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No.1
- 回答日時:
対して長い文章でもありません。
全文訳のほうが分かりやすいですよ。琅邪の諸葛亮は、襄陽の隆中山に仮住まいをしていた。
いつも自分を管仲や燕の楽毅になぞらえて気負っていた。
ある日、備が当代のすぐれた人物を司馬徽に尋ねた。
すると徽は
「時局に応ずる仕事を知って、これを処理し得る者は、
よほどの大人物でなければならぬ。
このあたりに自然と伏龍・鳳雛ともいうべき大人物が二人おる。
それは諸葛孔明と龐士元とである」といった。
徐庶もまた備に、「諸葛孔明は臥龍である。
(起てば必ず世を驚かす偉業をなすであう)」といった。
そこで劉備は三たび足を運んでやっと亮に合うことができ、
漢室復興の計を問うた。
亮は、「曹操は百万の軍勢をかかえ、
天子を奉じて諸侯に号令を下しています。
この勢いでは操と兵を交えてはいけません。
孫権は江東に土地をかまえて、その国は険阻で、
人民は良くなついていますから、
(同盟を結んで)共に助け合うのはよろしいが、
その国を征服しようと図ってはだめです。
荊州は兵を動かすのには便利な国で、
益州は天険をもって四方を取り囲まれ、
沃野は千里も広々と続き、
実に天然の宝庫ともいうべき地であります。
将軍がもしこの荊州と益州を併せて領有せられ、
その要害を保ち、天下に変事あった時は、
荊州の軍隊は苑・洛の両地に向かい、
益州の軍隊は秦川の地方に打って出るようにせられたならば、
天下の人民は誰だって飲食物を用意して将軍をお迎えするに違いありません」
と申し上げた。
劉備は「よい計だ」と喜んだ。
以後、諸葛亮との交情は日ごとに深まった。
劉備はこういってはばからなかった。
「わしと孔明とは、魚が水を得たようなものだ」
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