますか。
宜しければ聞かせてください。

曲はYouTubeで聴けます。
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この回答へのお礼

こんにちは。

へえ、面白い投稿ですね。

以下、まったく的外れの意見ですが、この歌(歌詞)を読んでの個人的な感想です。


>グロテスクな自分愛せますか?

わたしは自分を紛れもなく「グロテスク」だと思います。自分を愛することは容易ではありません。'I hate you'と言っている 'someone'は、実は自分自身かもしれません。
けれども50代になると以前ほど 'I hate you' =(myself)という感情は薄れてきて、'I dont like you'(myself)程度になってきました。それが「いいこと」かどうかはわかりません。

一方で、「自分はグロテスクではない」と胸を張る人のグロテスクさにウソ寒さを感じてしまいます。

印象に残っているニーチェの言葉

『いつの日か、最早自分自身を軽蔑することのできないような、最も軽蔑すべき者たちの時代がやってくるだろう。』

>今を生きるパスはお持ちですか?

持っていません。

>空が青く澄み渡るほど 風が優しく流れるほど 私のため息が浮き彫り

そうですね。だからこのような気持ちから、わたしはじぶんとはかけ離れた「健康」とか「バランス」「均整」というものに違和感を感じて、ため息が浮き上がらない暗い場所を好むのでしょう。

>it's me, why don't you kill me ?

のリフレインの意味がわかりませんでしたが、やはり思春期の歌という印象です。

歌もちょっと(のしか見つかりませんでした)聴きましたが、やはり若者の曲、という感じです(苦笑)

とてもおもしろい投稿をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/16 15:15

お礼ありがとうございます。


質問文の主題の回答です。

1.「醜」とは、理解しようとして、理解できない事、もしくは理解されようともせず、放置される事象。(それは、根源的な不快感を伴う=自己が否定せざるを得ない事象)
形態(フォルム)においては、一定のパターンは存在するが、それ自身は不定である。(その個別性において認識される)
2.一定のパターンとしては、形態においては、人体・生物を侵食する事を連想される形態(それ自身は、無抵抗な物に対する一方的な攻撃であり、一種の病態を表現したもの、それは無慈悲な死への道を示す)
行為としては、反論をゆるさない、一方的な宣告及び、それの承認(及び、それを承認せざるを得ない自身)
3.「美」とは、形態としては、調和や、そこからのわずかな逸脱により実現されるもの
心地よさとは、そのものが、ありのままに自然に存在する事。(それは、日常の中でも垣間見える)

いろいろ考えてみましたが、あまり具体的なものが思いつきませんでした。
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この回答へのお礼

こんにちは。

ルパンさんにとっての「醜」というのは、自己の存在を破壊するもの、実存の崩壊を予感させるものということになるのでしょうか。では「疫病」や「戦争」といったものもそれに含まれるのか?或いはもっと個別的な事柄なのでしょうか。
やはりそれは「恐怖」に根ざしたもののように見えますね。但し作品として昇華された絵画や文芸作品に描かれている「死」或いは「崩壊」ではなく、もっと現実存在自体を脅かすもの。精神というよりは、身体との関係に、より比重の置かれたものと言うように感じます。

以前他でも書いたかもしれませんが、作家、島尾敏夫の妻、島尾ミホは、ある種の顔のパターンを見ると嘔吐したといいます。そのために彼らは二人が出会った奄美の小島に戻って暮らすことになりました。
別にその顔が醜いのではなく、島尾ミホにとっての実存的な「醜」であった。

美はやはり「自然」を尊ぶということですね。わたしも、最も美しいものは「自然」であると思っています。ですから生まれ育った場所とは言っても、現在の東京は、わたしにとっては、とても「うつくしい場所・空間」とは言えません。ボードレールの用いた意味から離れて、言葉だけを借用すれば、東京のような「人工楽園」というものは「反・自然」であるが故に、「作為的」「小賢しく人為的」であるがゆえに醜悪なのです。

作為的であり「意図」を感じさせる「不自然さ」を嫌うといっても、均整と調和を重んじたルネサンス絵画よりも、その後に続くマニエリスムの「不自然な身体」により惹かれるのは、やはり人工楽園にも通底する「人為的、作為的な整然さ」への違和感かもしれません。言い換えれば、人間は不自然なもの、不完全なものしか創造しえないにもかかわらず、均整美を求めるという矛盾、「不自然さ」への忌避感かもしれません。

ご回答をありがとうございます。

PS.

お好きな芸術作品など教えて頂ければ嬉しく思います。

PPS.

先のお答えの「わたしは「美」を知らない」というデューラーの言葉、偉大な芸術家の言葉としてとても印象的でした。

お礼日時:2016/08/16 14:41

1)不完全なもの、不揃いなもの、不定形なもの、全うでないもの、未熟、卑屈、言葉が足りないための行き違い、負け惜しみ、中途半端、言い訳、自分の中に見つけられる人間としてのありとあらゆる欠点。

他人の欠点なら許せますが、自分の中の醜さにはやりきれない思いがします。他人の醜さは、喜劇として受け取っています。

2)日本のやきものは、中国のものに比べて、形をわざとひねったところがあり、そこがよろしいのですが、ものによっては、いびつとしか思えないことがあります。素人の趣味の陶芸など、首をひねるものが多いです。

3)美しいものに出会ったとき、我知らず、鳥肌が立ちます。確か、これは、どこかで見た、あるいは、聞いたことがある、という既視感に襲われます。たぶん、むかし、私が、天国にいたときには、こんなに美しいものに囲まれていたのだろう、とぼんやり感じます。貴方のお好きなモーツァルトの”ラクリモーサ”も、その一つです。ご存知でしょうが。

https://www.google.com/webhp?sourceid=chrome-ins …

最近は年のせいか、レクイエムばかり聴いていますね。
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この回答へのお礼

こんばんは。

これまでに寄せられた皆さんの回答を拝見しても、やはり古代ギリシャ的、アポロン的な、均整のとれたもの、
バランスのいい精神といったものが尊ばれているようですね。

>不揃いなもの、不定形なもの、全うでないもの

これを読んで、中島らもの言葉を思い出しました「彼は歪んでいた。おそらくすべてのまっとうな野菜たちがそうであるように。」

わたしは精神に障害を持っています。ですからわたしの心(精神)はいびつで、歪んでいます。おそらくはそのせいでしょうが、整った姿形、完全なもの、立派と呼ばれるような人物に強い違和感を、生理的な反感を覚えてしまいます(苦笑)
わたしは自分が好きではありませんが、立派になりたいとか、バランスのいい人になりたいと思ったことはないようです。

>他人の醜さは、喜劇として受け取っています。

なるほど、これはこころの余裕から来るのでしょうね。

2、の焼き物についてですが、 ciaopolpo2さんは、古田織部の美意識のようなものは苦手でしょうか。
ご存知のように、焼きあがった茶器を打ち割って、それをまた金で接ぐ、というようなことをやっていますね。
大陸の焼き物は知らないのですが、尾形乾山や民芸派の焼き物は美しいと思います。ピカソの陶器も好きですが、これは主に描かれている模様ー絵に惹かれるのでしょう。

モーツァルトのレクイエム。いいですね!大好きです。

モーツァルトといえば最近You Tubeで面白い演奏を見つけました。

キース・ジャレットとチック・コリアによる「2台のピアノのための協奏曲」です。美しい演奏です。

https://www.youtube.com/watch?v=EuMzOCpQRt0

キース・ジャレットはバッハもいいですね。

オスカー・ワイルドの言葉に、「わたしたちはみなどぶの中にいる。でもそこから星を見上げてるものもいる」
'We are all in the gutter, but some of us are looking at the stars.'

わたしは天国にはいなかったようです(苦笑)

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/16 01:46

>「美」を問うことは、同時に「醜」を問うこと



これはよくわかる気がします。
私は、何かを知りたいと思ったときに、先に対極にあるものを知ろうとする癖が
昔からあります。
だから、大変に誤解されることもあり、人より理解するのに時間がかかったりし
ます。
性格が慎重なところがあるのでしょう。

1、人間の精神的なものが最も醜いと感じます。自分の小さな利益に固執し、裏切
ったり、恩知らずなことをする心。
エレファントマンがおぞましいといっても、毒虫が気持ち悪いといっても、比
較にはならない。

2、カラマーゾフ三兄弟の父親、また、その数十倍醜いのが、「モンテクリスト伯」
のカドルッス(脇役なので覚えておられるか分かりませんが)。

3、やはり人間の精神的なもので、自分よりも何かを大切にしようとする心。「自己
犠牲」という言葉を使うとちょっと違うんですよね。

例えば、また「どろろ」の話ですが、母子が餓死寸前であったとき、どろろの母
がお恵みを、器すらないために素手で熱いおかゆを受け取り、どろろに食べさせ
たというシーンがありました。泣きました。その後母親はどろろを抱いたまま死
んでしまいます。

あと、「レ・ミゼラブル」に出てきた盗賊の娘。好きな人を守ろうとして銃弾が
身体を貫通してしまったあのシーン。これも泣きました。
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この回答へのお礼

こんばんは。

仰る通り、美と醜はあざなえる縄のように、二重らせん構造のように入り混じり絡み合っています。
わたしの美学のひとつに「きれいは汚い、きたないはきれい」というシェイクスピアの有名な言葉があります。
多くの人が当たり前のように肯定して、受け容れているものに潜む腐臭。
人が見下し、避けて通る腐臭を放つ存在の裡に秘められた聖性。

1、

>人間の精神的なものが最も醜いと感じます。自分の小さな利益に固執し、裏切ったり、恩知らずなことをする心。
エレファントマンがおぞましいといっても、毒虫が気持ち悪いといっても、比較にはならない。

そうですね。まったく同感です。

2、

>カラマーゾフ三兄弟の父親、また、その数十倍醜いのが、「モンテクリスト伯」
のカドルッス(脇役なので覚えておられるか分かりませんが)。

これはどちらも未読です。長編というのが苦手なもので。

3、

>やはり人間の精神的なもので、自分よりも何かを大切にしようとする心。「自己犠牲」という言葉を使うとちょっと違うんですよね。

そうですね。「自己犠牲」ってなんだか使い古されて手垢にまみれた言葉ですね。わたしも好きな言葉ではありません。

「どろろ」にしても「レ・ミゼラブル」にしても「愛情」ですね。

すてきな回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/16 00:58

存在を感じさせるものが美しく 破壊を感じさせるものが醜い



人の顔でも均整がとれて濃い所は濃く、薄い所は薄いと言うのがいいようです

若い人は美しく 腐敗した死体は醜い。人間の欲望でも存在を求めるものは美しく、破壊するものは醜い。

人間性は美しく 人間を見た というのは醜い。

実例は美しいのは太陽の光の多様性を見せる虹 子供を宿した女性の表情 幾何学模様 存在性

醜いのは真っ暗闇の世界 ただ太ってる女性の表情 グロテスクな模様 破壊性

美と感じるものは愛情、友情 人は尊敬する人 場所は故郷や住めば都 感覚は感受性豊かな感覚
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この回答へのお礼

ハルさんらしいお答えだと思いました。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/16 00:24

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