プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ことばに色がついているわけがない。

エサがあってその下に釣り針が隠れているような言葉がどこにあるか。

みんな受け取る側の心の〔持ちようや状態の〕成せるわざなり。



人間の思惟や行為は 社会にあってクセ・ナラハシと成り得る。

この社会的習慣が ことばに色合いをつける場合がある。

色合いの付いたことばは 思考や感受性に回路をつくってしまい得る。



ここが 分岐点だ。

陰謀と陽望(陽謀)との。

ことばを 魔女狩りの魔女とするかどうかの。




弱者が陰謀をつくるのではない。ひねくれ者がくわだてるのだ。

瀬戸際外交をこのむやから。

魔女を魔女と呼びしかるべく取り扱わないとおれは いのちを断つぞと。

瀬戸際作戦が功を奏することがあるようなのだ。



哲学は いかに考えるか? 陽謀よ いでよ。

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    《神》という言葉は 意味(1)と意味合い(これがニュアンスとして色合いでもある)
    (2;3;・・・)を持つと考えられる。

    1. 超自然・超経験
    2. 畏怖や信仰の対象
    3. 自然の具象にかかわって多数であるかまたは自然を超えて唯一かである
    4. そんなものは無いという見方
    5. 人間に成り得るという見方

    ☆ 問題は 意味合いとしての《色》が この言葉そのものにもともと付いているのか?

    《1. 超経験》なる基本の意味をめぐってさらに人間が その神なる言葉を受け取りま
    た取り扱うときに持ったクセ(エートス)が 《2》以下の《色合い》ではないのか。

    おそれを感じたという受け留め方(2)。それについての人間の推理(3)。
    思考をおよぼした結果(4)。思いつきやその思い込みとしての広い意味の思考(5)。

    このように始めの《無色》から 色付きメガネが介在して《透明度》が落ちて行く。のだ。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/09/28 08:01

A 回答 (7件)

「弱者が陰謀をつくるのではない。

ひねくれ者がくわだてるのだ」
→もちろん、そうですね。

何故、ひねくれ者が出来てくるのか、が思い白いですね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ~~~~~~~~
  「弱者が陰謀をつくるのではない。ひねくれ者がくわだてるのだ」

→もちろん、そうですね。
~~~~~~~~
☆ ありがとう。でもね 《言葉は 諸刃の剣である》という認識は
けっこう普及していますよ。だから 弱者保護が 第一だとか。


★ 何故、ひねくれ者が出来てくるのか、が思い白いですね。
☆ これの解明は:
☆☆ 哲学は いかに考えるか? 陽謀よ いでよ。
☆ への道ですね。

そこまでは進んでいません。せいぜいが
☆☆ ~~~~~~~~~~
弱者が陰謀をつくるのではない。ひねくれ者がくわだてるのだ。

瀬戸際外交をこのむやから。

魔女を魔女と呼びしかるべく取り扱わないとおれは いのちを断つぞと。
~~~~~~~~~~
☆ ここまでですね。

人びとは――つまり われわれは―― 自殺というコトにかんして敏感
です。自殺者を出したということについて むしろ遺された自分たちの
ほうに責任がある(あるいは さらに罪悪感をおぼえる)というまでに
成るようです。

だから 自殺志願者の言い分には 敏感です。成すすべを持たないかの
ように 凍ってしまいます。

《おれの言うことを聞かないなら 死んでやるぞ》という意志行為にま
で及んだ弱者は まだなお素直な弱者であるのか。それとも すでに拗
ねており心が多少ともひねくれてしまっているのか?

自殺者が多いとか いじめによる自死を何とか食い止めようとか言って
いる割りには 哲学の成し得る貢献はこれまで多くなかったですね。

まぁ やっと試運転が始まった・・・でしょうか。

お礼日時:2016/09/26 10:56

頭がおかしい人間が頭がおかしい人間に問う。


いい加減にやめたらいいのに。無駄なエネルギー・ロス。
haruもそうであり、gooの回答者も頭がおかしい。
いい加減にやめたらいいのに。

聖書は時の為政者、時の教皇によってユダヤ教、キリスト教が延命を図って、
書き加えられたものである。
常識だぞ、きちがいのお前たちは。教育を受けた者だろ。
いい加減に妄想はやめたらいいのに。
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この回答へのお礼

★ 聖書
☆ が どうしてここに出て来るのか? 《魔女狩り》を出したから?

でも 特にキリスト教の問題としては扱っていない。

あんた きちがひだろう?

わたしの質問に回答をして来なさい。

きたえてやるから。


ご投稿をありがとうございます。

今回の教訓:
《おまえのかあちゃん 出べそ!》と怒鳴るだけでは 回答にはなんない。

理由・根拠を示し 例証をも添えなさい。

お礼日時:2016/09/26 19:57

本当に、なぜ、ひねくれ者が出来てくるのか、面白い。



ことばに色付けをすると、状況を見る目にも眼鏡がかかってしまいますね。
状況は簡素に見たほうがいいんですけれどね。

落語家さん、話芸で状況をひろげて、そこに針をかけて引くような感じがあります。針は、素早く引くのがいいでしょう。

師匠、小さんが、弟子の談志に、
「こないだタクシーにのったら、運転手がおめえの悪口ばっかり言うんだよな。談志はダメだ、談志はダメだ、って。しょうがないから、400円よけいにやっちゃった」

こういう針は、引き上げると同時に瞬発的な笑いを生んで、意味なんてたいして無いから、底が浅くて早いところがいい。振り、落ち、余韻。3点の構成美といえば構成美でしょうか。

談志いわく落語は業の肯定だそうですが、近頃は自然科学も多様性の肯定で、どっちにしても、なっちゃいないものを目の前にしているでしょう。与太の山ですよ。
それを、状況としてひっくるめるということには、実は準備された視点が隠れてはいるものだけれど、視点といっても景色を削ぎ落すだけであって、足すということはないでしょう。つまり、ことばに色をつけて余計な重心をかけて、状況に意味がくっついて、何か片付くということは、肯定のなせるわざではなくて、わりと否定から生まれるものですよね。

こうしてことばひとつの扱いを取っても、ひねくれというのは、否定が根っこにあるといえるでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ こうしてことばひとつの扱いを取っても、ひねくれというのは、
否定が根っこにあるといえるでしょうね。
☆ 否定 あるいは《すべてを否定する精神》と言ってしまえば 
例のメフィストーフェレスになります。

ファウスト博士の《ひねくれ》は では どうなのか? などと問
えるかどうか。――こうなると わたしメも 口から出まかせにな
って来ました。


じつは 落語は よく知らないのですよ。避けたわけではないので
テレビでやっている分ほどには 聞いていたと思うのですが。

高校の同じクラブにいた女性が 大学で落研に入りました。かのじ
ょは 話題作りから何から場を仕切る腕前を持った人物で 何の違
和感もなかった。

でも ほかのメンバーがおしえてくれたことには 家庭に入って家
族のあいだで話し合いをうまくやって行けるようにと学んでいるの
だと。

まあ しかし これを聞いて感心したのですが 口下手のわたしは
余計に話し方を学ぼうとは思わなくなりました。


小さん 談志は その名前はよく耳にいまも響くのですが いかん
せん 中身は ふわふわふわ・・・としぼんでしまいます。

そう言えば 談志が 南米かどこかへ行って時を過ごしてましたね。
そのドキュメンタリーをテレビで見たことがあります。

あぁ ブラジルだったかも知れない。そこの日系人らに落語を披露
したんだったか。

あぁ そう言えば 談志は 落語の天才なんですか? 何だか本人
がそのように言っていたような。

あぁ わたしも与太話になりました。勘弁のほどを。

お礼日時:2016/09/26 20:17

社会生命である人類において、他人との協調が意味を


持つ場面が多い。
ゆえに、音の振動に過ぎない言葉でも、名誉毀損や
パワハラは犯罪なのだ。
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この回答へのお礼

犯罪行為として法律の定めがあるということは 

言葉が《凶器》であるかないかの問題ではなく

表現の自由をめぐる社会性・公益性如何の問題。



同じ言葉・同じ表現を 権限のない別の人間が言った場合
パワハラにはならない。


あるいはつまり名誉棄損とは 公益性に関係なくさらには真実性
の保証すらなく 言葉を凶器として用いるという場合である。


言いかえると 《言葉が凶器となる》と認めたではないか?
と問い返されたときには:

《〈うそ・いつはりに基づき 言葉を凶器として使い 相手の名
誉を毀損する〉場合がある。だから 〈言葉は凶器である〉と主
張する》とその問い返しは言っているに過ぎない。

《内容に根拠のない発言が 言葉を手段として為された。ゆえに
言葉は 凶器である》という主張である。

つまり 包丁は 人を傷つける手段となりうる。よって 包丁は
凶器だという主張である。

たしかに包丁が・あるいはつまり言葉が 凶器となりうる。とは
認めている。

包丁は凶器であるという命題としては言えない。包丁や言葉が
空を飛んで 相手の身や心をぐさりと刺すわけではない。

包丁論ないし言葉論の問題ではない。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/09/26 23:30

>陽謀よ いでよ。



参上いたしました。
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この回答へのお礼

せっかくの《自信あり》なるご回答――をありがとうございます。
なのですが どう読んでもこれ――を しっかりと把握しかねて
います。

その《陽謀》の内容を明らかにしてもらえればよい。と言っては
だめなんでしょうか。

つまり 《参上》なさったあなたご自身が 《陽謀》そのもので
ある。といった意味なのでしょうか?

残念ながら。

お礼日時:2016/09/27 04:19

>残念ながら。



私が来たからにはもう大丈夫。ご安心を。
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この回答へのお礼

そうですか。

そのお言葉に甘えるぶんについては 安心することにします。


念が遺っているかいないかは 歴史の過程で知ることになり
ましょう。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/09/27 08:08

人に無色透明な目を持つ人っているのでしょうか?



すべての人の目は色が付いているはず。
その色を無色透明なものにしようと頑張ったのが釈尊であり、イエスキリストだと思います。

我々凡人の色が付いた目でみる世界を"真"と云えますか?
目は他者を見るけれど自身の目を見る事はできません。
それと同様に、自身の見る目の色は分からないものです。

自身の色眼鏡で見る世界をまさか"真実"だ、などとは思ってはいませんよね。知者の皆さん。

・・・と、このように訴えてみたいと思いました。

この理(ことわり)(自分は色眼鏡をかけて世界を見ているのだという理)が分かれば、意見の最後に必ず「そう思います」と付け加えねばならないと、、、思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

★ 人に無色透明な目を持つ人っているのでしょうか?
☆ と言うのであれば《無色透明ではない目を持つ》ようになる前の状
態があるのでは?

それを突き止めるのは 哲学の目です。

★ すべての人の目は色が付いているはず。
☆ 生まれた時からでしょうか?

★ その色を無色透明なものにしようと頑張ったのが釈尊であり、イエ
スキリストだと思います。
☆ いいえ。ブッダターが生まれつきそなわっていると言えなかった・
つまり アートマン(霊我)が自然本性にやどるという想定を否定した
(アン‐アートマン(無我・非我)説を唱えた)のが ゴータマ。

後世のブディズムでは 自性清浄心が説かれています。もともと《無色
透明な目を持って生まれて来ている》ことを物語ります。

イエスは ブッダター=アートマン=神の霊であるということを指し示
したのでした。神は 普遍神であると。

★ 我々凡人の色が付いた目でみる世界を"真"と云えますか?
☆ 《真》の定義が あいまい。

差し詰めは 互いに経験合理性および人間の道理としての勘にもとづき
共通の認識を持ち得る世界観に立とうとすればよいはずです。

言いかえると これこれの世界観は どこそこの部分で色眼鏡をつけて
見ている・・・といった指摘に合意が得られれば それを共有しうる主
観真実だとすることが出来ます。

★ 目は他者を見るけれど自身の目を見る事はできません。
☆ 何のこっちゃ。

★ それと同様に、自身の見る目の色は分からないものです。
☆ さっき 分かる範囲で分かればよいと言いました。

★ 自身の色眼鏡で見る世界をまさか"真実"だ、などとは思ってはいま
せんよね。知者の皆さん。
☆ だから その理解の仕方こそが 《もともとは 目に色は付いてい
ない》と言っています。

★ ~~~~~~~
・・・と、このように訴えてみたいと思いました。

この理(ことわり)(自分は色眼鏡をかけて世界を見ているのだという
理)が分かれば、意見の最後に必ず「そう思います」と付け加えねばな
らないと、、、思います。
~~~~~
☆ わが主観真実が 必ずみなに共有されるという自信があれば さほ
ど へりくだらなくてもよろしい。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/09/28 01:06

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