良い科学と良くない科学とには相違があるのでしょうか?
また、科学とは価値が客観的ではないといけないというのを耳にしますが、どうしてでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (9件)

科学という意味の体系は、その体系内に「善悪」というカテゴリーをもっていません。


これは数学で「道徳的に良い足し算」と「道徳的に悪い足し算」がないのと同じです。
科学において「良い」「悪い」は科学の体系内で「真偽」を中心とする価値体系で判断されます。
善悪はその科学をとりまく社会の側に意味の源泉をもっています。

例えば、中世のヨーロッパでは「地動説」は「悪」でした。
現在でも一部のキリスト教団体は「進化論」を悪とみなしていますし、
母体保護のためであっても「人工中絶」を悪としています。
共産主義国家ではメンデルの遺伝学を「悪」とした時期もあります。

科学の中でも応用科学・技術の分野ではそれが人間や社会に密接に結びつくため、個々の技術についてその社会固有の価値観とぶつかる場合は非常に多くなっています。

この場合、科学者集団は倫理規定を作ったりする場合もありますが、基本的には個々の科学者の良心に委ねられている場合がほとんどです。

既存の法に抵触するものでも、科学者はそれを善と判断して実行する場合もあります。
卵子提供型人工受精ですとか末期ガン患者の安楽死ですとか。

最初の実用的毒ガス兵器の開発者フリッツフーバーは愛する祖国ドイツを勝利に導くために意図的にマスタードガスを開発しました。彼の中ではこれはその当時善だったわけです。しかし、彼はユダヤ人であり、その後ナチス政権によって国を追われました。彼にとって善悪とは何だったのかは興味深いですね。また、彼を悪とするなら、特攻隊で死んでいった青年達もみな悪ですし。


科学が客観性を追い求めるのは、検証できないものは科学ではないからです。実験によって検証するか論理構造を提示するかは別ですが、「私は無限エネルギーを発明した」とのみ言ってその内容を明らかにしないドクター中松氏は科学者とはいえません。(そんなものは出来ていないに決まっていますが)検証され、これまでの体系の中に新たな体系を打ち建てることが科学の合理性です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

皆さん、こんな短期間にいろいろなご意見ありがとうございました。
大変参考になりました。
今後ともよろしくお願いします。

お礼日時:2001/06/27 07:35

科学というのは、新規性を追い求めること。


そして、普遍性を追い求めることですネ。
普遍的な法則を解明することが、何らかの物質の大量生産にむすびつき、その結果が自然破壊となる場合があります。農薬などもそうでしょうか。ただ、ヒューマニズムの観点から言えば農薬の使用は良いことですネ。
サリンを初めとする多くの毒ガスは化学者が純粋に新しい合成を求めた研究をした結果、何に使えるかわからないものとして合成されてしまったのですネ。
新しい化合物を作り出した行為には善も悪もありません。科学として考えると、実験に成功したということだけです。
あとは倫理性の問題となるでしょう。
更に、判定は未来に行なわれるものです。
以上kawakawaでした
    • good
    • 0

ranxさんの言われているような、科学の手法が人間に関わってくる場合、科学の対象が人間そのもの


になる場合はは非常に判断が難しいですね....
人間の倫理観が数学とか物理学にはない善悪の規定を作ってしまうからです。
よくよく考えてみないとわからないですね。
    • good
    • 0

例えば戦争中の日本で行われたような生体実験や生体解剖は、ある意味で純粋な科学的探究


だと思うのですが、私はこれは絶対に認める気にならないですね。
あと、クローン人間なんかはいずれ誰かが作ってしまうので、これはやむをえないと思いますけど、
人間と他の動物のキメラを作って成長させるのなんかは嫌だな。
    • good
    • 0

「良い科学」と「悪い科学」と言う分け方は無いと思います


どのような科学(化学)でも「光と影」はあるでしょう。
分け方があるとすれば・・・
「科学の良い使い方」と「科学の悪い使い方」では無いでしょうか?
ほら、昔から言うでしょ
「いいもわるいも リモコンしだい♪ ●人●人はやくゆけ~♪」って
 (う~ん 古い! 歳バレバレ)

原子物理学なんかは露骨に
  光(レントゲン・放射線治療)

  影(核兵器)
がありますよね。
    • good
    • 0

科学ののっかってるステージの問題でしょうね。


科学とか芸術とか、特殊分野の人は
ステージ(器)のスポンサーに利用されがちですからね。
目がイッてる理工系? はちょっとタノムゼって感じですね。
冗談ですが
僕がいいたいのは、ステージがしがらみの上で金権中心だったりすると
科学は文化にならず、いとも簡単に戦略の武器になるということですね。
戦争はこまりますが、でっかい国家プロジェクトなんかで
科学者が先端の基礎技術→文化をつくっていくのがいいのではないですかね
優秀なOS日本で標準化して無料で世界にばらまくとかね 笑
    • good
    • 0

> では農薬や殺虫剤などはどうでしょうか?


> 人の生活は豊かになるかもしれないけど、自然にとっては明らかにマイナスだと思うのですが・・・・。

pottoさん勘違いしてますよ。農薬は殺虫剤は「科学」じゃなくて「用途」です。
農薬を作成する為の様々な知識や技術、理論を体系的に一般化したものが所謂「科学」なわけ。

それと客観的でなければ云々というのは、価値が主観的だったらその人以外誰も検証できないでしょう?

myeyesonlyが仰るとおり似非科学ってありますね。
大抵の場合「前提条件」とか「境界条件」にトリックが有って、それを気づかないまま理論を展開して、さも科学的に(論理的に)正しいように持っていく連中です。
そうそう、pottoさんの質問も「科学」と「用途」の違いをまず検証しないで話を進めているので、この手の似非科学者のパターンにはまりますよ。
悪魔の論理学として遊ぶ分には楽しいですけどね。
    • good
    • 0

良い、良くないというのは善悪ととらえていいのでしょうか?


私は科学に善悪はないと考えています。
それを用いる人間に善悪があるのであって、科学の価値というのは
まったく中立的なものだと思います。

科学が客観的でないといけないのは、それが誰にとっても真実でなければ
ならないからではないでしょうか。

この回答への補足

では農薬や殺虫剤などはどうでしょうか?
人の生活は豊かになるかもしれないけど、自然にとっては明らかにマイナスだと思うのですが・・・・。

補足日時:2001/06/22 15:10
    • good
    • 0

科学に良いも悪いもないと思います。


それを使う人が、良い方向へ使うか悪いことに使うかではないでしょうか?

#ただし偽の科学はあります。科学を標榜するカルト集団や宗教団体みたいなのが多数実在します。それらは、最初は科学らしいことを言うけれど、最終的に「今の科学は行き詰まっておりそれを超絶する存在」を提唱し、今までの科学の産物を否定し、特定個人、若しくは、神みたいな存在に結びつける点で共通します。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q【科学】科学は自然科学・人文科学・社会科学の3つに分類される。医学も物理学も化学は自然科学の一分野だ

【科学】科学は自然科学・人文科学・社会科学の3つに分類される。医学も物理学も化学は自然科学の一分野だ。

人文科学・社会科学って何ですか?

工学も自然科学の1つ?

どういう細分化されているのか教えてください。

Aベストアンサー

自然科学は、自然を観察する事により得られる科学分野で、通常は物理学・科学・生物学・地学(地球科学)・天文学です。
自然科学で無いのは、数学・哲学などの抽象的学問ですね。
人文科学は、広義には、人間が為した文化等を研究する分野なので、社会科学を含みますが、社会のみを研究分野とする場合は、社会科学は人文科学と分離されます。
その場合の人文科学は、哲学(倫理学・論理学・数理哲学)・歴史学(考古学)・文学・芸術学(美学)・宗教学・文化人類学(民族学)・教育学・心理学などです。
社会科学は、政治学(政策科学)・経済学(経営学)・法学・社会学などです。
上記を見ると、数学が入る場所がありませんが、便宜上は形式科学ですが、大学などでは自然科学分野との関わりが強いので、自然科学の分野に加えられています。

Q科学を万能とおもっている似非科学者たちへ~科学不万能論~ 人間の意志を科学的に証明してください。幽霊の科学的意義 

人間が豊かになったのは科学のおかげでもあります。科学の功績は偉大?なんでしょう。

しかし、幽霊の存在を全く無視する科学者の皆様に意義を唱えたいのであります。

そもそも人間自体も科学で分析すれば単なる物質および原子の集まりに過ぎないと科学万能論科学者はいうでしょう。しかし、人間には意思がありこれは魂でもあると昔の人は考えました。意思の存在が科学的に解明されていないのに、幽霊の存在は全く無であるとなぜ科学者は豪語するのでしょうか?そこまで豪語するならば、科学者自身が、人間の意志はどうしてあるのか?を科学的に立証してほしいものです。科学者の考えだけで人間を考えると、単なる原子・分子・物質のあつまりであり、意思などないはずです。その辺の石と同じ存在となるはずです。しかし、人間には欲望もあれば意思もあり思惑もあります。この存在は霊とイコールといってもいいような気がします。植物にも意思があるかもしれません。

そんなことも解明できていない人間は、クローン生物だの遺伝子組み換え生物(植物)などをつくり、食用にまでしようとおもっています。神への冒涜と訴えられてもしょうがない気がします。

世の中のことを科学(あるいは他の分野)がすべて解明しなければ、それらへの手はとるべきではないとおもいます。

いったい、科学者は何を考えているのか!私のもやもやをとってください。

人間が豊かになったのは科学のおかげでもあります。科学の功績は偉大?なんでしょう。

しかし、幽霊の存在を全く無視する科学者の皆様に意義を唱えたいのであります。

そもそも人間自体も科学で分析すれば単なる物質および原子の集まりに過ぎないと科学万能論科学者はいうでしょう。しかし、人間には意思がありこれは魂でもあると昔の人は考えました。意思の存在が科学的に解明されていないのに、幽霊の存在は全く無であるとなぜ科学者は豪語するのでしょうか?そこまで豪語するならば、科学者自身が、人間...続きを読む

Aベストアンサー

科学者は何を考えているのか?

それを端的に理解できる方法は、あなたが科学者に比するほど科学を研究することでしょうね。
それでなければ水掛け論。
科学者は霊の存在を疑わない者の心境がわからないし、霊の存在を疑わない者は、科学者の心境がわからない。

ちなみに僕は科学者ではありませんが、霊の存在を客観的に証明出来ないので、霊は存在しないと決めています。
その存在が客観的に証明出来れば、霊は存在するのでしょう。
ぼくにもその存在を証明してほしいなぁ

Q「科学には国境は無いが、科学者には国境がある」これは誰の(科学者)名言でしょうか?

「科学には国境は無いが、科学者には国境がある」これは誰の(科学者)名言でしょうか?
 何かのセミナーで聴講した記憶があるのですが、あまりに内容が一般的すぎて対象を特定できません。どうかご存知でしたら、誰の名言かその科学者の名前を教えて下さい。何とぞ宜しくお願い致します。
 こういうのは検索エンジンでは、調べられないのですよね。
 Wikipediaでも調べられない!! どうかお助けをお願いします。
 あまりにも有名な科学者だったことは覚えているのですが。

Aベストアンサー

科学者には「祖国」がある・・・

この科学者はパスツール。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%AB

Q科学では計り知れない奇跡について

人間の強い意志の力や強い願望から起きる奇跡は、本当に科学では解明できないものなのでしょうか?

強い意志や願望があっても叶わない物だってあるだろうし。
たとえば、いくらライオンが好きだからといって、ライオンになれるわけでもありません。

その起きた奇跡は、
ただの偶然だったとか、
中心人物に心を寄せた人々の見えない繋がりが生み出す物(会社などの集団で役割をこなすことで全体が一つの目的を達成させる的な)だとか、
物事を叶えようとする意志に邪魔になるものが引いたとか。

いろいろと説明できそうな気がしますが。いかかでしょうか?

花に嵐のたとえの通り、強い意志や願望があっても何かしらの邪魔や妨害が入り込んできますよね。

Aベストアンサー

 昔、「ラッキーをつかみ取る技術」という新書があったんですがタイトルからするといかにも胡散臭い啓発本の類で「心構えとか願とかで幸運が回ってくる」とでもいってるのかなあとも思ったのですが、実際はちょっと違いました。直接的な筆者の趣旨だったかどうかは忘れましたが、自分のであったまわりの人間を見ていても納得するなあと思うのは、結局「幸運な人、ラッキーな人」と思われる人間ってのは特別に幸運な人間だけがそういうわけではなくて結局日頃からその何かに対してしっかりと準備がされている人間であることだったり、あるいは失敗してもめげないで限られたチャンスをうまくものにできるような人だということです。

 わかりにくい言い方なので例を上げると、たとえば大学受験一回でまぐれで合格する人間ともともとかなり優秀な人間がいてたまたま試験に落ちただろう人間がいたとします。その一回だけでみれば前者が後者より優秀なのかもしれませんが、かりにこれが10回の平均だったとするとおそらく後者の人間のほうが良い結果が得られるはずです。もしこれが人生長い目で見たときの偶然や周囲の環境による「チャンス」とするならば、どんなに願ったところでコントロールできる程度は限られています。ただ、誰でも一度ぐらいは自分の人生のチャンスというのはあったりするもんで、そのチャンスが来たときにいかに準備されているかどうかで、その人がそのチャンスを逃すか、あるいは限られたチャンスをつかみ取ってその望みを達成するかにかかっているというわけです。そういう意味では、「強い意志や願望」というのだって仮に自分の手に負えないようなチャンスが必要なものであっても、限られたチャンスを確実につかむためにいかに過剰に備えておけるかどうかというのが科学的に言うとするならば統計的に正しいやり方なんじゃないかとおもいます。大きなブレはあっても、結局多くの人間にとってチャンスと不運がやってくる機会ってのはコントロールできないなら逆に平均的にはそれほど違うはずはないということです。

 「科学的」という趣旨から厳密にはずれるならば、チャンス自体に積極的影響を与える行為というのはおそらく存在すると思います。たとえば、勉強ができる人間とできない人間の生活習慣とかは統計学的には明らかに特定の相関があるでしょうし、優秀な人間の多くはだれかに教わり上手だったりするとかいうのもその辺の能力と意志や願望を達成させやすい、社会で評価されやすいという統計的な相関があるからだということです。これを広く科学としていうならば、世の中のマーケティングとかビジネス戦略とかそういうもので取り入られているともいえるでしょう。科学というより社会学、経済学に近いかもしれませんが、一般社会での意思決定というのは思っているほど絶対的確率論の世界ではなくて、案外その目的に応じてコントロール可能な部分もあるのです。あなたが気付かないところでも活用されています。

 というわけで、もちろん「明日の朝起きたらライオンになりたい」とか突拍子もないことはちょっと極端ですが、たとえば昔のアメリカで黒人が「体の色に関係ない社会がほしい」とか100年前からすればそれこそ奇跡に近いような「空を飛びたい」ということだってその当時の常識からすれば夢に近いような意志や願望だったのか知れませんが、ただの夢物語で終わらなかったからには、その背景にはさまざまなまわりを巻き込んでいく知恵があったと思われます。現在はあくまで「人間科学」とかそのへんの学問にしか過ぎないかもしれませんけど、意思決定も一応科学的な考察はできるでしょう。 

 いずれにせよ学問である以上客観的解析手法が必要ですからかりにも因果関係に相関があるか否かなどの解析は可能ですが、それに意味をもたせるという趣旨(物事を叶えようとする意志に邪魔になるものが引いた、みたいな?)はあまり科学というとらえ方とは少し違うとは思いますね。ただ、命題の設定の仕方よっては、意思決定や願望とその成否だって科学的にとらえることは不可能ではないとは思いますよ。



 

 昔、「ラッキーをつかみ取る技術」という新書があったんですがタイトルからするといかにも胡散臭い啓発本の類で「心構えとか願とかで幸運が回ってくる」とでもいってるのかなあとも思ったのですが、実際はちょっと違いました。直接的な筆者の趣旨だったかどうかは忘れましたが、自分のであったまわりの人間を見ていても納得するなあと思うのは、結局「幸運な人、ラッキーな人」と思われる人間ってのは特別に幸運な人間だけがそういうわけではなくて結局日頃からその何かに対してしっかりと準備がされている人間...続きを読む

Qなぜ自然科学では数や量を多用するのか

なぜ現象を記述する際に多くの科学者たちは数や、量を問題にするのでしょうか。
何か、ある現象を解き明かし、理解しようとする際に、例えば、日本語や英語な
ど、自然言語によって記述することも可能であり、また、それらの方が むしろ
内容的に量に関する縛りがないので、ある意味表現の幅を広く持って、記述する
ことができるのではないでしょうか。
もちろん、実際には数式だけでなく、自然言語を使って、論文などは書かれては
いると思うのですが、ある現象を数式化することに非常に意識を向け、 拘りを
持っている人が多々いるように、数式化することが特別的に取り立てられる状況
があることが不思議です。

なぜ、多くの科学者たちは量的な事柄でもって現象と接しようとするのか、その
理由に関して意見を伺いたいです。

Aベストアンサー

大きな誤解が一つだけある。数式は言語なのです。科学にとっては道具であり、会話の道具であるのです。
自然言語には、あなたが理解されているように
>それらの方が むしろ内容的に量に関する縛りがないので、ある意味表現の幅を広く持って、記述することができるのではないでしょうか。
 まさに、それが問題なのです。曖昧模糊とした自然言語では科学にはならない。
 ^^^^^^^^^^^^^^^^^
 私の専門は化学なので、一つ例をあげましょう。

「塩と砂糖のどちらがたくさん水に溶けていますか?」
すぐ疑問が・・・温度は??早速、数字を持ち出す必要がある。
「0℃の水に塩と砂糖のどちらがたくさん水に溶けていますか?」
ちょっとまって、塩とはなに、砂糖とはなに??
 とりあえず、塩は【塩化ナトリウム NaCl】にしよう。砂糖は日本で一般的に使われている上白糖は【スクロース C₁₂H₂₂O₁₁】に【転化糖】をまぶした日本独自の【混合物】なので、ここは純粋な【スクロース C₁₂H₂₂O₁₁】の結晶といえるグラニュー糖で考えよう。
 その条件で溶かしてみると
スクロースは、 181.9 g  0℃100mL
食塩は、     35.65 g 0℃ 100mL
とける。
★スクロースのほうが、五倍以上たくさん溶ける。

 気づきましたか??この答えは明らかに間違ってますよね。この答えは
「小学生が1トン、大人が1.5トン、大人のほうが多い」
 というようなもので、体重のことなる大人と子供を重さで比較したら絶対におかしい。・・・それは科学に携わってなくても気づきますよね。

 質量はkg、長さはm、時間は秒、電流はA、じゃあ、量はなんで比較すればよい。それは物質量--数--で比較しなければならない。物質量--物質の個数の単位はモルを使います。
食塩は58.44277 g/molですから、35.65 gは、約0.61モル。
スクロースは、342.29648 g/molですから、約0.53モル

量で比較すると、食塩のほうが砂糖より1割5分たくさん溶ける。しかも、食塩は水中で100%電離しているから、水中の物質量は、食塩が1.22モル、スクロースは電離しないので0.53モルしか解けていない。
 なんと2.3倍も食塩のほうがたくさん溶けている。

 その証拠に、浸透圧や沸点の変化を調べると、食塩のほうが2.3倍も浸透圧が大きくなる。---塩漬けのほうが砂糖漬けより早く水が出る理由もわかる。だから、梅干しは最初に塩でつけるし、はじけちゃいけない梅酒は、浸透圧が急上昇しないように、ゆっくり溶ける氷砂糖をつかう。

>なぜ、多くの科学者たちは量的な事柄でもって現象と接しようとするのか、
 塩漬けと砂糖漬けの違いを説明するときに、このように化学式や計算式を示して、説明するほうがはるかに説得力がある。

 単に言葉で、「砂糖より塩のほうが水にはたくさん溶ける」と口で言うよりよいでしょ。

たぶん、ここが理解されていない。
 科学とは、知識ではなく
1) ある事柄に疑問を持ったら、
2) それを説明する理論を推測して、
3) それを証明するために実験や観察を行い。
4) 最初の推論が正しいか、誤っているかを証明していく
一連の手順なのです。
 知識や結果ではありません。!!!知識を説明するには言葉だけでも良いかもしれませんが、科学とは知識ではなく、(1)~(4)の手順をいうのですよ。
 科学論文の書き方( https://www.google.co.jp/search?q=%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%AB%96%E6%96%87%E3%81%AE%E6%9B%B8%E3%81%8D%E6%96%B9&ie=utf-8&oe=utf-8&client=firefox-b&gfe_rd=cr&ei=wJyQV9y4LsjD8Aeg8JDADQ )

 そのために欠かせないのが言語、道具が数や数式なのです。

大きな誤解が一つだけある。数式は言語なのです。科学にとっては道具であり、会話の道具であるのです。
自然言語には、あなたが理解されているように
>それらの方が むしろ内容的に量に関する縛りがないので、ある意味表現の幅を広く持って、記述することができるのではないでしょうか。
 まさに、それが問題なのです。曖昧模糊とした自然言語では科学にはならない。
 ^^^^^^^^^^^^^^^^^
 私の専門は化学なので、一つ例をあげましょう。

「塩と砂糖のどちらがたくさん水に溶けていますか?」
すぐ疑問が・・...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報