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勤労の権利と義務をうたうのは 社会の中で仕事をするよろこびをとうとぶ精神
から来ているはずです。

ところが 権利も義務も何も 市場経済のもとでは あたかも人間もみながその
存在(つまり 労働力の持ち主たる)じたいをも商品として売って生きて行くこ
とを余儀なくされています。

人間を顧慮するよりも 価格という交通信号に従って利益が得られるところへと
水は流れて行きます。

失業という《怠け》は 望まなくても・そのわれわれの意志を超えて 非自発的
にこれを余儀なくされているという側面も出て来る。


この社会の中で 《ニート》以外に 《自律》している場合はあるだろうか?

A 回答 (7件)

専門外ですので、はっきりしたことはわかりません。


「自律」という言葉をどのように定義していらっしゃるのかも正確なところをわかっておりませんが、頂いた文章の流れから推察させていただきました。間違えていましたらごめんなさい。
 日本を出て、資本主義社会でなくても、いろいろなところを旅してきまして、そのどこへ行きましても、いろいろな支配がございました。利権、そして物や権利、所有、領土。
 そんな経験から、誰も、国も、何も関わっていないところとは。地球上では人間社会という枠を超えるのは、なかなか難しかったです。ある意味「ニート」も、統治された人間社会機構の内での、自由度の有り様の一つにも思えております。
 そういう「社会構造を基準にした思考でない」ということであるならば、「社会へのこだわり」の思考基準を捨てますれば、社会的なサラリーマンにありましても「自律?」は成り立つのかもしれません。残念ながら、私たちの思考は、自ら構築してきたそれぞれ自身の「社会」という枠を超えることは、なかなか難しいようです。それはニートの方でありましても同様となります。
 意味不明な思考の文章であったのかもしれません。見当違いでしたらごめんなさい。
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この回答へのお礼

いえいえ。しっかりと基礎の領域について考えていただいたのでは
ないかと思いました。

ご回答をありがとうございます。

そのように思索されたことから見ると ちょっと不真面目に見える
かも知れない問いであったかも知れません。

というのも――或る意味 コーヒーブレイクでの話し合いなんだと
すでに言ったかとも思うのですが―― ニートには まづ《自立》
という言葉は当てはまらないと思ったわけです。

それは おもに経済的に独力で暮らして行けることだと定義した場
合にそうなります。(そういうニートもいるかも知れませんが)。

けれども とにかくやりたいことを やりたいようにやっている(あ
るいは 何もやらないでいる)というようなことを内容として 自律
と言ってしまいました。

あんがい そのように生きている。のではないでしょうか。

何もしない。あるいは 好きなことだけをやりたいようにやる。と
いうことで かれらは腹が据わっている。のではないか。


★ ある意味「ニート」も、統治された人間社会機構の内での、自
由度の有り様の一つにも思えております。
☆ つまり 社会的な存在ないし生活を基礎において捉えるなら
やはりおっしゃるように当然 《大枠の統治の仕組みの中に位置し
ている》であろうし ただしその表面的なところでは 足元の仕組
みがけっこうキツイとは言えそれでも その自由度を好きなように
問い求めている。
――という一面が どうもあるように思ったものでした。

そんなところなんですが。

かれらは 上司のガミガミ説教からは自由な場にいる・・・かも知
れません。

お礼日時:2016/09/29 21:29

ニート以外の考える衣食住は、経済性に、毒されてるんじゃないです、

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この回答へのお礼

★ 毒されている
☆ こういう表現は 基本の命題には使わないようにしましょう。

特に意味はないでしょう。



ニートでなくても 《自律》している場合はある。
――こういうご見解ですか?

どのような場合に どのようにして成り立っていますか?




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/09/30 17:55

「勤労の権利と義務をうたうのは 社会の中で仕事をするよろこびをとうとぶ精神から来ているはずです」


→その通りですね。

「ところが 権利も義務も何も 市場経済のもとでは あたかも人間もみながその存在(つまり 労働力の持ち主たる)じたいをも商品として売って生きて行くことを余儀なくされています」
→まったくです。

「人間を顧慮するよりも 価格という交通信号に従って利益が得られるところへと水は流れて行きます」
→そうです。

失業という《怠け》は 望まなくても・そのわれわれの意志を超えて 非自発的
にこれを余儀なくされているという側面も出て来る
→そういうことです。
日本は戦後の焼け野原から脱却しつつ、豊かさ(お金という魔物)に向かって暴走してきました。
その結果、”お金さえあれば”と考える若者をたくさん輩出しました。

この社会の中で 《ニート》以外に 《自律》している場合はあるだろうか?」
→それは云ってる意味が分りにくいですね。
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この回答へのお礼

グローバリズムについて まづ次のように理解します。

経済行為の形式ないしその社会的な制度として 資本主義は あらゆ
るモノ・コトを商品として育て独り立ちさせ その商品をつうじて互
いに交通するというよそよそしい形でではありながら 世界中のすべ
ての人びとを否応なく巻き込み 一面としてはその一様な形式による
互いのマジハリを遠慮なく普遍的に行なわせるゆえに ヒトを一人ひ
とり誰をも 世界史的な存在と成さしめた。


この資本主義の世界史的な展開の中で 古くからはいわゆる階級の問
題がありました。けれども この階級間の闘争も すでにその上下の
回転(レヴォリューション)が行き着くところまで行き着いたように
思われる。

つまり もはやいくら革命をやっても堂々巡りであると分かってきた
のではないか。あたらしい支配者に望みを持てるなどという気遣いは 
無用と見るまで成ったかも知れない。
 

あるいは 階級のさらに上に君臨するような社会的権威の問題も そ
の社会の神だなに祀られたような権威のもとなるお二階のみなさんに
しても その王様ごっこがやはり行き着くところまで行き着いたとす
ら考えられて来ているのではないか。

つまり もはや人民よ朕になんぢらのクニをユヅルことはこれ以上し
てくれるな 朕はもう飽きたわい われもユヅル側になってみたいわ
いと言い始めたなら 社会の示す顔は変わった。

これまでにその持てるチカラを発揮して自己を形成し教養をたくわえ
文化を発展させて来たこのわれらでもあるホモ・サピエンスは その
潜在能力を或る意味で(社会の形態をデザインするうえで)全部知恵
として出し切ったと言える地点に来たのかも分からない。

しかも つまり 階級支配体制やお二階さんごっこ体制といったそれ
ぞれのマツリゴト思想に真っ向から対立する民主制というかたちをす
でにわれわれじんるいは採って来ている。

 ふるいニンゲンは ほろびる。

とすら感じられます。

そこで しかも 世界が旧習を愛しなおもそのナラハシに浸りつづけ
陋習が生き残るというのなら その変貌せぬ厚化粧の顔を見たとき 
これぢゃもうやってらんないよと言ったのが ニートではないか。好
きなことをやるのだという意味で ニートだけが《自律》しているか
も知れない。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/09/30 09:07

自ら衣食住を揃える仲間を持た無いと、何処へ行ってても生存出来無い事なのです。

例えばA地点から、豊富なB地点に追い出し移動してもB地点の学習は、奪えません。B地点の住民は、移動してC地点に移動したとします。今度は、C地点が豊かになりB地点が、没落していくのです。唯被害を作り回っているのです。結果、戦いになり没落しての砂漠化と生存の緑化が遷移しながら、進みます。砂漠化が、進むと生存出来無いのです。これが、消費だけのお金を求める行動から、発生しているのです。だから桜田門外の変は、正解だったのです。
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この回答へのお礼

《勤勉》の哲学ないし思想は とうといです。

おっしゃることを認めつつ(と言いますか すでに認め合われて
いますから) その前提の上でなおもちょっとした議論をしてみ
ようと思うなら ニートくらいが 自由で自律している・・・か
も知れない。こう思ったわけです。


人間という存在 その身もからだも心をも売って 仕事するとは
いったいどういう世の中なんだ? と言い あぁ 資本主義の社
会の仕組みぢゃやってらんないよと言ったのが ニートである。
・・・かも知れない。

といったコーヒータイムのお話ですが。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/09/29 10:48

自ら生産手段をもち、売るべき商品がある人=職人。

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この回答へのお礼

もちろん そうなんですけれど。

と言うか すべての人は その労働力を商品として売るといった
制度じたいが おかしい。

のですから 生産手段は 個人の所有でありつつ 同時に理念
(または社会のナラハシ)として社会の所有でもあるという基礎
が出来上がれば 効率をストップさせてでも 仕事とそのハタラ
キを大切にしてゆける・・・かな?

★ 職人
☆ の方は ニートと同じくらい(または ニートと違って は
たらきながら) 自由であり自律している・・・でしょうか。

そうのぞみますが。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/09/29 10:41

無人島生存者は、自ら衣食住を揃え生存していくのです。

社会集団無くして生存出来無いお金で生存してい無い現実を学習しましょう。大事な事です。民族の大移動が来れば自然に戦争になるのです。守れなければ死んでいくのです。お金が無いは、信頼が無い事なのです。
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この回答へのお礼

★ お金が無いは、信頼が無い事なのです。
☆ という考えじたいが ここで言う《ニート》には
屁の河童である。のでは?




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/09/29 09:20

勤労の権利と義務をうたうのは 社会の中で仕事を


するよろこびをとうとぶ精神から来ているはずです。
  ↑
キリスト教では、勤労は罰則です。
人間は悪いことをしたので、働かないと
生きていけないようになったのです。

憲法が謳う権利義務は、まさにそのキリスト教の
考え方きています。

もっとも、日本では勤労は美徳の社会ですが、
それも米国製憲法により修正されました。



この社会の中で 《ニート》以外に 《自律》
している場合はあるだろうか?
   ↑
好きでニートになるような人間が居るんですかね。
自律していないからニートに追い込まれた
んでしょ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ もっとも、日本では勤労は美徳の社会ですが、
それも米国製憲法により修正されました。
☆ うわべだけではないのですか?

それとも すでに骨抜きになってしまいましたか?



★ 好きでニートになるような人間が居るんですかね。
自律していないからニートに追い込まれたんでしょ。
☆ この質問は ウラがありまして 大きな声では言えませ
ん。そして ひと言では言えません。



事情説明をするかたちを採ります。

ニートは すでに言わば自由を享受し得るようなあたらしい
未来社会を いますでに ネガ(陰画)のかたちでは実現し
ている。といった意味合いで 言おうとしている一面があり
ます。

〔人間の存在じたいが 商品となっていると見る限りでは
もうそんな世の中では人間はやってらんないよと あたかも
ニートは言った。というように〕。

どうでしょうか。そういった見方で捉えてみてはいただけな
いでしょうか。

ニートになるキッカケや背景事情については 人によってい
ろいろなのだと考えられます。

お礼日時:2016/09/29 07:26

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