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心とは何なのでしょうか。ただの現象、言葉、概念何なのでしょうか。

A 回答 (10件)

やさしさとか、勇気、忍耐などなどと言った、人間らしさの事ではないでしょうか。


人間らしさとは何かについては別考が必要かも知れませんが、私は心についてこの様に捉えています。
最近は、心は脳に宿っていると言われたりしますが、私は、それは胸の辺りにあるんじゃないの?と思っています。
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続き、です。



宇宙の本体は『絶対の大心霊体』と表現したのは明治から大正にかけて活動された、ある日本のお坊さんの言葉です。
釈尊は、そこから現れる"現象"を色即是空・空即是色、と表現しました。

絶対、とは二つとない、相、対するもののない、たった一つの、と云った意味です。

心って何だろうと云う疑問を解消するのは、まずは仮に宇宙は精神体であると捉えて見るところから考えを進めると、なんとなく分かるように思うのです。
人の心にはよく言われる三つの働き、感覚(感情)・理性・意志があります。
また、神仏と人との関係を親と子になぞらえています。
我々を精神として見れば、我の心は親のこころから生まれた、と思えます。

いわば神の心から生まれたのが我が心、と云うわけです。
同質、と思えます。

同質ならば、意志、理性、感覚、と云った人の心の働きは神にもあるはずです。
いや、逆に神の心にそうした働きがあるから、我々の心にもその働きが備わっているのだと云えます。

神=霊体
霊体=精神の意志である意の力、がこの宇宙を現象させていると思ってみるのです。
例えれば・・・以前にも何度か使った例えで、表現が汚いと批判されてしまった事があるのですが、ほかに適当な表現をいまだに思いつかないので、また使ってみますが、例えれば・・・力めばウンチが出るような、、、

意の力がこの世を現していると考え、その現象は物体としては感覚となり、その物体は理的に変化している。
こうした宇宙の精神の働きと同質であるところの、人の精神の働きにも意志あり、理性あり、感覚(感情)あり、となるのです。

心とは何ですか。
このように考えて見ると、宇宙の本体である絶対としての精神、の分身である我々の心。
この宇宙の精神の分身、これが人の心であると思えるのです。

うまく言えたでしょうか?
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例えば、物体に心はあるの?と問えば、まず無いと答えるのが普通です。


だから、生物に有るらしい心に付いての問いだと受け止めます。

生物の中でも特に人間は心が際立って認められます。
どの様に際立っているか?
やっぱり喜怒哀楽が顕著だからでしょう。

物対心、物質対精神。
この世の二面性、というやつですね。
方や目に見え形有り。もう一方は姿、形が無い故に見る事も触る事も出来ません。

人間からこの心を取ったなら、それはただの物体です。
という事は、生命は物質と精神で成る、と言えます。

実はここから答えを導こうとしても、困難な気がします。

この続きを今夜試みますので、まだ閉めないで下さい。
余り自信は無いけれど。
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唯物論的世界観の実証である物理学の果てにおいて、


量子論的世界像は「有限的な存在性は、認識される事で
派生している」=認識の外に独立して“世界”があるとい
うのは間違いで宇宙は心の内にのみあるものだ、という
結論に至っている。
「心とは何か?」という問いには、「全てが心だ」と
答えるしかありません。

全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、
無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、
無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の
闇に認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の運動
(時系列化=プランク定数hの収束=物体収縮=宇宙
膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、
認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、
自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識
するのです。
超弦(量子定常波)において光速に還元される本質を、
仮説的に階層現象を表面的に(いい加減に)捉える事
によって、潜在的認識可能性(現在)から、自我仮説
(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と空間仮説(予測
=空間の広がり=未来=光速下)に相補分化する。
「心とは何なのでしょうか。ただの現象、言葉」の回答画像7
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ホテルなどに、キリスト教の聖書とともに置いてあった。

仏教経典に「心なる実体は存在しない」と釈迦は言った。と書いてありました。また別の仏教経典(ヒンズー経典?)に
その神は言った
我が子より可愛いものはない。
牛に勝る財貨はない、
太陽に勝る光輝はない。
海は最良の泉である。
ブッダは答えた
己より可愛いものはない
穀物に勝る財貨はない
知恵に勝る光輝はない
雨雲は最良の泉である。
心の対立物が知恵であり。心=知恵 知恵✕心=一定 であり。知恵を得たくば、心、を小さくしなければならい。心は大人より子供の方が豊かであり、多分人間よりも猿、あるいは下等と言われいる、動物の方が豊か、かも知れない。人間と獣、他の動物達との違いは、知恵の差、しかない。と言うのは、わたしの幼児期からの思想、考え方、でした。

半世紀ばかり前、21世紀は女性の時代、心の時代、になる。と言われていましが。わたしは欲望開放の時代、知恵のない時代、になる。と予測、予言していました。
心とは何か、ではなく、現代こそ、知恵、とは何かが問われる時代なのです。
いい加減に、神、だの、愛、だの、恋だの、幸せ、だのという。子供、青春の思想、西洋思想、ユダヤ思想は卒業しなければ、未来はないでしょう。
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こころについて。




A たましい:
(1) 身体組織としての感性 
(2) こころ 
(3) 霊

B こころ:
(1)(感性) 身に起きた感覚を意識し 認識する。また 認識した内容。 

(2)(こころ) いっさいの認識をもとにして 自己および他者あるいは
世界に相い対するとき人間存在に生じるもろもろのハタラキ。
      
これは 好悪の感情や喜怒哀楽の気持ちであったり こころ差し(志)であ
ったり あるいは要するに 《わたし》という意識そのものであったりする。
→《精神》

(3)(霊) さらには たましいが霊としても捉えられる場合と同じく 
こころも霊を意味し得る。
      
これは 肉(つまりこの場合 精神および身体を言う)をあたかも超えて伸
び広がるかに思われるところがある。→《信じる》

C 信じる(信仰):
《非経験》とわれとの関係を言う。これは 経験思考に非ざることである。
   
または 表象しえぬものをわざわざ思ってみること。ただしその表象し得ぬ
ものをも 言葉などその代理によって表象すると主張することがある。
絶対とわれとの関係でもある。→《絶対》

D 絶対:
そういう想定である。経験的な相対世界を超えたところと規定し想定する。
思考を超えている。

《考える》を超えるこころのはたらきは 《信じる》と呼ばれる。
むろん神のことなのだが それは 有神論と無神論とに分かれる。
どちらも 互いに同等である。
信仰であり その形態が 有る神と無い神とで分かれるということ。
つまり《神がある》と言うのも《神がない》と言うのも ともに《信じる》
の領域を捉えて言おうとしている。なぜなら 《絶対者》は表象しえぬゆ
え。

E 肉:
(1)身体 
(2)身体および精神 すなわち 経験的な存在の全体

F 精神:
こころのこと。
特にこころの(2)のはたらきとして 基本的に 記憶・知解・意志の三つ
の行為能力を言う。
  
( a ) 記憶行為:
精神の秩序。
感性内容を意識し記憶する。
意識内容を知解行為が加工(整理)したものをも記憶する。その組織・その
過程。
先験的に(生まれつきそなわったハタラキとして) 人なるわれの存在じた
い もしくは その自然本性じたいの秩序を司ると思われる。自然本性とは
《身と心》を言う。

( b ) 知解行為:
記憶組織という宝庫から 一般に言葉となったものごとを取り出し いま向
き合っている世界を認識しようとする。さらにあらたな整合性をもった認識
内容につくる。記憶に送り入れる。

( c ) 意志(愛):
大きく広く 直接的にせよ間接的にせよ 記憶および知解を行為するときに 
すでにそれらを促すように発動していると思われる。

知解行為の結果としての思案(試案)について取捨選択しその内容を みづ
からの意志(心のおもむくところ)として判断し決定する。それらの実行に
も及ぶ。 

愛とも言いかえるのは この意志行為が 世界や人を相手にしており その
カカハリ(関係)として実際にもマジハリ(交通)を成すゆえである。

つまり 愛は 相手との関係において発動する意志行為として ベクトルで
ある。向きが 引力と斥力とに・正と負に・好きと嫌いに分かれる。

心は この愛の大いさ(度量)として捉えられる。愛情と憎悪とをおさめる。
その全体が 愛と呼ばれる。
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Aさん 「あなたに心はありますか?」



Bさん 「あります。あります。」

Aさん 「それが心です。無いと答える人は殆どいないんです。
     でも、言葉を尽くして説明して納得できる人も殆どいません。」
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経験の主体。

一経験対象の概念を、多に敷衍する本質観取から為し、時間的連続性を直観します。
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人間の脳は、大まか、三つの部分から


構成されています。

性欲、食欲、睡眠欲を司る生存脳
喜怒哀楽を司る感情脳
理性を司る思考脳

Hしたい、という生存脳の命令を、感情脳
で増幅し、Hするために、優しくする、プレゼント
をするなど、思考脳が命令します。

それでもHデキません。
しかし生存脳は命令を発し続けます。
それで思考脳が、風俗に行ったりして
解決しようとします。

このような情動のフイードバック反応
がココロです。

魂とは違います。
分子生物学で、ノーベル賞を受賞した利根川進
教授は、魂など存在しない、総て脳細胞の
織りなすネットの産物にすぎない、と明言して
います。



ただの現象、言葉、概念何なのでしょうか。
  ↑
と、言うわけで、タダの現象です。

それを魂などという名前をつけるから
一人歩きして、魂が人体とは別に存在
するようなことを言い出す人が出てくるのです。
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こういったサイトで それを考えると とんでもない方向に行きます・・



ネットサイトは Q&Aサイト以外にも沢山あります・・

もっと良いサイトを見つける事が あなたの疑問を解決する事に繋がります・・
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