天使と悪魔選手権

資本主義体制下において、永遠に経済成長を続けることは可能ではないと思うのですが、仮に経済成長が限界になった社会は、そうなったことがどんな経済指標で確認できるのでしょうか?そして、限界を迎えても資本主義体制は更に維持できるものなのでしょうか?

A 回答 (3件)

>ある程度経済的に豊かになってしまった後は、経済活動の成果で欲望は満足させられないのではないかと思うのですが。


まあ、そうかもしれませんけど。

ただ、発明(技術革新)の力を過小評価してはいけません。
破壊的な技術が登場すると、それまでの社会を根本からひっくり返すほどのインパクトがあります。
ヒトラーは1千万人殺した、スターリンは3千万人殺した、いや毛沢東は6千万人だ、みたいな話がありますが、
それこそ、フレミング(抗生物質の発見)は10数億人、ハーバー/ボッシュ(化学肥料の発明)は数10億人を救ったと言われています。

例えば、携帯電話やインターネットが登場する前は、誰も携帯電話を欲しいなんて思っていなかった(そんな欲望はなかった)わけですが、いったんそういう技術が登場すれば、
それこそ無から新たな欲望(新たな需要)が生み出されます。

今後も、完全自動運転車、空飛ぶ車、AIが自分に代わって仕事してくれる、自力の100倍の力が出せるパワードスーツ、ガンを治す薬、、、
が登場すれば新たな欲望(=需要)は生まれると思いますよ。
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>資本主義体制下において、永遠に経済成長を続けることは可能ではない



これは150年前にマルクスが考えていたことそのものです。さらには、300年以上のアダム・スミスも同じことを言っています。

資本主義という格差を許容するシステ厶が受け入れられているのは、パイ自体が拡大すれば皆がより豊かになるから、につきますから、もし本当に経済成長が止まってしまえば、資本主義体制が維持できないのは自明だと思います。

問題は、本当に経済成長が止まるか、ですね。
確かに、有限の人口で無限に経済成長し続けるのは不可能に思える、
一方で、人口が有限だとしても、人の欲望に限りはない、人の欲望が完全に満たされることは永遠にないとすれば、新たな発明による新製品が出続ければ、新たな欲望(=新たな需要)が生まれ続けるわけで、永遠に経済成長可能とも思える。
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この回答へのお礼

「人の欲望に限りはない」というのはこと経済に関する限り幻想ではないかと思うのです。ある程度経済的に豊かになってしまった後は、経済活動の成果で欲望は満足させられないのではないかと思うのですが。

お礼日時:2016/08/30 19:01

永遠に経済成長を続けることは


可能ではないと思うのですが
  ↑
そうでもないと思います。

かつては西洋が経済成長を続けて大国に
なりましたが、時代が経つにつれ
その波がいまアジアに押し寄せている
わけです。

アジアが経済成長すれば西洋も、成長
し続けることが可能です。

アジアが終われば中南米がが続き、
それが終わればアフリカが、・・・・
と続いていくとおもいます。

その間、数百年。
技術革新も行われるでしょう。
理念的な永久は無理でも、現実的な
永久は可能ではないでしょうか。



仮に経済成長が限界になった社会は、そうなった
ことがどんな経済指標で確認できるのでしょうか?
   ↑

GDPで確認出来るでしょう?
そもそも経済成長というのはGDPが
大きくなることですから。


限界を迎えても資本主義体制は更に維持
できるものなのでしょうか?
   ↑
限界を超えたら維持できないと思います。

資本主義経済では自由競争が行われます。
だから、企業は人件費を減らそうと合理化
し、人員を減らそうとします。

一方で、女性、老人が労働市場に参入
してきます。

これらの労働者を吸収できるだけの経済成長
が維持できなければ、失業者が街に溢れ
体制も維持できなくなると考えられます。
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この回答へのお礼

世界全体で見ればそうであるかもしれません。しかし一国、例えば日本を見るとき、経済の停滞が経済政策の不手際によるものか、経済成長の限界に近づいているためなのかは単純にGDPでは確認できないと思います。
コレまでの先進国の経済成長は単に自国の内需だけでなく、安価な石油などの資源と多くの発展途上国の需要によって遂げてきた面があります。それらの途上国もBRIC’S諸国のように自国での生産力を付けてきました。大量生産による低価格が可能な時代は既に終わりを告げ、低賃金に依存する生産の拠点は中国からベトナム、カンボジア、ミャンマーに移りつつあります。
資本主義社会の基本は、資本家が付加価値を求めて生産に資本を投下することにあります。しかし現在の日本はどうでしょう。アベノミクスの財政政策により企業は軒並み増益を上げています。しかしその利益はほとんどが内部留保され、設備投資には向けられていません。銀行だって貸し出しを増やすことなく、資金は国債購入に向けられているのです。資本がその投資先を見失ったとき、それこそが資本主義の終焉ではないでしょうか。
資本主義国家の先達アメリカは早い段階に実物生産への投資をあきらめ、金融世界に資本を投資するという方向に舵を切りました。そしてそのことが貿易を差し置いて、金融グローバル化を世界に訴えたのです。しかし、リーマンショックによってその市場も破綻しました。先進国の資本は今行き場の無い状態にあるのです。遅ればせながらそのアメリカも実物経済を活発化させる必要に気付き、TPPに本腰を入れ始めました。
そういう意味で、資本主義体制には限界が来るのです。資本がその投資先を見失ったとき、一般労働者に賃金の上昇は見込めません。それが消費の低迷を招き、ますます生産者の意欲を失わせる結果となってしまうのです。

お礼日時:2016/08/26 20:19

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