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江戸時代は封建制であり資本主義ではなかったと言われていますが、江戸や大坂においては貨幣経済が発達しており、資本主義と呼んで差し支えない程度までいっていたのではないでしょうか。
証券市場こそ無かったものの、先物取引は既に行われており、両替商は銀行のような仕事もやっていたようです。
確かに農村部は封建制を引きずっていたようですが、都市部では資本主義社会が成立していたのではないかと思います。

質問者からの補足コメント

  • ベストアンサーを拝見しました。でも疑問はあります。
    ①私有財産制度が保障されず(幕府や藩が勝手に財産を取り上げる事がある。)
    → 憲法第29条を読んでください。今でも公共の福祉の下で財産権が制限されています。
    ③公平で公開された労働市場では無く、コネ採用が基本
    → 今でもコネ採用やっているところは多いですよ。大手でも広告代理店、テレビ局なんかは特に。
    ④しばし価格や競争が幕府や藩に統制される
    → 価格統制は今でも全くやっていなくはないです。電気料金、タクシー運賃、電車・バスの乗車料金などは認可制です。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/09/11 22:10
  • 資本の論理を超える力とは、政治力のことではないでしょうか。
    今でも政治力はしばしば資本の論理を超えます。国際社会においてもアメリカの軍事力を背景とした政治力は資本主義より強い場合がありますから。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/09/11 22:14
  • >資本主義は金を中心とする制度のことなのだからいくら資本の蓄積があってもそれだけでは資本主義たり得ない。
    → 江戸時代の都市においては貨幣が流通していたようです。農村部では封建制のままだったようですが。

    >出資による資本の再生産、共同出資(会社)の思想がないから資本主義ではない。
    → それって資本主義の要件でしたっけ。それに出資や会社、証券市場などが制度として整っていなかったことは確かですが、その前身となるものはあったようです。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/09/12 07:02
  • 現代中国は金融取引、証券取引、貨幣の流通などの面で現代日本と同等以上に発達している面がありますが、居住の自由、職業の自由が制限されており、政府が市場取引を制限することができるので資本主義とは言いませんね。そういう面で江戸時代の日本に似ているように思います。

    上海はさしずめ江戸時代の大阪になるでしょうか。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/09/14 07:17

A 回答 (5件)

#1のベストアンサーにある資本主義の4つの要素は、wikipediaをコピペしたものでしょうが、


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%87%E6%9C%AC …
これが資本主義の定義であるという共通認識が多くの経済学者の間で共有されているとは、(少なくとも私は)全く思いません。
資本主義は、いわゆる「専門用語」(言葉の定義がきちんとされている言葉)ではないです。みんなが、なんとなくで使っているだけです。
しかも、資本主義は、ときには、経済ではなく政治の用語として使われる場合すらありますし。

もちろん、「資本主義とは○○をみたす体制のことである」という定義が載っている経済学の論文や教科書はあるでしょうけど、あくまで、
それは、その本の中ではそう定義している、というだけで、世の中みながその定義に同意しているわけでは全くないでしょう。

居住の自由、職業の自由が、資本主義の必須要素かについても、少なくとも私は、みな(多くの人)が同意する条件とは思いません。
「江戸自体が資本主義か」という質問は、YesともNoとも言えます。「資本主義」という言葉の定義次第。
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資本主義という言葉をなにをするために使用するのかを考えることも大事だと思います。


12世紀にはヴェネチアは東西貿易や香辛料貿易の仲介、金融、為替業も行われていました。奴隷も多いけれど自由民もいて、雇用関係もありました。15世紀には日野富子が多額の金銭の貸付け、米の投機などで稼いでいました。元手を運用して儲ける、有望な事業に資金を振り向ける、そのための有能な辣腕家を集める、奴隷労働や人的支配関係にだけ頼るのでなく雇用関係で人材を集めるというようなことは、古代からあったでしょう。
また、東京は資本主義、上越や東北は資本主義ではないという言い方もしないでしょう。
そうした言葉の使い方をしてしまうと、資本主義という言葉を社会の理解のためにしようする態度から離れてしまうのだと思います。
貨幣経済、市場経済、悪貨良貨のようなことが問題になり、通貨の価値安定に政治が深く関係していたのは4世紀のローマにもあったことです。
社会の状態を経済という面からステージを区切るというスタンスが肝心で、「取引価格、取引時期、取引量を各契約主体が自由に決められるという擬制的立場にたって、労働も、土地も、物財も、知識やシステムも、専有範囲も決められるという主張のもとに、多くの経済活動が行われている社会に変わった」と認識する場合に、「資本主義になった」というのでしょう。
この立場は「身分や家筋、社会的立場で経済取引を決するのは正しくない」「王や政府といえど対等な契約合意に基づかないで私権を犯すのは正しくない」という建前が重視される社会に変わるということでもあるのだと思います。
土地所有、企業所有、知的財産所有、人的行動や時間の支配が、経済主体の間の取引で決まるという社会的認知が一般化してないのであれば、近代的産業機械や工場、交通機関、輸送、学制、専門労働者の活用、貨幣や信用制度があっても、資本主義とは言わない人がほとんどだと思います。
江戸時代は、職業の自由(就業/非就業/就業先/就業時間を取引主体同士の合意さえできていれば好きに)は基本認識にはないし、居住地の自由も基本認識にはないから、資本主義が成立していたという認識にはならないでしょう。
福祉国家や雇用安定も度が進めば、資本主義を逸脱してしまうでしょう。
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資本と資本主義の違いが理解できないようですね。



資本主義は金を中心とする制度のことなのだからいくら資本の蓄積があってもそれだけでは資本主義たり得ない。

資本の蓄積と言っても利益を個人がため込んでいるだけ、金融も為替、両替はある程度制度となって有効になっているが肝心の融資については新事業の為の貸し出しではなく額の大きい大名貸にしても目的からすれば消費者金融だ。
出資による資本の再生産、共同出資(会社)の思想がないから資本主義ではない。
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とは言え、突出して目立った商人を『不届き』として、罰して家財没収しちゃうからねぇ



資本の論理を超える力があるから単純に資本主義とも言えないでしょ
素地があった程度で
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このURLのベストアンサーが正解だと思います。



http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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